小姑娘へ送る
二人称形式の短編小説、且つ初投稿です。
小姑娘は、「シャオクーニャン」と読んでください。
今回、皆さんを代表して、李さんへのお別れの言葉を述べさせて頂くこととなりました志磨です。よろしくおねがいします。
さて、李さんがここ日本でお過ごしになられた2年間は如何なものだったでしょうか? 申し訳ない話、この2年間で私達が李さんに有益な、実りある何かを与えられたのか否かは正直なところ判断しかねます。しかし、李さんが我々、ことさら私に残した何かとは、深くこの脳裏に刻まれるに至ったことは間違いのない事実です。
たとえそれが卒業アルバムに残らないという結果であっても。
忘れもしない2年前のとある朝のホームルーム、先生に携われて私達の前に姿を現し、両手に原稿を携え行ったあなたの挨拶は、まだ日本語も覚束なく、かろうじて理解できる片言の語り口調がひどく印象的でした。そして何よりローマ字でルビを書き記し、訂正に訂正を重ねたであろうその原稿のあまりの汚さがより私達の心を打ち、その健気さがひたすらに愛おしかったことはいい思い出として今でも忘れることができません。
その日を境に、鬱屈の多い我々の日常に多大な変化が現れるようになりました。あなたが起こす一つ一つの行動・言動が我々には新鮮で笑顔をもたらすものでした。
そして我々と溶け込むうちにあなたの日本語はみるみる上達していき、その上達を見届ける過程で李さん以上に喜びを抱いていたであろう私達には、実は一種の親心に近い感情が、あなたに芽生えていたのかもしれません。
一方であなたには、自分の日本語の言い間違いを逐一気にしては、我々に手間をかけさせているのでは、とひどく気に病むことがたびたびあったことを私達は知っています。
しかし、それ以上にあなたには「分け隔てない優しい心」がここにいる誰よりも備わっていました。相手の苦悩に涙を流し、相手の歓喜で共に抱き合って分かち合える尊い存在でした。
当時内気で、誰ともまともに話す度胸のなかった私にすら他愛のないお話を、たとえ言い間違って後悔してしまおうと、構わずに持ちかけてきてくれたあの時のことからもそれはひどく伝わり、そういった振る舞いがどれほど私はもちろん皆の心を救ったのか数知れません。
李さんは、私達の前に現れたまさにその日、初めて私と会話を交わした時のことを覚えてらっしゃいますか? 尤も、会話といってもあなたがいつも持ちかけるような他愛のない質問に、私がそっけなく答えただけのほんの数秒の出来事でした。しかし私にはそれが非常に嬉しくてたまらなかったのです。先程も述べたように人とのコミュニケーションに難がある私に、席が近くであるというその理由だけで当たり前の如く話しかけてきてくれるということは今までにない経験でした。
そしてこの時を境に私の人生の歯車が今までにない稼働を行うようになってゆきました。
あなたは「日本が好きだ。日本のことをもっと学びたい。」とおっしゃっていましたが、私はあなたのことをもっと知りたく、延いてはあなたの母国である中国のことを学びたく中国語の学習を独学で勤しむようになったのです。尤も、これまでも中国語を学ぶ機会はあるにはあったのですが、それらはいずれも当時の私にとって義務的なことであり、ましてや自発的学習ともなると以ての外でした。
しかし、自分の部屋や市立図書館の片隅で励む中国語の学習の日々は、李さんと過ごす日々と同様に楽しいものとなってゆきました。一つの単語や一つの言い回しを覚えるたびに私はあなたに近づいてゆく感覚を覚え、それに酔いしれてはまた机に向かってを繰り返す、そんな日々を延々と続けるようになったのでした。
そのような充実すぎるまでの毎日を送る中、私はもとより、皆の心に衝撃をもたらす知らせがつい2ヶ月程前に届きました。それはあなたの中国への帰国という辛すぎるまでのタイムリミットでした。あなたからは短期留学と前々から伝えられていた故、無論いつかは来ると全員自覚していたことではありましたが、ずっとこのままあなたと過ごせる毎日を願い、無意識に目を背けていた現実でもあったのです。
しかし、唐突に私達の前に示されたこの事実とはいえ、何時までも目を背け続けるわけにもいかないのは全員承知のことでもありました。
これにより今回のお別れの会が催されるに至り、私のお別れの言葉での締めくくりと相成ったのですが、今私が述べているこの文面を完成させるまでの作業は非常に困難を要すものでした。それは筋金入りの感想文嫌いである私の、文章を考えねばならないという個人的なボキャブラリーの無さの問題ではなく、あなたに述べるべきさよならの言葉一つ一つを紡ぐ作業があまりにも辛すぎた故のことでした。
あなたが感受性豊かな人間であることは私のみならず、皆が認知していることです。述べる言葉が日本語だろうと中国語だろうと英語だろうと、またどれほど稚拙な言い回しであろうと真摯に受け取って頂けることは承知でした。しかしこのことが私の執筆作業に、より負荷を与えて止まなかったのです。
結果、仕上げるに至った今ですら、私が手に持ち、読み上げているこの文面が正しかったのか悩んでいる次第です。しかし、あなたが初めて私達の前に現れた2年前、私達の母国の言葉である日本語で、慣れないながら懸命に挨拶をしてくださったあの時の記憶が再び私の脳裏をよぎったその瞬間があったのです。その直後からおのずとペンを走らせていた私がこの紙に記していた言葉とは、約2年間独学を続けた中国語。そう、あなたの母国の言葉でした。
今思えば、私が文章を紡ぎだす苦労に苛まれているときでも、中国語以外の言葉を引っ張り出してさよならを述べるといった考えは、もはや選択肢として頭の中にはありませんでした。
当初私のこの独学は、誰にも話さないつもりでいました。しかし約1年半ほど前、偶然市立図書館でよりにもよってあなたと出くわし、中国語の学習を行っていたことがばれてしまいました。その際、動揺する私に反して、あなたはいつも通りの愛苦しい笑顔で、「志磨君の中国語を聞かせて」とただ述べたのです。そして焦ってしどろもどろにしゃべる私に対し、良きも悪きも正直なあなたは「発音をほんのちょっと以外は、すごく上手い」とお褒めの言葉をかけてくれました。
図らずも幸せなことに、その日からあなたは図書館で私を見かけては手とり足とり中国語の指南を行ってくださうようになりましたね。
このことからも、非常に聞き取り辛いでしょう私の挨拶ですが、この言葉が、思いが、あなたに通じていることを確信しております。
また、まわりの皆にはそれが通じていないであろうということの確信も踏まえた上で、締めくくりの言葉とさせて頂きます。
李さん。今まであなたのことが好きでした。あなたと過ごせた2年間は私にとって人生最大の宝であり、それ以外の何物でもございません。そしてあなたはもとより、あなたと私達を結びつけたこの御縁に、この上ない感謝の念を抱かずにはいられません。
しかしながら、今の私の言葉を、思いを母国に帰ってのち、忘れてしまって頂いても、それは構わないというのが私の所存です。いいえ、むしろ忘れて頂けた方があなたにとっても私にとっても幸いといえるでしょう。
しかし帰国後、本当にそれを忘れることができたとしても、どうか私達とここで過ごした2年間の日々だけは決して忘れずに大事に取っておいてください。そしてそれがいつでも鮮明な形で引き出せるように、心の奥底にしまって思い続けていてください。
この先どんなに辛いことがあっても、これだけは忘れないで。あなたを愛した私達がそばにいることを。ずっと。