恐怖は何度でも続く
また人が死にます・・・・・。
日も傾き始めた夕暮れ時、白間に案内されるままに、和葉は人里の広場に向かった。
そこには大勢の人たちがいて、それぞれが手に酌を持って酒を飲んでおり、上機嫌に浮かれているようだ。
その周りには野菜や魚、獣の肉など様々な食べ物が置かれていて正にお祭り、宴会といった雰囲気である。
「うわ~、凄~い。なんだかいっぱい人が集まってるね」
もと居た世界では見たこともないほど活気に溢れたその光景に、和葉は思わず息を呑んでいた。
「そうだよ。だって里中の皆が集まってるからね」
「そんなに! これって何、そんなに凄いお祭りなの!」
「うん、特別なご馳走を食べる、とってもとっても特別で楽しいお祭りだよ」
白間はどこか含みがあるものの言い方をしたが、すっかり浮かれていた単純な和葉はそれに気付かなかった。
「そうか~、楽しみだな~」
はしゃぎながら和葉は里の広場に集まった人間たちの顔を見ている。
とその時、周りで宴会を開いていた群衆の中から、白間の母である和歌子が出てきて一葉に話しかける。
「いらっしゃい和葉ちゃん。悪いね~、こんなに散らかってて」
「いえ、いいですよ和歌子さん。このぐらいのほうが元気があって素敵です」
それは和葉の率直な意見だった。元の世界でも祭りと呼ばれる物はあったが、それは出店などがメインであり、純粋に人と人が触れ合って楽しむ物ではないからだ。しかし今の
光景は純粋に人と人が触れ合っているように和葉には見えるのである。
「そう、だったら和葉ちゃんも混ざってきたらどうだい? 皆酔っ払ってて楽しいよ」
「分かりました。あっ、でも、いいんですかお手伝いしなくて?」
「何のことだい?」
「えっ、白間ちゃんに和歌子さんが祭りの準備を手伝って欲しいって、私たちに言った事を聞いたんですけど?」
二人の会話は噛み合っておらず、どこかずれていた。
咄嗟に和歌子は白間を睨み付けると、なんだかんだ言って誤魔化してしまう。
「・・・そう言えばそうだったね、でももう終わったから好きにしてくれていいよ」
「そうですか・・・・。すいませんね何だか」
「いいんだよ別に。これからすっごく楽しい事が待っているからね」
そう言って和歌子はそそくさと何所かに行ってしまった。
和葉は少しの違和感を感じた物の、あまり気にせず言われるままに割り振られた席に付いた。
「おね~ちゃん! 膝の上に座っていい?」
「いいよ白間ちゃん。親父座りのほうが座りやすいよね?」
と言って、和葉は両足を組んで親父すわりの体勢になると、その上に白間を座らせた。あまりお行儀がいい格好ではないが、場所が場所なので特に問題はないだろう。
とその時、白間父である洋介が広場の中心に現れて祭りの開催を告げた。
「皆良く来てくれた、今日は祭りだ! いつあるか分からない特別な祭り、思う存分楽しんでもらいたい! では、長い話は要らないだろうからこの辺で。どうか飲んでくれ!」
ワァァァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!
