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不幸は続く

さらに救いがありません・・・・・

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・・。どうやら追ってこないみたいね」

 それからどれほどの距離を走っただろうか? 森の中でも少し開けたその場所で、女とその家族は休憩をとっていた。

「うぅ・・・・。お父さん・・・・・」

 少し時間を置いてから感じる大切な物を失った悲しみ。少年はそれに襲われていた。

「優人・・・・・・・・:」

 それは少女とて同じであった。ただ何も言わずに少年を力強く抱きしめて少女は囁く。

「大丈夫だよ優人、優人のことは私が守るからね」

 それはせめてもの慰めであった。しかし今の少年にとっては、そのような言葉ですら感情を刺激する物でしかなかった。

「どうやって守るんだよ!」

「優人・・・・・・・」

「だってそうだろ、相手は妖怪、人間でしかも女である姉ちゃんじゃ敵いっこないよ!」

「そんな事ない! 私は剣道初段なんだよ、妖怪だろうがなんだろうが、絶対にやっつけてやるんだから!」

「無理だね」

「何でそんなこと言うの!」

 二人の口論はどんどんと厚くなっていく。

 女は暫くの間それを黙って見ていた。そして不意に立ち上がると二人に近付いていく。

「やめなさい二人とも!」

 パチンッ!

 女は二人の頬を叩いた。

「「ッ! お母さん!」」

 二人は慌てて女の方を見る。

「悲しいのは皆一緒なのよ! でも、だからこそ今は生き残る事だけを考えるの! そして一人でも多く家に帰る事、それこそが俊二さんに出来る唯一の弔いだと思いなさい!」

 そう言った女の顔は涙に濡れており、元の美しい顔は見る影も無いほどにやつれていた。

「・・・・・・・ごめん姉ちゃん。僕、不安で姉ちゃんに当たっちゃった・・・・・」

「・・・・・・・私もごめん。ついむきになっちゃって・・・・・・・」 

 二人は静かに頭を下げ、手を握り合った。これで仲直り完了である。

「よかった。やっぱり私たち青木家には笑顔が似合ってるわ」

 女は涙を拭い、必死に笑顔を見せながらそう呟いた。


「ほっほっほっほっほ、美しい家族愛じゃのう。妾も愉しませてもらったぞ」

 不意に声が聞える。それは人間の物とは思えぬほどに美しく、それでいてととても危険な迫力も有している。

「誰!」

 女は少女と少年を庇う様に動き、咄嗟に身構えた。

「ここじゃここ、主らの上じゃ」

 そこには一人の美女がいた。

 濡れ羽色の美しい髪に日本人形のような綺麗な顔が特徴的な絶世の美女である。

 その身には昔話に登場する、お姫様が身に着けている様な豪華な和服を着ており、手には大層立派な団扇を持っていた。

 しかし、一箇所だけ人間とは違う部分、いや人間には無い筈の部分があった。

 その美しき女の背には髪と同じ、濡れ羽色の羽が生えており、美女が人間ではないことを示しているのだ。

「貴方は誰、一体何者!」

美女の背に生えた翼を見て、妖怪の一種と判断したのだろう、女は警戒を解かずに問い掛ける。

「無礼だぞ貴様! 下賎な人間風情が話しかけていいお方ではないわ!」

 途端に美女の近くに控えていた一匹の妖怪、鴉天狗が前に出て、厳しい口調でそう言うと、弓を構えて人間の女を射掛けようとする。

「待て、日高丸。ここで殺してしまっては、楽しみが無くなるじゃろう」

「いや、しかし、姫様。この様な無礼を捨て置くわけにはまいりません」

「ほう、主は妾の命令が聞けぬと言うのか?」

 美女が指を刺すと、途端に他の鴉天狗が前に出て、日高丸と呼ばれた鴉天狗を捕らえてしまった。弁護など一切認めない典型的な暴君である。

「姫様ぁ! お許しおぉ!」

 日高丸はそのまま他の妖怪たちによって連れ去られてしまった。

「・・・・酷い」

 そのあまりにも酷い目茶苦茶な行動に、少女はそう呟かずにはいられなかった。そしてそれと同時に何か底知れぬ恐怖も感じてしまう。

(やっぱり今の妖怪は鴉天狗。ここは私達のいた世界じゃない)

