世の中悪いことばかりでもない
はたして本当にそうでしょうか?
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
悪夢にうなされていた少女は突如として目を覚ました。
そこは木で作られた日本家屋のようであり、少女は布団の上に寝かされている。
「えっ、私は・・・・・・・」
頭を抱えた少女の中に、先ほどの光景が思い出されてしまった。それに耐え切れなくなった少女は畳の上に盛大に吐いてしまう。
「はあっ、はあっ、ここはどこ・・・・・・・」
周りを見れば一面に畳が敷かれていて、襖や土塗りの壁が目に入った。
思わず高野山のおじいちゃんの家のようだと思ってしまった少女だが、直ぐに気を取り直して今自分が置かれている状況を確認する。
下津丸から奪った日本刀は手元に無い。着ている服も身に覚えが無い粗末な和服である。
それでも牛鬼が現れた丘に、刺さっていた日本刀だけは手の中にあるように感じられた。それだけでも身体能力が遥かに上昇するのでありがたい物である。
「どうして? 私、皆のところに行ったんじゃ・・・・・・」
「よかった! 気が付いたんだねお姉ちゃん!」
少女が頭を抱えたその時、突如として襖が開け放たれて元気な女の子が中に入ってきた。
その子は少女の弟と同い年ぐらいであり、くりくりした目が特徴的な可愛らしい見た目をしている。
「えっと、貴方は誰?」
「私? 私は白間、身喰白間だよ!」
「白間ちゃん?」
「うん! よろしくねお姉ちゃん!」
女の子、白間は元気良く飛び跳ねて手を差し出してくる。
反射的に少女はそれを掴んで挨拶した。
「私は和葉、青木和葉だよ」
このとき初めて少女は自分の名を名乗った。これからは少女を和葉と表すことにする。
「わかった、和葉お姉ちゃん!」
白間の見せる屈託の無い笑顔に和葉は元気付きながらも、ここが何所なのかを尋ねる。
「ねえ白間ちゃん、ここは何所なの? まだ魔界郷の中?」
「そうだよ、ここは魔界郷近畿地区で唯一の人間の里なんだ! ここなら妖怪は来ないし安全だよ!」
人間の里、その言葉に和葉は警戒を解いた。この世界に来て始めて同族に会えたと喜んでいるのだ。
・・・・冷静に考えれば少しおかしい部分もあるのだが、今の和葉はそれに気付いていない。
「ありがとう白間ちゃん。ここに居るのって白間ちゃんだけ?」
「ううん、お父さんにお母さん、叔父さんとかが居るよ!」
「そう、白間ちゃんには家族がいるんだね・・・・・」
家族、その言葉に和葉は後ろめたい物を感じずにはいられなかった。
(なんで私、一人で生き残っちゃったんだろう・・・・・・・・・)
そんな和葉の葛藤を見て、白間は元気良くその手を引っ張った。
「ねえお姉ちゃん! 皆に紹介するから着いてきて!」
「えっ、え? なに白間ちゃん?」
「いいから、悩んでいても仕方が無いよ! 皆で楽しくお喋りすれば嫌な事も忘れるよ!」
その言葉に和葉今の自分の状況に気がついた。
(そうか私、こんな小さな子にまで心配掛けっちゃてるんだ・・・・・)
そして今はその親切に甘えようと思ったのだ。
白間に案内された場所、そこは大きな広間のようであり、三人の人間たちが座っていた。
「皆~! お姉ちゃんの目が覚めたよ~!」
「おうそうか、良かったな~」
「始め見たときには死んでるのかと思ったのよ」
「言っておくが俺が助けたんだからな、感謝しろよな?」
一同の労わりの言葉に和菜は胸が熱くなるのを感じた。
そして礼儀正しく頭を下げて、似合わない丁寧な言葉で挨拶をする。
「皆さん、私を助けてくれてありがとうございました。私は青木和葉と言います、どうかよろしくお願いします!」
それを聞いた人たちも挨拶を返していく。
「おう、よろしくな。俺は身喰洋介、そこに居る白間の父親で、我が家の大黒柱さ」
「女房の和歌子だよ。よろしくね?」
「俺は叔父の勝浦だ。里の外れで刀鍛冶をやっている。外から来た人間みたいだが、一応は歓迎する」
一同はとても暖かく、和葉が今必要としているものを満たしてくれているようである。そのことに感謝しながらも、和菜は一応の確認をしていく。
