百九十九話 重力・標準
──"夜の惑星"。
「はあ……まだ無事なのか……」
「そうだな。だがまあ、策を講じようにも何度も破壊されては中々考える事が出来ない……はてさて、一体どうするべきなのか……」
雲に隠れた月の微かな光が照らし、金髪を揺らして再生するエマ。辺りに散らばった肉片は集合しており、完全に人の形となった。
それを眺めていたウラヌスはため息を吐き、肩を落として話す。
そんなウラヌスの言葉に返すエマは、余裕のある態度でそれに返した。
「軽く百回……いや、止まっている間を合わせたら千回近くか……何はともあれ、それくらいは致命傷になりうるダメージを与えたんだがなぁ……ヴァンパイアって弱点は多いが如何せんそれを補える再生力が高過ぎる……一体どういう原理なんだ?」
頭を掻き、呆れたように苦笑を浮かべて話すウラヌス。
事実、ウラヌスにはヴァンパイアの、エマの再生力が理解できなかった。
それもその筈。ウラヌスは何度もエマを粉々にしている。
しかし、心臓を砕こうとも、脳を砕こうとも、全身を粉微塵に分解しようとも、エマは涼しい顔で再生するのだ。
「ふむ、私にも分からないな。幾ら夜だからとはいえ、再生力が今までよりも圧倒的だ……しかしそれは好都合……私が再生し続ける限り貴様を倒す事が可能……という事だからな……」
金髪の髪を揺らし、紅い目を光らせて笑みを浮かべながら告げるエマ。
今までエマがあまり反撃をしなかったのは己の再生力を試していたから。つまり、そろそろ攻撃に移るらしい。
「そーかい。……じゃあ俺も、そろそろ本気を出すかぁ……まあ、今までもそれなりの力だったけどな。……やっぱ"ニンニク"とか"十字架"とか"銀の武器"を用意した方が良かったかなぁ……」
そんなエマの言葉を聞き、ウラヌスはしくじったと頭を掻いて告げる。
ウラヌスは己の力を驕っていたからか、ヴァンパイアの弱点になりうる物は持ってきていなかった。それが有るのと無いのでは大きく異なるだろう。
「まあ、失敗は誰にでもあるさ。気を落とすな。取り敢えず気を失えば楽になる」
「ハハハ、断る」
刹那、エマとウラヌスの両者は高速で駆け出した。
エマは普通に大地を蹴り、ウラヌスは重くした足で蹴った後に全身を軽くして加速する。
その衝撃で二人の間には砂埃が舞い上がり、エマとウラヌスがぶつかって消し去った。
「へえ……物理的な攻撃も出来るのか……」
「ふふ、当然だ。ヴァンパイアは鬼に匹敵する力も誇りだからな……吸血"鬼"と謂われているくらいだしな……」
エマの力を感じ、意外そうに呟くウラヌス。
そんなウラヌスに軽く笑って返すエマ。
ウラヌスはヴァンパイアの弱点を知っているので強さも知っていると思うが、如何せんヴァンパイアは稀少で最近は姿を消した。実物を見た事が無い故に、その力もよく分からないのだろう。
「ハッ、そうかい。気を付けなきゃならねぇな!」
エマに返し、重力を掛けるウラヌス。
「ふむ、大分慣れたかもな……」
ガクリと屈み、重力に潰されるエマだったが、多少慣れたらしく何とか立ち上がり、
「次は私の番だ……!」
「……ッ!」
ヴァンパイアの怪力でウラヌスの顔面を殴り付けた。
殴られたウラヌスは吹き飛び、数百メートル先の潰れた木や岩にぶつかる。
そしてその木や岩を粉砕して背後へ進んだ。
「オイオイ……やっぱ鬼の力ってスゲェなぁ……」
両手両足を地面に着け、四つん這いになったウラヌスは呟き、軽く立ち上がる。
──その刹那、
「もう少しだけ倒れていたらどうだ?」
高速でウラヌスの元へ駆けてくるエマが視界に入った。
エマの金髪と紅い目は闇に紛れ、金色が視界から消えて紅い光だけがウラヌスへ近付く。
「おー怖ぇ……ヴァンパイアってそういや人間・魔族の天敵だっけか?」
その光を見て少し震えるウラヌスは軽薄な態度を取りながら呟く。
そして光に向けて片手を構え、
「駆除しなきゃな……!」