 漫画やゲーム等に人一倍関心があった少女にとって、この世界と自分たちの世界が別である事など、簡単に想像できたのである。

「さて、人間どもよ。ここが何所かという話じゃがな・・・・・・」

 しばらくして鴉天狗たちが見えなくなった時、姫と呼ばれた美女は話を再会した。

「ここは魔界郷といってのう、我ら妖怪が住まう楽園じゃ」

「楽園!? 馬鹿言わないでくれるかしら、私達はここに来て大切な人を失ったし、一生癒えない心の傷を負ったのよ! こんな所、楽園じゃなくて地獄よ!」

 楽園などという、余りに不愉快際まわり無い美女の言葉に、人間の女は抑えていた怒りが限界に達したのかそう叫んだ。そのいつもとは違う厳しい喋り方に、少年と少女は脅え、肩を寄せ合って震えている。

 しかし美女は涼しい顔でそれを流した。

「当たり前じゃ。ここは妖怪の楽園、人間など招かれざる客でしかない」

「だったらなんで私達はここにいるのよ! 大人しく帰してくれるかしら!」

「それは出来ぬのう」

「何故! 私達は何もしてない筈よ、それなのにどうしてこんな地獄につれ来られたの!」

「ほっほっほ、それはこの魔界郷が出来た由来に比例する」

 美女は喋り始めた。なぜこの世界が生まれたのか、どうして人間をこの世界に招き入れたのかを・・・・・・。

 曰くこの世界が生まれたのは明治維新の直後、日本人はどんどんと古い物を捨て、新しい物を取り入れていたその時代に、妖怪たちの力は人間たちが使う武器によって追い抜かれてしまい、ついには存続の危機に追いやられた。

 そこで日本の各地方を代表する大妖怪たちが集まり、話し合った結果、東北北陸関東東海近畿中国四国九州、八つの地方において妖怪が住んでいる地域を妖術によって別の時空に移転させ、そこをそれぞれの地方に分けて統治することにした。

 美女はその中でも近畿地方を統治している大妖怪。鴉天狗の姫、濡れ羽姫らしい。

 しかし始めはうまく行っていた統治も、次第におかしくなり始めた。人間を遥かに超える長い寿命を持つ妖怪にとって、退屈とは最大の苦痛なのである。元々出生率は低い為、食糧問題こそ起きなかったものの、いつまでたっても変わらぬ世界に嫌気が差して、それぞれの地方の妖怪たちが争うようになってしまったのだ。

 このままでは共倒れになってしまうと、再び各地方を統治している大妖怪が集まって話し合った結果、それぞれの地方が割り当てられた土地に結界を張って、他の地方との交友を一切絶ち、それぞれが妖怪たちを満足させる娯楽を提供するようになったらしい。

 その中でも濡れ羽姫は、外の世界とこの世界をつなぐ力を持っており、気が向いては近畿地方から人間をさらい、この世界で妖怪に襲わせる遊び、人間狩りを行っているのだ。

 この家族もまた、不幸な事に濡れ羽姫によって目を付けられ、高野山に向かう途中の道において、濡れ羽姫が放った霧によって連れて来られたらしい。

 それを聞いた人間の女とその家族は、あまりの怒りに一瞬、その怒りをどう対処すればいいのか悩んだほどである。

 そして一番初めに頭が動いたのは女、つまりその一家の母親であった。

「そんな理由で・・・・・・。許さない・・・・絶対に許さない!」

 女はそう呟くと護身用に車の中から持ってきた十特ナイフを取り出して構え、遥か上空の濡れ羽姫に向けて投げつける。

「濡れ羽姫様に手出しはさせん!」

 しかしそのナイフは簡単に止められてしまった。護衛と思われる鴉天狗が前に出て、手にした剣で軽々と弾いてしまったのだ。

「死ね!」

 そしてその鴉天狗は人間を遥かに超えた速さで飛んで女に襲い掛かる。

 しかしその剣は止められた。

「止めよ」

 止めたのは他でもない濡れ羽姫だ。愉快そうにニヤニヤと笑っては腹を抱えて次のように言った。

「面白い。人間の女よ、主の大切な人とやらの仇を打ちたいのか?」

「当たり前よ! 今すぐここで貴方の首を跳ね飛ばしてやりたいわ!」

 女は強気を維持している。あくまでも濡れ羽姫を殺すことが目的らしい。

 それを見て濡れ羽姫は更に深く笑った。

「ほっほっほっほっほ、面白い、まことに面白いぞ人間の女よ。しかしのう、妾を殺したとしても、確実にその後で妾の配下に殺されるぞ? そこにいる童たちも同様にな」

 濡れ羽姫は意地悪くそう言って、鳥のように鋭い目で女の後ろで脅えている少女と少年を見通す。

 童たちも一緒に殺される。その言葉を聞いた二人はガクガクと脅えながらも、強い意志が込められた声でこういった。

「お母さん、後のことはどうなってもいい。今はその外道を殺して・・・・・・」

「僕もだよお母さん。このままだと、殺される前に怒りでおかしくなっちゃうよ・・・・」

 二人の瞳に迷いはない。分かっているのだ、この場で濡れ羽姫を殺しても殺さなくても、結局自分たちは殺されてしまうことを。ならば少しでもいいから亡き父の仇を打ちたいのだ。