「あの、ここは何所ですか? 魔界郷内の人里と言ってましたけど、そんなところがある
んですか?」
「ああ、あるさ。外から来た人間でこの世界の事を聞いた奴は驚くんだ。この里の周りには昔から妖怪が多くてな、妖怪がこの世界に来る時に一緒に送られてきたんだよ」
と、洋介が人里についての経緯を説明し始めた。
しかしその説明に和葉は疑問を抱かずにはいられない。
「それって変じゃないですか? 周りは人間狩りとかをやっている妖怪だらけなんですよ? そんな中に人里があったら、皆襲われちゃいますよ」
「まあ確かに、たまに里の人間が食われることもある。だが基本的には妖怪はこの里の中には入れない。そういう決まりなんだ」
「えっ、妖怪がそんなことを守るんですか?」
これまでで和葉が妖怪に対して抱いている印象は、性格最悪のド腐外道集団である。とてもではないがそのような約束を守るとは思えないのだ。
「守るさ。ここは言わば人間の飼育場、定期的に生贄を出せば襲われない。濡れ羽姫が禁じているからな」
今度は勝浦が答えた。しかしその内容こそ和葉にとっては驚き以外のなんでもない。
「あの濡れ羽姫が! 最低のビッチ屑野郎で、ゴミ女なのに!」
「・・・・何かあったのか?」
「私はお母さんをあいつに殺されました。弟も鴉天狗たちに・・・・・」
「・・・・・そうか、すまないな・・・・・」
聞いてはいけない事を聞いてしまったと、勝浦は素直に頭を下げた。しかし直ぐに釘を刺す。
「あまり濡れ羽姫の悪口を言わないほうがいいぞ。この里はな、濡れ羽姫の戯れで存続できているんだ。人間たちにも希望を持たしたほうが面白いって事らしい。この世界にも人里があると聞くと、外から来た人間たちはそこを目指して良く逃げるんだとよ」
「・・・・・本当に最低だ。てか私、この世界に人里があるなんて聞いてませんよ?」
「そうか。まあ気まぐれな奴だしな、そういうこともあるんだろう」
「・・・・・そういう事って」
改めて和葉はこの世界における人間の価値を知った。
この世界ではそういう事で片付けられるほどに命の価値は小さい、人間とは妖怪にとっての玩具や食べ物でしかないのだ。だからこそこの世界は人間たちにとっての地獄なのである。
「・・・・・非情かもしれないがこれがこの世界の現実なんだ。人里も生贄を差し出さないと存続できない・・・・・」
「おい勝浦! もう少し言い方を考えろ! 可哀想だろ!」
「そうだよ勝浦さん! 女の子は繊細なんだからね!」
少し配慮に欠けた勝浦の言い方に、洋介と和歌子が突っ掛かった。しか少女にとっては、勝浦の言ったことは認めざるをえなかったのである。
「いいんですよ。洋介さん和歌子さん。私は気にしませんから」
「本当にいいのか? 和葉ちゃんはこの世界に来て家族を失ったんだろ?」
「それはとってもつらい事のはずよ?」
「はい、でも悔やんでいても何も変わりません。今は自分に出来る事をします」
「「和葉ちゃん・・・・・・・・」」
二人は和葉の強い心に感動した。
「そうか。お前は見所があるな」
「そうですか勝浦さん?」
「そうだ。明日から顔を貸せ、俺の鍛冶場で鍛えてやる」
それだけ言って勝浦はその場を立ってしまった。
呆然としながらも和葉は自分が認められたのだと気付いて嬉しく思った。
「和葉ちゃん、別に相手にする必要は無いぞ。あいつは俺の弟なんだが昔から変わってるんだ」
「そうね、女の子が鍛えるなんて野蛮よ。貴方は家で大人しくしていればいいのよ」
「う~ん、私も叔父さんは苦手だな~」
「あっ、は~そうですか・・・・・」
あまり良くない勝浦への評価を適当に返事を返すことで流しつつ、和葉は明日から勝浦の元を尋ねようと決心した。
この世界で生きていくには知力よりも体力、強大な力が必要だからだ。自分が剣道初段だとしても、それにおごっている場合ではないのである。
「あっ、そう言えば私の服! 何所いったんですか!?」
和葉は突然思い出した。昨日自分が着ていた服と今来ている服は違うのである。お気に入りの服だったので少し気になったのだ。
「ああ、その服だね。もうボロボロだったから捨てといたよ。私の服をあげるから勘弁してくれないかい?」