前に突き出す瞬間に重力を軽くし、加速させた拳を放った。
「私は害獣か?」
そしてその拳に己の拳を放つエマ。
二つの拳は衝突し、辺りに土煙を巻き上げて止まる。
「あーあ、どっちも吹き飛ぶんじゃなくて停止するのか……一応当たった瞬間は拳を重くしたんだけどなぁ……」
「フッ、すまないな。私も旅でそれなりに鍛えられているみたいだ……」
ウラヌスはエマの拳に当たる際重力を重くして威力をあげたらしいが、エマには無意味だったようだ。
曰くエマは、ライたちとの旅でそれなりに鍛えられたとの事。
「筋肉も再生するのにどうやって鍛えるんだか……」
それに対して文句を言うウラヌス。
筋肉は鍛える時、一度ダメージを負ってから時間を掛けて再生し、より強靭なモノとなる。
しかしヴァンパイアであるエマの場合、筋肉がダメージを負うと同時に再生する為、再生する過程で鍛える事は出来ないだろう。
「そうだな、日光によって再生が遅いのと一瞬にして次の段階へ進化する……のどちらかだろう」
「そうかよ……!」
エマはそれに返し、ウラヌスはエマへ仕掛ける。
二人は一旦距離を取り、即座に次の体勢へ入っていた。
そして次の瞬間、一瞬で距離を詰めて互いに拳を放つ。
先程舞い上がった土煙は、それによって吹き飛ばされ掻き消された。
それから一瞬離れ、次の刹那にエマとウラヌスは拳を放って蹴りを放ち、肘をぶつけ頭突きを食らわせ物理的な攻撃を広げる。
「"重力"!!」
「……!」
その時、ウラヌスはエマへ重力を掛けた。
一瞬にして数百倍以上のその重力はエマの体勢を崩し、エマの身体を地面に向ける。
「そら!!」
「……!」
それと同時にウラヌスはエマの顔へ膝を向け、為す術なく倒れたエマの顔は膝に当たって血を噴き出す。
膝を構えていた場所にエマの顔が『来させられた』事によって膝蹴りを食らったようになったのだ。
「小賢しい真似をするな……!」
「ハハ、けど君は全くダメージを負っていない……血は噴き出すんだけどなんだかなぁ」
エマは少し離れ、血を拭ってウラヌスへ言う。そしてそれに軽薄な態度で返すウラヌス。
軽薄な態度を取っているウラヌスだが、ウラヌスは割りとエマを警戒していた。
それもそうだろう。何度破壊しても依然として変わらない力で攻撃を仕掛けるエマ。
それはそれなりに肝が据わっている者でなければ腰を抜かし、恐怖へ陥るだろう。
「まあ、何度もボカボカと殺られれば流石の私も苛立ちが起こるモノだ……」
「…………。……へえ?」
──刹那、
「……ッ!」
「だから攻めさせて貰う。私は攻められるより攻める方が好きだ……」
エマはウラヌスの首元を掴み、ヴァンパイアの握力で握っていた。
「……ッカハッ……!」
「……おっと……苦しいか……ならば落としてやる」
首元を思い切り握られ酸素が肺に向かわず窒息寸前のウラヌス。
ウラヌスは何かをしようとしたが、エマは話すや否やウラヌスを大地に叩き付けた。
叩き付けられた大地は砕け、陥落してクレーターを造り出す。
エマは物理的にウラヌスを落としたのだ。
「……ああ、そうしてくれると助か……」
クレーターが造られた大地から起き上がるウラヌスは、
「無論、助けたつもりはない」
「……ッ!!」
眼前に迫っていたエマの蹴りによって吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたウラヌスは数百メートル先へ行き、まだ無事だった木々や岩々を砕いて崖にぶつかり停止した。
「やるなヴァンパイア……流石の俺もキレそうだ……」
「そうか」
その瞬間、崖にめり込んでいたウラヌスは加速しエマはそれを迎え撃つ為に構える。
「だから君を殺すかもしれないから気を付けろ……!!」
「……!」
ウラヌスはそれだけ言い、エマの前で次の行動に出た。
*****
「…………」
──そして、世界は停止した。
音が無くなり、暗い闇夜が更に暗く色が無くなる。
