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怪談六文札




第一章


1-1 妹すずの自死


 早朝、まだ寝ていた僕は父に起こされ、そして促され、パジャマのまま家の裏の林に向かった。

 父は昔から僕の一人称が気に入らなかった。

「なんとなくかっこいいから」——それが僕の答えだった。妹のすずも生前、よく笑いながら「変なお姉ちゃん」と僕をからかっていた。

 現場に近づくにつれ、妹のすずの惨状に僕の心がぐわんと揺れた。背の高いヒノキの側枝にロープをかけて、妹のすずは静かに絶命していたのだ。

 あと10メートル程まで近づいたところで、僕は足がすくみ、それ以上前へは進めなくなった。自死した妹のすずを目の当たりにしたくなかったためだ。そして、すずが言っていた、「死んでしまいたい」とか「消えて無くなってしまいたい」という言葉が頭の中で暫く僕の頭の中をぐるぐると回った。

 そうこうしているうちに警察官二名のうちの一人がすずの自殺現場を見て、「事件性なし」と叫んだ。僕と父は家へ戻った。そして通夜・葬儀の日程を決め、親戚に教えてもらった葬儀屋に電話で相談した。



1-2 札の存在


 その日、遺書が無いかとすずの部屋に残された自分と父で入った。遺書はなかったが、すずの愛用していたピンク色の長財布の中に、赤いペンで『論理は人を殺す』と書かれた5千円札が入っていたのを、僕は見つけた。父に渡すと、父は怒り始め、こう言った。

 「おい凛音りんね、お前が殺したんだぞ」僕は混乱した。

 「僕はすずに本当のことしか言ってないし、それ以上もそれ以下も何もしていない」

 そして父は言った。

 「・・・それと凛音。お前、その『僕』って一人称、せめて今はやめろ。耳障りだ」 父の声は怒りというより、疲れ切ったように震えていた。「女だろうが・・・すずが死んだんだぞ」

 「女が『僕』を使っちゃいけないっていう法律でもあるの!?僕は非日常が好きなんだよ」

 「そんな子供じみた理屈は今はいらない。だから、せめて今だけはやめてくれ」

 そして、そんな父とのやり取りの後、すずが使ったロープをすずが自死する前に発見するなどしていれば、たとえ少ない時間であってもすずを救えたのにともおぼろげながら思ったりした。


1-3 玲子に


 すずのお通夜の際、僕は同じ大学に通い、同じ研究室に所属する友人の玲子に例の5千円札の事を打ち明けた。火葬の際、遺体と一緒に燃やすんだ、とも話した。しかし、友人にその5千円札を見せようと妹すずの長財布を開けると、おかしなことに何も入って無かった。入れておいたはずの5千円札は足が生えたかのようにどこかへ忽然と消えていたのだ。

 「おかしいわ、確かに子の財布に入れたのに・・・」僕は玲子を前にしてそう言った。


1-4 忘れられる札


 その5千円札のことを知っている人間の記憶は、あっという間に日常の喧噪の中に埋もれ、そして静かに消えていったのだった。しかし、また僕らの前に現れるとは、誰も、ひとかけらも思っていなかった。ただ、その静けさは長くは続かなかった。



第二章


2-1 凛音りんねの問題

 すずが死んでしまった今、僕はあの時の自分の言葉を何度も反芻してしまう。

「死にたいなんて言うな。人間は一度きりしか生きられないんだ。もったいないだろうが」

「でも一緒に死のう。このままじゃ一家離散だよ」

 すずがそんなことを言うたびに、僕は、まくし立てるように言葉をぶつけた。

「人生は一回きりだ。もったいない。死なないで生きてさえいれば、きっとうつ病は、薬を続けて寛解して、道が開けて、良い人生を送れるはずだ。頑張るんだ。うつ病なんて心の風邪程度のものだ。きっと薬と安息が解決してくれる。他人をめったやたらに巻き込むな」

 そう、確かに凛音は、まくし立てるように、そして畳みかけるように、すずへ言葉の塊を投げつけていたのだ。


2-2 大学での問題


 凛音が通う大学は、都内の、ある普通の大学。凛音はその大学の理学部数学科に通っている、4年生だ。所属する富山研究室には休日以外毎日顔を出していた。

 

 すずが自死したという噂は数学科で広まっていた。噂の源は玲子だと凛音は疑ったが、口を割らない。それ以来玲子とは研究以外では疎遠になった。


 「沢山殺せば英雄だが、一人だけ殺したらタダの犯罪者だ。」

 富山教授と親しい中川教授にそんな嫌味を言われた事もあった。人が死ぬとはこんなにつらいことなんだ、と凛音は実感し痛感もした。しかし、それでも凛音は落ち込んだりすることはなかった。凛音は強かった。

 「先生は家族にうつ病の人が居たことないでしょ」と凛音は中川教授に食って掛かった。すると中川教授は、こう言った。

 「うるさい、つべこべ言うな。お前には単位やらないぞ」

 「先生みたいな人に単位を握られる人生なんて、ゴミですね

」凛音はそう応酬した。

 けれど、凛音が振りかざした強さは、ただの強がりにすぎなかった。 すずの死は、凛音の胸の奥で、まだ静かに疼き続けていた。



第三章


3-1 自殺未遂


 僕は最近、すずが死んでから父と性格の不一致というありきたりな理由で離婚した母が、自殺未遂をしたと風の便りで知った。締め切った風呂場で練炭を七輪で燃やしたらしい。そしてその現場を、最近できたらしい年下のイケメンの彼氏に直ぐに見つかり、病院に搬送されて、結果一命を取り止めたそうだ。