「そうですか分かりました・・・・・・」
少しがっかりしながらも、今の言動から和葉は和歌子のハキハキとした、気分のいいキャラをつかんだ気がした。
「あっ、刀! 私が倒れていたとこに刀落ちてませんでしたか!?」
ふと、自分が身に着けていた物のことで、下津丸から奪った日本刀を思い出した和葉は尋ねる。
しかし一同は首を振るだけで知らないようだ。
「さあね~、そんなの見なかったよ」
「和葉ちゃんを連れてきたのは勝浦だからな、あいつが持ってるかもしれないな?」
「おじさんドロボー!」
「白間ちゃんそんなこと言わないの。私は気にしないからね?」
とりあえず元は自分の物ではないので、和葉は深く考えない事にした。
そんな和葉に今度は白間がふと気になった事を尋ねる。
「そう言えばお姉ちゃん! 森の中に倒れていたって言ってたけど、一体どんな妖怪に襲われたの?」
「えっとそれは・・・・・・」
白間の無邪気さゆえの好奇心に、和葉は少し参ってしまった。しかもこういうときに限って洋介たちは止めてくれない。
少し考えた和葉は話す事を決心した。
「私は牛鬼に襲われました」
本当はもっとたくさんの妖怪に襲われたのだが、それを言ったのでは何故生き残っているのかを不審に思われるので、一番印象に残った妖怪の名を上げる事にした。
しかし直ぐにそれを後悔する事になる。
「牛鬼だって! そんな馬鹿な、あいつは封印されたはずだぞ!」
「濡れ羽姫様が封印は完璧だって言ってたのに、どうして解けてるのよ!」
「牛鬼怖い牛鬼怖い牛鬼怖い・・・・・・・・」
牛鬼の名を聞いたとたん一同は慌てて取り乱し、震え始めたのだ。そして洋介が強引に和葉に掴みかかる。
「答えろ! 何所で見たんだ牛鬼を、どうやって生き延びたんだ!」
「えっと、その・・・・・」
「早くしろ!」
紳士的だった洋介の先ほどとは間逆の行動に和葉は脅えていた。それでも早くこの状況を脱したかったので、何とか説明を始める。
「鴉天狗に追われている時です。急に現れて牛鬼が鴉天狗を襲いました。私はその隙に逃げたんです」
「本当か!? 嘘をついたらただじゃおかないぞ!」
「はっ、はい! 神に誓って本当です!」
本当は牛鬼が現れた丘に刺さっていた日本刀を取り込んだのだが、一同の普通ではない反応を見て、言うのを思いとどまったのだ。
「そうか、悪いな取り乱して」
「いえ、大丈夫です気にしませんから。でも如何したんですかそんなに慌てて? さっきの皆さんは変でしたよ?」
見れば和歌子は取り乱して震えており、白間にいたっては未だに周りが見えていない様子で頭を抱えて脅えている。それを見れば誰でも普通のことではないと思うだろう。
「・・・・・牛鬼という妖怪は昔から魔界郷近畿地区に生息していてな。唯一濡れ羽姫様の支配を受けていなかったんだ」
「やっぱり強い妖怪なんですね?」
「そうだ。だが牛鬼は気まぐれな妖怪だから、腹が減れば妖怪でも人間でも襲うが、それでも殺しすぎることは無かったんだ。一年前まではな・・・・・」
そして語られていく牛鬼の恐怖。それを聞いていくうちにどんどんと和葉の顔は青くなっていった。
「一年前牛鬼は急変した。これまで持ち合わせていなかった高い知能を保有し、人間も妖怪も無差別に虐殺するようになったんだ」
「・・・・・人里も襲われたんですか?」
「ああ。大勢の人が殺された。老若男女関係なくな・・・・・・」
「だから白間ちゃんや和歌子さんはあんなに牛鬼を恐れているんですね?」
「そうだ。だがそれすら牛鬼にとってはまだ序の口でしかなかったんだ」
序の口、大勢の老若男女が殺された事を、その言葉で済ませるほどの力を持った大妖怪牛鬼。和葉は改めて自分が生きている事の幸運さを思い知った。
「人里を襲った後、牛鬼は何をしたと思う?」
「えっ、何ですか?」
先ほど聞いただけでも、考えるのが嫌になるような事であることは和葉にも分かった。しかしそれ以上先は考えたくないのだ。
「奴は近畿地区中の川に毒を吐いたんだ。それも一口飲めば全身に激痛が走り、死に至る毒をな・・・・」
「どっ、毒ですか・・・・・・」