「"時間停止"……とでも言っておくか……どうせ聞こえてねぇけど……詠唱? した方が少しは能力が上がるからな……」
音も色も無い、灰色の世界に木霊する一つの声。
この灰色の世界に唯一存在しているその音は、目の前に停止している金髪と紅い目を持つヴァンパイアに向けられる。
重力を一気に放ち、光を飲み込み時間を飲み込む事によって生まれる全てが静止した世界。
全てが止まった世界では無論の事空気や光、音に時間とこの世の全てが停止している状態だ。
しかし、どういう訳かウラヌスは動けていた。
通常、それら全てが停止すれば自分が呼吸する事も儘ならなくなり、光が無いので本当の意味で色が無くなる。
この世界は色を失ったのだが、その場に現れたのは"闇"では無く"灰色"。つまり色と言える物が存在する。
要するにウラヌスの時間停止は停止した世界を自由に動ける時間停止と言う事だ。
無くなった重力を操り、空気や光を自分の都合の言いように操る事によって全てが止まった世界で唯一動ける存在になっているという事。
「……さて、と。一体どうやって倒そうか……ボコボコにやられたし相応の事をしてやりたい……しかし幾ら殺そうと再生する……大変だな、こりゃ……」
停止したエマを見、考え込むウラヌス。
ウラヌスは何度も時間を停止させ何度もエマへ致命傷になりうるダメージを与えた。
それに加え、再生を阻止する為に再生途中で破壊したりもした。しかし、全くと言っていい程エマには堪えないのだ。
「……ま、取り敢えず……憂さ晴らしはしとくか……!」
次の瞬間、ウラヌスはエマへ大きな重力を掛けて押し潰し、
「そらっ!」
連続で拳を放って蹴りを入れる。
まずエマの顔に拳を放ち、次いで脇腹へ蹴りを放つ。そしてエマの腹部に二度蹴りを入れた。
何れにしても重力で拳や脚を重くしているので、それらは通常の攻撃よりも圧倒的な威力を誇っている。
そしてある程度攻撃したあと動きを止め、
「"進む時間"」
「……!」
時間を動かしエマを破壊した。
色の戻った世界でエマの身体は粉々に砕け、赤い液体が闇に包まれた辺りに飛び散る。
肉片が木々や岩々に当たり、胃や腸などの臓物がエマが居た場所に落ち、目玉に金髪が散らばった。
「これで何回目だろうなぁ……君を殺したのは……」
散らばった肉片や内臓、眼球に髪の毛を見ながら呟くウラヌス。
それから僅かの時間でそれらはグチャグチャと音を立てて再生する。
「さあ、分からないな。いちいち覚える必要も無い事だし……私は止まった世界に入れないしな……」
その再生した肉片は目玉や髪、内臓や血液が戻りエマの形となった。
そんなエマは首を傾げ、ウラヌスに分からないと告げる。
「……そうかい」
「ああ、すまないな」
刹那、再生したエマとエマを砕いたウラヌスは再びぶつかり合い、辺りに土煙を巻き上げた。
舞い上がった土煙は風で消え去り、その場にエマの姿は無くなっていた。
「……霧になったか闇に紛れたか……」
消えたエマの姿を確認する為に辺りを見渡し、どのようにして消えたのかを推測するウラヌス。
そんなウラヌスを見、闇夜に吹き抜ける風を感じるエマは出方を窺う。
重力増加や減少、そして時間停止を操るウラヌスへ迂闊に近付く事は流石に無謀だろう。
「……!?」
そして次の瞬間、エマの姿は再び粉々に砕け散っていた。
「成る程な……霧になろうとも闇に紛れようとも……時間を止められてしまっては逃げる事も出来ない……」
それから再生し、形を保ちつつあるエマは目の前に現れて居たウラヌスへ向けて話した。
そう、どんなに速く動こうとも、どんなに上手く隠れようとも時間を止められては圧倒的に不利となる。
つまりウラヌスは時間を止めてエマを探し、見つけたと同時にエマを砕いたという事だ。
「ああ、そうだな。君の強さはしかと理解した。だからこそ俺はもう……己の力に枷を掛けるのは止める……!」
そんなエマの言葉に返すウラヌス。
