第2話 天変地異より珍しい事態
俺のナビゲーター、ティアは非常に役に立つ。
誰がどれくらい俺に対する好感度、興味度を持っているかを教えてくれるし、暇なときは話し相手になってくれる。
たまにうざいときもあるが、基本的にはかなりいい奴だ。
ほら、今だって俺が不安や、期待など、様々な思いを巡らせているのをニヤニヤと嗤っている。
前言撤回どこがいい奴だよ。
キッ、と俺が睨むと、おどけながらティアは笑った。
「馨さん、落ち着いてくださいよ。小春さん、あなたに対する興味度20%ですよ? 好感度なんて上がりませんって」
興味度が高いほど、好感度は変動しやすい。つまり、逆に興味度が低いほど好感度は変動しにくいのだ。恐らくティアはそれを言いたいのだろう。
俺が無言を返すとティアは続けた。
「いや、まず馨さん。あなたと小春さんの間にリセットされる様な関係もありませんよね?」
「わざわざ言われなくてもそんなことわかってるっての」
なんでこの子は俺のHPこんなに削るんだろう……。もう火事場の馬鹿力発動しちゃうぞ。
「ごめんね、待たせちゃった」
静かな吐息と共に聞こえたその声の主は考えるまでもなく彼女だった。
六実小春。
その少し赤くなった頬と上がった息からは俺のために急いで来てくれたことが伺える。
体が上下するたびに揺れるサイドテールがかわいらしく、思わずぼーっと見とれてしまう。
こういう時は、別に待ってないよ、みたいなギザなセリフを吐くべきなのかもしれないが、俺にそんな高度な対人スキルもあるわけなく、無言で頷いた。
そして、彼女は椅子を持ってきて俺の正面に座る。
「突然こんなことしてごめんなさい。驚いたでしょ?」
「ま、まぁ……」
艶やかな髪をいじりながら、小さく笑みを浮かべて彼女はそう問うてきた。それに俺は気持ち悪い小さな返事を返す。
「朝倉馨くん、だよね。改めて六実小春です。よろしくね」
「こちらこそ、よろしく」
「うんっ」
俺なんかが見てもいいのかと心配になってしまうほど、魅力的な笑みを彼女は咲かせた。それをどうも直視するのがむずがゆく、俺は窓の外に視線を逃がす。
「で、用事っていうのは?」
「あっ……そうだね……」
本来彼女が切り出すべきであろうその話題を俺は彼女に振った。
……というか、今の早く帰りたいアピールとかにとられてないよね? ……などという、いかにもモテない男が考えそうなことを考えながら、彼女を見遣る。
しかし、彼女は言葉を話さずに俯き、胸元を指でぎゅっと握っている。
いかん……今の彼女をこのまま見つめてたら、惚れて告白してフラれてしまう……!
「六実……?」
そんな危機感からではないが、俺は彼女に言葉を促した。……いきなり敬称をつけないのはあれかな……でも同学年にさん付けはないよな……
俺がそんなくだらないことでうんうん唸っていると、彼女はやっと口を開いた。
「あの、さ……」
顔は俯けて、視線だけでこちらを伺いながら彼女は手探りをする様に話し始める。
窓から差し込む西日のせいで彼女の頬が朱に染まっているように見え、俺の心臓はどきりと跳ねた。
「えっと……その……馨くんって、か、彼女……とか居たりするの?」
「……はい?」
これなんてギャルゲー?――までは言わないが、俺は短い人生の中で恐らく一番素っ頓狂な表情をしているのだろう。その言葉を言った六実といえば、自分で言ったくせに恥ずかし気に視線を下に向けていた。
その視線がゆっくりと上がってきて、俺のとぴったり重なる。
そして、お互いがお互いにぷいっと明後日の方向に顔を向けた。
おいおいおいおいおいおいおい、なんですか、なんで俺ラブコメしちゃってるんですか? 馬鹿なの? 阿呆なの? 死ぬの? 死なないよ。……ってやってる場合じゃないよ、俺。
とっ、とにかくここはあんまり動揺しているところを見せるべきではないだろう。
俺は顔を逸らしたまま、お前なんかには興味ないよ、感を出しながら答えた。
「べちゅにっ、いないけど?」
うん。噛んだ。まじ噛んだ。本当死にてぇ……
「やっぱりそうだよねー……」
えぇ? そうだよね? 酷い。俺の乙女心が致命的なダメージを受けた。
なんなのだろう、この子は。彼女いるか女子が訊くのって、告白する前のルーティーンみたいなものじゃないの? なのに、なに? そうだよねーって。それに足りない分の単語を入れてやれば、「やっぱりあんたみたいな残念な男子に彼女なんているわけないよねー」だぞ。
そんな俺のパニックも知らず、当の六実は顎に手を当てて何やら考え事をしている。
「ならっ!」
彼女の顔が急に目の前まで迫る。何か天変地異でも起こったかと思ったが、彼女が俺の目の前まで顔を移動させたらしい。
いや天変地異より珍しい事態じゃね?
濡れた瞳と長いまつ毛が儚げに揺れていた。
「ならさ……」
俺の目の前で彼女がもじもじとし始める。斜め下に視線を逃す彼女は本当に小動物のようだった。
惚れそうになるからやめてくんねぇかな? あ! やっぱ止めないで! この幸せをフォーエバー。
俺がそんなくだらないことを考えていると、彼女は静かに言い放った。
「私と付き合わない?」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。付き合うとはあれですよね。男女交際とかそういうことですよね?
ほら、あの「買い物に付き合って!」的な意味じゃないですよね?
「へ、返事はいつでもいいから!じゃあねっ!」
彼女はそう言うと教室から走り去っていく。
残された教室の中、ティアがニヤニヤと笑っていた。
* * *
帰り道。
俺はいつものようにティアと雑談しながらペダルをこいでいた。
「いやぁ、意外でしたねー。まさかあの子が馨さんのことが好きだったなんて」
「んなわけないだろ。好きだから告白するっては限らん」
俺がそう言ってやるとティアはふふん、と笑って返してきた。
「さすが馨さん、ご明察です。確かに小春さんはあなたのことを好きじゃない。好感度は20パーセント以下ですし」
「具体的な数字言わなくていいだろ」
俺のフルーチェメンタルを傷つけないでくれ。
「じゃあ、なぜ馨さんにあんなことを言ったんだと思います?」
「知るか。……俺が断ってそれで終了だっての」
たとえ彼女がどんな意図をもって出会って一日も経たない俺に告白してきたのか知らないが、それに俺がイエスと答えるわけにはいかない。
……彼女の意図がどうこうという前に、俺には『好感度を上げてはいけない』という呪いがかかっているのだし。
俺がそう言うとティアは露骨に不快そうな顔をしてディスプレイから消えた。
だってそうだろ。他人と自分、どちらかが傷つかなければいかないとしたら誰だって他人に傷ついてもらう。自分より他人が大事なんて言う偽善者は本当の意味で傷ついたことがないんだよ。
夕焼けが沈む夕方。俺は太陽と逆方向に自転車を走らせていた。