毒、それは和葉が山猫の妖怪と戦った時に口にされた言葉である。自然界における最も強力な武器であり、人間がそれを持っているはずが無い。しかし和葉はそれを持っていた。
牛鬼が日本刀を抜いた丘から現れた事といい、その日本刀を体に取り込んだ事といい、全てが関係ないような事には思えないのだ。
「そうだ。しかも異常なのはその後の牛鬼の行動だ。殺すだけ殺しておいて、一切死んだ人間も妖怪も食わなかったんだ。食べる事を最大の楽しみにしている筈の牛鬼がな」
洋介は心底憎たらしげにそう言った。その拳は強く握られている。彼もまた、妖怪に大切な人を奪われたのだろう。
「それで、牛鬼はどうなったんですか?」
「封印されたさ。魔界郷近畿地区の妖怪と人間全員が束になって掛かる事によってな」
封印、その言葉が和葉の胸に深く突き刺さる。
(ヤバい! ひょっとしたらあの日本刀が封印の鍵とかで、それを私が抜いちゃったりして・・・・・)
牛鬼が現れた丘は毒気に染まっていて牛鬼は毒を持っている。そして今まで人里の人間は牛鬼が復活した事を知らなかった。これだけの要素を考えれば、和葉が牛鬼を解き放ってしまった事は十分考えられるのである。
「そそそそそっ、その封印って、どんな奴ですか!?」
「どんなって、あれだ。濡れ羽姫様は触れた妖怪の力を吸い取る刀を持っていてな、それは妖怪には使えないから、里の代表者が牛鬼の眉間に突き立てたんだ。そしたら奴は動けなくなって、そこに土をかぶせて封印したというわけさ」
「・・・・・その刀はどんな刀ですか?」
「そうだな、日本刀の太刀だったと思うけど。どうしてそんなこと聞くんだい?」
「いっ、いえ、なんでもないです・・・・・・・」
口では何とか動揺を隠していたが、内心はビビリまくりであった。
(ヤバいぃぃぃぃぃぃ! 間違いなく私が吸収した刀だよ! てかひょっとして私が牛鬼の封印を解いちゃった! どうしようどうしよどうしよう! 正直に言ったら袋叩きにされるだろうし、かといって黙っていても牛鬼がそんな凶暴な妖怪ならここも襲われて殺される~!)
最早完全にパニック状態である。冷静に考えれば、和葉はその牛鬼を封印できる刀を持っているわけで、上手く立ち回りさえすれば美味しいポジションを頂けるかもしれないのに、それすら考えに及ばなかったのだ。
「牛鬼は他にも様々な能力を持っている。和葉ちゃんも気をつけるんだよ?」
「・・・・・はっ、はい。気を付けます・・・・・・」
和葉はそうとしか言えなかった。妖怪に関して、ゲームや漫画などで最低限の知識はあるものの、そこまで詳しい情報は知らないからだ。
しかし牛鬼の恐ろしさはよく分かった。それと同時に自分が牛鬼を解放してしまったという凄まじい責任感にも襲われている。
「とりあえず和葉ちゃんはゆっくり休めばいい。こう言うのは男の仕事だからね」
「そうだよ和葉ちゃん。貴方は白間の面倒を見ておいてくれるかい? 三色昼寝付きでいいからさ」
と、いつの間にやら復活した和歌子が未だに脅えている白間を指差して言った。
「ははははっ、はい・・・・・・・・・・」
和葉はそれに曖昧な返事を返すので精一杯であった。
それから暫く後、昼食を終えた和葉と白間は手を繋いで人里の中を歩いていた。
昼食の際、自分が牛鬼を解放してしまった事を悪く思いながらも、空腹に勝てなかった和葉は勧められるままに大量に食べてしまったのだ。今はその事を反省している。
(は~、とことん胸が痛いよ。牛鬼を解放しちゃったのに、あんなにご飯を食べちゃうなんて・・・・・)
この世界において、人間がどれ程の生活水準を持っているのかは知らないが、少なくとも見ず知らずの和葉が大量に食べて良いほどではないだろう。
しかし白間はそんなことまるで気にしていない様子で、元気良く和葉の手を引いて歩いている。
どうやら和葉が倒れてから一日が経過しているようで、昔ながらも活気の良い人里には大勢の人間が居る。
見慣れない物ばかりの人里で、和葉は道行く物全てに好奇心を持っていた。
「おお、白間ちゃん。その子が例の子かい?」
「そうだよおじさん。外から来た人間の和葉おねえちゃんだよ!」
「はっ! ・・・・よろしくお願いします」
