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「おはよう」
そう僕が声をかけた時、振り返った彼女の表情が硬くて、一瞬本物の音無結花かと思った。しかしすぐに愛想笑いに切り替える辺り、やっぱり別人だと思いなおす。
「おはよう」
「何かあったのか?」
隣の席から椅子を拝借してこっそり話しかけると、力なく「別に……」と返事が返ってきた。
「それよりそっちは収穫あったの?」
「隣のクラスのヤツに連絡して聞いた。氷室優弥は無断欠席の前日から帰宅してないそうだ。ホームは家出と処理して、捜索願を出している」
その言葉に皮肉げな笑みを女は浮かべた。
「家出……ね。ホームが果たして家と呼べるのかしら?」
「知らないよ。僕はホーム育ちじゃないから」
「それで他に手がかりになりそうな事わかった?」
女の期待に満ちた言葉に僕はうなりながら答えた。
「うーん……これはあくまで噂だけど、氷室のいたホームでは過去にも家出が何度か発生していて、帰ってきてないらしいんだ。まあ誇張されたデマだって噂だよ」
「過去にも……ね。最近だけじゃないんだ。何かアイツと関係あるかも」
「情報提供になっただろう。少しはこちらの要求に応えてくれ。音無さんは? なぜ氷室の事を調べてるんだ。君とヤツの間にどんな関係があるんだ?」
次々と繰り出す質問に女はうんざりそうに答えた。
「結花とは合意の上で入れ替わってるのよ。氷室の件を私が調べたくてね。氷室との関係や調べる理由はノーコメント」
説明になってないような説明に、文句を言おうとしたが、タイムリミットを告げるように予鈴が鳴った。女はしっしと僕を追いはらうような仕草をする。しかたなく僕は立ち上がって自分の席に戻った。
それから一日中、何度か声をかけようとしたが避けられ続け、放課後になる頃には僕のイライラは頂点に達していた。
ホームルームの直後、クラスメイトの視線などお構いなしに、女の腕を掴んで、無理矢理廊下まで引きずっていく。
「ちょっと、離してよ。みんな見てるわ」
僕は文句に耳を傾けるつもりはなかった。放課後の喧噪から逃れるように、人気の少ない準備室棟に脚を踏み入れると、掴んでいた腕ごと壁に押さえつけて言った。
「いいかげん何を隠してるか教えろよ。わざと避けて何かやましいことがあるんだろ」
「何も……」
女の視線が泳ぐ。僕と視線を合わすことも避ける姿は、最悪の展開を想像させた。
「音無さんか! 彼女に何かあったのか?」
女は一瞬体を震えて、不安げに俯いた。その表情はいつもの音無さんらしくて、目の前にいるのが本物の音無さんのような錯覚をおこす。
「昨日出かけたっきり帰ってこなかった。でももしかしたらもう帰って来てるかも……」
「何でそんな大切な事言わないんだ、早く探しに……」
慌てる僕の服の裾を、女が掴み引き留める。
「……探すって言っても当てがないのよ。姉妹でも会ってまだ二日の関係よ。君には当てがあるって言うの?」
震えた声がか弱く見えた。今までの勝ち気な印象が、ずいぶん変わる。
「それは……」
僕も学校外の音無さんについては何も知らなかった。音無さん自身の意志で姿を消したのだとしたらどこに行ったのか。
力なくうなだれる女が、音無さんの事を心配していることに気がついて、少しだけ彼女を見直した。意外と可愛げがあるかもしれない。
「私は取りあえず帰って来てないか、一度家に確認しに帰る」
「わかった。僕は街中を探してみる。音無さんが絶対見つけるから。そんな弱気な顔するなよ」
「弱気? 私が? そんな可愛げあるわけない……」
「別に弱気になるのはおかしくないし、可愛げがないとは思わないけど」
女は一瞬驚いた顔をして、そしてすぐにはにかんだ笑顔を見せた。その表情は少しだけ音無さんに似ていて可愛いと思ってしまった。
「ところで一つ聞いてもいいか?」
「何?」
「君の名前は?」
女は口を開きかけて、口ごもる。言葉にしたくても、上手く言葉が出て来ない。そんな戸惑う様子はやっぱり音無さんに似ている。
「……音無麗花。結花の妹よ」
僕は麗花……と口に出して呟いた。何故か名を呼ばれただけなのに、麗花の頬が赤くなる。
「双子か……越境だな」
「そうよ」
「ばれるとまずいな」
「うん」
「じゃあ大人しく家に引きこもってろ。音無さんは僕が探す。だから連絡先だけ教えてくれ。何かわかったら連絡するから」
「えっ……」
僕の協力的な態度に驚きながら麗花は携帯を取り出した。携帯のアドレス帳に乗った『結城海斗』の文字を見つめて、なぜか麗花は顔を赤くしていた。