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ミュンと漆黒の獣

 ―――カルケドリアの黒き森


 クエストの討伐対象『漆黒の獣』が出現する森は、昨日わたしたちが連携の確認をした平原を超えた先にあった。不気味な木々が乱立する、いかにも魔物が潜んでいそうな森。ただ、ギルドの情報によれば基本的に生息している魔物のランクは低く、最高でもDランク。油断しなければわたしとアルアの敵じゃない。


 アルスさんの足は速かった。迷いなく森の中に踏み込み、森歩き用のナタを片手に道を開いていく。いつもならその役のアルアも無言でその後ろに従ったので、わたしも妙な緊張感を持ってついてく。時々出てくる魔物を避けたりするときに声を掛け合う以外、沈黙のままに森を突き進む。


 アルスさんが新人の子の話を聞いたとき、その顔に浮かんでいたのは彼らしくない焦燥の色だった。まだ会って間もないけれど、彼はいつも余裕を失わない、穏やかな人だということくらいはわかる。そのアルスさんが、目つきを鋭くして焦ってる。アルアが冗談のひとつも言わずに従っているのも、彼のそういう雰囲気に何かを感じているからなのだろう。


『グルルルルゥゥ……』


 唐突に足を止めたアルスさんの前に、全身の毛を逆立てた狼型の魔獣が現れた。すかさずアルアが前に出てアルスさんをかばう。『イビルハウンド』はランクDの魔獣だけど、下手に傷を負わせると仲間を呼ぶから厄介だ。やるなら一撃で仕留めないといけない。


 涎をこぼしながら赤い舌をのぞかせるイビルハウンドは、飢えているのかわたしたちに狙いを定めたまま隙をうかがってる。逃げられそうにない。わたしはふたりの背中に隠れて杖を元の大きさに戻した。


「ミュン」

「わかってる…………、『ryu』!」


 阿吽の呼吸で魔法を発動。水の元素魔法『ryu』を最大威力で発射。弧を描いてアルアたちを飛び越し、イビルハウンドを地面に叩きつける!

 次弾は手はず通りアルスさん。土の元素魔法『do-kai』で体勢を崩したイビルハウンドをそのまま固めてしまう。断末魔の叫びを上げることもなく、魔界の猟犬は沈黙した。


「よし、先を急ごう」

「おう」


 森の奥へと進むうち、周りの様子が変わってくる。『黒き森』の名の通り、木の葉や幹が黒い艶を帯びるようになってくるのだ。原因はわからないけど、森に満ちる魔力の質が変わったような気がする。より、禍々しい感じへ。


「アルス、この先から強い気配がする」

「っ! わかった!」


 アルアの声にアルスさんが速度を落とした。ゆっくりと進む先に、陽の光が見える。森が途切れたそこには……。


 黒い『何か』がいた。


 全身を黒いモヤのようなものに包まれた、体長四メードルほどの『何か』。四足は短かく、獣というより爬虫類に近い。それがゆっくりと動いてる。目を背けたくなるような、不可解な醜悪さを身にまとっていた。


「あの黒いモヤは呪いだね。元がなんだったかはわからないけど、あれは呪いを飲み込んだらしい」

「飲み込んだ……?」

「詳しい術式はわからないけど、多分呪いを込めた器物を魔獣に飲ませて強化する感じじゃないかな」

「あのモヤに触れると、どうなる?」

「わからない。腐食の呪いや分解の呪いだと触れることもできないと思う」

「ちっ、厄介だな」

「ああ。とりあえず、遠距離から僕が解呪を……」

「? どうした?」


 突然アルスさんが動きを止めた。目は丸く見開かれ、一点で固定されてる。その先には。


「おい、まずいぞっ!」

「くっ……」


 小さな人影が『漆黒の獣』に向かって駆けていた。両手にはふた振りの鈍く輝くものが握られてる。


「新人の子、やっぱり来てたんだっ」

「ミュン、足止めをここで準備しろっ! アルス、俺が気を引いてるあいだにあのバカをどうにかしろっ」

「わかったっ! アルア、あのモヤに触るなよっ!」

「言われなくても、あんな不気味なもんに触るつもりはねえよっ!」


 無手で駆け出すアルア。爆発的な加速力で『漆黒の獣』に迫る。だけど、新人の子の方が速かった。


「やああぁぁっ!」


 勇ましいハスキーな声とともに、双剣が振り下ろされる。ガキン、という音だけ残して無残にはじかれた。あきらめずに小さな影は次々に未熟な斬撃を繰り返す。獣は巨体に見合わない俊敏な動きで首を回し、自らを傷つけようとするものを確認すると、一声甲高く鳴いて空気を吸い込んだ。


 その鳴き声に聞き覚えがあった。あれは、竜の亜種の……。


「くそがっ!!」


 あと少しというところで竜種のブレスが人影に向かって吐き出された。火でも溶解液でもない、黒い霧のようなそれが一面に撒き散らされる。とっさの判断で詠唱中だった足止めの魔法を保留状態に移行し、空気の元素魔法を強引に組み上げる。