突然声を掛けられて、和葉は慌てて挨拶をした。見れば大勢の人だかりが二人の周りには出来ていて、今話しかけてきたのもその中の一人らしい。
「白間ちゃんこの人たちって・・・・・」
「里の皆だよ。外から来た人間は珍しいからね、興味があって見に来てるんだ!」
「そうなんだ、私って有名人!」
和葉は単純な頭の持ち主なのだ。ふと気になった事があれば、どんな重要な事を考えていてもそれに流れてしまう。直ちに悩む事を止めて元気よく挨拶を始めた。
「えっと、こっちが魚屋の有田さんで、そっちがミカン農家の有川さん。で、そこにいるのが・・・・・」
白間は次々と周りに居る顔なじみを紹介し始めた。
「はっはっは、いっぱい貰っちゃった」
「お姉ちゃんモテモテだね~!」
それから暫く後、和葉は両手いっぱいの食べ物を抱えて人里外れの道を歩いていた。
白間に紹介された人々は、その度に何らかの食べ物を和葉に渡してきたのだ。当然断りもしたのだが、強引な流れに負けて受け取ってしまったのである。
「は~、この食べ物どうしよ~? こんなに貰ったら悪いよ」
「気にしなくて良いと思うよ。ここに居る人はみんな優しいから、お姉ちゃんを可哀想だと思ってくれたんだし!」
「そうかな~?」
「そうだよきっと!」
などと喋っているうちに、和葉は目的地にたどり着いていた。
「あっ、ここだよね白間ちゃん?」
「うん、ここが叔父さんの鍛冶場だよ! でも如何したのお姉ちゃん? 急に叔父さんに会いたいって言い出して? もしかして惚れた?」
なんともませた子供である。白間は手を顔に当ててそんな事を和葉に囁いた。
子供のする事とはいえ、彼氏が居なかった少女にとってはあまり快い話ではない。少しむきになって注意してしまった。
「子供がそんなこと言うんじゃありません! 私は彼氏が居ます!」
「えっ、嘘! お姉ちゃん彼氏が居るの!」
「そうよ。すっごくかっこよくて優しい彼氏が居るんだからね!」
「・・・・・嘘っぽい。お姉ちゃんはそんなふうに見えないよ」
今日会ったばかりの子供にまでそう言われ、和葉は本気で落ち込んだ。
しかし直ぐに持ち直して話を逸らす。
「私がここに来たのは勝浦さんにお礼が言いたかったんだ」
「お礼?」
「うん。倒れていた私を助けてくれたのは勝浦さんらしいし、キチンとしたお礼は出来てないからね」
「お姉ちゃんもまめだね~。けど叔父さんなら気にしないと思うよ」
「なんで? やっぱり変わってるから?」
「うん、そうだよ!」
と、二人が勝浦の家の前で騒いでいた時、突然扉が開いて中から勝浦が出てきた。
「変わっていて悪かったな。俺は変わり者でいたいんだよ」
勝浦は不機嫌な様子で頭を抱え二人を睨み付けた。その視線にたじろぎながらも和葉はここに来た目的を果たす為に頭を下げる。
「あのっ、勝浦さん!」
「・・・・・なんだ?」
「助けてくれてありがとうございます! ちゃんとしたお礼は言えてなかったので、言おうと思ってやってきました」
「その事か・・・・・。気にするな、困っている人間は助けるのが普通だろ? それに一応礼は言ってもらったからな」
「でも、やっぱりそれじゃ私の気が収まりません。これ、受け取ってください!」
和葉は先ほど里の人たちから貰った食べ物を差し出した。
貰い物を更にあげるのは悪い事だと思うのだが、それでも今はそれぐらいしか持ち合わせていないのである。
「・・・・・いらない」
しかし勝浦はぶっきら棒に断ってしまった。そして大きく欠伸をすると、再び家の中に戻っていく。
「・・・・・えっ?」
余りにも適当な反応に、和葉は一瞬思考が止まった。
「ふられたねお姉ちゃん?」
白間はまたませた事を言っている。
しかし完全に固まっていた和葉はそんなことが耳に入っていない。
「・・・・・・・・・・・」
暫く固まっているうちに、再び扉が開いて中から勝浦が現れた。その手には和葉が良く見慣れた日本刀を持っている。
「あ~! それ私の日本刀! 勝浦さんが持ってたんですか!?」
「・・・・・・まあな」
「言ったでしょお姉ちゃん。叔父さんが持ってるって」
周りの反応など気にせずに、勝浦は日本刀を和葉に渡した。
そして隠し持っていたもう一本の日本刀で和葉に切り掛かる。
ギィィィンッ!
