71 鴨がネギを背負ってやってくるらしい
「ん…?あれ………。もう朝……?」
カーテンのわずかな隙間から漏れ入る太陽の光がちょうど顔に当たり、ゆっくりと覚醒したサラは目を擦りながらベッドに起き上がる。
なんだかとても素晴らしくいい夢を見ていたような気がする。
とびっきり甘くて今までに感じたことのない多幸感に包まれた、ふわふわと身体が浮かび上がるようなそんな不思議な夢―――
「サラ、起きたのか。おはよう」
「っ!??へ、辺境伯様!!おおおおは、おはようございますっ!!?」
アーサーの声を聞いた瞬間に昨夜の出来事がすべて思い出され、サラは動揺のあまり目を合わせることも出来ずどもりまくりながらも、なんとかこうにか挨拶を返した。
しかし身体を起こしたアーサーがサラの顔にかかっていた前髪を優しく払うという攻撃を仕掛けてきたことで、またしてもサラの心臓は激しくドコドコ動き出してしまう。
「昨日はいつの間にかサラが気を失っていて驚いた。身体は大丈夫か?やはり俺の魔力の影響が出てしまったのだろうか…」
「はっ、はいっ、身体はなんともありませんっ。
えっと、昨日はすみませんでした…!あの、前世を含めて初めての口づけだったもので…興奮して、いえ、極度の緊張で限界を向かえたせいで気絶してしまったみたいで……魔力の影響とかではない、と思います」
「謝ることではない。だが…そうか。サラは初めてだったのか。……嫉妬に狂いサラの唇の柔らかさを知る男を殺さずに済んでよかった。
俺だけがサラに触れることが出来てとても嬉しい」
そう言うとアーサーは優しい力でサラを自身の方へと引き寄せ、顎に手を掛けると親指でサラの唇をスッと撫でる。
「〜〜〜〜っ!!?」
サラはバッとアーサーの手を振り払うと真っ赤になった顔を隠すように布団に潜り込んだ。頭の上でアーサーの笑い声が聞こえてくるので絶対にからかっている。
「辺境伯様だって初めてのくせになんでこんなに余裕なの!?」と、サラは布団の中で頭を抱えた。
本当は盛り上がった流れで一気に最後まで持ち込みたかったのに、現実はちょっと激しく口づけられただけで気絶してしまうというこの体たらく。
同じ初心者同士でも生まれ持った才能というかポテンシャルというか意気込みというか、とにかくアーサーとサラの間には精神面・技術面(?)でも明確な差があると今回判明してしまった。
「辺境伯様…。どうかお手柔らかに…」
情けなく懇願するだけで精一杯のサラにはアーサーと身体の関係を持つなんて夢のまた夢。どうかまだしばらくは清らかな夫婦生活を送らせてほしいと心から願う。
サラは「身体から堕とそう」なんて調子に乗って考えていた過去の自分をぶん殴ってやりたくなった。
「もちろんだ。愛しい妻を困らせるような真似はしない。少しずつ慣れていってくれればいい」
「うぅ……だからなんで童貞なのにそんなに余裕があるの!?」
サラの心からの疑問は幸いにも頭から被った布団のおかげでアーサーの耳には入らなかった。
「そうだ。サラ、一つ願いがあるのだが…」
「え……?なんですか?」
珍しいアーサーからのお願いに、サラもやっと布団からもそもそと顔を出す。
「名前を…俺を名前で呼んでくれないだろうか?」
「え?あっ、言われてみればそうですよね!結婚までしているのにずっと他人行儀な呼び方のままでした。
最初になんとお呼びすればいいのか悩んだ末結局称号で呼ばせて頂いたのですが、それがなんだかしっくりきちゃって。
少し照れくさいですがこれからは名前で呼ばせて頂きますね、……アーサー様」
「やっぱり照れますね!」とまたしても布団に半分顔を隠してしまうサラが可愛い過ぎて、アーサーの変なスイッチが押された。
「サラ…口づけても?」
「ぅえ!?い、今!?さっきお手柔らかにってお願いしたのに!?」
「すまない、一度だけ―――」
アーサーの寝起きでも美麗な顔がゆっくりと近づいてきたので、サラはおもわずギュッと目を瞑った―――のだが。
―――コンコン
「聖女様、辺境伯閣下、お目覚めでしょうか?」
レイラの控えめな声が扉越しに聞こえたことでサラとアーサーは唇が触れ合う一歩手前の距離で目を合わせる。
「残念、時間切れだ」
アーサーの言葉にホッのしたのも束の間、チュッと素早く口づけられ、サラは油断からの不意打ちになす術なく崩折れた。