 その言葉を聞いた女、二人の母はにっこりと微笑み、二人を安心させる為の言葉を掛ける。

「大丈夫よ二人とも、あいつは絶対に殺すし、二人は絶対に殺させない。私の命に代えても二人を家に帰すわ」

 とは言いつつ、女には勝てる自信が無かった。先ほどの下端の鴉天狗の動きでさえ、女は付いていけるかどうか怪しいのだ。ましてやその首領たる濡れ羽姫がどれ程の力を持っているのかなど想像したくもない。

 しかし諦める理由などどこにも無い。女は近くに落ちている木の棒を拾うと構え、臨戦態勢に入った。その構えからして、女が素人ではない事を伺える。

「ほう、面白い女じゃのう。主は一体何者じゃ?」

「ただの母親よ。中学校の教師で、剣道四段のね」

 それを聞いて濡れ羽姫はこれまでで一番大きな声を上げて笑った。

「ほっほっほっほっほっほっほ! 面白い、面白すぎて腹がおかしくなりそうじゃ。よかろう人間よ、妾は主に一騎打ちを申し込むぞ?」

 濡れ羽姫は地上に降り、腰に挿した剣を抜き放った。

 それを見て配下の鴉天狗たちもあわてて降りていく。配下が主人よりも上にいる事など考えられないのである。

「一騎打ちですって? いいわ。貴方の遊びに付き合ってあげる。でも、その油断で首を落とさないように気をつけるのね?」

「ご苦労な心配じゃのう。ほれ、主も剣を使うとよい」

 と、濡れ羽姫は配下の鴉天狗の一匹に剣を抜かせ、それを女に渡した。

「ふ~ん。ずいぶんと親切なのね」

「な~に、力の差が有りすぎてはつまらないじゃろ? これも妾の戯れじゃ」

「その戯れで死になさい!」

 女は素早く切り掛かった。

 その動きは剣道四段の名に恥じぬほどの早さがあり、素人ならば目で追えないだろう。

 そう、素人ならば・・・・・・・・。

「つまらぬ、実につまらぬ存在じゃ・・・・・・」

 と、濡れ羽姫が呟いた時、女の両手は剣ごと消えていた。

「そんな、私の手がぁぁぁああああ!!」

 両腕を切り落とされた痛みに女はもがきつつも、必死で子供たちに逃げるよう叫びを上げる。

「和葉、優人、逃げなさい今すぐに!」

「そんなお母さん! 僕お母さんを放っていけないよ!」

「いいから言うとおりにしなさい! このままでは皆死んでしまうわ!」

 女の顔は既に大量出血によって真っ青である。自分に死が近付いている事を悟っているのだ。だからこそ愛するわが子を逃がそうとしているのである。

「大丈夫・・・・・・・・・、時間は私が稼ぐから・・・・・・・」

「でも~!」

「いいから行くわよ優人! お母さんの気持ちを無駄にしないで!」

 ぐずる少年の手を引いて、少女は走り出した。その顔は涙に濡れており、見る影も無い。

 少年もそれを見て悟ったのか、大粒の涙を流しつつも黙ってそれに従った。

「ほっほっほっほっほ。美しい、まことに美しい家族愛じゃのう。大体はここで助けを求めると言うのに、主は自らを殺してまでわが子を逃がそうとした。感動で涙が出そうじゃ」

 そうは言ったものの、濡れ羽姫の顔には一滴の涙も見えず、むしろ笑っているように見えた。

 女はおぼつかない足で何とか立ち上がると、口で剣を拾って構える。

「うるさい・・・・あの子達は・・・・私が守って見せるわ!」

「ほう、まだ戦うというのか? 面白い、その勇気に免じて一つ遊びをしようではないか?」

「遊び? そんなものより・・・・・ここを・・・・通すわけにはいかないわ・・・・・」

「まあ待て、主にとっても悪いことではないぞ? 簡単な話じゃ。これより我が配下の鴉天狗たちに主を殴らせる。主が死ぬまでの間耐えた分だけ、あの童たちを妾たちは追うのを止める。どうじゃ、面白い遊びじゃろう?」