ウラヌスはエマの力を実感した。そして今のままでは倒す事が出来ない。
なので己の枷──つまり己の力を解放するとの事である。
「そうか。なら、私も本気の力を使うとしよう……"怪力"に""天候変化"、"催眠"や"吸血能力"……それら全てを駆使して貴様を仕留めると宣言する……」
対するエマもウラヌスへ与えたダメージは少数。
なので本気を出すというウラヌスに対し、エマ自身も本気を出すようだ。
「……行くぞ……!」
「……ふふ、来い……来るが良い……」
その瞬間、ウラヌスは片足を重くして踏み込み、大地を大きく粉砕して身体を軽くしながら加速した。
その衝撃は凄まじく、ウラヌスが通るだけで辺りは大きく揺れて粉砕する。
そして一瞬でエマの前に現れ、
「食らえ……!」
エマに拳を放った。
その拳は重力の増加によって威力が大きく上がっており、とてつもない破壊力を誇る事だろう。
「まずは……怪力……!」
正面から拳で受けた。
二つの拳はぶつかり合い、衝撃を辺りに散らして巨大な粉塵を巻き上げて大きなクレーターを生み出す。
そしてエマとウラヌスは拳を離し、その瞬間に粉塵が消え去った。
「潰れろ……!」
次の瞬間、エマに向けて重い重力がのし掛かった。ズンと掛かるそれは凄まじく、エマが傾いた。
それによってエマの身体が拉げ、骨肉が砕けて擂り潰れて行く。
「そして天候……!」
重い重力がのし掛かる中、エマは雲に隠れた朧月を覆う、曇天の暗雲を呼び出したのだ。
刹那、
「……!」
その曇天の雲は、『エマとウラヌスの周りに集まった』。
「……何だ……これは?」
自分の周りに集まった曇天を見、辺りを見渡すウラヌス。
その雲はピリピリと小さな電気が走っており、水気を多く含んでいた。
「……! まさか……!?」
「ああ、共に焼けようでは無いか……側近よ……」
一瞬辺りが目映く発光し、エマとウラヌスの視界を白く染める。
それと同時にゴロゴロという音が響き、辺りには霆が出現した。
その霆は雷速で空気を熱しゴロゴロという破裂音を大きく響かせ続ける。そして辺りには雷光と共に熱が奔り去った。
「成る程な……俺が重力を使うのを見越し……その瞬間に雷雲を出現させた。不死身の君は全くダメージを受けないけど、不死身じゃない俺はダメージを受ける。……って魂胆だったのか……。そして俺はまんまと策に嵌まった訳だな……」
曇天の雲が晴れ、黒く焦げたウラヌスが姿を現す。
その身体に傷は無い。しかし内部が爆ぜている事だろう。
その証拠に雷に打ち抜かれた際に血液が沸騰し、血管が破裂した痕が見受けられる。
それは稲妻模様のタトゥーのようになっており、内出血を起こしているのか青紫色に変わっていた。
「ふふ、中々の余興だろう? 貴様を敗北へ進める余興のな……」
ある程度ダメージを受けた様子のウラヌスへ向け、言葉を返すエマ。
エマの身体は再生し、傷が完治した。
「……にしても、貴様が時間を止めれば避けられたんじゃないか? あの程度の霆なら……」
「ああ、だが時間を停止させるのにも数秒掛かる。その数秒より早く俺が気付けば良かったんだが、反応が遅れてな……」
エマがフッと笑って話、それに返すウラヌス。
時間を停止させる為に数秒要するとはこれ如何にと思うが、時間停止は重力魔術の延長線。なので相応の時間が必要なのだ。
「さて、続きと行こうか……」
「ハハ、やってやろうじゃねえかよ!」
刹那、ウラヌスは加速し、エマの前に躍り出る。
その拳はエマの顔にめり込み、エマを吹き飛ばした。
吹き飛ばされたエマは木々を砕いて進み、遠方に土煙を巻き上げる。
「……」
「そーら……!」
そして仰向けになっているエマへ重くした体重でのし掛かるウラヌス。
そこには大きなクレーターが造り上げられ、更に土煙を上げて闇夜を覆い尽くす。
暫くしてその土煙は消え去り、煙に包まれた視界は闇に戻る。
「……」
それが堪えたのか、ピクリとも動かないエマ。
