64 祖父・ウィリアム
玄関前で繰り広げられている父と娘と、そして知らない女の戯れを目にしたマリアは、訳が分からないまま壁に手をつきフラフラと立ち上がった。
その時にふと、ハンドル部分までフローリングの床に深々と突き刺さっている果物ナイフが目に入り、「相変わらずの化け物だ」と憎々しげに目を細めてしまう。
しかし美琴を抱いたウィリアムがクルッと振り向いたことで、マリアは萎縮してまた俯いた。いつの間にか爪を噛んでいたようで親指のネイルが剥がれてしまっている。
―――パパを前にすると私はいつもこうなってしまう…。
マリアは父親の圧倒的存在感や正義感、自分にも他人にも我が子にも常に厳しくあろうとする厳格な性格などが物心ついた頃から大嫌いだった。
喧嘩の延長で友達をちょっと叩けば烈火のごとく叱られ、嘘をつけば光の早さで嘘がバレて懇々と説教され続ける。近所の店でお菓子を盗んだ時なんかは初めて顔を殴られた。当時はまだ子どもだったというのに本当に信じられない。
ハイスクールに通うようになって友人の彼氏を寝取った時はもっと悲惨で、友人が父に泣きついたのかなんなのかは知らないが「お前の腐った根性はいつまでたっても直らんな。一度バキバキに折ってから矯正するか」と意味不明なことを言われ、父が所属していた軍の訓練施設に入れられてしまったのだ。
アホみたいに鍛え抜かれた軍人達と同じ生活、訓練メニューを一週間“お試し”でやらされたのだが、この時に鬼畜な父親とは絶対に縁を切ってやると泣きながら決意した。
そしてなんとか父の目を盗み、すでに亡くなっていた母の故郷である日本へと逃げてきたのだった。
マリアは類稀な美貌を生かしてアメリカでは雑誌モデルとしてすでに活躍していたのだが、幸い日本でもいくつかモデルの仕事をしたことがあり事務所に籍を置いていたし、母が生きていた頃は毎年日本を訪れていたので日本語も問題なく話せて土地勘もある。日本で生きて行くことに心配や不安はなかった。
マリアは十九歳でウィリアムの元を離れてからは一度も連絡を取らず、ずっと音信不通状態だった。
もちろん結婚したことも出産したことだって伝えていない。なのになぜ、今このタイミングで父がこの場にいるのか。
マリアはゆっくりと顔を上げ、記憶の中の父親よりも肉体改造が進んでなぜか若々しくなっているウィリアムに恐る恐る問いかけた。
「パパ、…、なんで………ここにいるの…?」
「美琴がわしに手紙をくれたんだ。あいにくと二年ほど家を空けていたせいで気付くのが遅れてしまったがな」
「なんですって!?美琴が……!?」
マリアは視線だけで呪い殺せそうなほどの怨嗟が込められた目で娘を睨見つけた。なんて余計なことをしてくれたのかという怒りが湧いてくる。
しかしそんな身勝手な逆恨みは、絶対的庇護者であるウィリアムに遮られて美琴には届かなかった。
美琴は偶然アメリカの住所が書かれた書類を、母の部屋の掃除をしている最中に見つけた。
母からは両親の話を聞いたことがなかったのでてっきり二人とも亡くなっていると思っていたのだが、当時小学二年生の美琴は慣れない家事と不安と孤独に押しつぶされそうになっており、届かないかもしれないと分かっていても祖父母の家と思われる住所宛てに手紙を書いて送らずにいられなかった。季節の挨拶も文脈も無視して、ただ「助けてほしい、一人は寂しい」のだと書き殴った記憶がある。
手紙を出してからの数カ月はもしかしたら返事が来るかもと期待しながら待っていたのだが、それが半年、一年と月日が経つにつれ「やっぱり祖父母は亡くなっているのだな」と徐々に諦めるようになっていった。
でも、今日―――「迎えに来た」と言ってわざわざアメリカから祖父が会いに来てくれた。あの日に出した手紙はちゃんと届いていたのだ。
あまりの嬉しさに美琴の目からは涙が溢れる。
「―――マリア」
「…っ!」
「美琴はわしの子どもとして育てる。さっさと手続きをしろ」
「は、はぁ!?い、いきなりやってきて何言ってるのよ!!美琴は私の大切な子どもなのよ!!パパなんかに渡すわけないじゃない!!」