「吹き飛ばせ、『fu』っ!」


 一番簡単な空気の魔法は大した威力が出なかったけど、ブレスの残滓が立ち込める前に吹き飛ばすことができた。だけど、直撃を受けた子がうずくまったまま動かない。アルアが足元の石を蹴りつけて魔物の注意を引き、そのまま逆方向へと走る。ぬう、と首を長く伸ばして『漆黒の獣』がアルアを追いかける。


「ミュンさんっ、こっちにっ!」


 アルスさんが倒れた子の場所から呼ぶ。わたしは必死に足止めの魔法を組み直しながら、滑り込むようにして二人の前に立った。新人の冒険者はまだ小さな獣人の子供で、苦しそうに喘鳴を上げてる。


「『絶息』の呪いだっ。僕は解呪にかかるから、アルアの援護を……っ」

「はいっ!」

「いくぞ……っ、『マジック・ディスターバー』!」

「影よ、かの者の自由を縛れっ!『バインド』っ」


 背後でアルスさんの治療が始まる中、わたしはやっと完成した足止め魔法を放った。杖が闇色に輝いて、アルアを追う獣の四肢を、地面から湧き出した影の鎖が縛る。苦しそうに鳴いた獣が再びブレスの予備動作に入り、アルアが身構えた。


 『漆黒の獣』がブレスを放つ瞬間、アルアはその瞬足で距離を詰めた。口先をギリギリでかわし、長く伸びた首に沿うようにして走る。獣は首を折り曲げて追うも、アルアの足は追随を許さなかった。巨体の後ろ側に回り込み、ブレスの効果範囲から逃げ切る。


 わたしがほっとひと安心したのも束の間、今度は杖を通して過負荷が来た。系統外魔法『バインド』は対象の動きを止める優秀な魔法だけど、魔力の消費も大きい。対象がもがけばもがくほど、大量の魔力を持っていかれてしまう。わたしはありったけの魔力をつぎ込みながら、アルアに叫んだ。


「アルアっ! わかった! 『漆黒の獣』の正体はっ、『ロックドラグ』っ!」

「あの硬い奴かっ!?」

「そうっ!」


 以前山道で一度だけ遭遇したことがある『ロックドラグ』は、英雄バルガスの物語に花を添える魔物。話の通り恐ろしく硬かった。だけど……。


「そうか、ならやりようがあるな……」


 そう。バルガスはあの外皮を大剣で『叩き潰した』けど、アルアも戦って、そして倒したのだ。


 たった一刀のもとに『切り裂いて』。


「アルアっ! あいつの体を覆う呪いは虚仮威しだっ! この子の剣は錆びても溶けてもいないっ! 君の十八番で切り刻んでやれっ」

「はっ、ありがてえこった。使い捨ては気分が悪いからなっ」

「アルアっ、急いでっ! もう足止めが維持できないっ」


 魔力が底をつきそうになってる。このままだと、気絶してお荷物になっちゃうっ!


「よく頑張った、ミュン。あとでなんでも一つ、言うこと聞いてやるよ……っ」


 言うと、アルアは腰だめに構えた。何も下げていない腰に手をやって、東方オオヤシマの構え『居合』の状態を作る。


 アルアが使うたった一つの魔法。自己強化すらしないアルアの、秘中の秘の魔法。


「刻印召喚っ、『波遊ぎ兼光』っ!!」


 バインドの魔法が解けた。獣が身をかえし、アルアに襲いかかるっ!


 刹那、アルアの腰にはひと振りの『カタナ』。柄を右手で握り、鞘を左手で抑え。交錯の瞬間、アルアの立っていた場所が爆発し、その姿がかき消える。尋常じゃない脚力で蹴られた地面が耐えられなかったのだ。目で追うことすらかなわない神速の後、アルアは獣を背にして立っていた。獣は勢いのままに突き進んでいく。


 その姿が、ぶれた。いや、ぶれたんじゃなく……。


 ズルリ、と。


 真っ二つになった。縦に断ち割られ、血の赤をまき散らしながら、どう、と動かなくなった。アルアは腰にカタナを収める。チン、という小気味よい音がして、次の瞬間にはもうカタナは無くなっていた。アルアの持つ別次元の空間に格納されたのだ。


