後悔先にたたず
人間は怖いですよね・・・・・・。
和葉は一人、夜の闇に覆われた森の中を走っていた。牛鬼の爪で作られ太刀のおかげなのか、先ほどから一切妖怪には襲われていない。
そのために和葉はサクサクと夜の森を走り抜けることが出来ているのだ。それに人里があると思われる場所からは僅かな光が見え、和葉の強化された視力はそれを捉えている。
このまま走れば後数分で人里にたどり着くだろう。
「本当、もうどれが正しくて間違っているのか分からないよ。でも私のすることはただ一つ、お母さんとお父さん、優人の仇を討ってみせる」
和葉の心は決まっていた。どんな結果になっても構わないから、自分の信じた道を進もうとしているのである。
「見えた! 人里だ!」
和葉は立ち止まった。
目の前には崖があり、その上からは人里が見下ろせる。しかしその光景は悲惨な物だった。
「・・・・・・・・酷い」
牛鬼が暴れた中央の広場は戦争が起きたかのような状態で、その周りの家々は無残にも叩き潰されている。
死体こそ片付けられているものの、まだまだ死んだ人たちの血が地面を被っており、赤黒く染めている。正にこの世の地獄というに相応しい光景がそこにはあったのだ。
「・・・・・行かなくちゃ。行って真実を確かめないと・・・・・」
吐き出したくなる気持ちと、こみ上げてくる牛鬼への怒りをギュッと抑えて、和葉は崖の下へと飛び降りた。
その様子に気がついたのか、夜遅くまで作業をしていた人たちが和葉に近付いてきた。
「・・・・・・・・・和葉ちゃん。武器を捨てて大人しく着いてきてもらう。抵抗はするな」
洋介は腰に挿した日本刀を引き抜いて和葉に突きつけた。その周りを他の男たちが槍を持って取り囲む。
和葉には何故この様なことになっているのか理解できなかった。
「あの、皆さん? どうかしたんですか?」
そんな和葉の様子が気にくわなかったのか、周りの男たちが叫ぶ。
「ふざけるな! こっちはお前のせいで酷い目にあったんだぞ!」
「お前が牛鬼の封印を解いたことはバレてんだよ! 大人しくお縄に着け!」
「お前のせいでなぁ、女と子供たちは殺されたんだ! 責任を取れ!」
「助けてやった恩を忘れやがって、ろくでなしめ! やっぱり外の人間にろくな奴は居ない!」
男たちの目は血と怒りの炎に滾っており、今すぐにでも和葉に飛び掛らんほどに殺気立っている。
和葉には何故自分が牛鬼の封印を解いてしまった事がばれているのか分からなかった。
「・・・・・どうしてそれを・・・・・・」
思わず和葉は自分が封印を解いてしまったことを呟いてしまった。
「ほら見ろ! やっぱりだぞ! こいつが牛鬼の封印を説いたんだ!」
「かまわねぇ、ここでやっちまえ!」
「みんなの仇だ、バラバラにしてめった刺しにしてやる!」
「徹底的に痛めつけて生まれてきた事を後悔させてやるんだ!」
男たちは手にした槍を一斉に構えて和葉に突き立てようとした。そしてその後は本当の意味でのこの世の地獄が待っているだろう。
和葉はそれに恐怖を覚え、抵抗せずにいる事が出来なかった。
「止めて! 私は死にたくない!」
強化された力で牛鬼の爪で作られた太刀を振るい、たちまちの内に周囲を取り囲んでいた男たちの槍を切り裂いてしまったのだ。
「ヒイッ! 何だこいつ、人間の癖に強いぞ!」
「落ちうけ、弓を持って来い! 遠くから射ればこっちのもんだ!」
予想以上の一葉の強さに、男たちは慌てふためている。
しかしそんな時に洋介が前に出て、声を張り上げる。
「待てお前たち! 少し話しをさせろ!」
「洋介さん!? こんな奴に話は無用ですよ、直ぐにでも八つ裂きにしましょう!」
「俺は話をさせろと言ったんだ。言う事が聞けないのか?」