一斉に沸き起こる歓声、そして楽しい祭りが幕を開ける。筈であった・・・・・・。
『グルオォォォォォォオオオオオオオオオオオ!!!!』
全てを引き裂く化け物の咆哮と共に、それは恐ろしい殺戮の祭典へと変化した。
「何だ今の声は! おい、誰か、見て来い!」
恐ろしい咆哮を聞いて一同が固まっている中、いち早く復活した洋介が指示を出した。
それに従って周囲にいた若者たちが確認の為、咆哮が聞えた向きに向かって走り出す。
洋介はそれを見て、その場にいた全員に的確な指示を下し始めた。
「皆落ち着いてくれ。女子供は俺の家に非難するんだ! 戦える物は武器を持って戦うぞ! 自分たちの手で里を守るんだ!」
「「「「了解!」」」」
子気味のいい返事と共に、その場にいた人間たちは指示された通りの行動を始めていく。
男たちは武器を持って咆哮が聞えた場所へと向かい、女子供は指示されたとおりに洋介の家を目指している。
そんな中、和葉だけは何をすればいいのか分からずポカーンとしていた。
「なにやってるのお姉ちゃん! 逃げるよ!」
「・・・・・はっ、白間ちゃん! でも、里の人たちが!」
「大丈夫、皆強いから! 私達は逃げないと邪魔になるよ!」
「そうだね。分かった、私は勝浦さんを呼んでくるよ!」
「・・・・・叔父さんを?」
白間は疑うように目を細めた。あまり勝浦を信頼していないのだろう、その目には疑念が見て取れる。
しかし和葉は勝浦の実力を知っている。だからこそこの様な時には頼りになると思って、呼びに行こうとしているのだ。
「そうだよ。勝浦さんってね、もの凄く強いんだよ! 私が保証するから、今はあの人の力が必要だよ」
「・・・・分かった」
和葉の強い押しに折れたのか、白間は大人しくそれに従った。
そんな時、指示された所とは別の方向に進もうとしている二人を見て、和歌子が声を荒げた。
「こらぁ! 二人とも何所行くんだい! ちゃんと指示されたとおりに逃げないと危ないよ!」
「勝浦さんを呼びに行くんです! あの人は強いですよ!」
「勝浦さん!? あんな変わりもんほっとけ! 役に立ちゃしないよ!」
和歌子はそう言って、和葉の意見を真っ向から否定した。そして自分は逃げる為に指示された方向へと走っていく。
(何で和歌子さんあんなこと言うの。幾らなんでも言いすぎだよ)
しかし和葉も内心穏やかではなかった。一週間とはいえ、自分が師と仰いだ存在を馬鹿にされたのだ。意地でも連れてきてやるとばかりに和葉は足を速めた。
「こらぁ! 言う事をきけぇ!」
和歌子が再び声を荒げたその時、辺りを強い揺れが襲った。
「なっ、なんだいこれは! 神の怒りか!?」
「ああ、お仕舞いだよ! 私たちここで死ぬんだ!」
「うわぁぁぁぁぁん! かあちゃぁぁぁん!」
女はうろたえ子供は泣き叫ぶそんな中で、和葉は一つの疑問を見つけた。
(あれ、この人たち地震を知らないの?)
明らかに人里の人間たちの反応がおかしかったのだ。
人里の人間たちは本当にそれが地震だと分かっていないようで脅えており、神に祈りを捧げている者までいる始末だ。地震大国日本で生まれ育った和葉としてはその光景が異様に思えたのだ。
(ひょっとしてこの世界って、地震がない?)
こんな非常事態にも拘らず、また一つ新たに和葉はこの世界と元の世界との違いに気付いていた。
しかしそんな中でも揺れはどんどんと大きくなっていく。
「お姉ちゃん!」
白間が不安に満ちた声を上げたその時である。
『グルオォォォォォォオオオオオオオオオオオ!!!!』
先ほど聞えたのと全く同じ咆哮と共に、女子供が集まっていた地面から巨大な顔が現れた。
その顔は全長三メートル以上ある巨大な顔で、それは牛の頭と鬼の顔を合わせたようであり、顎まで裂けた口の中からは獰猛な牙が姿を見せている。
牛鬼、そう呼ばれる妖怪の顔であった。
『キャァァァァァァァァァ!!!』
女子供の悲鳴が一斉に響くと同時に、牛鬼はその全体を現した。
巨大な顔と同じだけの直径に、全長五メートル以上もの大きさを誇る蜘蛛の体。それは間違いなく牛鬼であった。
「ぎゅっ、ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅっ! ぎゅう・・・・・」
和歌子はその名を言い終わる前に牛鬼によって上半身を食い千切られていた。
