31 束の間の平穏
サラがグラハドールにやって来てから早くも三ヶ月が経とうとしていた。
ハルベリーの領地ではまだまだ残暑が厳しい季節だが、ここはもう朝晩は肌寒く感じるくらい涼しく、今やすっかりサラの定番アイテムとなったフード付きマントが手放せない。
アーサーは「俺が幼少の頃使っていた物ではなく新しいマントを買おう」と言ってくれたがサラは断固拒否している。今ではこんなに身体の大きなアーサーにも、サラが使ってぴったりなサイズのマントを羽織っている時期があったんだな(当たり前だが)と思えば、お古のマントにも愛着が湧いてくるというもの。
まあ、さすが辺境伯子息が身に付ける衣服というか、単に物がよかったので「まだまだ使える」というもったいない精神から使い倒す気でいるだけだったが。
そんなことを考えながら会議終わりのアーサーに縦抱っこされ中庭に面した渡り廊下を歩いていると、顔見知りになった騎士達に話し掛けられた。
「あっ!サラ様!この前は穴の空いた靴下を修繕して下さりありがとうございました!」
「俺も!ほつれたシャツのボタンを付け直してもらえて助かりました!」
「今は俺達のためにマフラーを編んで下さっているとか!オレ、楽しみにしてます!!」
「い、いえ…」
サラはフードを深く被ってアーサーの首にしがみつく。いつも恥ずかしいことを声を大にして言ってくるのはこいつらだ。サラはしっかりと要注意三人組の声を覚えていた。
「そうそう、調理場のやつらも驚いていましたよ!野菜の皮って食べれんだなぁって」
「大根の皮とにんじんの皮のきんぴらふう?でしたっけ?あれすっごく美味しかったです!!」
「俺はオレンジの皮が掃除に使えるって聞いて驚いたなぁ〜!!」
サラはフードの中で顔を真っ赤にして俯く。だからこの三人組はとにかく声が大きいのだ。
「ゴミにまで手を伸ばされるなんてさすが吝嗇家の鏡であるサラ様ですね!!」
「いや〜本来は捨てるはずの物にも価値を見出すなんて我々とは目の付け所が違います!!」
「閣下の奥様という何でも手に入れることが出来る地位にありながら平民出身の俺よりも貧乏性だなんて尊敬しかないです!!」
「っ、ですから皆様のそれは悪口ですよね!?」
サラはアーサーのために何か出来ることはないかと考えた上での行動だったというのに吝嗇家だの貧乏性だのひどい言われようだ。
以前アーサーに抱っこされながら城を歩いていた時、衣類が大量に入ったカゴを見かけたので「あれは何か」と尋ねたところ、着れなくなった捨てる服が入っていると言われたので中を見せてもらえば、ちょっと穴が空いただけの靴下や、ボタンが一つだけ取れそうになっているシャツ、ほんの小さなシミがついただけのタオルに、見たところ何の問題もなさそうなズボンなどがゴロゴロ出てきた。
アーサーに詳しい話を聞くと、この城には不器用な人間しかおらず、誰もこれらを修繕出来ないので捨てるしかないと言う。
どこかに寄付しないのかと問えば、鍛え抜かれた騎士達が身に纏う服はサイズが大きすぎて孤児院の子ども達は着れないし、その前に自分達が着ていた服など敬遠されてしまうと言う。
サラにはその気持ちが大いに理解出来たので深く頷いておいた。
推しの私物を合法的に手に入れることが出来るイベントが開催されればどれほど苛烈な闘いが繰り広げられるか分かったものではない。
メスの狩猟本能丸出しで血で血を洗う醜いバトルを憧れの人に見せるくらいならば最初から出品して欲しくないと考えるのは至極当然のこと。
サラだってアーサーの脱ぎたてのシャツが貰えるとなれば獲得に向けて本気を出すと思う。しかし脱ぎたてのシャツをゲットするために本気を出している姿をアーサーには見られたくない。敬遠されるというのはきっとこういう事なのだろう。
よって、ただ捨てるだけのまだまだ着れそうな服の修繕をサラが買って出ることにしたのだ。幸い手先は器用なのでボタンを付け替えるくらいなら一分もかからない。
このことはアーサーや騎士達にたいそう喜ばれた。
今まで勿体ないとは思いつつもどうすることも出来なかった上、ガサツな人間が多いので服をすぐに着れなくしてしまい経費ばかりが嵩むという負のスパイラルをサラの家庭科力が断ち切ってくれたのだから。修繕して使えるのならばそれに越したことはない。
これに気を良くしたサラは「他にも無駄があるのでは!?」と調理場に顔を出しては節約レシピを披露したり、ジャガイモやオレンジやレモンの皮を使った掃除方法を伝授したりもした。
しかし生ゴミを自家製肥料にするべくコンポストまで作ってしまったのはやり過ぎだったかもしれない。
