ミュンとサクラ
森から帰ったわたしたちは、すぐに薬を扱う店へと直行した。
偏屈な錬金術師の営む店でひと悶着あったけど、ちゃんと薬を買うことができた。
いろいろゴネて値段を釣り上げようとする老錬金術師に、アルスさんがしびれを切らしてからがすごかった。
銀行ギルドから持ってきた金袋を、どん、と叩きつけたのだ。
弾みでのぞいた袋の中には、宝石などを始めとして金貨銀貨で溢れかえってた。
一等地に家が建ちそうな額のお金を前にして唖然とする錬金術師を尻目に、ありったけの薬をせしめて悠然と凱旋するアルスさん。
わたしとアルアは呆れて何も言えなかったけど、ヒナミちゃんは目をキラキラさせてた。
カッコイイもんね、アルスさん。
街の中央部で別れることにした。アルスさんたちとヒナミちゃんのお爺さんのところへ。
わたしとアルアはギルドに報告に行き、そのまま宿に帰ることにした。
往復とも急いだつもりだったけど、日はもう西の空に沈もうとしてる。
わたしもヒナミちゃんのお爺さんのことは心配だったけど、『バインド』で消費した魔力は予想以上に多かったらしく、珍しくアルアがわたしを休ませると言ってきかなかった。
今にも倒れそうな顔色をしてるらしい。
「普段から割と白いけどな、今なんかもう、真っ青だぞ。昨日もここまでじゃなかった」
「結構きわどい戦い方になっちゃったからね。精神力の方も消耗したんだよ。ゆっくり休まないと」
先輩二人から言われてしまっては、わたしに抗弁の術はない。
はーい、とおとなしく頷いて、腰を落としてヒナミちゃんと目線を同じ高さにする。
わたしのことも怖いのか、アルスさんにぎゅっとしがみつくヒナミちゃん。
あー……、ちょっと傷つくー……。
「えっと、ヒナミちゃん。わたしとこっちのお兄さんは、ここで一度お別れします」
「…………」
「えっとぉ……」
どうしよ、何か言いたいんだけど……。
その時、ふいにヒナミちゃんが口を開いた。
「……まえ……」
「え?」
「おねえちゃんたちの、なまえは……?」
「あっ……」
言ってなかったっけ!?
「わたしの名前はミュン。こっちはアルア」
「ミュン、さんと、アルア、さん……」
ひとつ頷いて、ヒナミちゃんが丁寧に腰を折った。
「ミュンさん、アルアさん、めいわくをかけて、ごめんなさい。たすけてくれて、ありがとうございました」
狐耳も、ピコン、と伏せられて、くすんだ金色の尻尾がファサリと揺れる。
「そんな、気にしなくていいよ、ヒナミちゃんっ。わたしもアルアも、自分の意思であなたを助けたんだから」
じゃあ、またね、と手を振って別れる。最初のインパクトは強かったけど、本来は礼儀正しい子なのだろう。
「いい子だったね、ヒナミちゃん。お爺さんの具合、良くなるといいんだけど」
「そう、だな」
アルアの返事は珍しく歯切れが悪い。何か奥歯にものが挟まったように、難しい顔をしてる。
「なにか、あるの? ヒナミちゃんのお爺さんに」
「ん、ああ、いや……」
じっと見つめてくるアルア。
真剣なその瞳は、伝えるべきか伝えないべきか迷っているようにも見える。
だからわたしは、まっすぐに見返した。
「言って」
「……。わかった」
アルアは前に視線を戻して、ゆっくりと歩みを続けながら言った。
「あの薬な。昔、見たことがある。あれは、不治の病の進行を、遅らせるやつだった」
「……っ!」
「ヒナミは確か、爺さんを医者に見せたら、あの薬しかない、っつわれたって言ってたよな?」
「う、うん。アルスさんに薬を聞かれたとき、そうやって言ってた」
「だとしたら薬の間違いじゃないはず。つーことは、だ。あいつの爺さんは……」
「そんな……」
「まあ、詳しいことは明日行ったときに確認すりゃあいい。今はそれよりも……」
アルアが突然舌打ちをして、わたしの体を横抱きに抱き上げた。
「やっぱ言うんじゃなかったな」
「え、え? あ、アルアっ! 急に何を……」
「ミュン、おまえ、もっと顔が青くなってる。今日はギルドに寄るのはやめだ。まっすぐ宿に帰るぞ」
「ふえぇ……」
お姫様、抱っこ……。
「にしても軽いな。もっと肉食え、肉を」
しっかりつかまってろよ、との声はあっという間に後ろに流れてく。
速い、速い!
