30 手術
カモミールのような見た目をした鎮痛効果のある植物・カミール草は、根っこに痛みを遮断する成分が含まれており、根だけをよく洗い乾かしてからすり潰すのだが、これらの作業を行う際はゴム手袋などをして素手で触らないようにしなければならず、当たり前にそんなものはここにはないので結局すべて魔法の力でやってもらことにして、サラは横から口を出すだけというお手軽さで局所麻酔液は一瞬にして完成した。
「これが麻酔か」
「はい。足に満面なく塗ってから拭き取ると徐々に感覚がなくなると思うので、五分後に抓ったり叩いたりしても痛みを感じなければ手術を始めて下さい」
「植物の根っこにこんな作用があるなんて不思議だなぁ」
ジャックは出来上がった少しとろみのある液体を不思議そうな顔で眺めている。
森へと採集に出掛けた翌日の朝早く、アーサーとサラは手術を行うためジャックの部屋へと赴いていた。
サラが「手術はなるべく清潔な場所で行いたい」と言えばアーサーが部屋中にクリーンの魔法を掛けてくれた。血が出るのでベッドが汚れても大丈夫か確認すると、それもクリーンで綺麗に出来るから問題ないと言われ、サラは「クリーン魔法って実は一番最強なのでは?」と思ってしまった。
「この辺りを真っ直ぐ切ってもらえば棘が出てくると思います。ただ棘と周りのお肉は癒着していると思うので取り出すのに時間がかかるかもしれませんね」
サラはジャックの足を鑑定して棘の位置を確認すると、抗菌作用のあるミンティカ草を絞って出来た汁で切開する場所に印をつける。
「その点は問題ない。常に治癒魔法を掛けながら棘を取り除くから遠慮なく癒着した肉を切り離すつもりだ」
「なるほど。それなら思いっ切りやっても大丈夫そうですね」
アーサーの治癒魔法の腕の高さはサラ自らが立証済みだ。誓約を解除してもらったあの時は治癒魔法が万能ではないと知らなかったので「なんとかなるだろう」という軽い気持ちで秘密を打ち明けたが、あれはアーサーでなければサラは絶対に死んでいただろう。
「やっぱり二人の出会いは運命だったのかなぁ」と一人過去を振り返ってはニマニマしてしまう。
「―――サラ様って」
「っ。はい?」
ジャックが声を駆けて来たのでサラはニマニマ顔を引っ込めてすぐさま真面目な顔を作る。フードで顔を隠しているとはいえ、これから手術を控えナイーブな気持ちになっている患者さんの前でする顔ではなかったとサラはちょっと反省した。
「サラ様って、だいぶ変わってますよね?」
「えっ……、そうですか?」
「そうですよ!だってこれから血なまぐさいことをやろうっていうのに、ずっと冷静だし怖がる素振りすら見せない。しかも手術に同席するって言うし…普通の貴族女性なら卒倒してますって」
「同席すると言っても私が手術するわけじゃありませんし、実際に血が流れる場面を見るわけでもないので別に怖くはないですよ?」
「当たり前だ。サラの情操教育に悪いものは見せられん。もう衝立の向こうで待っているように」
「情操教育って…」
アーサーに座って待っているように促されたサラは渋々衝立の向こう側へと回り込む。
サラを長時間一人にはしたくないが血なまぐさい現場も見せたくないと葛藤したアーサーは、部屋に衝立を置いてサラからは見えないようにした上で手術を行うことを決めた。
それにサラには術後、棘が完全に抜けているか確認してもらわなければならないのでこうすることが一番合理的だという判断に至った。
「―――では始めるぞ」
「お願いしまーす」
サラには衝立の向こう側、アーサーとジャックのゆるいやり取りだけが聞こえてくる。
「―――麻酔はどうだ?効いているのか?」
「あ、効いてます。本当に感覚はありません」
「一度治癒魔法をかけて麻酔が切れないかどうか確かめてみるか」
「そうっすね。治癒魔法をかけながら棘を抜くならその確認は必要ですね」
「……どうだ?」
「治癒魔法を掛けても感覚はありません。どうやら麻酔に治癒魔法は効かないみたいですね」
「じゃあ切るぞ」
「……なんか不思議っすね。ナイフで切られてるのに痛みを感じないって」
「そうだな。………これが棘か。結構太いしだいぶ癒着しているな。いっそのこと燃やすか?」
「面倒くさがらずにそこは丁寧にお願いしますよ」
「分かった。どうせ治癒魔法で修復しながらやるから一気に抜こう」
「えー。なんかブチブチいってますけど」
「うるさい。ほら、もう終わったぞ」
