61 神崎 美琴
まったく似合っていないランドセルを背負った美琴は、マンションの広々としたエントランススペースを通り抜ける際、目が合った顔見知りの女性コンシェルジュに笑顔で「ただいま!」と告げる。
「おかえりなさい、美琴ちゃん」と笑顔で返事を返してくれる三十代前半くらいの佐々木さんは、おっとりとした印象ながらもマンションの前で騒いでいた若者達を追い返したという強者だ。
優しくて頼もしい佐々木さんのことに対し、美琴は時々心の中で「お母さんってこんな感じなのかな」と考えたりする。
だって毎日「ただいま」と「おかえり」を言い合う関係は、本当の母親よりよっぽど親子らしいと言えるのではないだろうか。
笑顔を手を振り佐々木さんと別れた美琴は、ゆったりとしたエレベーターに乗り込むと最上階のボタンを押して壁にもたれ掛かった。
ふと顔を上げると、「毎日毎日時間をかけてあんな高いところに帰らなければならないこちらの身にもなってほしい」とため息をつく自分の姿がエレベーター内にある防犯モニターに映っているのが見える。
美琴は今小学四年生の十歳だ。母親はアメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、父親は日本人。なので二人の間に生まれたサラはクォーターということになる。
髪や目の色こそ黒いが目鼻立ちのハッキリとした顔はとても大人びており、加えてスラッとした長身に小学生には見えない抜群のスタイルをしているのでランドセルを背負った姿はコスプレにしか見えない。
美琴はモニターから目を離してもう一度ため息をついたところでエレベーターは最上階に到着した。
最上階に住む住人は元から少ないが、誰にも会いたくなかったサラは足早に自宅を目指し、鍵を開けると素早く中に滑り込む。
「昨日のテレビでお母さん見たよ」が今一番言われたくない言葉ナンバーワンな美琴にとって、お隣のおばさんに捕まって延々と母親の話を聞かされることは苦痛に他ならない。
学校でも友達に散々騒がれてうんざりしているというのに、プライベートエリアに帰って来てからも同じマンションの住人から母親の話など聞きたくなかった。
ランドセルを玄関に置いて電気をつけると、開け放たれた扉の奥にホームパーティーも余裕で開ける広々としたリビングが目に入ってくる。
室内はやや荒れているが今週はテストがあったので掃除をする暇などなかった。
「まあ、仕方がないよね。手が回らなかったわりにキレイな方だよ」と自らに甘めの判定を下した後、静まり返った空間が苦手な美琴はリビングにやってくると真っ先にテレビのリモコンへと手を伸ばす。
「げ………。最悪。料理研究家の次はコメンテーター?一体なに目指してるんだか」
サラは大型テレビに映し出された自分の母親のドアップ姿に顔をしかめるとすぐにチャンネルを変えた。
夕方の報道番組のコメンテーターなんて慣れない仕事に手を出したとしても、要領の良い母のことだから卒無くこなしてしまうのだろう。失言しろと願ったところで無駄というものだ。
今急成長中の食品会社社長である父の特集が組まれた番組が始まっても嫌なので、絶対に二人が出てこないであろう幼児向け番組にチャンネルを合わせてやっと一息つくことが出来た。
「あー…。そういえば家に何もないんだった…。ネットスーパー間に合うかなぁ……」
そう呟きつつも一度ソファに倒れ込んでしまった身体は中々動こうとはしない。
『神崎美琴は両親に恵まれた幸せ者』―――きっと誰もがそう思っているのだろう。
父の神崎彰は自身の父親が持つ会社を継いだ後、従来にない斬新な方法で自社を急成長させたやり手の実業家で、母のマリアはアメリカの高校を卒業後来日して芸能プロダクションに所属、それからずっと現役モデルとして活躍している。
こんな二人は仕事で運命的な出逢いを果たし、すぐさま交際、そしてお付き合いからわずか三ヶ月という短い期間を経て一人娘である美琴を出産した。
家事と子育ての傍らモデル業に就く多忙なマリアだが、会社の社長である夫を献身的に支えることにも手を抜かない。