「前よりも速くなってるな……。かろうじてしか見えない」


 アルスさんの唖然とした声。わたしはアルスさんが少しでもアルアを追えていたことにびっくりだ。瞬間移動にしか見えないのに。


「あ、そういえばっ、その子は……っ?」

「大丈夫。解呪は無事終わったし、気付け薬も飲ませた。すぐに目を覚ますはずだよ」


 あらためて見ると、獣人の子はとても幼かった。歳はまだ二桁になってそう経ってないくらいだろう。可愛らしい狐の耳がピクピクと動いて、睫毛がフルフルと揺れた。


 目を覚ましたらしい。


「大丈夫? どこか痛いところはない?」


 わたしが聞くと、ぼんやりしていた瞳に力が戻った。同時に、怯えるようにその身を硬くする。


「安心して。もう怖いやつはやっつけたからね」


 言って、倒れ伏した獣を見る。アルアが興味深そうにその外皮をつついていた。危ないかもしれないから、やめてほしい。


「あ、あなたたちっ、なんてことをっ!」


 突然の叫びに驚いて振り返ると、顔を真っ赤にした狐の少女が睨みつけてきた。


「あれは、わたしのえものだったのにっ!」


 ええぇー……。


 困ってると、アルスさんがゆっくりと口を開いた。


「君はあいつのブレスで死にかけたんだぞ? 僕が解呪しなきゃ、確実に死んでた」

「しるもんかっ! それよりも、あいつをたおしたほうしゅうが「報酬がなんだっ!!」っ!」


 その声がアルスさんのものだと、すぐには分からなかった。怒りに満ちたその声は、一瞬で幼い冒険者を萎縮させる。


「ろくに説明も聞かずに、分不相応なクエストを受けて、死ぬなんて馬鹿げてるっ!! そんなに報酬が欲しいかっ!? 自分の価値も知らないガキが、勝手に命を賭けるなんざ百年早えんだよっ!!!」

「ひっ」


 口汚く罵るアルスさんに、怯えた獣人の子は耳をふさいで縮こまってしまう。あっけにとられるわたしを見て、しまった、とばかりに口を歪めたアルスさんは、無言で背を向けた。死んだ獣の方へ歩いていくアルスさんと入れ違いに、アルアが戻ってくる。


「よう、おつかれさん」

「あ、うん、お疲れさま」

「で、そっちがアルスを怒らせたガキか」


 アルアが無遠慮に覗き込んで、獣人の少女の顔を見る。また怒鳴られると思ったのか、震えだした。


「あー、やっぱか。年も同じくらいだし、顔も似てないこともない、か」

「似てるって、誰に?」

「アルスの妹。ちょうどこいつくらいの年に、魔獣に襲われて死んだんだ」

「…………」

「アルスに憧れててな。『将来はお兄ちゃんみたいな冒険者になる』ってよく言ってた。アルスも溺愛してたんだが、俺らに内緒で魔獣狩りのPTに潜り込んで、死んだ」


 ……だから、アルスさんは。


「おい、ガキ。名前は」

「…………」

「おい、名前は?」


 耳をふさぐ手を無理やり引っ剥がすアルア。震える唇が小さく名前を紡いだ。


「…………ヒナミ」

「ヒナミ、な。なんでこのクエストを受けようとしたんだ?」

「……ほうしゅうが……」

「あん?」

「ほうしゅうが、ほしかったの……」

「なんでだ?」

「…………。おじいちゃんが、びょうきで」


 よくならなくて。くすりがかいたくて。でもとてもたかくて。


 ぼうけんしゃになればかせげるってきいて。もじはよめないけど、『くろいけもの』と『くろいもり』、『さんまんゲルミア』だけはわかったから。


「それでここまで来たのか」

「ある意味、すごい行動力だね……」

「一応、こいつなりに理由はあったってことだな。……、だとよっ、アルス!」


 いつの間にかわたしの後ろにいたアルスさんが冷たい眼でヒナミを見下ろしていた。その視線に泣きそうになるヒナミ。目尻にじわっと涙が浮いてくる。


「いくらだ」


 声はいつもの穏やかなそれとは違ったけれど、随分元の調子を取り戻していた。まっすぐにヒナミを見つめたまま、アルスさんは動かない。


「……?」

「その薬は、いくらするんだ?」

「…………。じゅうまん、ゲルミア」

「じゅっ!?」


 思わず声が漏れてしまった。今回のクエストの報酬も破格なのに、それを上回る額。とてもじゃないが、幼い獣人の子供が用意できる額じゃない。


「…………」


 アルスさんが黙り込んで、眼を閉じる。アルアと眼を合わせると、黙ってろ、とのこと。


「ヒナミ、と言ったね? 僕がそのお金を肩代わりしてもいい」

「…………え?」

「そのかわり、僕のもとで働いて返すことが条件だ。二度は言わな……」

「はたらきますっ! ちゃんとはたらくから、おじいちゃんをたすけてっ!!」


 ポロポロ涙をながしながら、アルスさんのズボンにすがりつくヒナミ。その瞬間、ふっとアルスさんの目にいつもの穏やかさが戻った。


「なら、急いで街に戻ろう。早く薬を買いに行かねば」

「ぐすっ……。はいっ!」


 アルアがやれやれとため息をついて、アルスさんの肩を抱いた。わたしの頬にも自然と笑みが浮かぶ。


 アルスさんは、やっぱりいい人だ。

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