第25話 嘗ての思い出も遠く
「逃げろ!!!」
俺は無意識のうちのそう叫び、六実の手を握って走り出した。
真っ暗な闇の中、俺と六実は死体の飾り物につまづきながらも全力で走り続けた。って、これ……
「ぐはっ!」
俺が一つの死体……というか死体の飾り物と思っていたものを踏んでしまったとき、それが苦しそうな声を上げた。
どうやら、俺たちが死体の飾り物と思っていたのはあの怪物に気絶させられたお化け屋敷のお化け役をしている人だったようだ。
突如、俺のポケットが振動し、スマホに何かしらの通知が来たことを知らせた。
「馨さん! 聞いてください!」
「なんだよ! 今お前にかまってる暇はないんだよ!」
俺は突然喋り出したスマホに怒鳴り返すと、俺の手を握って走る六実の安全を確認した。
「大丈夫か、六実!」
「うん、なんとか……馨くんは?」
「だから馨さん聞いてください!」
「うるさいな! 今それどころじゃ……」
「馨くん、前!」
驚きの表情を浮かべ、前方を指差す六実の視線を辿った俺は、驚きと絶望に絶句した。
そこには、さっき見た時と同じように苦しそうに肩を上下させる怪物がいた。
俺はすぐに踵を返そうとするが、そいつはそれを許さなかった。
疾風の如く風を切って、一瞬のうちに俺との距離を詰めた怪物は、俺に向けて拳を思いっきり振り抜いた。
俺は紙一重でその拳を避けると、次に飛んできたもう片方の拳を片手で受け止める。
眉をしかめ、双眸の煌めきを濁らせるそいつに俺はニヤリと口元を歪めて見せた。
しかし、そいつはそれも計算済みだったようだ。
怪物は俺の手を握ったまま飛び上がると、華麗な回し蹴りを俺の頬に決めて見せた。
「ぐはっ!」
吹き飛ばされ壁に打ち付けられた俺は、息ができなくなり思わず咳き込む。
「馨くん!」
そう叫び六実が駆け寄ってくる。だが怪物は、無慈悲にも六実を片手で薙ぎはらうと、俺の方にゆっくりと、歩み寄ってきた。
恐怖に全身を苛まれながらも、俺はその怪物を迎え撃つべく立ち上がった。
その時。ふっと、柔らかい香りが鼻腔をくすぐった。懐かしい、この香り。かつて、どんな時も傍にいたこの香り。
「なんだ、凛か……」
俺は急に全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「馨……? そうだ、馨だ!」
怪物だった、ではなく、俺が怪物と勘違いしていた少女は、紛れもなく、俺の『元』幼馴染、望月凛だった。
煌めく紅い目は、どんどんと元の色を取り戻し、少女はお化け屋敷に入る前の姿に戻った。
「す、すまない! 私としたことが、我を失ってしまった……」
「まぁ、終わったことだしもう気にしなくていいんじゃないか?」
俺はなんと返せばいいのかわからず、そんな曖昧な言葉しかかけてやることができなかった。
「あいたたた…… でも、クールな凛ちゃんが我を失うなんて…… 一体何があったの?」
六実が背中をさすりながら立ち上がりながら、俺もきこうと思っていたことを尋ねた。
「そ、それは……」
六実の問いに凛はもじもじと言葉を詰まらせる。
「あ、あのな、お、お化けが私を脅かしてきて、それで私は驚いて、気が動転して、気がついたら、人の首を絞めていた…… それからも、視界に入る全ての人が、私を脅かすお化けに見えて…… 本当にすまない……」
そう言って頭を垂れる凛に先ほどまでのような凶暴さは感じられず、俺は一人胸を撫で下ろした。
しかし、懐かしかった。昔はよく、凛と組手なんかをやっていたものだ。もちろん、戦績は俺の全敗だ。
「ところで凛。中学の卒業式の事覚えてるか?」
気付いたら俺は、凛にそう尋ねていた。
以前、凛は俺の過去の記憶を持っているかのような言動をしていた。もしかしたら、あの楽しかった記憶を凛がまだ持っているのではないだろうかと俺は心の底で思っていたのかもしれない。
「お前は何を言っているんだ?」
凛は少し悲しみを含んだような、それでいて、それを必死に隠しているかのような表情で俺に答えた。
「勝手に、消えたくせに……」
「……え? ごめんよく聞こえなかった」
そっぽを向いてぼそりと呟いた凛に俺は聞き直す。
「別に、なんでも……」
「見て! 出口だよ!」
凛の言葉を遮って、黙々と歩いていた六実が歓喜の声を上げる。
暗闇に慣れていた俺の目に、その太陽の光はとても眩しかった。