「いっ、いえ。そんなことは・・・・・・・・・」
洋介の他とは異なるほどに強烈なさっきに当てられて男たちは縮こまってしまう。
それを見て洋介は和葉に歩み寄った。
「さっき天狗から連絡があった。牛鬼を解放したのは君のようだね。説明をしてもらおうか?」
「えっと、その、それはですね・・・・・」
「説明しろと言ってるんだ! 聞えないのか!」
突如として声を荒げた洋介に、和葉は思わず涙目になって引き下がった。
しかし洋介はそれを逃がさない。和葉の肩を掴むと、更に胸倉を掴み持ち上げてしまう。
「お前のせいで何人死んだと思う! どうやってその責任を取るんだよおい! 死んで償えよ!」
洋介は容赦なく和葉を罵倒していく。
その罵倒は和葉を追い詰め、どんどんとヤバい方向へと走らせていった。
「・・・・・・死にたくない」
「なんだとこら! この期に及んでそんな事を言うのか!」
「死にたくない!」
和葉は洋介の手を払いのけた。そしてその手が離れたところから、和葉は暴れ始める。
「私はまだ死ぬわけにはいかないんです! 退いて下さい!」
もはや和葉に行くところはない。家族の仇だけでも討とうという思いで、和葉は太刀を構えた。
「クソッ! お前ら! そいつを捕まえろ!」
「「「「了解!」」」」
男たちは和葉に飛び掛っていく。
しかしその動きは和葉にとって遅すぎた。
(勝浦さんのほうが早かった。勝浦さんのほうが読みにくかった)
勝浦の訓練を受けた和葉にとっては、普通の動きしかしてこない男たちの動きなど、手に取るように分かるのである。
「そんなの、勝浦さんと比べれば弱い!」
和葉も切り返して鍔競り合いになった途端、男の刀は折れてしまった。
そして男が驚愕している一瞬に左で肘撃ちを叩き込んで意識を奪ってしまう。
この間二秒も立たない早業である。男たちは驚愕のあまり息を呑んでいた。
「・・・・私にはやらなくちゃいけないことがあるんです。道を空けてくれませんか?」
和葉は太刀を構えて威嚇しながらそう言った。
その迫力に男たちはジリジリと引き下がっていく。
「クソッ! この腰抜けどもめ! 俺にやらせろ!」
洋介が飛びかかろうとしたその時である。
「待て女! 抵抗すればこの女が死ぬぞ!」
手に気を失った女の子を抱えた田辺丸が現れた。
その女の子は外から来た人間のようで、和葉が見慣れた格好をしている。その首には田辺丸の手が掛かっており、少しでも力を加えれば折れてしまいそうなほどか弱い。
「ッ! そんなの、私は止まれないの!」
一瞬思い悩んだ和葉だが、そう言って武器を捨てなかった。しかしその間に確実な隙が出来てしまう。
「隙を見せたな!」
刹那、黒い旋風が走った。
それが和葉の直ぐ後ろを通過した瞬間、和葉は気を失って地面に倒れ付す。
「俺の名は、濡れ羽姫様の配下最速の鴉天狗清水丸! 人間などに見切れはせん!」
後には一人の漆黒の忍者服を纏った鴉天狗が佇んでいた。
暫くして、和葉が目を覚ますとそこは見覚えがある里の広場だった。
しかしその様子は数時間前とは大きく違っている。
広場の中心には直径数メートルにも巨大な大鍋が置かれていて、グツグツと油が張られているのだ。そしてその周りを大勢の鴉天狗と生き残った人里の男たちが取り囲んでいる。
そんな鴉天狗たちの中でも一際派手な格好をしている者に和葉は見覚えがあった。
「濡れ羽姫!」
「ほっほっほっほっ。小娘よ、主が絶望と苦しみにもがきながら死ぬところを見たくてのう、こうして見に来てやったぞ。感謝するが良い」
「誰がするか! ここで見たが百年目、刺し違えてでもぶっ殺す!」
和葉はすぐさま濡れ羽姫に飛びかかろうとした。
