9 サラの事情
真っ暗な部屋、やたら寝心地の良いベッドの中でサラは目覚めた。
むくりと起き上がり、確か…辺境の地に昼頃に着いて、すごいものを見てしまった衝撃で意識が薄れて……それでこの時間まで眠ってしまっていたのか、と冷静に状況を整理する。
それにしても本当にすごかった。なに事も過ぎれば毒になるという良い見本だと、サラは自身に起こった衝撃体験をベッドの上で振り返る。
「―――っ、ここにはイケメンしかいないの!?」
真っ赤になった顔を押さえ、巨大なベッドの上を暗闇の中ゴロゴロとのたうち回るサラは完全なる不審者だ。しかしタイプの異なるイケメンを一気に何人も目にしてしまった興奮は中々収まらない。
一番のイケメンはやはり断トツでアーサーだが、ブラッドとかいう知的そうな男性もハリウッドスター顔負けに輝いていたし、同じ年頃に見えた男の子だってワンコ属性のような人懐っこさがありとても可愛かった。
というかあの場にいた全員がとにかく格好良くて眩しくてなんか良い匂いまで漂ってきて……色々と限界を迎えたサラは防衛本能が働き気絶した。本当に目が潰れるかと思った。しかし鼻血を噴く前にちゃんと気絶した自分が優秀過ぎる。
「ここは危険だわ……なるべく皆さんのお顔は見ないようにしなくちゃ。辺境伯様のお顔だってまだちょっとしかまともに見れないというのに…」
アーサーを初めて見た時の衝撃は今も胸に残っている。
魔法で操られたのか強制的に首を動かされると、一番初めに目に飛び込んできたのはアーサーの鍛え抜かれた身体で、騎士の制服(王宮で見掛けた騎士とは違う服だった)を纏っていたとしてもその逞しさはまったく隠し切れておらず、シャツを押し上げるように盛り上がった胸筋の素晴らしさにサラはこの時点で鼻血を噴きそうになった。
慌てて口元(というか鼻)を押さえ、腕や首の太さにうっとりしながら徐々にお顔へと視線を上げていくと―――
とんでもない「美」がそこにはあった。
王太子であるセインもさすが王族としか言いようがないほどの美しい顔立ちだったが、アーサーはそれとは異なる系統の美形だった。
セインを艶やかな正統系美人顔とするならば、アーサーは漢らしさの中にもしっかりと色気を漂わせたワイルドイケメンといったところか。
鮮やかな朱色の髪は清潔感のある短髪で、精悍なアーサーの雰囲気によく合っていたのだが、あまりにも綺麗な色だったので伸ばしても絶対に似合うだろうなぁと妄想が膨らんだ。
そして特筆すべきは紅玉のような強い輝きを放つ美しい瞳。透き通るような鮮やかな赤は最高品質の色とされる“ピジョンブラッド”を彷彿とさせ、最初は顔に宝石を貼り付けているのかと思ったほどだ。
「えぇ!?」
アーサーの顔を見たサラが発した第一声はこれ。
あまりに格好いい男性を前にして急激に頭に血が上った結果、鼻血が出そうになり慌てて鼻頭をきつく摘んだ右手を左手で隠す。
こんなキラキラした場所で、しかもすごく好みの男性の前で鼻血を噴くなんて絶対に出来ない!というかしたくない!!とサラは青褪める。
俯きながら「冷静になれ自分!」と必死に言い聞かせることに夢中になっていると、いつの間にかアーサーの妻に請われていたという訳だった。
「はぁ………。私があの美しい人の妻?とんでもないことになってしまったわね…。あ、それよりもまずは状況を確認しなくちゃ」
アーサーの整った顔を思い出せば何時間でも妄想に浸れそうだったが、命に関わる問題を後回しには出来ない。それにサラにはある危機が差し迫っていた。
ベッドから降りて大きな窓に近付きカーテンを開けると、運の良いことに大きな満月が夜空に光輝いている。
「良かった、月が出てる。こっちの月は眩しいくらい明るいからすごく助かるわ」
暗い室内は月光のおかげでどこに何があるのか分かるくらいには明るくなった。
近くにあった大きな机には書類が高く積まれており、執務机かなとあたりをつけたサラはうっかり崩してしまわないようにそっとその場を離れる。
次にこの部屋のドアを見つけたので手探りでドアノブを探すも、なぜかどこにも付いていない。
「えっ、これじゃあ中から出られないのでは…!?なぜ……?」
サラを監禁するためにアーサーが魔法でドアノブを取り除いたことなど知らないサラは、首を傾げつつも諦め悪くドアを何度もペタペタと触る。
「―――ん?」
ドア付近、足元に大きな袋があることに気が付いたサラは、ズルズルと窓の方まで袋を移動させると中身を物色し始めた。
「あ、やっぱり洋服だ。シャツとズボンばっかり…。下着も男物しかない……」
月明かりで確認した袋の中身はシャツとズボンのセットが五着分に男物の下着が数枚、ブーツが一足と斜めがけの鞄が一つ。
どうやら少年が着るようなサイズの服で、身体の大きなアーサーの服というわけではさそうだった。
一瞬迷ったが着替えなど持っていなかったサラは心の中で「すみません、お借りします。下着は貰います」と一言断ってからドレスを脱ぎ捨てシャツとズボンに着替えると、鞄の中にも上下一着ずつと下着を数枚入れる。脱いだドレスはクルクルと雑に丸めて袋にギュッと押し込んでおいた。
あとは小さくてもいいからタオルなんかも欲しいとキョロキョロと探したが、風呂場やトイレだと思われる部屋の扉は魔力を流せば自動で開く仕組みのようだったので、諦めて男物のパンツをハンカチ替わりにしようと追加で数枚鞄に入れる。
ピンヒールの靴を履いていたサラにとって、ブーツが手に入ったことは地味に嬉しい。少し大きかったが紐を縛れば問題なく履けた。