仰向けのまま変わらず、微動だにしていないエマを見るウラヌスは呟く。
「……何かがおかしいな……何故君は動かない……? さっきまでの威勢はどうした?」
それは"違和感"。
先程までのエマは果敢に攻める姿勢を止めなかった。
しかし今のエマは、抵抗どころか動く事すらしようとしない。幾らなんでもおかしいのである。
「そうだな……貴様が既に催眠状態……と言えば分かるか……?」
「……!?」
刹那、ウラヌスは背後から殴り飛ばされた。
ヴァンパイアの怪力によって飛ばされたウラヌスは再び木々を貫通して地面に叩き付けられる。
それから両手を地面に着いて起き上がり、砂埃を上げながらエマの方を見るウラヌス。
「催眠……! 成る程な。それならば合点がいく。俺が攻撃していたのは初めから木だったって事か……」
エマの方を見、足元に落ちている粉々に砕けた木へ視線を向けた。
そう、エマはウラヌスに殴り飛ばされた時から偽物に変わっていたのだ。
それを見たエマはフッと笑い、
「つまり要するに……だ」
「貴様が行動出来る限り」
「貴様に催眠を掛け続ける事が出来る」
「って事だ……」
「だから」
「此処に居る私が」
「本物とは」
「限らない」
「私の姿を」
「見付ける事が」
「出来るかな?」
ウラヌスの辺りにエマが増え、同じ姿で同じように笑う。
フフフと不気味な笑い声を反響させ、ウラヌスの不安を煽りつつ思考を停止させようと考えるエマ。
「……ハッ、そんなもの時間を止めれば問題無い!」
その刹那、ウラヌスの周りは灰色の世界へと変わった。
雲に月、草木に花々、落ち葉やエマの動きが停止する。
「"時間停止"……! これで良い……これで君は……停止した。それによって姿は一つに戻る筈……」
時間を停止して世界の色を奪ったウラヌスは、ゆっくりとエマたちが居た方向を見やった。
「そうだな。貴様はこうやって時間を止めていたのか。まあ、止まった世界に入った訳じゃないが……」
そして、背後から両手と両足を絡ませるエマが現れた。
「……ッ!? 何ィ!?」
そんなエマを見、思わず声を上げて振り向くウラヌス。
身体を振り向かせたのでは無く、頭だけを向ける。
「……君……一体どうやって……?」
止まったと思われる世界。そんな世界に突如として動きを見せたエマ。それを見たウラヌスは驚愕し、信じられないような表情をしていた。
エマはそれを聞き、フッと笑って口を開いた。
「ふふ、言ったじゃないか──"貴様が行動出来る限り、貴様に催眠を掛け続ける事が出来る"……とな。『貴様に掛けた催眠は、止まった世界でも完全に消えた訳じゃない。時間を完全に停止させる前に貴様は時間を止めたと勘違いしていた』って事だな。お陰で時間が止まり切る前に私は動けた……そして──」
「…………?」
ウラヌスにしがみつき、淡々と言葉を綴るエマ。
そんなエマは説明の途中で説明を止め、
「──ふふ、ヴァンパイアに背を取られたら"餌"である人間・魔族は……覚悟を決めた方が良い……」
紅い目を光らせてそう言った。
「成る程。つまり君は俺の血や精気を吸い、俺を殺すつもりって事だな?」
それに返すウラヌスに慌てるような様子は無い。
ヴァンパイアの餌は生きた人間・魔族の血や精気。それを吸われたら最期、どうなるか分からないだろう。
そんな凶器が背後に取り付いて居るというのに焦らないのだ。
「ふふ、殺すかどうかは私の気分次第だ。私に貴様を隸属させる気があれば永遠の命を得て日々を生活できる……」
そんなウラヌスを見たエマは、無邪気な子供のように悪戯っぽく笑ってウラヌスに言った。
エマは普段幼い姿を取っている。理由は子供が軽く動きやすいからとの事。
そんなエマが見せる笑顔は年相応だった。
「ハッ、殺れよ。俺はある程度の肝が据わっているつもりだ」
「……ほう?」
正面を向き、エマへ吸血を促すウラヌス。