「―――失礼致します。おはようございます、聖女様。昨夜はゆっくりお休みに……、?どうかなさいましたか?お顔が尋常ではなく赤いようですが…」
「もしかして体調が優れないのでは!?」
「大変!すぐに侍医をお呼びしましょう!」
「ひぃぃ!?待って下さい!!大丈夫です、少しのぼせただけですので!!」
アーサーの許可を得て入室してきたレイラとサーヤとアンジェリカはすぐにサラの様子がおかしいことに気がつき、見事な連携プレーでそれぞれが慌ただしく動き出す。優秀な侍女達の無せる技なのかもしれないが今はどうかそのスキルは発揮しないでもらいたい。医者を呼ばれて「旦那様に不意打ちでキスされて頭に血がのぼっただけです」なんて説明するのは恥ずかし過ぎる。
アーサーが後ろでクツクツと笑っている中、サラは必死に元気アピールをしてなんとか事なきを得たのだった。
「―――聖女様、実はお伝えしたいことがございまして…」
執拗に熱を測ったり問診を繰り返してサラの健康を確認した後、レイラ達は手早くサラの身支度を整え朝食の準備を終えると壁際に下がるかと思いきや、固い表情でこう切り出してきた。
「はい?」
「聖女様の父親を名乗る男から聖女様に『会いたい』という手紙が朝早く王宮に届いております。
どうなさいます?ビリビリに破って流しますか?それともお祓いして焚付ますか?」
「それにしてもその男、厚顔無恥にも程がありますわね」
「本当に。聖女様に対する仕打ちは一夜にして王国民すべてが知るところとなったというのに一体どの面下げて会い来るつもりだったのでしょう?図々しい!」
「えっと……皆様??」
レイラが言うには父親のケリーが王宮にいるサラに宛てて「会いたい」という手紙を出してきたらしい。
間違いなく生物学上の親ではあるので娘に会いたいと言ってきてもおかしくはないと思うのだが、なぜが侍女達三人の言動には棘がある。
「少し言いにくいのですが……グラハドール辺境伯様に娘を差し出すような親など碌なものではございません」
言いにくいといいつつ、醜い男に娘をあてがうような親がまともであるはずがないとレイラははっきりと言い切る。それがこの世界の常識なので仕方ないのかもしれないが、アーサー本人を前にしてよく言えるなとは思ってしまう。
レイラ達は悪い人ではないので、この世界におけるサラの考え方のほうがおかしいのだろう。現にアーサーはまったく気にしていなさそうに紅茶を飲んでいる。
「そうですわ。わたくし、実は聖女様と辺境伯様が出会われたあのパーティーに出席していたのです。
なんでも子爵様は聖女様を領地に監禁して虐待していたとか。万死に値する行為とはこのことですわ」
アンジェリカが美しい顔に青筋を立てて怒ってくれているが、サラの心境としては森小屋生活を概ね楽しんでいたので、監禁虐待かと言われれば首を傾げてしまうけれど、まさか本当のことを言うわけにはいかないのでここは同調しておく。
「聖女様…。そんな男に会うのはお辛いでしょう?こちらでお断りしておきますからご安心下さいませ」
サーヤもこちらを気遣うようにケリーを追い返すと言ってくれたが、しかしサラの心は決まっている。
「いえ、大丈夫ですよ!何の用があるのかは知りませんが、ちょうど言ってやりたいこともありますので会ってみようかと思います」
「まぁ…!…かしこまりました。ではそのように伝えて参ります。陛下とのお約束が昼ごろとお伺いしておりますので、その前に子爵様との面会時間をお取りしてもよろしいでしょうか?」
「はい!お願いします!」
「聖女様……、どうかご無理はなさらないで下さいね。何かございましたらわたくし共をお呼び下さい。すぐにお助けに参りますわ…!!」
「あ、はい。ありがとうございます?」
サラはただ、またとないこの絶好の機会にケリーに復讐してやろうと目論んでいるだけなのだが、どうやらレイラ達の目にはサラが無理をして父親と会おうとしているように映っているらしくかなり心配されてしまった。
しかしアーサーは正しくサラの心情を理解してくれているようで、「俺が直接手を下して地獄を見せるよりも、サラにとどめを刺された方が子爵には効果的だろう」と言ってくれた。さすが一番の理解者である旦那様だ。
俄然父親との面会が楽しみになってきたサラは、レイラ達が用意してくれた朝食をモリモリと頂いた。
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