 それは悪魔の取引であった。つまり女はこのまま出血多量で死ぬか、嬲り殺しにされるかのどちらかを選ばされているのだ。

 濡れ羽姫が約束を守るとは限らない。しかしそれでも女の答えは決まっていた。

「いいわ・・・・好きなだけ殴りなさい・・・・。百発でも耐えて・・・・・、あの子達を・・・・・生き残らせて見せるわ・・・・・・」

 女は口にした剣を捨て、千切れた腕を大の字に広げて地面に寝そべった。

「ほっほっほ。よろしい、望みどおりにしてくれる」 

 そして地獄のゲームが始まりを告げた。


 深く暗い森の中、少女と少年は必死に逃げていた。

 二人とも顔は元が分からぬほどにやつれ、全身には転んだせいなのか大量の擦り傷や切り傷が付いている。

 それでも二人が走ることを止めない。母が命を掛けてまで作ってくれた貴重な時間、それを無駄にするわけにはいかないのだ。

「うわぁぁ!」

 不意に少年が足を縺れさせて転んだ。

 少女は足を止めて少年に歩み寄り、肩を貸す。

「大丈夫、優人? 少し休む?」

「ううん、僕は大丈夫だから、逃げないと・・・・」

 とは言ったものの、少年は足を挫いていて満足に動けそうに無い。体力も既に限界のように見える。

「無理しないの、私はお姉ちゃんなんだからね、弟を背負う事ぐらい簡単だよ」

 そう言って少女は少年を背負うと、近くに落ちていた木の枝を拾って杖にし、ゆるゆると歩き始めた。

 少女も既に体力が限界に達しているのだ。それでも姉という使命感と、母から受け継いだ強い覚悟が少女を動かしているのである。

「はあ、はあ・・・・・。この程度でへたっていたら、天国のお父さんとお母さんに笑われるわ・・・・・・」

 殆ど感覚が無くなり、棒のようになった足を引きずるようにして少女は歩き続ける。

「姉ちゃん、僕歩けるから」

「でも、その足じゃ無理だよ」

「大丈夫、杖を持てば何とか歩けるさ。それにほら、姉ちゃんに背負ってもらうよりも、自分で歩いたほうが早く進めるよ」

 少年は強がるように近くに落ちていた木の枝を拾い、それを杖にして歩いてみせる。そして数歩進んでから振り返ってそう言った。

「ほんとだね。分かった、とりあえずどこか休めるところを捜そう」

「直ぐにでも教えてやるぞ、ガキが」

 それは傲慢と嫌味、悪意に満ちた声であった。

 そして少女はそのような声に聞き覚えがあった。いや、もう二度と聞きたくは無い仇の声である。

「鴉・・・・天狗・・・・・・」

 少女と少年の真上、直ぐ近くに二匹の鴉天狗がいた。

 一匹は長い日本刀を手にしていて、もう一匹は立派な弓を持っている。そしてそれらのもう一つの手には、持っていてはいけないはずの物があった。

「それ、お母さんの服・・・・・・」

 それは二人の母親の着ていた服の切れ端であった。元の色が分からなくなるほどに血に染まっているが、それでも少女には分かってしまったのである。

「そうだ、お前の母親はよくやったさ。たかだか人間の分際で、俺たちに九十九発も殴られて生きていたんだからな」

 と、鴉天狗のうち日本刀を手にしたほうがそう言った。

「まあしかし、所詮は人間。百発目でこの俺、田辺丸様がトドメを刺してやったがな」

 今度は弓を手にしたほうがそう言って、聞く者を不愉快にする笑い声を上げる。

 少年と少女、二人の怒りは限界に達していた。

「このバカ鳥どもめー! お父さんとお母さんを返せー!」

 少年は近くに落ちていた石を拾うと、弓を持っているほうの鴉天狗、田辺丸に投げつける。

「おっと、当たるものか!」

 田辺丸は軽く首を捻ってそれを避けると、今度は弓を構えて矢を引いて少年を射た。

「優人!」

 少女の悲鳴が響く。少年は右肩を射抜かれて直ぐ後ろの崖へと転落した。

「おいおいおい、もったいないだろう。せっかく濡れ羽姫様から、ガキどもを殺して来いって命令を受けたのに、これじゃちっとも楽しめないじゃないか」

「すまないな、もう一人のほうの人間はお前にやる。だから許せ下津丸」

「分かった、それで勘弁してやるよ!」

 刹那、日本刀を持ったほうの鴉天狗、下津丸は高速で飛行し、少女に切り掛かる。

「この野郎!」

 少女も手にしていた木の枝で応戦するが、相手は世界でもトップクラスの性能を持つ刀、日本刀である。木の枝ごときが適う筈も無い。

 たちまち木の枝は折れて、少女は着ていた服を切り裂かれた。

