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歩道橋の上から眺める車の流れ、それはまるで水面を泳ぐ魚の群れ。青空の下、道という名の水流に従って、次々と走り去っていく。その動きに迷いはなく、生き生きと生命力さえ感じさせた。
そんな風に思うのは今日の私がおかしいからだろうか?
今日私は学校をさぼって街を歩いている。そして今歩道橋の上でぼんやりしていた。正確に言うなら私じゃない人間が代わりに学校に行った。それでも世界は終わりなどしないし、劇的なイベントもおこらない。
つまり音無結花という存在は、それだけ無価値な存在なのだ。
突然現れた双子の妹、麗花は、二人一役生活を提案してきた。そんなこと出来るわけないと思ったのに、丸一日たった今のところ何事もなく進んでいる。
ふと昨晩の事を思い返して苛立ちが募った。
お父さんも、お母さんもどうして!! 行き場のない怒りを歩道橋の手すりにぶつけ拳を叩きつける。自分の手がすりむけて痛いだけだった。涙が切なく頬を伝う。
あれは昨日の夜の事……。
「ただいま」
「お帰りお母さん。お仕事お疲れ様」
いつもより愛想の良い娘の様子に気づく気配もなく、母は疲れたと呟きながらため息をこぼす。
「お父さんは?」
「さっき帰ってきて今お風呂入ってる。夕飯はどうするの?」
「食べてきたからいらないわ。それより早くシャワー浴びたい」
そんな話をしていると廊下の奥から風呂上がりの父が歩いてきた。
「ふぅ……? いい風呂だった」
「お父さん。ビールひやしてあるよ」
「おお! 気が利くなぁ。ビール、ビール」
「じゃあ私はシャワー浴びてくるわ。結花もあまり夜更かしせずに寝なさいね」
「はーい」
そんな会話を階段の上から、結花本人が聞いていることなど、父も母も気づいてさえいなかった。二人は忙しくて毎日帰りが遅い、だから放任主義で任されてきた。それは分かっている。
でも娘が入れ替わっていることに、まったく気付きもしない二人への苛立ちとともに涙がこみ上げてくる。私より私らしく家族の一員になっていた。
私がいなくてもあの子が結花をやればいいじゃない。どうせ今日学校でも私以上に上手く過ごしているに違いない。私がいないほうがいい……私がいないほうが……。
ぼんやりとそんな思いに取り憑かれながら、わずかに歩道橋の端から身を乗り出す。まるで引力に引き寄せられるように、落ちて車の群れに飛び込みたくなってきた。
「麗花!」
突然呼ばれた声にびっくりして振り向く。歩道橋を昇ってきたばかりの少年が私の顔を見つめていた。背がすらりと高く、少し長めの前髪が風に流れてたなびいている。影のある雰囲気の少年だ。
結花じゃなく、麗花と呼んだ。麗花の知り合いなの? よく分からないが不味いのではないだろうか?
慌てて反対方向の降り口に向かうと少年は走って追いかけてきた。少年の脚は私より早くて階段の所で追いつかれる。彼の右手が私の腕を掴んだ時、逃げようとして私は脚を滑らせた。
世界が歪む……ふらりと倒れていく中ゆっくりと景色が流れた。慌てたように私を右手で引き寄せようとした少年は、左手で手すりを掴んだ……はずなのに左手が滑り落ちて、私と巻き込まれるように落ちていく。
私の体が階段の床に着く直前、少年はその腕の中に私を閉じ込めて、抱きしめながら転がり落ちていった。
かすかなタバコと柔軟剤と汗の匂い。鼻先につきつけられて、熱い体温を肌に感じて、わずかな時間でも鼓動が早くなる。
階段を落ちきった時、少年が庇ってくれたお陰で私は擦り傷程度ですんだ。しかしすぐに起きあがって少年を見下ろすと、苦しげに地面に寝転がっている。
「大丈夫ですか? 救急車呼んだほうが……」
「大丈夫だ」
そう言いながら起き上がろうとした時に、左手ががくりと傾きまた倒れ込む。
「左手を怪我したんですね。やっぱり救急車……」
立ち上がりかけた私の服を、少年の右手が力強く掴んで引き留める。
「おまえは誰だ? 麗花じゃないだろう。麗花なら知ってるはずだ。俺が左手を怪我していることを」
そう問い詰められて困惑する。越境の事を話して良い物かどうか。そもそも麗花を何故この人は知ってるんだろう? そこまで考えて怖い考えが頭によぎった。
この人も麗花と同じ越境したんじゃないだろうか? だとしたら犯罪者だ。
危険な男と二人でいることが怖くなった。口をつぐむと一旦少年は手を離し、器用に右手だけで起き上がって私に詰め寄った。
「お前は誰だ?」
その眼光の鋭さは暴力的な行為を想像させて、麗花と初めて会った時以上の恐怖がわき上がる。何で私ばっかり……何で……。
わなわなと震えるばかりの私の様子にしびれを切らしたように、少年は顔を至近距離まで近づけてじろじろと見つめる。
「そっくりだ。もしかして麗花の双子の姉妹か?」
私は反射的にコクコクと頭を上下させた。それを見て何を思ったのか少年は私の腕を右手で掴んで立ち上がった。
「ちょっと来い」
着いて行きたくなど無かったが、私には断る権利すら与えられなかった。