 それで僕は、例の札のことを思い出した。 あの札は──誰かがうつ病で死なない限り、僕や父の前には姿を見せない。 だから母の周りには、とうとう現れなかったのだろう。

 それにしても、母の自殺未遂はなぜ起きたのだろう。 年下の彼氏が暴力的だった──そんな話が、風の噂に混じって届いた。 噂というものは、時に必要以上の真実を連れてくる。 僕の彼氏は、イケメンではないが穏やかで優しい人だったので、僕は安心している。だからこそ、母の話が、どこか遠い世界の出来事のように思えた。まるで、別の近親者に起きた出来事のように。




第四章

 

4-1 父の発症


 すずが死んで数か月後のある秋の日、僕に父が言った。「死にたい」と。僕は父と暮らすマンションから一番近い場所にある精神病院に父を連れて行き、診察を受けさせた。結論から言うと、まだはっきりとは言えないが、この状態がある程度続けば、父はうつ病を発症したと言えると医者は僕と父に言った。それから一か月ごとに僕と父は病院に何回か通った。すると、うつ病の薬を処方されていたにも関わらず、父は── 僕と父が暮らすマンションの屋上から、静かに身を投げた。僕は父にも母に対してとった態度で臨んでいた。短絡的な態度をとることはどうしても自分でも止められなかった。

 通夜の前に行われた納棺式の際、棺桶の中には例の札が戻っていた。

 僕はその札をすずの遺品である長財布にしまった。しかし葬式が終わって、すずの使っていた財布の中を見ると例の札はまた消えていた。


4-2 父の死後


 父は葬式代以外何も財産を残して居なかった、というよりむしろ、数百万の借金が有った。僕は大学を中退し彼氏にも説明しパン工場で働き始めた。仕事先としてキャバクラも考えたし、Youtubeで顔出しでビキニ配信することも考えたが、それは自分らしく無いなと思い、止めた。


第五章


5-1 僕の終わり


 父の葬儀から程なくして、僕は彼氏にふられた。もっと好きな人が出来たというのがその理由だった。僕はそれに納得できず、毎日泣いて暮らす有様だった。勿論父の死もその涙の訳の一つだったが、好きな人にふられることは体が裂ける様な気持になったし、もっと言えば、やっと積み上げてきたものが、 誰かの手で一瞬で崩されるような気持ちにもなった。 僕は眠れない夜が続いた 。

 僕はネット上の匿名掲示板を使い、待ち合わせをして売人から一粒で幻覚が見えるなど頭がおかしくなる違法薬物を大量に手に入れた。そして何の迷いもなくアルコールで薬物を一気に飲み込んだ。

 絶命する直前、どこから現れたのか例の札を僕は無意識に利き手である右手に掴んでいた。

 そして僕は絶命した。



第六章


6-1 貞子

 葬儀が始まる前、凛音とすずの従妹である貞子が、参列者の前に立った。

「本日はお忙しい中、ありがとうございます。このあと告別式を終えましたら、火葬場へ向かいます」

 淡々とした声だった。昨夜の通夜から続く疲れが、その声の端々に滲んでいた。

 告別式が終わり、霊柩車が火葬場へ向かった。炉の前で最後の別れを済ませると、棺は静かに奥へ運ばれた。例の札も、凛音とともに炎の中へ消えていった。


6-2 論理は人を殺すか?


 それ以来、札は誰の前にも現れなかった。まるで、長い役目を終えたかのように。

 葬儀が終わったあと、貞子は親族から札の話を聞いた。

 “論理は人を殺す” と書かれた札。

 すず、父、凛音──三人の死に寄り添うように現れ、そして消えた札。


 6-3 希望


 貞子はふと、胸の奥にひっかかる疑問を覚えた。

 論理は、本当に人を殺すのだろうか。彼女はバッグからタブレットを取り出した。司法試験も理論上突破したと噂されるAIが入っている。

 画面を開き、問いを打ち込む。

──論理は、人を殺すのですか。

 少しの沈黙のあと、AIは答えた。

「鋭い質問だね。病気には薬が効くけれど、孤独には効かない。

 孤独の中で投げつけられた“正しさ”は、人を追い詰めることがある。

 しかし、本来の論理は、人を助けるためにあるんだよ」貞子は画面を見つめたまま、静かに息を吐いた。

 すずも、父も、凛音も──

 病気だけでなく、孤独の中で、誰にも届かない言葉に囲まれていたのだ。

 AIは続けた。

「寄り添いも、傾聴も、理解しようとする姿勢も、すべて論理の一部だよ。論理は、人を殺すためのものじゃない。人を助けるためのものなんだ」

貞子はタブレットに付けていたカバーをそっと閉じた。

 外では、火葬場の煙がゆっくりと空へ昇っていた。

 その煙の向こうに、ようやく静寂をたたえた空が広がっていた。


                                おわり






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