金属と金属が擦れあう鋭い音が響いた。和葉は両手に持っていた食べ物を全部落としながらも、何とか反応して勝浦の刀を受け止めたのだ。
「ちょっ! いきなり何するんですか勝浦さん! 危ないですよ!」
「黙って俺と戦え。それが俺へのお礼ってことでいいからな?」
と、再び勝浦は動いた。熟練の技としか思えないほどの鋭い太刀筋で和葉を斜めから狙っていく。
和葉は強化された身体能力で何とかそれを受けた。しかしその瞬間には勝浦は次の行動に移っているのだ。
信じられないほどに早い勝浦の太刀捌きに、身体能力で勝っているはずの和葉は防戦一方である。
「如何した! その程度か? もっと工夫して戦ってみろ!」
勝浦は地面を蹴って土煙を上げた。それは真っ直ぐ和葉の顔を狙っていて視界を奪ってしまう。
そしてその時に出来た隙は、勝浦が和葉に近付くには十分であった。
「貰った!」
鋭い声と共に勝浦の刀が和葉を捕らえた。いや、正確には捉える直前で止まっている。
「・・・・この程度か? これじゃこの世界では生き残れないぞ」
勝浦の瞳はどこか和葉を哀れんでいるようにも見えた。それが和葉のプライドを刺激したのだ。
「・・・・・この程度ですって? 分かりました、本気で行きます!」
和葉は自分の間近に来ている勝浦の刀を右手で掴むと、精一杯の力を加えて捻じ曲げた。
そして勝浦が呆気に取られているうちに股間を狙って蹴りを叩き込む。
「お前、何て事を!」
男にとって、最大の急所たる部分を狙われた勝浦は、思わず捻じ曲げられた日本刀を投げ捨てて両手でそれを防いだ。
しかしそれが和葉の狙いだったのだ。
「これが私なりの工夫した戦い方です!」
強烈な蹴りを腕で受け止めて、勝浦の動きが止まった一瞬に、和葉は隙だらけになった頭を狙った。
片足立ちしたままの体制で拳を叩き込んだのだ。
この様な状態では通常力は入らない。しかし和葉の身体能力は強化されているのだ、勝浦は頭を殴られて派手に吹き飛び、壁を突き破って自分の家の中に突っ込んだ。
「ふ~、ざっとこんなもんです」
「すご~いお姉ちゃん! 叔父さんって、変わってるのに腕だけは立つんだよ!」
白間は尊敬の眼差しを和葉に向けていた。それを心地よく感じながらも、和葉は少し格好を付けてみる事にした。
「ふっふっふ。またつまらぬ物を・・・・・え~っと? 殴ってしまった?」
・・・・のだが、本来の頭が足りていない性分は誤魔化せずに全く決まっていない。はっきり言ってとてつもなく間抜けである。
白間はそんな和葉を面白がるように、しかし何所となく注意するようにして見ていた。
「痛てててて・・・・・。少しは加減しろ、死ぬかと思ったぞ」
「・・・・・・いきなり切りかかってきた人がそれを言いますか?」
和葉は目を細めて日本刀を勝浦の首筋に当てた。
その目を見て本気だと感じたのか、勝浦は素直に頭を下げた。
「・・・・・・すまない」
「・・・・・・次はありませんよ?」
和葉は日本刀を納めてそう言った。その時に笑顔だったのが余計に怖い事である。
「叔父さん! どうしていきなりお姉ちゃんに切りかかったの!? 下手したら死んでたよ!」
「こいつの実力を見るためだ。中々の実力者みたいだからな、俺も少し手合わせしてみたかったんだ」
「そんな理由で? この事はお父さんとお母さんに報告させてもらうよ!」
「おいまて止めろ! 俺が怒られるだろ!」
「自業自得だよ!」
二人は子供のように言い争いをしていた。
その光景を見て和葉は叔父と姪というよりは、年の離れた兄妹のようだと認識してしまう。しかし和葉とてまだ怒りが収まったわけではない。この程度ではまだ気がすまないのだ。
「勝浦さん? 私はまだ許したとは言ってませんよ?」
ゴキッ!