そして牛鬼は次なる獲物を見つけて襲い掛かる。
周りにいるのは女子供だけ、獲物は幾らでもいるのだ。
牛鬼の周りにいた女子供たちは、悲鳴を上げる間もなくその強靭な足の鍵爪で引き裂かれた。
何とか逃げようとした少し離れたところにいた女子供たちも、蜘蛛の体を持つ牛鬼から逃げ切れるわけがない。あっという間に追いつかれては無残に殺されていった。
しかし牛鬼を見れば殺すだけ殺しても、それを食べようとはしていない。ただ純粋に殺しを楽しんでいるだけなのだ。
奇しくもその光景は、一週間前に洋介から聞かされた牛鬼の特徴と一致している。
「・・・・・・・・・・・・・・・・そんな・・・・・・・」
和菜はそんな光景をただ見つめているだけだった。何もしなかったわけではない、出来なかったのだ。初めて牛鬼を見たときに感じた圧倒的恐怖、それがまた蘇ってきているのである。
「お姉ちゃん! お母さんが、お母さんが死んじゃったよぉ!」
そんな和葉の意識を引き戻したのは白間の悲鳴だった。顔を涙で埋め尽くしながら、白間は和葉に抱きついているのだ。
「・・・・・・白間ちゃん」
和葉は今の白間に自分と同じ物を感じた。白間もまた、たった今大切な存在を目の前で奪われたのである。
和葉は静かに手を腰に伸ばすと、そこに挿していた日本刀を手にとって抜き放つ。
「和歌子さんや里の人たちの仇、私が討つからね!」
和葉は牛鬼へと向かっていった。
勝てる見込みなどさらさらない。これはいわば、RPGの序盤早々にラスボスと戦うような物なのである。
勝ち目がないことは和葉自身でも分かっている。だがそれでも、今はこみ上げてくる怒りを抑え切れないのだ。
「ぎゅうきぃぃぃぃぃいいいいいいいいい!!!」
凄まじい形相と雄叫びを上げながら、和葉は牛鬼へと切りかかった。
そしてその一閃は牛鬼に命中する。いや、牛鬼が避けなかったのだ。和葉の姿を見た途端に牛鬼は固まって動かなくなったのである。
「はぁぁぁぁ! よくも皆を! これ以上私の目の前で人の命をうばうなぁぁぁぁああああ!」
和葉は激昂に身を任せて、牛鬼の頭を切り続けている。しかしその漸激は命中こそするものの牛鬼に傷と言える傷を付けることは出来なかった。全て弾かれるか、傷つけても即座に回復されているのである。
『うぅぅ・・・・・。お前、和奈か・・・・・・・?』
このときは初めて牛鬼は和葉にとっても聞き取れる言葉を発した。
それを聞いた和葉は驚きによって一瞬、動きを止めたものの、直ぐに持ち直して牛鬼を睨み付けながら叫ぶ。
「違う! 私は青木和葉! お前が殺した人たちと同じ人間だ! 和菜なんかじゃない!」
人間、その言葉を聞いて牛鬼は再び大きく震えた。そして顔を地面に叩き付けては叫んでいる。
『ウソダウソダウソダァァァァァ!!! 和菜が妖怪どもに付くなんてぇぇぇぇぇ!!!』
牛鬼は苦しみ悶えると、徐々にその姿を変えていった。
体は鬼のように厳つく浅黒く、毛むくじゃらで全長五メートルを超えており人方であった。しかしその顔はほぼ全てが牛である。そしてその背には虫を思わせる羽が生えていた。
牛鬼とは古来よりその地方によって伝承されている姿が異なる妖怪である。これもまた、そんな牛鬼の姿の一つなのだ。
『和菜ぁぁぁ! お前は連れて行くぅぅぅ!』
牛鬼はその巨大な手を振りかぶって和葉に掴みかかった。しかしその動きは酷く愚鈍で単調であり、簡単に見切れる物である。
「断る! 誰がお前なんかに!」
和葉は素早く飛んでそれを避けると、そのままの跳躍力で牛鬼の眉間に近付いて刀を突き立てた。
『アァァァァァ! カズナァァァァァァァアアアアアアアア!!!』
牛鬼は再び頭を抱えて苦しみ始める。
しかし和葉は他に武器を持っていないため、どうしようもなくそれを見ているしかなかった。
「一体、何が起きてるの?」
和葉が思い悩んでいるその内に、先ほどの咆哮が聞えた場所へと向かっていた男たちが戻ってきた。
「さっきのは陽動だったんだ! 化け物はこっちだぞ!」
「畜生! 女子供は無事か!?」
「早く戻って化け物退治だ!」
しかしその男たちは、辺りに広がっている懺状を見て言葉を失った。
「嘘だろ、これ・・・・・・・・」
洋介が一同の気持ちを代弁していた。