しかしその体は言う事を聞かずに起き上がってはくれなかった。
「無駄じゃ。妾の妖力を込めて作った縄で縛っておる。例え主が牛鬼の封印の剣を取り込んだとしても、その程度では解けぬぞ?」
「何を! この程度、気合でどうにかしてやるんだから!」
和葉は大きく飛び跳ねながら地面を暴れ回った。しかし縄は一向に緩む気配がなく、それどころか逆にドンドンと強まっている様子である。
一際暴れまわった後、和葉は憎たらしげに濡れ羽姫を睨み付けた。
「コンチクショー! 私の刀を何所にやった! 正々堂々と勝負しろ!」
「嫌じゃ。妾は主のような獰猛な獣とは戦わぬ。それに今の状況を分かってそれを言っておるのか?」
濡れ羽姫にそう言われて和葉は改めて周りを見回した。
和葉の隣にはあの時田辺丸に人質にされていた女の子が、同じく縛られて気を失っている。外の世界ではジュニアアイドルとしてもやっていけそうなほど、とても可愛らしい女の子だが今は役に立ちそうにない。
そしてそんな二人を取り囲むように、舌鼓を打ちながら里の男たちと鴉天狗たちが座っている。
白間を膝に抱きながら満面の笑みで座っている洋介を見て、和葉は牛鬼が言っていた事を思い出した。
「洋介さん白間ちゃん! やっぱり食人鬼だったんですね!?」
「そうだ俺たちは食人鬼、人を食らう鬼だ。しかしその話、何所で聞いたんだ?」
「私たち自分が妖怪だなんて言ってないよ?」
「・・・・・牛鬼が言っていました。自分は元人間で、食人鬼である貴方たちに家族を殺されたと」
と言いつつ、和葉はあの時の牛鬼の忠告を無視した自分に嫌気が差してきた。それと同時に、自分を騙していた里の食人鬼たちにも凄まじい敵意がわいてくる。
「自分たちも妖怪の分際で、よくもまあ牛鬼に仲間を殺されたから責任を取れって私に言えましたね!? そんなの自業自得、今思えばあの時の牛鬼が神様のように思えてきますよ!」
「んだとこら!? もう一度言ってみろ!?」
和葉の罵声に怒りを覚えた洋介は、立ち上がって和葉の頭を踏みつけた。
そして野蛮に声を荒げて叫ぶ。
「こちとら江戸時代の飢饉で死んでから二百年間、ずっと一緒だった仲間を何百人も牛鬼に殺されてんだよ! お前にその悲しみが分かるか!?」
「そうだよお姉ちゃん。私も友達をたくさん牛鬼に殺されたんだよ! 皆で楽しく永遠に遊べると思っていたのに!」
「・・・・・・白間ちゃん洋介さん。そんなの自業自得です。貴方たちは何百人の人間をその二百年間で殺しましたか? 牛鬼もそんな哀れな人間の一人です。そのことをよく考えてください」
なんとも自分勝手な二人の発言に、こみ上げてくる怒りを抑えながら和葉は静かに呟いた。
しかしその発言を聞いた二人は更に声を荒げて答える。
「人間のことなど知った物か! 俺たちは飢饉で苦しみながら死んだんだぞ! それなのに外でぬくぬくと暮らしている人間など、死んで当然だ!」
「お父さんの言うとおりだよ。牛鬼だって下等な人間上がりの癖して大勢の妖怪を殺すから封印されたんだ。自分たちの運命を受け入れられない人間って醜いよね」
二人は笑った。そしてその笑いと言葉に釣られた周りにいた大勢の妖怪たちも笑った。
そこが和葉の限界だった。
「黙れ! お前たちは皆私が殺す! 一匹も残らないと思え妖怪どもめ! 皆殺しだ!」
「ほっほっほっほっほっ、牛鬼の奴もそう言っておったわ。しかし奴は無力にも封印された。外の人間どもを一人人質に取れば簡単に従ったわ」
「ッ! やっぱり牛鬼はいい奴なんだ。でないと私を助けたりはしない!」
和葉は確信した、牛鬼は自分たち人間の味方であると。でなければ和葉を食人鬼たちから助けはしないだろうし、人質など簡単に見殺しにしているだろう。