勝浦の肩を外れてしまうほどの力で掴みながら、和葉はそう言った。
その目は明らかにヤバい感じであり、人を何人か殺した目である。和葉は妖怪を殺したことはあるが人間を殺したことはない。しかしそう錯覚させるほどに恐ろしい目をしているのだ。
「「ヒイッ! お助け!」」
その目を見て二人は震え上がって膝を付いた。白間にいたっては頭を抱えて震えている。
しかし和葉はその目を止めなかった。それどころかより一層と目に力を込めて、勝浦の目の前に顔を持っていく。
「私のお願い、聞いてくれますよね?」
「ちょっと待て、さっき許してくれるみたいなこと言ってなかったか!」
「・・・・それが何か?」
「・・・・・何なりとご命令下さい和葉様」
女帝、その目をした和葉を見て勝浦はすぐさま土下座する。プライドもへったくれもない、今の和葉は危険だと本能で感じ取ったのだ。
そんな勝浦の頭を踏みながらも、和葉は命令を下す。
「よろしい。それでは命令します。勝浦さん、私を鍛えなさい」
「・・・・・えっ?」
「聞えなかったのかしら? 鍛えろって言ったのよ!」
とぼけた勝浦の返事に、丁寧な口調を崩して和葉は脅す。その手は勝浦の胸倉を掴んでいて、首筋の直ぐ隣には日本刀を押し付けている。
後数ミリ、それで首の皮が切れるかどうかと言う、ギリギリのラインだ。
「・・・・・分かりました。喜んでお受けいたします」
今の勝浦にプライドもクソもなかった。これまでで一番丁寧な口調でそう言って快諾した。
それを聞いて和葉も手を離して、再び丁寧な口調に戻ると笑顔で微笑んだ。
「よろしい。明日またここに来ますので、その時はよろしくお願いしますね?」
「・・・・・・承知しました」
とても丁寧な返事を勝浦は返していた。
和葉は身体能力においては勝浦を凌いでいる。しかし単純な技量においては遥かに及ばないのだ。もしも勝浦の技を手に入れることが出来るならば、それは大きな力になるはずである。
(お父さんお母さん優人、やっぱり私は生きたい。だけど皆の仇は討ってみせるからね)
和葉の目的は最初から一つだったのだ。自分は生きたいが、家族の仇も討つ。その為に力を求めているのである。
「・・・・・これはお父さんに報告しないとね・・・・・・・」
そんな二人のやり取りを、白間は無感情な顔で眺めていた。
それから一週間が経過していた。和葉は身喰家で世話になりつつも家事を手伝っては里の子供たちの面倒を見たり、白間と一緒に買い物に行ったりとしている。
しかしその合間にも勝浦の鍛冶場を訪れては剣を教えてもらい、鍛えてもらっているのだった。
そして今、和葉と勝浦はお互いに刀を構えて向かい合っている。
お互いに手にしているのは真剣、文字通りの真剣対決である。勝浦の教訓で、妖怪と戦うのは命がけだから、特訓も命がけで行っているのである。
「行くぞ!」
先ず動いたのは勝浦だった。神速の踏み込みで和葉に近付くと、素早く切り掛かった。
「そこっ!」
和葉はそれを受け止めた。その動きに以前のようなブレはなく非常に安定している。
勝浦は受け止められて直ぐに刃を引くと、続けざまに鋭い漸激を放っていく。
以前の和葉ではこれを受ける事で精一杯であって、反撃する事など出来なかった。
しかし今は違う。元より剣道初段の実力を持っていた和葉は、スポンジの様な速さで剣術を学んでいったのだ。当初は見切る事すら困難だった勝浦の太刀筋も、今では手に取るように把握できた。
「甘いですよ勝浦さん! その程度の攻撃では、私に当てる事など出来ません!」
なんと和葉は、勝浦の鋭い漸激を受けるのではなく、日本刀を利用して流しているのだ。いわゆる見切りという技である。
これは凄まじい技術が必要な技であり、普通は一週間で習得できる物ではない。
しかししかるべき覚悟と執念、それに見合った身体能力を持ち合わせている和葉は、恐ろしい事に一週間でそれを身につけてしまったのだ。
和葉はそのことを嬉しく思いながらも、どこか背筋が寒くなるように感じていた。
(どうなっちゃったのかな私? 本当に人間を辞めちゃったのかな?)
これまでは復讐と怒りで心はいっぱいであり、あまり気になっていなかったことが、ある程度心に余裕が出来た事によって気になり始めたのである。
人間を越える身体能力を得る事、それは人間を辞めるという事なのである。まだ高校一年生の和葉にとっては重すぎる現実なのだ。
そしてその迷いに動きが止まった。
「油断するな! 妖怪は待ってなどくれないぞ!」
勝浦は地面を蹴って、和葉に土煙を浴びせて切りかかった。以前も使用した目眩ましである。得意技なのか勝浦は良くこの戦法を使用するのだ。
和葉は確実に目元を狙ってくる砂煙に思わず目を瞑った。そしてその隙を付いて勝浦の鋭い突きが和葉を襲う。
ギィィィンッ!