一見は諦めたようにも見えるが、その様子は何かがおかしかった。
「……まあ勿論……ただで殺られる程甘くは無いけどな……?」
「……!」
その瞬間、ウラヌスにしがみつくエマが空へ向かって浮いた。
ウラヌスにくっ付いて居るので"まだ"空までは飛ばないが、それも時間の問題だろう。
「"無重力"……! 君が太陽まで飛ばされるか、俺が君によって再起不能になるか……時間の勝負だ! 俺は時をも司る重力の支配者だからな……!」
「……厄介な事をしおって……!」
ウラヌスはエマへ向けて、エマの周りにある重力を解放したのだ。それによってエマは無重力状態となり、エマが浮き上がったとの事。
「じゃあまず……貴様を弱らせてから血を頂こう」
「……ッ!」
刹那、エマは爪を尖らせ、握力に力を込める。
それはウラヌスの肩を抉り、真っ赤な鮮血がドロドロと流れていた。
爪が刺さると同時に勢いよく血液が噴出したが、直ぐ様緩やかな流れとなる。
ウラヌスはエマが完全に飛行するまで待とうと試みるが、既にある程度のダメージは負っている様子だ。ウラヌスは中々キツそうな表情であった。
「……では、頂くとしよう……!」
「……!」
グチグチと生々しい音を立て、ウラヌスの首元を噛み切るエマ。
エマはウラヌスの肩を握力で握り潰した。それで見せたウラヌスの反応から、もう既に弱っていると見抜いたのだろう。
「ふふ……貴様は耐えられるのか? 我々ヴァンパイアが吸血の際に貴様の身体を伝う快楽から……。その快楽は想像を絶する心地好さと謂われている……事実、今は私たちの仲間をやっているキュリテや"シャハル・カラズ"のサリーアはその快感から行動不能に陥った……」
チュルチュルと血を啜り、ウラヌスに問うエマ。
その姿は魔族を襲っているようには見えず、何かの芸術品のようだった。
「……グッ……力が抜け……」
それを受け、身体の力が弱って行くウラヌス。
それは快楽以外にも、身体の血液が少なくなっているからだろう。
今のウラヌスは貧血に近い状態となり、頭には謎の痛みが広がっていた。
「ふふ、全て私に任せろ……快楽に逆らうんじゃない……早く気を失わなければ貴様は死ぬぞ……しかし安心しろ……私は貴様を殺しはしない……」
「ぐ……が……がぁぁ……ッ!!」
誘うように話すエマ。呻き声と共に項垂れるウラヌス。
それによってウラヌスの身体にあらゆる不調が起こり、エマに掛けていた無重力が消え去る。
「……終わりか……確かに支配者の側近とだけ言われる力があった……中々に上等な血液だったな。旨かったぞ……」
ウラヌスの身体から力が抜け、ガクリと倒れて意識が消える。
エマはペロリと口の周りに付いた赤い液体を舐め、ご機嫌そうに言う。
「こんなに死んだのは久々だ……そして、快楽に溺れなかった貴様もな……貴様が気を失った理由は血液不足……精神力の強さも実感したよ……」
バサッと地面に落ちていた服の切れ端を広げ、新たな服を作るエマ。
そして置いておいた傘を拾い、ウラヌスの方を見て感心するように話した。
キュリテや"シャハル・カラズ"の女幹部サリーアはあっさりと快楽の虜になったが、"ラマーディ・アルド"支配者の側近ウラヌスは快楽に堕ちなかった。
三大欲求を一斉に満たされるような、想像を絶する快楽に堕ちない精神力は流石というこの上なし。
そういう意味でも、エマは敬意を表したくなったのだ。
何はともあれ、こうして支配者の側近を一人落とした。
エマは残り何人残っているのか分からないが、上質な血液を吸えたので気にしていなさそうである。
"ラマーディ・アルド"支配者、シヴァ。その側近、ズハルとウラヌスを撃破したレイとエマ。
こうして二人の戦いは一時的に終わりとなった。
そしてエマ雲から顔を出す朧気な月に目をやり、綺羅綺羅と輝く星を見る。
エマの好む闇夜が辺りを包み、心地好い空間を生み出していた。
この空間で少し、休息を兼ねて寛ごうと考えるエマだった。