しかしそんな牛鬼を信じることが出来なかった自分をも、和葉は呪っていた。
(どうして私あの時に牛鬼を信じなかったんだろう。そしたらこんな事にはならなかったのに・・・・・・)
牛鬼は自分の妹と似ている和葉を救うために里を襲って連れさったのだ。しかし和葉は薄々それに気付きながらも牛鬼を信じられなかった。その結果、今こうして殺されようとしているのである。
「奴も中々面白かったぞ。一人しか居ないくせに魔界郷近畿地区の妖怪を半分まで減らしたのじゃからな。しかし所詮は一人、数の暴力には敵わずに妾が人質に取った人間によって封印されおったわ」
濡れ羽姫は愉快そうに笑いながらその時の事を話し始めた。そしてその話が和葉の心を更に焚き付ける。
「・・・・・・どうやって牛鬼を封印したの?」
「な~に簡単なことじゃ。妾の父上を殺した僧が持っていた妖気を吸い取る刀を、奴の眉間に突き立てたのじゃよ。無論その刀は妖怪には使えぬので、外から連れてきた人間に使わせたがの」
その時の様子を思い出したのか、濡れ羽姫は更に大きく笑いながら余計な事まで口走っていく。和葉はただそれを静かに聞いていた。
(情報が大切。牛鬼はそう言っていた・・・・・・・・)
「その人間を殺した後で、動けなくなった牛鬼に土を被せて丘にしたわけじゃ。それは半年前の事じゃからのう、奴はその間指一本動かせずに心だけが徐々に弱っていく地獄を味わっていたわけじゃ」
「・・・・・・外道が!」
「それはお互い様じゃぞ? 主とて大勢の妖怪を殺した牛鬼を解放した大外道。その罪は命で償ってもらう」
と言って、濡れ羽姫は背後で油を煮詰めている鍋を指差した。
グツグツと聞くだけでも熱そうな熱気に和葉は思わず顔をしかめ、その後何をされるのか悟って恐怖する。
「恐怖が顔に出ておるぞ? 安心せい、主は肢体を切り刻まれてから鍋に放り込まれて唐揚げにされる。存分に苦しみを味わえるぞ」
「・・・・・嫌、そんなの嫌」
悪夢のようなこれから起きる事態に、和葉は地面を這いずりながら後ろへと下がっていく。しかしそれは直ぐに妖怪たちによって取り押さえられてしまった。
「では、誰がその小娘どもをバラバラに切り裂く? 希望があれば名乗りを上げよ」
「はっ、濡れ羽姫様。この俺、田辺丸にやらせてください。俺は奴が牛鬼を解放したせいで酷い目に合いました。その恨みを晴らしたいのです」
「良いぞ、許可する。好きにいたせ」
「ははっ、ありがたき幸せ・・・・・」
田辺丸は先ほど和葉が使っていた、牛鬼の爪で作られた太刀を取り出すと、それを和葉の右腕に押し付けて叫んだ。
「この小娘が! 今すぐその右腕を切り取って封印の刀を取り出してくれる!」
和葉が右腕で下津丸の刀を受け止めたところを見ていた田辺丸は、和葉の体内の何所に封印の刀が潜んでいるのか、大よその検討がついたのだ。だから何か面倒な事が起こる前に、先ずはそれを取り出そうというのである。
「止めて! これが無いと私なんにも出来ないんだよ!」
「安心しろ、何もする必要は無いのだからな。貴様も隣にいるガキも、直ぐにバラバラにされてあの世へ行く。徹底的に嬲られてからな!」
「ヒッ・・・・・・・」
刹那、和葉は恐怖して目を瞑った。これから襲い来る地獄を想像してしまったのだ。唯の女子高生であった和葉に、それが耐えられるわけが無いのである。
しかし襲い来るはずの第一の痛みはいつまでたっても感じることは無かった。
それを疑問に思った和葉は目を開ける。すると・・・・・・・。
「・・・・・せっかく掴んだ好機だ。今お前に死なれては困るからな、助けてやるぜ」
「勝浦さん!」
和葉がもっていたのと同じ、牛鬼の爪で作られた太刀を田辺丸に突き立てている勝浦の姿があった。