あまりにも理不尽なウィリアムの言葉に、マリアは恐怖も忘れて怒鳴りつける。そんなことをされたらイメージアップの戦略に使えなくなってしまうので、絶対に美琴を手放すことは出来ない。
「……本当に呆れた娘だ。それが愛情から来る言葉であればまだ一考の余地はあったが、お前のそれはただの自己保身だ」
「っ!!なによそれ!!いっつもいっつも訳の分からないことばっかり言って私のこと酷い目に合わせる!それが父親のすることなの!?」
「黙れ!!!」
「ひぃっ…!」
短気なマリアは一度怒りの導火線に火がつくと相手が誰だろうがお構いなしに苛立ちをぶつけて喚きたてる傾向にあるが、幼い頃から身に染み付いた恐怖心のせいで父親の一喝には敵わないらしく、か細い悲鳴をあげると借りてきた猫のように 大人しくなった。
「お前が美琴の腕をつかみナイフを突きつけている様子は佐々木さんに写真に収めてもらっておる。この写真を公開されて社会的に死んだ上で美琴を手放すか、今大人しく手放すか、どちらでも好きな方を選べ!」
「そ、そんな……」
自分に打てる手がないことを悟ったマリアはへなへなと力なくその場に崩折れた。
ニコニコと祖父が助けに来てくれたくだりを話すサラを、アーサーは微笑ましい気持ちで眺めている。
「サラがたまに寝言で呟く“おじいちゃん”とはその御仁のことだったんだな」
「えっ、私ったら寝言でそんなことを?いつまでもおじいちゃん離れが出来ない子どもみたいでちょっと恥ずかしいです…」
そうとは知らなかったサラは頬に手を当て顔を赤らめてしまう。重度のジジコンである自覚はあったが異世界に生まれ変わっても寝言で呟くなんてどれだけ好きなのか。
アーサーはそんなサラを優しい眼差しで見つめているが、前世のサラが絶対の信頼を置いていたという相手にわずかな嫉妬心も燻らせている。
前世も含めてサラの一番になりたいという欲が溢れて止まらなくなるが、それこそ子どものような態度だと自重して美琴の祖父について質問した。
「話を聞くに祖父君は相当身体を鍛えていたのだろうか?」
「ええ。祖父は若い頃アメリカの……えっと、外国の陸軍、その中でも一時期特殊部隊に所属していたそうです。機密性の高い組織なのであまり詳しい仕事内容は教えてもらえませんでしたが、そこで得た様々な知識を私に与えてくれたのです。
身近にある物で身を守る方法、無人島に流れ着いた時を想定して飲み水と食材確保の仕方、野生動物の習性・分布から始まり効率的な罠の作り方と動物別の捌き方、怪我をした時の応急処置、数種類の武器の扱い方、護身術、高所に取り残された時の脱出方法まで本当に幅広く………。
この知識があったからこそ私は三歳で森に放り出されても生き抜くことが出来たのです」
サラは遠い目をして、楽しくもあったが辛くしんどく苦しく泥汚い、祖父による容赦のないスパルタ教育を思い返していた。
強く生き残る術を教えてもらえたことには感謝しているが、十歳かそこいらの女の子に軍人レベルの基礎体力をつけさせるトレーニングメニューを課すのはいかがなものか。
身体を動かすことは嫌いではなかったが当時の美琴に本格的なトレーニングの経験はなく、慣れるまでは祖父考案の地獄の特訓メニューに毎回吐いてしまうほどに過酷だった。
「そうか、サラは祖父君のおかげで……。では祖父君は俺の恩人でもあるな。俺がサラと今こうして共にいられるのは祖父君がミコトに与えた知識があったからなのだから」
たとえ真実の眼や前世の記憶があったとしても、経験値や恐怖心だけはどうにもならなかったはずだ。
にも関わらずサラは危険なラナテスの森で自給自足のサバイバルをしたり、ハルベリーの領地では驚くことに三歳からたった一人で生活している。
このような芸当が出来たのはウィリアムに徹底的に鍛えてもらい、どんな状況でも生きていけるという自信と知識を与えてもらったからこそ。
アーサーはサラの遠い目には気付かず、いい感じに話をまとめている。決して間違いではないのだが華やかとは言い難い青春時代を送った「美琴」の心境としてはいささか複雑だった。
自分にも他人にも厳しい祖父は、当然孫にも容赦がなかったのだ。
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