「へっへっへ、死ぬ前に良い事してやるよ」 

 最低な笑みを浮かべて下津丸は少女へと迫っていく。どうやら少女を殺す前に楽しむようである。

「いや、止めて・・・・」

 少女は必死で逃げようとするが、腰が抜けて上手く動けない。そうこうしている間にも、下津丸はどんどんと迫ってくる。

「おいおい、またか下津丸? お前も本当に好きだな」

「当たり前よ。俺は鴉天狗の女にもてないからな、こうして迷い込んできた人間の女を抱くのが何よりの楽しみなんだ。いいぜ人間の女は、俺たち鴉天狗よりも弱いから、幾らでも好きに出来る。どうだ田辺丸お前もしてみないか?」

「それもいいな。俺もたまには人間の女を抱いてみるか?」

 田辺丸までもがそう言って、少女を抱こうと迫ってくる。

(もうやだ、私どうなっちゃうんだろう。お父さん、お母さん・・・・・)

 全てを諦めて、少女が目を閉じようとしたその時、不意に鴉天狗二人の足が止まった。

「姉ちゃんに・・・・・手を出すな・・・・・・」

 見れば先ほど崖に落ちたはずの少年が、全身ボロボロになりながらも登ってきて、鴉天狗二人の足を掴んでいるのだ。

 鴉天狗たちは愉快そうに笑って少年の首元を掴み、持ち上げた。

「はっはっはっはっ、こいつは面白い! 死にぞこないの人間のガキに何が出来ると言うのだ?」

「まあそう言ってやるな、少しは気持ちを汲んでやれよ下津丸。その勇気に免じて一騎撃ちをしてやろうじゃないか」

 二人は笑って、少年から手を離し、一騎打ちとは名ばかりの壮絶なリンチを行い始めた。

「優人ぉ!」

 少女の絶叫が響くが、少年はそれに答える事も出来ないままに殴られ蹴られ、虫の息にされてしまった。

「優人、優人ぉ!」

 少女は慌てて駆け寄っていき少年を抱き上げる。

 うっすらとだが、少年はまだ息があった。

「ねえ、ちゃん・・・・・いきて・・・・・・・」

 それが少年の最後の言葉になった。少年は酷いリンチによって、幼い命を散らしたのだ。

「はっはっはっはっは! 少しやりすぎちまったかな~、田辺丸」

「そうだな下津丸、今度は簡単に死なないよう、気をつけよう」

 鴉天狗たちはゲラゲラと笑って、何も感じていないようである。二人にとって、少年を殺すことは人間が獣を殺すこと、狩と同じなのだろう。

 少女にはそれが許せなかった。

「おまえらぁぁああああ! 絶対に殺す!」

 少女は落ちていた木の枝を拾って二人に殴りかかった。

「図に乗るなよ人間! お前ごときが俺たち鴉天狗様に触れる事など許されないのだ!」

 下津丸はそう言って、懐から団扇を取り出して仰いだ。

 天狗の団扇、それは昔から何らかの力を持っていると言われている道具である。

 たちまち少女は突風に巻き込まれ、空高く消えていった。

「こら下津丸! 何しやがるんだ! これじゃもう楽しめないだろうが!」

「すまん田辺丸、一緒に探して、先に見つけて方が好きにしても良いという事にするから許してくれ」

 二匹の鴉天狗は言い争いながらも空を飛び、少女を捜し始めた。


 飛ばされた少女は暫く空を舞った後、高さ六メートルほどの小高い丘に激突して動かなくなっていた。

(うぅ・・・・ここまでかな? ごめんねお父さんお母さん優人・・・・・仇を討てなくて・・・・・・) 

 地面には落下しなかったものの、人間の身でありながら小高い丘の真横に直接激突したのだ。当然少女の全身の骨は折れ、指一本動かす事すら困難な状況である。

(ああヤバイ・・・・・。本当に意識が薄れてきた・・・・・。これが死ぬってことなんだな・・・・・・)

 などと思いつつ、こんなときに限って少女はどうでも良い事が気になり始めていた。

(なんだろここ? 丘みたいだけど殆ど土ばっかで雑草も碌に生えてない・・・・・。それにこの土、なんだか触ってる部分がヒリヒリしてきた・・・・・・)

 少女が激突した丘は不自然な点が多いのだ。

 丘の上だけでなく周囲数メートルに亘って草木は生えておらず、その土は毒気に当てられ湿っているようで、少女の肌や傷口が触れた部分をかぶれさせている。

 少女にはまるでその丘自体が妖怪であるように感じられたのだ。

(あ~あ、私って結局最後まで妖怪に殺されるんだ・・・・・・・)

 せめて最後ぐらい、妖怪とは関係が無い場所で死にたかった。少女がそう思ったとき、ふと丘の上の、あるものに気がついた。

(なにあれ、刀?)

