32 王都へ
「えっ、王都に行くんですか?」
ある日の朝、アーサーから告げられた言葉にサラはびっくりして食事の手を止める。
領地の森にいた頃に「一度は王都観光をしてみたいなぁ」と思ったこともあったが、やはり人の多い場所では魔力がないとバレるリスクは格段に高まるので、その気持ちはしょせん憧れだった。
しかしアーサーと一緒ならば王都観光も夢ではないのでは?とサラの瞳が輝き出す。
もちろん遊びで行くのではないと理解しているが、恋人達定番のデートスポット『虹色に光る噴水』くらいなら見に行けるのではと期待してしまう。
「ああ。セイン殿下に魔物のしおこうじ漬けの肉を送ったのだがいたく気に入られたようで、もっと持って来いという催促と詳しい経緯を直接聞きたいという旨が書かれた手紙が今朝届いた。手紙にはサラも共に来るよう記されている」
「あー…よそ様の領に流通する前に、一度王家に献上するって仰ってましたもんね」
サラ監修の塩麹作りはグラハドール城のメイン事業となりつつあった。
どれだけ臭かろうとどんなに硬かろうと、しばらく漬けておくだけでクソ不味い肉をあっという間に高級ステーキ肉に昇華させてしまうこの世界の塩麹もどきは、もはや塩麹の概念を越えた奇跡の液体と呼んでも過言ではない。作った本人も「なんでこうなったのかな?」と首を傾げるしかなかった。
この世界で出来た「塩麹」とサラが知る「塩麹」はまったくの別物と考えるべきで、まあ、プラスの作用が働いている分には問題ないので別物だろうと一向に構わないが。
あれから大量生産した塩麹漬けの魔物肉をまずは領内で販売してみようということになった。
最初は「魔物肉なんて…」と眉を顰める領民が多かったが、サラのアドバイスによる実演販売を行ったところ魔物肉は飛ぶように売れて行った。よくスーパーなどで見かける「ご試食いかがですか〜?」の、アレだ。
目の前でお肉の焼けるいい匂いが漂えば、人はついつい吸い寄せられてしまうというのは世界共通心理だったようだ。
今では毎日のように「しおこうじ漬け魔物肉を購入したい」という問い合わせが城に入るほどで、グラハドールの鉄壁の砦は肉の卸売店と化してしまっている。
塩麹の材料はラナテスの森でいくらでも採れるし、魔物肉だって捨てるほどあるのだから売れば売るほど儲けが出る。そのためアーサーは塩麹漬け魔物肉をグラハドールの名産にしようと考えた。
「まあ、セイン殿下の一番の目的はサラの様子を確認することだろうがな」
「私ですか?」
「ああ見えて意外と繊細なところがある人だから、サラをグラハドールに送り込んでしまった責任を一応は感じているんだろう」
「はぁ…?(仲人的な責任かな?)」
「どちらにせよサラを一人置いて行くわけにはいかないし、飛行車で行って殿下に挨拶したらすぐに帰って来ようと思う」
「分かりました」
アーサーが決めたことならばサラに否やはない。
すぐに帰ってしまうのは残念だが「せめてお土産くらいは買って帰れるかなぁ」とすぐに気持ちを切り替えた。
「それと、今回の王都行きではサラに護衛をつけることにした」
「えっ!?私に護衛なんていりますか?ずっと辺境伯様に張り付いているというのに」
「セイン殿下と内密な話があればサラと一時離れなければならないかもしれない。その時に一人にして何かあってはいけないからな」
「そう言われると…確かに慣れない場所で一人にされると不安かもしれません。でも誰に護衛を頼むんですか?皆さんお忙しいですよね?」
「サラの護衛任務だと言えば休日を返上してでも名乗りを上げる者達ばかりだろうな。余計な争いが生まれても面倒だから俺から指名しておいた。サラの護衛は―――」
***
「あれ、どうしたの?浮かない顔して」
地獄の訓練終わりにヴァンがベンチに座りながら水を飲んでいると、後ろから同期のケリーに声を掛けられた。
「…なんだ。ケリーか。ちょっと憂鬱なことがあってな」
「僕でよかったら話聞くよ?」
ケリーはベンチの背もたれをヒョイッと飛び越えヴァンの隣に腰掛ける。
ヴァンは同期の中でも明るいムードメーカーで暗い表情をしていることなど滅多にないのだが、常にない沈んだその様子に仲間思いのケリーはおもわず心配になってしまう。と言っても顔を見たわけではないので本当に暗い表情をしているかは分からないが、慣れてくれば全体の雰囲気でなんとなくそうかな?というは伝わってくる。高魔力者あるあるというやつだ。
「大したことじゃねーんだけど…来週閣下が王都に行く際の奥様の護衛に選ばれたんだ。いや、護衛というより逃走防止の監視係なのかもしれないな」
「えっ!?すごいじゃないか!いいなぁ〜!!奥様って今すごい人気なんだよ。女神様なんて呼ばれてて―――」
「くだらない。あの人は向こう側の人間だ。俺達なんかの機嫌取りをして何を企んでるんだか」
