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「おはよう!」
元気良くのびのびとした声が教室中に響いた。必然的に声の主に注目が集まる。誰もが戸惑い一瞬教室がしんと静まりかえった。
静寂は一瞬。すぐにひそひそと身近な人間に尋ね合う。『あれは誰だ?』と。
朝の教室に挨拶して入ってきたのだから、普通に考えればクラスメイトのはずだが、誰も見覚えがなかった。
一番最初に気づいたのは結城海斗だった。
「もしかして……音無さん?」
僕は自分で尋ねておきながらまだ信じられなかった。長く厚い前髪を流し気味にセットして、顕わになった目は生き生きと輝いている。きつめのお下げ髪だったはずが、ゆるいカールを描いて今風にセットされ、控えめで模範的だったスカート丈は、過激なまでに短くなっている。
「気づいた? イメチェンしたの」
嬉しそうに積極的に話しかけてくる音無結花の姿に当惑した。彼女のキャラじゃない。服装は人が手を加えて一晩で変えられるかもしれない。
しかしこの生き生きとした表情、テンポの良い会話、なによりいつも話す時に髪をいじる癖が今日は無かった。癖を一晩で矯正するのは不可能だ。
彼女は音無結花じゃない……。疑惑を持つと打ち消すことが出来ずに、どんどん膨らんでいく。
「え? 音無かよ! いいじゃん、いいじゃん。前より全然いい」
調子のよいクラスメイトの藍田昭吾が、そんな軽いノリで話しかける。彼女は笑顔ではきはき返事を返していた。そんな二人の会話を見つめながら、僕は音無さんの姿をした女に心の中で「違う!」と叫び続けていた。
僕にとって音無さんは特別な存在だった。大人しく奥ゆかしく恥ずかしがり屋な内気な少女。
自分からみんなの輪に入っていけず、放って置けずに時々さりげなく手助けをしていた。
「ありがとう」の一言すら言い出せずに困って、そわそわして。でも時折近くで聞こえてくる笑い話にこっそり笑っている姿を可愛いと思ってた。
いつか自分に向かって笑ってもらえたら……いつしかそんな気持ちが芽生えた存在。
決して今のようにけばけばしく、ギャル風な軽薄女じゃない。
予鈴の鐘とともに皆が席に戻り始める。その中で一人僕は慎重に音無結花の振りをした女を観察し続けた。
あれが音無さんじゃなければ、本物はどうなったのか? あの女のしっぽを掴んで聞き出さなければ。一人決意を胸に秘めた。
帰りのホームルーム終了のチャイムが鳴り響くと、皆が忙しげに活動を開始した。部活に急ぐ者、放課後どうするか友人と相談を始める者、取りあえず雑談を始める者。
僕は友人に話しかけられても適当に聞き流し、例の女の動きを観察していた。大人しく鞄の荷物をしまって帰り支度をしている。
「悪い、今日予定あるんだ」
友人の誘いを断って、少し距離をとって『自称音無結花』の後を歩く。まっすぐ帰るのかと思いきや、放課後の利用者が少ない、準備室棟の方面に歩いていく。気づかれないように距離をとったつもりだったが、さすがに人気がないところでそれは無理があった。
彼女は急に歩みを止め、くるりと振り返り微笑む。
「私をつけて何がしたいの?」
「別につけてるわけじゃ……」
「じゃあ何しにここに来たの? 放課後に用なんてないでしょう」
とっさに言い訳が思いつかず無言になってしまう。彼女の表情はイタズラを見つけたように楽しげで、やっぱり彼女は『音無結花』ではないと確信に至った。
「君は誰だ? 音無さんはどうしたんだ?」
彼女は動揺もせずに、声を立てて笑った。まるで鈴を転がしたような愛らしい音色。しかし今の僕には不愉快な声にしか感じられなかった。
「私が音無結花なんだけど」
「嘘だ! お前は偽物だ。音無さんを返せ!」
笑うことを止めた彼女は、一歩づつ歩みを進め、僕との距離を縮める。一歩、また一歩近づくごとに、得体の知れない不気味さを漂わせ、『自称音無結花』は無表情で僕の前にぴたりととまった。
「そんなに結花が気になるの?」
もはや体がぶつかりそうな近距離で、ぞわりと響く低音ボイス。その迫力に僕は不安を覚えた。もう本物の音無さんはこの女にどうにかされてしまったのだろうか?
「平気よ。結花は無事。でもそうね……貴方が協力してくれるなら私は早めに退散するわ」
「……協力?」
簡単な返事なのに声が上ずって震える。女は頷いて僕の返事を待つように押し黙った。
まだ音無さんが無事だというのなら早く会いたい。この女を日常から立ち去らせるには……協力するしかないのだろう。
「わかった……何をすればいい?」
女は狐のようににやりと笑った。音無さんと同じ顔とは思えないほど豊かな表情だった。
「隣のクラスの氷室優弥。もう10日以上無断不登校を続けてる。彼の足取りをつかみたいの」
「なぜ?」
女は笑みを消して答えた。
「彼もまた音無結花と同じ。双子の兄弟が会いに来たのかもしれない」
越境という言葉が頭をよぎった。目の前の女も、そして氷室の兄弟も、犯罪者だ。そのトラブルに音無さんが巻き込まれたのか?