 丘の頂上、丁度中心に当たる部分に、古びた日本刀が突き刺されているのだ。その日本刀は古びてはいるが丘の毒気に負けておらず、刀身に錆は見当たらない。

(・・・・・あれさえあれば、せめて鴉天狗たちに一矢報いれるかな・・・・・?)

 そう思った少女は、虫の息な体を必死に引きずって丘の上を目指す。

 途中でかぶれた皮膚や傷口が、毒気に当てられた土と擦れ合い激痛が走るが、それでも少女はめげずに頂上を目指して這いずり回った。

(よし、これで・・・・・・・)

 ほんの一メートル進むだけでも、少女は五分以上の時間が掛かってしまった。しかし何とか頂上にたどり着くと、そこに突き立てられている日本刀に手を伸ばす。

(せめて、鴉天狗たちに傷の一つでも付けてやる・・・・・・・・)

 そう思って日本刀に触れた時、少女の右手に激痛が走る。

(痛い! なにこれ、手が、手がぁ!)

 なんと日本刀は少女の手と一体化し、どんどんと取り込まれているのだ。

 そしてそれを取り込んでいる少女は、まるで全身が猛毒に犯されるような激痛に襲われている。

(な・・・なに・・・・これ・・・・・・)

 少しでも気を抜けば即ショック死しかねないほどの激痛、それでも少女は必死に耐える。

(これに耐え抜けば・・・・・あの鴉天狗たちを・・・・倒せる力が・・・、手に入るかも・・・・・・・)

 自分でもバカな考えだと思いながら、少女は耐え続けた。

 そして日本刀を全て吸収し終えた時点で、少女の体に異変が起こる。

(なんだろう? 体が軽い・・・・・・)