「ヴァン…」
ヴァンはサラが監禁されている間一度も気に掛けず行方不明にさせてしまったことを本気で反省したし、無事に見つかった時は心から安堵した。
一度逃げられたことでアーサーは監視の手を緩めることはないだろうからもう二度と会うことはないと思うが、憐れなサラの存在を忘れないようにしようと心に誓ったのも本当だ。
これで終わればよかったのだが城に戻って来てからのサラは急に「魔物肉を美味しく食べれるようにしたい」と言い出し、解体場にいる騎士達を巻き込んで何やら意味の分からないことをやり始めた。
ラナテス森林にある植物を使って魔物肉を柔らかくする?臭いを消す?本当に意味が分からなかった。
というか生涯監禁する話はどこにいったのか。毎日のようにアーサーに縦抱っこされ城中を我が物顔で闊歩するサラを見かけるのだが。
確かにサラが考案した方法で調理した魔物肉は、以前ジャックが加工した物とは比べものにならないほど美味しかった。後から出てきた「しおこうじ漬け」の魔物肉は頬がとろけ落ちるかと思ったほどだ。
こうして見るとサラの功績は大きいのかもしれないが、しょせんはお貴族様の気まぐれの施しに過ぎない。
ヴァンは醜い者達にちやほやされていい気になってお姫様を気取っているサラが、次第に鬱陶しく思うようになっていった。
―――内心では俺達のことを醜い化物だと見下しているくせに。
どれだけ周りに良い顔をしようがサラの本質は差別する側の人間であり、高魔力者に対し平気で「目が潰れる」と暴言の吐ける性格の悪い女だ。
何人かはサラの気さくな態度に心酔している者達がいるようだがヴァンは絶対に騙されたりしない。
女とは生まれ持っての役者であり、蛇口を捻るように涙腺を調整することなんざ朝飯前。ましてや人の優しさに飢えた高魔力者を意のままに転がすことなんて、赤子の手をひねるより簡単なことだろう。
世界一醜いアーサーにまで笑顔を向けることが出来るのだから彼女の役者魂は本物だ。
しかし一度脱走を図っていることを鑑みるに、あの微笑みはアーサーを油断させるための作戦なのだろうとヴァンは踏んでいる。
『なんで私の子どもがこんなに醜いの…?目が潰れそうだわ…、あぁ、こっちに顔を向けないでよ!!っ、こっち見るなって言ってるだろうが!!』
「っ……」
サラが心の中で何を思っていようが本心を一生隠し通しその生涯を醜い男の側で終えたならば、ヴァンはその時初めてサラを認めることが出来るだろう。
でもきっとそんな未来はやってこない。
女とは平気で男を騙し、いかに自分に貢がせるか考えることしか能のない生き物なのだから。
「そっか…。嫌なら代わってあげたいけどアーサー様直々のご指名じゃあそういうわけにもいかないよね」
「分かってる。仕事なんだ、ちゃんとやるさ。ケリー、話を聞いてくれてありがとな。護衛任務の準備もあるし、もう行くわ」
愚痴を零したことで少しはすっきりしたのか、ヴァンは先ほどよりも明るい声でケリーに礼を伝えると城の方へと走り去って行った。ケリーはヒラヒラと手を振ってヴァンを見送る。
ケリーはヴァンの生い立ちを聞いていたので彼が今何を思って顔を曇らせていたのかは、なんとなく想像がついていた。
「ヴァン…。たぶん奥様は君が思っているような人じゃないよ」
実はケリーは行方不明だったサラが発見された時、先輩騎士と西門の警備に就いていた。
城中がピリピリとしている中、重要参考人として捕えろと通達が出ていた銀髪の少年を発見したのでケリーは迷わずロープで拘束したのだ。
「逃がしてなるものか」と必死で押さえつけていたので、後からその正体がサラ本人であると知った時は心底肝が冷えた。
「この少年が閣下の奥様の行方を知る人物、もしくは誘拐犯かもしれない」と、犯人確保のように手荒く扱ってしまったからだ。
のちにケリーは罵詈雑言をぶつけられる覚悟でアーサーに抱っこされて移動中だったサラに謝罪したことがある。
『あの時は本当にすみませんでした!!乱暴に扱ってしまい…痛かったですよね…』
『ああ、あの時門に立たれていた騎士様!え?あれくらい全然痛くなかったですよ。だから気にしないで下さいね』
あの時の言葉はケリーに気を遣って嘘をついたわけでも何でもなく、本心からの言葉に聞こえた。
乱暴に手をひねり上げられ後ろ手にロープを縛られたというのに。
砂利の上に正座させられ頭を押さえつけられたというに。
サラは「あんなの痛くなかった」と笑う。
―――きっと奥様もこちら側の人間だと思うよ。
ケリーは謝罪して許された時からサラのファンなので、こんな自分がいくら説得したところでヴァンの心には何一つ響かないだろうなと溜め息をつく。
「今回の護衛任務でヴァンにも奥様の良さが分かるといいんだけどなぁ」
ポツリと呟いたケリーの言葉は誰もいない訓練場ではやけに大きく聞こえた。