逃げた女子供の中で、生きているのは和葉と白間だけである。そしてそれを殺したと思われる妖怪は牛鬼であり、その牛鬼は今和葉の目の前で悶えているのだ。この光景を異常といえず何と言えよう。
「あの、和葉ちゃん? これは一体・・・・・・?」
「・・・・・・洋介さん来るのが遅いですよ。こんな単純な牛鬼の陽動に引っ掛かって・・・。おかげで皆死んじゃいました。皆ね・・・・・・・」
和葉の言葉には大きな悲しみが秘められている。
それを聞いて男たちは目の前の光景が現実であることを悟った。そして殺された家族や仲間の仇を討つために、各々が武器を持って悶えている牛鬼に近付いていく。
「お前のせいでぇ!」
「死ね化け物!」
「ぶっ殺してやる!」
「二度と復活できないよう、完全にバラバラにしてやるぜ!」
怒りでわれを忘れた男たちは、ただ力任せに武器を振るっては牛鬼をめった刺しにしている。
しかしその程度の攻撃は牛鬼を目覚めさせる為の刺激にしかならなかった。
牛鬼は頭を抱えるのを止めると、ギョロっとした目で男たちを見つめて叫ぶ。
『テメェラガァァァァ!!! カズナヲタブラカシタノカァァァァァァアアアア!!!』
牛鬼はその大木のような腕をただ力任せに振るった。しかしただそれだけの行為でも大妖怪の力は侮れない。
たちまち牛鬼を取り囲んでいた男たちは吹き飛んで、大打撲を負って動かなくなってしまった。
そして残った男たちは逃げようとしたが、体格や歩幅が大きく異なり、虫の羽を持つ牛鬼から逃げ切れるはずがない。
『シネエェェェェェェ!!! 妖怪ドモガァァァァァァアアアアアアアア!!!』
あっという間に追いつかれ、牛鬼の巨大な拳に叩き潰されてしまった。
「そんな、圧倒的じゃないか・・・・・・・」
洋介は目の前で起きている悪夢を、ただジッと見つめている事しか出来なかった。
改めて思い知った牛鬼の圧倒的な力、それに体が脅えて動かないのだ。
「お父さ~ん!」
そんな洋介を目覚めさせたのは愛する娘、白間の悲鳴だった。
牛鬼はその巨大な手で小さな白間を握っており、今正に握り潰そうとしているのだ。
『和菜、お前は騙されている。俺と一緒に来い!』
牛鬼は再び和葉に呼び掛けると白間を顔のほうに持っていき、大きく口を開けてみせた。
『本当はこんなことしたくないが、お前が来ないというのならこのガキを食うぞ!』
それは完全な脅しだった。牛鬼は白間の身と引き換えに和葉を連れ去ろうとしているのだ。
「和葉ちゃん・・・・・・・・・・」
洋介はジッと和葉を見つめている。それは何かを縋っているようだ。他の男たちも同じように和葉を見つめている。
和葉には周りの男たちが目で何を言っているのか分かった。
「分かった。貴方に着いていくから牛鬼、白間ちゃんを離して」
和葉は大人しく牛鬼に従うことにした。ここでまた大切な人を失うよりは、自分が犠牲になったほうがマシに思えてきたのである。
『そうか、和菜。悪いようにはしないから安心しろ』
と言って、牛鬼は白間を離すと和葉に手を差し出した。
和葉は大人しくそれに従って、牛鬼の手に乗った。
「お姉ちゃ~ん! 行っちゃ駄目だよ~!」
「・・・・・ごめんね白間ちゃん。ここで皆が死ぬよりも、私一人が犠牲になったほうがいいから」
「諦めろ白間。こうするしかないんだ。こうするしか・・・・・・・・」
生き残った人里の人間たちに見送られながら、和葉は牛鬼に連れ去られていく。
『和菜ぁぁぁ! お前は俺が守るからな』
牛鬼は背中に生えた虫の羽を大きく広げて空に飛び立った。
その巨体に似合わぬほどの飛行速度に和葉は思わず息を呑む。
「・・・・・・こんな反則妖怪に勝てるわけがない・・・・」
鴉天狗などまだ可愛いほうだったのだ。牛鬼はそれと比べ物にならないほどに強く恐ろしい。今の和葉が敵う筈もないのだ。
(ああ。結局私って、口では言うだけ言っといて、いつも実行できないんだな・・・・・)
和葉は自分のこの世界における目標である、家族の仇を討つ事が出来なくなると悟って、力なく気を失った。
牛鬼が去った人里の中で、生き残った男たちは慌しく走り回って死者を弔おうとしている。
そんな中、一人だけ浮いている男がいた。
ボサボサの髪を振り乱し、だらけた服装をしている男、勝浦だ。
「・・・・・・・妙だな。色々と・・・・・・・」
勝浦はそう呟いていた。
そして笑いながら身を翻して、その場から消えた。