 少女はふと、体が羽のように軽く感じられた。

「なにこれ、凄い!」

 はっとして少女は立ち上がる。そして自分の体を見回して驚愕した。

「うそっ! 私、立ててる! 傷もないし、ヒリヒリもしない!」

 虫の息だったはずの少女は立つ事が出来たのだ。それどころか全身に余すところ無く付いていた傷も消え、皮膚のかぶれも感じないようになっている。 

 更にはこれまで感じたことが無いような力が、全身に行き渡っているようにも感じられたのだ。

「凄い、これならあの鴉天狗たちを倒せる!」

 少女は力強く手を握り、新たな決心を決めた。

 自分の家族を惨殺した鴉天狗と妖怪樹、それらの妖怪を殺して家族の仇を討ってみせる、という決心である。

「まっててね、お父さんお母さん優人。みんなの仇は私が討つから」

「ほう、面白い。誰が誰の仇を撃つんだって?」

 少女の直ぐ真上、そこには少女にとって最も憎むべき存在である相手がいた。


「鴉天狗!」

「そうだ。濡れ羽姫様の子分、下津丸と」

「田辺丸だ」

 二人の鴉天狗はそれぞれの得物を構えると、得意げにポーズを取って見せた。

 自分の家族を殺しておいて楽しそうにしているそんな態度が、少女には許すことが出来ない。

「お前らぁぁぁああああああ!! 楽に死ねると思うなよぉぉぉおおおおおおお!!」

 怒りに狂った少女は武器を出す事すら忘れて二匹の鴉天狗に飛び掛る。

 その際に少女は数メートルの距離を飛んで、空を飛んでいる鴉天狗たちに接近したのだ。

「うわっ! どうして人間が俺らに追いつけるんだよ田辺丸!」

「知るか、それより気を付けろよ下津丸! その女、ただの人間ではないようだぞ!」

 二人の鴉天狗は慌てて羽ばたいてその場から身を引いた。

 幾ら少女が高い距離を飛ぶことが出来るようになったとしても、空を飛ぶことが出来るわけではないのだ。目標を失えば後は、重力の法則にしたがって落ちるだけである。

「そんな! 私って飛べないのぉぉぉぉ!」

 そんな少女に向けて田辺丸は素早く矢を放つ。

 少女は咄嗟に右手を出してそれを防いだ。

「なにこれ凄い! 私の右手、矢が刺さらないよ!」

 そう、少女の右手はまるで鉄で出来ているかのように、矢を受け付けなかったのだ。

「クソッ! これでも喰らえ!」

 次いで下津丸が少女に切り掛かるが、剣士としての実力は大した事無いようで、少女にはそれが見切れてしまった。

「いただきぃ!」

 自然落下をしていく中で、少女は右手を翳して下津丸の日本刀を掴んでしまう。

 ここで考えて欲しい。片手で持っている物に、突如として数十キロの重さを持つ物体がぶら下がり、尚且つそれが数メートルの高さから落下したらどうなるのかを・・・・・。

「俺の刀がぁ!」

 下津丸は日本刀を支える事が出来ずに手放してしまった。

 少女は勢い良く落下したが、幸いな事に下は毒気によって湿った土であり、丁度いいクッションになってくれた。

 服は泥だらけになったが、その毒に対して耐性が出来ていた少女は大したダメージを受けてはいない。それどころか新しい武器まで手に入れてしまった。

「まだまだ! 勝負はここからだ!」

 少女は奪った日本刀を構え直すと、改めて二人の鴉天狗を睨みつける。

「うう、如何するよ田辺丸。あの女ヤバいぜ」

「そのぐらい分かってる。大人しく応援を呼ぶか?」

 二人の鴉天狗は完璧にビビっていた。人間が強いなどという状況は、これまで至った事が無いのだろう。二人の中には未知の存在への恐怖が出来ていたのだ。

 二人が撤退を考え始めたその時、突如として新たな力がその場を襲った。

『コノウラミハラサズニオクモノカァァァァァアアアアアアアアアア!!!!』

 それは大地そのものを引き裂くほどに野太く荒々しい声であった。

「なっ、なんだよこれ!」

「新手の妖怪か!」

 鴉天狗二人が驚き取り乱したその時、先ほど少女が激突した丘の中から、浅黒く深い毛に覆われた腕が現れて下津丸を握りつぶす。

「なんだよこれぇぇぇえええええ!」

 下津丸は絶叫し、必死に力を加えてもがくが、腕はビクリともしない。

 大木のように太く、深い毛に覆われた浅黒い腕の先には、鉄すら引き裂くような太い爪が生えていて、掴んだ獲物を離さないのだ。

「下津丸!」

「助けてくれぇぇぇぇええええええ!!!」

 そのまま絶叫と共に、下津丸は毒気に染まった丘の中へと引きずり込まれていった。

「なっ、なんなの一体・・・・・・」

 少女は腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。鴉天狗も確かに強いが絶対に勝てないとまでは思わない。だけどあれは別なのだ、人間を超えた力を得たはずの少女ですら、全く勝てる気がせず、もしも戦えば一瞬のうちにミンチにされてしまう。

 そう思わせるだけの力と存在感を、あれは腕一本で持っていたのだ。

「しっ、下津丸・・・・・・・」

 声を失った田辺丸が呟いた後に、辺りを襲ったのはおぞましい絶叫と咀嚼の音だった。

 血肉を直接喰らう音と、喰らわれる者の悲鳴。それが辺り一帯に地獄のハーモニーを奏でているのである。

 しかし少女にはそれが心地よい音色にも聞えた。自分の家族をなぶり殺した存在が、同じような苦痛を受けていると知って、少しだけ気分が晴れるように感じたのである。

「あぁ・・・下津丸・・・・・・」

 腕がぶち破った穴から現れた物、それは下津丸が履いていたと思われる高下駄だけであった。

「そんな、嘘だろ・・・・・・・」

 田辺丸が絶望すると同時に、その腕は全貌を見せる。

『ヨウカイハゼンインシネェェェェェエエエエエエエエエエエエエエ!!!』

 毒気に染まった丘を吹き飛ばすほどの絶叫を上げるそれは、鴉天狗などとは比べ物にならないほどの化け物であった。

 先ず目に入るのはそれの下半身。直径三メートル以上、長さにいたっては5メートル以上の大きさを誇る六本足の蜘蛛のように見える。足の先端にはそれの腕と同様に、鉄すら引き裂くような巨大な鍵爪が生えていて、鋭く地面を捉えている。

 その上半身もまた異常だった。一言で言えば鬼、そうとしか言えない姿をしている。

 下半身を合わせた全身長は六メートル以上で、腕同様に岩のようなゴツイ筋肉が浅黒い肌を一層際立たせて、その上は深い漆黒の毛に覆われている。

 それでいて、顔だけは絶世の美女のように美しく、三本の太い角が生えているのだから、それを一層恐ろしく見せていた。

『ウオォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!! ヨウカイドモガァァァァァアアアアアア!!! ユルサンゾォォォォォオオオオオオオ!!!!』