金属同士がぶつかり合うような鋭い音が鳴り響き、和葉は右手でそれを掴んでいた。
「ちっ! 本当に厄介だなその右腕、見えない篭手を付けているようだぞ!」
「それはどうも、敵が厄介だと思う武器ほど有効だ。勝浦さんの教えですよね?」
「そうだったな!」
日本刀を曲げられる前に、勝浦は太刀を捨ててもう一本の小太刀を抜いた。そして再び和葉に切り掛かる。
しかしその動きは普通ではない。身を屈めて、和葉の足元を狙っているのだ。
長身に似合わず機敏な勝浦の動きに、舌打ちをしながら和葉はぼやいた。
「ったく、小ざかしいですよ勝浦さん!」
「うるさい! 上半身を狙っても右手で止められるからな! ならば下半身を狙うのは当然だ!」
「ですよね!」
ここで和葉はとんでもない策略を使うことにした。
なんと身に着けていた和服の前をはだけさせたのだ。
「ブッ! 卑怯だぞテメェ!」
勝浦は鼻血を吹いて動きを止めた。口は悪いが女性経験がないのか、女にはとことん弱いのである。
「卑怯で結構、卑怯な戦い方こそ生き残る。これも勝浦さんの教えです!」
そして和葉は勝浦の股間を蹴った。
この後勝浦がどうなったのか、それはご想像にお任せする。しかし、男として重要な物を失ったことだけは確実だろう。
「和葉、テメー・・・・。とことん卑怯だな・・・・・。てか恥じらいはないのか、恥じらいは!」
「有りません。そんなもの捨てました」
それから暫くして、何とか復活した勝浦の激昂に和葉はあっけらかんとして答えた。
一週間に及ぶ激しい修行によって、和葉は変わったのだ。いや、内に秘めていた思いが暴走したといってもいい。
自分の家族を奪った妖怪たちに復讐する為、あらゆる術を学び覚えた。そしてそれらを基にして、形に囚われない独特の戦い方を身に付けたのである。と言っても所詮は一週間の付け焼刃、勝浦からすればまだまだ未熟である。だからこそ和葉は恥じらいや保身を捨てた戦い方に走っているのだ。
しかしこの様なことをされたのでは、幾ら教えた本人が勝浦だとしても黙っている事は出来なかった。
「お前な~、今のと同じ事が妖怪に効くと思うのか?」
「他の妖怪はどうだか知りませんけど、鴉天狗になら効くと思いますよ? だってあのクソ鳥ども、私を犯そうとしてきたんですよ」
「・・・・・かもしれないな。だったら何も言わない」
勝浦も思い当たる節があったのか、注意するのを止めた。
勝浦とはこういう男なのだ。剣術に型はなく目茶苦茶、何時もはいい加減でだらしないが、戦いにおいては有効だと分かれば、それに関しては何も言わないのだ。
人間と妖怪は違う。人間の決まりに乗っ取っていたのでは負ける。これこそ勝浦が和葉に教えた第一信条である。
「ったく、しかしよくやったなお前。業は兎も角身体能力まで入れた総合的な戦闘力じゃ、俺より強いんじゃないか?」
「勝浦さんの指導のおかげですよ。何だかんだ言っても、結構丁寧で熱心に教えてくれたじゃないですか」
「まあな。俺はここに来た人間には先ず、戦い方を教えてるからな。でないとその人間はこの世界で生きていけない・・・・・・・」
ふと、勝浦は悲しそうな目をした。そのことに気付いた和葉は問い掛ける。
「如何したんですか勝浦さん? なんだか泣きそうな目をしてますよ?」
「・・・・そうか? 見間違えじゃないか?」
「いえ、絶対にしてました! 私はこの世界に来て何度も死にたくなるような悲しみに合いました。だから人の悲しみには敏感なんです!」
和葉は自信を持ってそう言った。和葉とてこの一週間に家族を思い出してどれだけ泣いた事だろうか? とりあえず両手の指で数え切れないほどは泣いた。だからこそ勝浦の悲しみに気付いたのである。
一瞬ポカンとしていた勝浦だが、直ぐに気を取り直してこう言った。
「・・・・・お前は絶対に生き延びろよ」
「勿論です! 私は死にたくもないし家族の仇を討って、鴉天狗どもを殺すまでは死ねません!」
「そうか、お前ならひょっとして・・・・・・・・」
と、勝浦が何かを言いかけたその時。突如として木の陰からから白間が現れた。
「お姉ちゃん叔父さん! 今日はお祭りがあるから準備を手伝えって、お母さんが言ってたよ」
「は~い! 今行くよ~!」
祭りと言う言葉に、和葉は元気良く叫ぶと白間の手を引いて身喰家に向かおうとした。
しかしその行く手を勝浦が塞ぐ。
「待て白間。まだ和葉に話さなくちゃいけないことがある。もう少し待ってくれないか?」
「え~、駄目だよ! お母さんには今すぐつれて来いって言われてるんだよ!」
白間は勝浦の言葉を無視すると、そのまま和葉の手を引いて強引に連れて行ってしまう。
その足は子供の物とは思えないほどに速く、力強い。
和葉は何が起きているのかよく分からなかったが、とりあえずお世話になっている家の人たちに呼ばれているので、大人しくそれに従っている。
「待て和葉! 俺の話をきけえぇぇぇぇぇ!」
この時、勝浦は姪の白間ではなく、一週間前出会ったばかりの弟子である和葉の名を叫んでいた。