冒険者らしい防具はまったく身につけてないアルアは、身のこなしが軽い。
夕暮れの活気ある街の風景が線のように尾を引いて、わたしの体にアルアのぬくもりが直接伝わってくる。
気絶しなくて良かった……。
宿に帰ったわたしは、アルアに担がれたままベッドに放り込まれた。
ローブを頑張って脱いだところで力尽きる。
ばたん、と倒れると、心配そうな顔したアルアが覗き込んできた。
「どした? 大丈夫か?」
「だいじょーぶ。ごめん、もう寝る……」
「わかった」
視界からアルアが消える。目を閉じると、すうっと意識が解けてくのがわかった。
パタン、と気遣ったように音を小さくしたドアを開ける音。
あ、行っちゃうんだ? 今日は妙に優しいし、一緒にいてくれるかなと思ったんだけど。
バタン、とちょっと大きめの音がしてドアが閉まる。
甘えすぎ……。自分に呆れて、わたしは完全に眠りに落ちた。
翌日、目覚めたときにはもう日が上りきってた。
朝食時はとっくに過ぎたようで、階下からは早くも、昼食の仕込みのいい匂いが漂ってくる。
ぼんやりとする頭を二、三度ブルブル振ってから、パン、と一回頬を手で挟む。
よし、気合入った。
とりあえず、服を着替えよう。
昨日森の中に入ったせいか、ちょっとべたつく。
汗臭くなかったかな……。
アルアの体温を思い出して、恥ずかしくなる。
お姫様抱っこは、別に今回が始めてじゃない、けど。やっぱり恥ずかしい。
アルアによれば、背負うよりもそっちの方が楽なんだそうだ。
何が楽なのかわからなかったので聞くと、目を背けて赤くなった。
だけどその直前の一瞬、アルアの視線がわたしの胸元に落ちたので分かった。
ははーん。そーですよねー。そこだけはわたし、大人ですもんねー。
背負うと、いろいろ大変だもんね。朴念仁気取って、実際に鈍感でも、男の子ですもんねー。
ということで、アルアはいつもお姫様抱っこをする。
そっちのほうが恥ずかしくないのかな、と思ったけど、別に平気らしい。
やっぱり彼の羞恥心の基準はよくわからない。
もぞもぞとベッドの上で脱いだ服を片付けていると、視界の端に見慣れた銀色がうつった。
ガチっ、と音がする勢いで固まる。
な、なんで……。
なんでアルアがいるのっ!?
ギギィ、と首をぎこちなく回すと、間違いなくアルアだった。
ただ、幸いなことに寝てる。ベッドの脇に置かれた椅子に腕を組んで座ったまま、寝てる。
あ、危なかった。上下は脱ぎ捨てて、今のわたしはショーツにブラに……。
とにかく危険な状態だ。一刻も早く着替えねば。
アピール、とかいつもやってるけど、流石にこれはマズイ。
これはまだ早い!
ゆっくり冒険者カバンを見る暇はなく、とにかく手当たり次第服らしき布を引っ張り出す。いらないものがゴロゴロ溢れるけど、なんとか目当てのものを見つけて超高速で着る。
「ふわあぁ~。よく寝た……」
あ、あくびかわいい。
じゃなくてっ!
超ギリギリで着終わった。
ほっと安心したのも束の間、アルアが怪訝そうな声をあげた。
「あ? おい、ミュン……」
な、なんかヤバかった!? もしかして、やっぱり見られてた!?