「いやー、やっぱり閣下の治癒魔法はレベルが違いますね。早いし綺麗だし何より正確だ。どうしたらそんな風になれるんですか?」
「ジャック、お前は力で押し過ぎなんだ。何事も高火力をぶっ放せばいいというものではない。そういう考え方が無茶な戦い方に繋がるんだぞ」
「ういっす」
「っ、ゆるい!!ゆるいですよ!!え、もう終わったんですか?」
手術中とは思えない気の抜けた二人の会話にサラが衝立からひょこっと顔を出すと、ベッドに腰掛けたジャックと椅子から立ち上がるアーサーの姿が見えた。ジャックの足は治癒魔法ですでに癒されており傷一つない状態で、クリーン魔法のおかげでベッドに血痕も残されていない。
麻酔がかかるまでの待ち時間五分を含めても、手術はなんと十分も経たずに終わってしまったようだ。
「サラ、こちらへ。ジャックの足はどうだろうか?」
アーサーの言葉を受けたサラがジャックの足をこっそり鑑定してみると【異常なし】と出たので小さく頷いておいた。
あらかじめ鑑定の力をジャックに悟られないよう言われているのであまり多くは語れないが、【体内異物拒否反応】状態が解除されていてホッとする。
「問題ないかと。あと三十分ほどで麻酔の効果が切れるはずなので、その後動かせるかどうか試してみて下さい」
「分かりました。……閣下、サラ様。……ありがとうございます」
ジャックはくしゃりと顔を歪ませると震える声で感謝の言葉を述べる。
この足は生きることに意義を見いだせず投げやりになっていた時期に負った傷が原因で動かせなくなったが、ジャックはサラに一喝されてから適当な人生を送っていた自分を激しく後悔した。
彼女のようにもっと真剣に日々を過ごしていたら今頃違う景色が見えていたのかもしれない。
憎しみすら笑い飛ばして前を向いて進んでいれば故郷を捨てずに済んだかもしれない。
自分があの時魔物肉の食用化にもっと真面目に取り組んでいれば世界のどこかで飢えて死ぬ人が一人でも減っていたかもしれない。
「これから頑張ればいい」と言っても満足に走ることすら出来ないこの足ではどこまで踏ん張れるか分からない。
覆水盆に返らず。すべては今更で、どれほど後悔しても治癒魔法でも治らない足は一生このまま―――そのはず、だった。
しかし魔法における普遍の真理をたった一人の女の子があり得ない方法で覆したことによって、ジャックは無限に広がる可能性を取り戻すことが出来た。
最初は半信半疑で手術なるものに同意したが、実際に自分の足からトレントの棘が出てきたところを確認しているのだからその力は本物だ。
サラの秘密は体内を見通す透視能力か、はたまた麻酔を植物の根から作り上げた知識そのものなのか。
どちらにせよアーサーが他言無用と念押しするのも頷ける、魔法にはない異質な力だ。
―――例えサラ様の力が魔術によるものであったとしても関係ない。
サラが魔術を操る悪魔かもしれないという疑惑が浮上した上で、ジャックはサラのすべてに魅了されてしまったのだから。
「辺境伯様が全部して下さったので私は本当に何もしてないですけど…。ジャック様も手術という聞き慣れない怪しげな話に乗って下さりありがとうございました!私達はもう行きますけどジャック様は後三十分安静にしてて下さいね」
「はい。後で御報告に参ります」
アーサーはサラを抱きかかえるとジャックの返事を待たずして窓から身を乗り出し、そのまま空を飛んで行ってしまった。
もしジャックの足が今回の手術で治った場合、治癒魔法でも治らなかった足がいきなり以前のように動くようになれば城を揺るがす大きな騒ぎとなるだろう。
そこにサラの関与は絶対に疑われてはならない。
そのためアーサーはまだ皆が寝静まっている早朝に空を飛んで誰にも見られないよう、わざわざジャックの部屋の窓から出入りすることにしたのだ。
ジャックは苦笑しながらベッドから揺れるカーテンを眺める。
「あーあ、閣下には気づかれちゃったかなぁ。うっかり殺されたりしねーかな?」
窓から出て行く際、アーサーから冷たい魔力が物理的にビシビシと刺さって来ていた。あれにはサラを熱く見つめるジャックへの苛立ちと牽制の意味が込められていたのだろう。
「閣下がサラ様を幸せにしてくれるのならば俺は何もしませんよ。―――但し一度でもサラ様の顔を曇らせるようなことがあれば遠慮なんてしませんけどね」
ジャックは不敵に微笑むと頭の後ろで手を組みゴロリとベッドに横たわった。
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