 それは全長四メートルを越す腕を振り上げて勇ましく吼えた。

「ぎゅっ、ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅっ、牛鬼!」

 田辺丸は恐怖の余り裏返った声でそう言って、腰を抜かして地面に墜落する。

 少女はそれを笑うことが出来ずに見ていた。

 目の前の存在は、笑うことすら出来なくなるほどの圧倒的な力を持っているのだ。

「ぎゅっ、牛鬼って、あの牛鬼!?」

 牛鬼という妖怪の存在は、あまり妖怪に詳しくない少女でも知っている。主に悪い意味でだが・・・・・・・。

 漫画やゲームなどでも度々ボスキャラとして登場する大妖怪であり、その知名度は鴉天狗に劣らず、日本妖怪の中でも土蜘蛛などと並んで最悪と言われている存在の一つだ。

 半端な知識を持っているが故に、少女は恐怖して動けなくなっていたのだ。

(無理、あんなの無理! どう考えても初心者の私が敵う相手じゃない! 何で始めからそんなラスボスクラスの妖怪が出てくるのよ!)

 少女は自分の不幸をとことん呪いながらも、生き延びる方法を考えていた。

「終わった・・・・・。ははは、俺の人生、終わった・・・・・・・・」

 田辺丸は完全に諦めて、廃人のように笑っている。

 その時異変が起きた。

「おーい! 田辺丸ー! あんまり遅いから心配して見に来たぞー!」

 その場に三人の鴉天狗と思われる妖怪が現れて、大声でそう叫んだのだ。

 しかしその三人も直ぐにここに来た事を後悔する事になる。

「なっ、ななななっ、何で牛鬼がいるんだよ!?」

「あいつは濡れ羽姫様に封印されたんじゃなかったのか!?」

「てか急いで逃げないと俺らもヤバくないか!?」

 三人の鴉天狗たちはそう言って、直ぐに取って返して逃げようとする。

「そんな三人ともぉぉおおおお! 置いてかないでくれぇぇえええええ!」

 田辺丸は絶叫するが三人は自分の命が大切なのか、全く耳を貸さずに一目散に飛び続ける。

 しかし牛鬼はそれを見逃さなかった。

『ニガスカァァァァァァアアアアアアアアア!!!』

 再び大地を震わせる声で叫ぶと、口から猛毒の息を吐いて三人の鴉天狗に吐きかけたのだ。

「あぁぁぁぁぁぁ!」

「助けてくれぇぇぇぇぇ!」

「痛い、痛いよぉぉぉぉぉ!」

 三人は絶叫と共に地に落ち、動かなくなった。それでもまだ命は残っているようである。

『マダオワランゾォォォォォオオオオオオオオ!!!』

 六本の蜘蛛の足を持つ牛鬼は、一瞬の内に地に落ちた三人の鴉天狗の上に移動すると、その場で徹底的に三人の鴉天狗を痛めつける。

 鉄をも引き裂くような爪を持つ足で何度も踏みつけ、大木のような腕で地面にクレーターが出来るまで殴り続けたのだ。

 そして鴉天狗たちが完璧なミンチとなって、もとの原型が消えたとき、牛鬼はその肉片を手にとって食らった。

『ウマイ! ヨウカイノニクハウマイ、サイコウダ!』

 そのグロテスクすぎる光景に少女は目を覆っていて、田辺丸は完璧に失神していた。

「・・・・・ははは、終わったな・・・・・・」

 少女は完全な終わりを悟り、あんな目にあうのならと、奪った日本刀を見つめて自殺すら考えるほどだった。

 しかし少女がそれを決心する前に牛鬼と目が合ってしまう。

『オッ、オマエハァァァァアアアアアアアアア!!!』

 そして牛鬼は急に苦しみ始めて頭を抱え、体を振り乱して暴れ始めた。

 しかしその被害は一向に少女には当たらない。

(なんだかよく分からないけど、今しかチャンスは無い!)

 そう思った少女は、すぐさま立ち上がって全力疾走し、深い森の中へと駆け込んだ。

 必死に必死に、とにかく少女は逃げ続けている。

「よしっ、あいつは追ってこない。今なら逃げきれる!」

 幸運な事に牛鬼は今だに苦しんでいて追ってくる気配が無い。その為、少女は悠々と逃げ切る事が出来そうだ。

 暫く走ってから、牛鬼が近くにいないことを確認すると一息ついて、少女はこれからの事を考える。

「私、これからどうしよう?」

 少女は完全な一人ぼっちなのである。




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