「その服『サクラ』の色だな」
「ひゃう!?」
「……どした? 変な声出して」
「なっ、なんでもないよ!?」
振り返ってアルアを見ると、もう一回大きくあくびをしてる。
「でもアルア、なんでわたしの部屋に……?」
「そりゃ、おまえ……」
おまえが心配だったからだよ。
「部屋の鍵がなかったからだよ」
残念ながらわたしの願いは願いでしかなかった。そういえば昨日、アルアが宿を出るとき、無くすといけないからわたしが鍵を預かって冒険者カバンに放り込んだのだ。
「さすがにミュンのバック漁るのも悪いしな」
「別に、いいのに」
「いいのにってことはないだろ。あとはまあ……(一緒にいてくれないの、とか言ってたし、な)」
「え、なんか言った?」
「なんも言ってねえよ。ミュンは思ったことがすぐ口に出るなあ、と思っただけだ」
「?」
なんでいきなりそんな話になるのかよくわからなかったけど、アルアは「下行って飯食うぞ」と言い残して行ってしまった。
首をかしげながら、ローブを羽織る。その時、自分が着てるのが『サクラ』だということを思い出した。
少し考えてから、わたしは服に手をかけた。
「何やってたんだ?」
「着替え」
「着替えっておまえ……」
ジロジロと無遠慮にわたしの体を上から下まで見るアルア。
「どこも変わってねえだろ」
「なんでもいいのっ。ほら、それより、注文注文っ!」
「へいへい」
店員さんを呼ぶアルア。
わたしはほっと一息。
下着、替え忘れちゃったからね。
実は、『サクラ』も変えようとすればできた。
もう二着ほど、着まわしができるように服がある。
でも、アルアはさっき、この服に反応した。
鈍感では有名な、あのアルアが。
それだけアルアたち『オオヤシマ』の人にとって、『サクラ』は特別な花なのだろう。
そういえば、どうしてそんなに特別なのか知らないなあ。
「ねえアルア。なんで『サクラ』って特別なの? たしかに綺麗だと思うけど……」
同じ花なら、わたしはひまわりとかのほうが好きだ。
「あー、それはなあ……」
アルアは卓上のナイフを手に取ると、テーブルの上に引っかき傷を作っていく。お行儀は悪いが、すでにテーブルの上は落書きだらけ傷だらけなので目をつむることにする。
「よっ、と。これ、オオヤシマの古い字なんだけどな」
そこにはカクカクした記号みたいなのが書いてあった。
ナイフで削ったせいでカクカクしてるのかもしれないけれど、少なくともわたしはこんな文字知らない。
「これ『サクラ』って意味なんだ。そんで、こいつにもう一字……」
そのとなりに、もう少し付け足すアルア。さきほどの文字よりもカクカクした文字ができた。
「これで読み方が変わって『オウカ』。これは聞いたことあるだろ?」
「えっと、たしか『オオヤシマ』の国の名前だよね?」
「そ。大陸の連中は『オオヤシマ』ってあの島のこと呼ぶけどな、俺の出身のあの国は、本当は『櫻華』。『サクラ』の花、って意味なんだ」
「へえぇ~。なんかかわいい名前だね」
「なんでも大昔、『大崩壊』のそのまえの時代の国から連綿と受け継がれてきた名前だそうだ。壮絶な革命の果てにできた国だったらしい」
そう語るアルアの顔は誇らしげだった。国を出て長いらしいけど、やっぱり故郷には特別な思いがあるんだろう。
「ま、国の実態は『かわいい』なんてお世辞にも言えたもんじゃないけどな」
「えと、傭兵国家、だっけ?」
「剣術の国、でもある」
剣術の腕がすべてを決める国。ありとあらゆる流派がそこで生まれ、そして消えていく。国家が傭兵稼業を請負、国内の剣士たちが『クエスト』としてそれを下請けするという、変わったスタイルの国だ。
「ま、あんまいいところじゃない。春に『サクラ』が乱れ咲するのは面白いけどな。名物なんか、そんなもんだ」
「ふーん……」
でもわかった。国の名前に入るほど、アルアたち『オオヤシマ』の人たちにとっては『サクラ』は特別な花なんだ。
その感覚はわからないでもない。
わたしも今でも、旗に描き込まれていた歪な八の字を見ると郷愁に胸を焼かれるから。
「お、飯が来たな……。食い終わったらギルドに寄って、そのままヒナミの家に行くぞ」
「うん。場所聞いたから、多分大丈夫」
なら、と勢いよく食べようとしたアルアの目が、わたしの胸元へ。
「ミュン、そのネックレス、どうしたんだ?」
「あ、これ? アルスさんがくれたの」
「ふーん……」
それきり無言で食べ始めちゃったアルア。ちょっとだけ、不機嫌のようにも見える。
まさか、ね。プチヤキモチなんて、そんな期待はしませんよ。