その結果、「暴食の女神」の他に「ゴミまで利用して節約する素晴らしい吝嗇家」という不名誉過ぎる呼ばれ方が増えてしまった。頭に「素晴らしい」と付けたからって言っていることはケチと一緒だ。
「っ、辺境伯様!!私ってケチじゃないですよね!?」
「?もちろんだ。サラは城のために色々と考えて節約してくれているのだろう?いつも感謝している。
一つあるとすれば少しは辺境伯夫人としての予算を遣って欲しいということだな」
「えぇー?ですが社交もないのにドレスやアクセサリーを買い漁っても仕方ないですよね?そもそも一人じゃ着れませんし」
「それもそうだが。しかし欲しい物があれば何でも言ってくれ。サラのためならば国だって落としてみせよう」
「辺境伯様が言うと洒落にならないんですよ」
抱っこされたサラがアーサーの耳元でこしょこしょと話す様子は今や見慣れた光景となっており、その微笑ましいやり取りを見た声の大きなうるさい騎士三人組は「お邪魔しました〜!!!」と言ってニヤニヤしながら立ち去って行った。
「でも今ならドレスも似合うかもしれないなぁ〜。この三ヶ月、栄養と睡眠をたっぷり貪ったおかげで体重も標準くらいには増えましたし、肌艶も良くなった気がします!どうですか?出会った頃よりちょっとは可愛くなりましたか?なーんて……」
「サラは出会った時から美しかったが?」
「!?」
「確かに少し頬がふっくらとしてより魅力が増しているな。しかし透き通った湖面を思わせる水色の瞳だけは出会った時と変わらない。儚く揺らめいたかと思えば強い意志を持ってアクアマリンのように光り輝く。その瞳に一生俺だけを映して欲しいと願うほどに美しい」
「へ、辺境伯様…」
そう言ってサラを見つめるアーサーの瞳の方が真っ赤なルビーのように熱くキラキラと輝いている。
―――こ、これはいわゆるキスのチャンスでは…!?
サラはこの三ヶ月でアーサーの奥ゆかしさを嫌というほど理解していた。普段もこうして抱っこで移動し常に密着、夜も一つのベッドで共に寝ているのいうのにまっったくそういう雰囲気になったことがない。
今時の幼稚園児でもファーストキスくらいは済ませているのでは?とやさぐれた時期もあったが、サラに魅力を感じていないから手を出さないという訳ではなさそうなので、今では「こうなったら押せる時にガンガン押して行くしかない!」という結論に至っている。
「女は度胸!」とサラがアーサーの肩に手を置こうとした時―――
「閣下、サラ様!」
「っ!あ、ジャック様」
振り向くと訓練場から出てきたジャックがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
声を掛けてもらえなければこんな城の往来でアーサーに襲いかかる痴女に成り下がるところだったと、我に返ったサラは心の中で手を合わせてジャックに感謝の祈りを捧げる。
ジャックの足は棘を取り出した後、激的に状態が改善されていた。最初は感覚が掴めなかったようで多少のぎこちなさは残っていたが、持ち前の運動神経ですぐに以前の動きを取り戻した今では、全速力で走れるようになるまで回復している。
「訓練に参加されてたんですか?お疲れ様です!」
「はい!一週間前から訓練を始めたのですがブラッドさんがほんと容赦なくて…まだ参加するのは早かったかなぁって後悔してます」
口ではしんどいとボヤいているが話し方やフードの隙間から見える表情で、ジャックの生き生きとした前向きさが窺える。
「違和感はまだ少し残っているという設定なんだからあまりはしゃぐなよ」
「はーい、分かってます。じゃあ、俺はこれで失礼します!」
ジャックはニコッと笑って一礼すると食堂の方へと走って行った。
治癒魔法でも治らない怪我は諦めるしかない―――そんな魔法の常識をジャックが塗り替えてしまったことで城の中は一時騒然となったが、本当のことは話せないので「朝起きたら急に調子が良くなった」などと言って言葉を濁していたら、いつの間にかジャックの自然治癒力が爆上がりして足が治ったということで落ち着いていた。
ジャックは念願だった騎士に復帰出来たし、経費削減も順調だし、変な異名だけは頂けないが概ね平和そのものだ。
サラはポカポカと気持ちの良い太陽の光を浴びながら、アーサーの腕の中で「んー!」と伸びをした。
この時のサラは平和な日常が呆気なく終わりを迎えることなど、もちろん何も知らない。
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