最後に、無理だろうなと思いつつ蛇口を捻ってみたが、やはり水は一滴も出て来なかった。
「そろそろ限界かも……。あとは何か―――」
キョロキョロと部屋を見回したサラはテーブルに一枚の紙を見つける。
「辺境伯様からだわ。えーっと、森へ魔物の討伐に向かわれたのね。……帰りは三日後?……その間この部屋には誰も来ないけれど置いてある魔道具はすべて好きに起動して構わない、…と」
読み終えた手紙を静かにテーブルへと戻したサラはおもわず天井を仰ぐ。
「三日もこの部屋に閉じ込められたら私は死んでしまうわ。その前に………もう限界、漏れそう!!」
そう、サラは尿意の限界を迎えていた。
見たことのない魔道具で溢れたこの部屋にあるトイレはさぞかし便利でハイテクなのだろう。興味は大いにあれど、サラにはそれらを使うことが出来ない。
「ここでも原始生活なのね…。仕方ないか、こんな豪華な部屋で漏らすわけにいかないし」
月明かりでなんとか見えた家具の材質や、ベッドシーツの極上の手触りから鑑みるにここはきっと辺境伯であるアーサーの部屋だ。間違っても漏らせない。
ほっぺをパンパンと叩き、気合いを入れたサラはバルコニーへと通じる扉に恐る恐る手をかけた。
ここから出れなかったら完全に詰んでしまうところだったので、鍵が開いてバルコニーに出れたことに心底ホッとする。
手すり越しに地上までを見下ろすと高さは十四・五メートルほどあり、「ビル五階分くらいの高さか…」と躊躇しかけつつも、次に壁を確認すると石のレンガが使用されており、平坦ではなく石の形由来の凹凸があることが月明かりで分かった。
「風もない。月明かりで手元もよく見える。これなら……行ける」
鞄を背負い直したサラは、手すりを掴みながら慎重にバルコニーの外側へと降り立った。命綱がないので絶対に失敗は出来ない。
次に手すりからゆっくり手を離すと近くの壁にペタッと張り付く。
ロープもなしにこれほどの高さから降りたことはなかったが、この城の壁は石造りのため掴みやすいし、ブーツのつま先も引っ掛かけることが出来たので、なんとか降りれそうだ。
サラは「いける、いける」と自らを鼓舞しながら指先とつま先に神経を集中させ、慎重に、時に大胆に、スルスルと五階の高さから降下して行った。
そして大した時間もかけずにサラは地上へと降り立つ。
「っ、はぁ、はぁ……!やった…、なんとか降りれた……!はぁ、はぁ、あ、誰か来る前に済ませないとっ」
サラは緊張と恐怖で汗だくだったが、震える身体を叱咤しヨロヨロと歩き出す。命綱なしで高所から降下する緊張が一気に溶けたことで忘れていた尿意を思い出し、草むらに飛び込みとりあえず用を足した。
綺麗そうな葉っぱを厳選してティッシュ替わりにした後は、濡れた地面を木の棒でザクザクしたり砂を掛けたりして誤魔化す。
よく見ればサラがティッシュ替わりにした手のひらサイズの葉っぱは抗菌作用がありミントのような香りのするミンティカ草だったので、消臭効果を期待して何枚か細かく千切ってばら撒いておいた。
誰が来るかも分からない屋外の草むらで用を足すなどうら若き乙女が何を考えているのかと正気を疑われるかもしれないが、この世界に生まれてからというものずっとこうして生きるしかなかったのでサラには何の躊躇いも抵抗もなかった。
―――だってこの世界は全然優しくない。
いくら世の中が優れた魔道具で溢れかえろうとも、サラにはそれを享受することが出来ない。
なぜなら―――サラは生まれながらに一切の魔力を持ち合わせていなかったからだ。
「世の中には身体から溢れるほどの魔力を持っている人がいるって聞いたことがあるけれど、漏れ出るほどの魔力があるのならちょっとくらい分けてほしいわ。どう考えても魔力なしの人間の方が異端なのだから」
暗闇の中、そう呟いたサラの水色の瞳から徐々に光が消えていく。
『きゃあああぁ!!!悪魔っ、悪魔よ!!!』
『なんてことをしてくれたんだ……お前が、お前が殺した!!!』
『ちがうよ!だってわたしは』
『これでなんとか誤魔化して―――』
『きゃあああ!!!お父様やめてぇ!!』
『もっと早く気付いていれば、悪魔と言えど処分出来たかもしれんっ……!』
『いいか!?殺されたくなければここから二度と出るんじゃないぞ!!!』
「―――っ、」
過去の記憶に囚われそうになったサラはハッとして首を振る。昔を思い出したところで良いことなんか一つもない。
「…………。はぁ。王宮の影?の人の話に釣られて家を出て来てしまったけれど、今思えばかなり軽率だったかしら。あの人もきっと心配しているだろうし」
そう独りごちると、サラはこれからどうしようかと周囲をキョロキョロと確認し、進むべき方角を決める。目の前には木々と低い草むら、そして左右にずっと伸びていて終わりの見えない城壁。
とりあえず自給自足出来るところをと考えて右手側、結構距離はありそうだったが遠くに森が見えたのでそちらへと歩き始める。こういう軍の施設が併設された場所は見回りがいるはずと考えたサラは、草むらと城壁の間を誰にも見つからないよう腰を低くして進む。
事情を誰にも話すことが出来ないサラは、アーサーが戻るまで一人で生き抜くことを決めて森を目指す。
三日のつもりが八日にも及んでしまったサラのグラハドールでのサバイバル生活はこうして幕を開けることとなった。
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