彰の会社が何かの番組で取り上げられた時にマリアも妻として参加し、そんなことを謙遜を交えながら面白おかしくトークすれば、『あの美女は誰だ!?』という問い合わせがテレビ局に殺到。一躍時の人となったマリアは、今では単体の特集が組まれたりするほどの人気ぶりを見せている。
テレビの露出が増えてくると得意の料理を披露する場面もちらほら出て来て、やがてモデル兼料理研究家という情報量の多い経歴を名乗るようになり、勧められるがまま出版した『本気で忙しい私の時短レシピ』という料理本は大ヒット。
そして今は知的キャラを全面に押し出しニュース番組のコメンテーターも務めている、と。
「……なにが『家事と子育ての傍ら』よ。掃除洗濯料理にゴミ出し、家事という家事すべてを私に任せて出歩いてるくせに」
テレビに映る母親は全部虚像だった。子どもの面倒も見ないし料理も作らないし献身的に夫を支えてもいない。
もとからチヤホヤされるのが大好きな人だったようで、今は芸能界という華やかな世界に足を踏み入れたことで完全に家庭や美琴のことなど忘れ去っている。
しかし変に優秀なマリアはあらゆる隙を見逃さず、家政婦なんか雇えば完璧な母親のイメージが崩れるからと言って頑なに拒否し、美琴が毎日コンビニ弁当を買っていればご飯を作っていないことがバレると言い出しては学校帰りの寄り道を禁じた。
「家政婦も雇わない、お弁当も買っちゃだめ。じゃあ毎日の掃除やご飯はどうするの?」と聞くまでもなく、多忙のため滅多に帰って来ない両親の代わりに必然的にこれらはすべて美琴の仕事となる。
母親がアレでも父親がもう少しまともであれば美琴もちょっとは小学生らしくいられたかもしれない。
けれど父親は父親でしっかりとした人間のクズだった。
彰はマリアと交際中に子どもが出来てしまったから仕方なく結婚しただけであり(『運命を感じたからすぐに結婚した』と周囲には話しているが、本当はただの出来ちゃった結婚だ)、本心としてはまだまだまだまだ多種多様な美女達と遊びたかったようで、美琴の目の前で「俺は女と酒のために会社をここまで必死に大きくしたんだぞ!?なのに何で結婚なんかしなきゃいけないんだ!!」と酔って管を巻く見事なクズっぷりを見せている。
しかしこちらも外面は完璧なので一体何人愛人を囲っているのかは知らないが、週刊誌に一度もすっぱ抜かれることなく『愛妻家の敏腕社長』という仮面をお外ではしっかりと装着している。
二人が二人とも自己中心的な人間なので、子どもの世話など知ったことかと思っているのが丸わかりだ。その証拠に美琴はここ二カ月、母親とも父親とも顔を合わせていない。父親に至っては徐々に荷物が減っているので愛人の家に拠点を移したと推測しているくらいだ。
「はぁ………。みんなが言う『幸せ』って一体なんなんだろう…」
高級タワマンの最上階に住むこと?有名人の親を持つこと?使い切れないほどのお金を毎月与えられること?それとも親に口煩く叱られず自由気ままな一人暮らしを満喫出来ることなのだろうか。
「こんなの……全然幸せじゃない」
美琴の望む『幸せ』は、たぶんもっと窮屈でもっと不自由でもっと地味なもの。
この生活しか知らない美琴にとって具体的な幸せを想像することは難しかったが、自分の父親みたいに多情な男だけは死んでも選ばないということだけは固く決意している。
しかしこうやって現実を嘆いたところで美琴には他に行くところなどありはしないのだから、無気力になって色々と面倒になってしまい動かない身体に鞭打って立ち上がるしかないのだ。
二年前に出した手紙は誰にも届かなかったのだから―――
誰かに何かを期待しても無駄だということはすでに十分理解している。
美琴は適当に一週間分の食材をネットで注文した後、随分溜め込んでしまった洗濯物を先に回そうとノロノロと動き出した。疲れたら掃除はまた明日でいいと考えながら。
こんなどうでもいい日常がこれからもずっとずっと続いていくのだと思っていた。
しかしある時、両親のダブル不倫が週刊誌にスクープされたことをきっかけに美琴の運命は大きく変わり始める。
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