23 お肉革命
「辺境伯様、いかがですか……?」
「…………驚いたな…。これが炎虎の肉とは。―――かなりうまい」
「っ!!」
アーサーの「うまい」を頂いたサラは、頭の中で「やっったぁーーー!!!」と小躍りしながらガッツポーズを決める。
今はもう夜の九時過ぎで、サラはアーサーと二人、部屋に運んで貰った少し遅めの夕食を食べていた。
夕食を用意してもらう際、下処理をした炎虎のお肉を焼いたものも一緒に出してもらったのだが、どうやらアーサーの口に合ったようだった。
サラも炎虎のお肉をナイフとフォークで切り分け一口食べてみる。
「………なんというか、私の想像を遥かに越えて美味しくなってます。おかしいな?なんでだろう…こんなはずじゃなかったのに……?」
―――なんということでしょう。臭く硬いだけだった炎虎のお肉が高級熟成肉に驚くべき進化を遂げてしまいました。
脳内でどこかで聞いたようなナレーションが流れるほど、炎虎のお肉は柔らかくジューシーな仕上がりとなっている。まぶしたハーブのスパイスは味をガツンと引き締めるだけでなく食欲を誘う良い匂いを醸し出す働きもしてくれており、魔物肉は驚くべきビフォーアフターを遂げていた。
正直なところ、魔物のお肉をヨーグルトに漬け込んだり、すり下ろしタマネギを揉み込んだり、ハーブで臭いを誤魔化したりしたところで「ちょっとはマシ」ぐらいにしかならないと思っていたのだが―――まったくの別物レベルで格段に美味しくなっている。
まあ、しょせんヨーグルトもタマネギもハーブも全部「ヨーグルトもどき」「タマネギもどき」「ハーブもどき」であり、サラが知っているものとは違い、この世界の「もどき」達には何かしらの効能があってそれが魔物のお肉にいい感じに作用したのかもしれない。
「サラは凄いな……。これなら王都の連中もこぞって欲しがるだろう」
「王都のお肉は食べたことはないのですが、炎虎の肉よりも美味しくないのですか?」
「この肉の味を知ってしまった後では、もう王都で肉は食べれないかもしれないな。それほどにこの炎虎の肉はうまい。ナイフがなくても切れるくらいに柔らかいのに脂っぽいわけでもなく、肉本来の味もしっかりと楽しめる。これは……ラナテスの価値が跳ね上がるかもしれん」
「そうなのですね!無駄に捨てられるお肉がなくなるのは良いことです。じゃんじゃん加工していきましょう!!幸い冷凍庫もあることですし」
サラはニコニコとしながら炎虎の肉を美しい所作で口へと運んでいる。絶対に自分が成し遂げた偉業には気付いていない。
魔物の肉がこれほど美味しくなるなんて、もはや革命と呼んで差し支えなかった。
サラは飢えた人がいなくなるようにと願って魔物肉をなんとか食べれないかと考えたようだが、このレベルであれば普通に貴族の食卓に並ぶだろう。
サラが下処理をした魔物の肉は、それなりの地位にいるアーサーですら一度も口にしたことがないほどに美味なものだった。何をどうしてこんなことになったのか分からなかったが、今まで食べたことのある魔物肉とは完全に別物だ。
炎虎の肉以外にもこの下処理方法が有効か調べる必要はあるが、これまで焼却処理していたものが金になると分かれば騎士達の士気も上がるだろうし、グラハドールをもっと豊かな地にすることが出来る。
肉の下処理に使う素材は広大なラナテスに腐るほどあるのだから、初期費用が掛からないという点も素晴らしい。
魔物討伐の手間と禍しか齎さないラナテス森林には先祖代々長年苦しめられてきたが、まさか早く大型の魔物を討伐したいと思う日がやって来ようとは。
今頃城にいる部下達も、食堂で炎虎の肉を食べている頃だろう。明日からは解体場にいた奴らだけではなく、城中の男達がこれほどの偉業を成し遂げたサラに憧憬の眼差しを送るのかと思えば全員氷漬けにしてやりたくなる。
今日もサラと話すジャックを排除しなかった自分の我慢強さに感心したくらいだというのに。
アーサーは有能で愛らしい妻を得たことを誇らしく思うと同時に、嫉妬の炎に呑み込まれないよう自制しなければと己に言い聞かせる。
「―――ふふっ。これもすべて命をかけて魔物を討伐して下さる騎士様達と、私のわがままに付き合って下さった辺境伯様のおかげですね」
「サラ…っ」
なんと可愛いらしいことを言うのだろうか。このようなことを言われては自制心など手放して本当に部下達に手をかけてしまいそうだ。
「この調子なら塩麹も期待出来そうです。楽しみにしてて下さいね?」
「ああ…。楽しみにしている」
何かを楽しみに明日を迎えるなんて、幼少にまで遡って記憶を掘り起こしても初めてのことかもしれない。
サラに出会ってから見える世界は鮮やかに華やかに色づき、呼吸を刻むためだけに動いていた心臓に様々な刺激が与えられた。
サラはもうアーサーの「生きる意味」だ。
この奇跡のような存在をアーサーの運命に紐付けてくれた立役者のセインには、「魔物肉を優先的に融通してやってもいい」と上から目線で思うくらいには感謝していた。
***
「辺境伯様、お風呂ありがとうございました!」
「不便はなかったか?」
「はい!最初にお湯をたくさん用意して頂いたので大丈夫でした」
夕食後、サラはお風呂に入らせてもらうことになった。もちろん魔力がないとお湯も水も石鹸すら出て来ないので、アーサーにあらかじめたっぷりのお湯を浴槽に溜めてもらう必要はあったが。
グラハドールに来てから初めてのお風呂が気持ち良すぎてついつい長居してしまった自覚はある。
声を掛けてくれたアーサーを見ると髪の毛はしっとりとしており、彼もまた湯浴みを終えたようだ。
薄手のシャツとラフなズボンに着替えているからか逞しい身体の全貌が手に取るように分かってしまい、目に毒というか目に栄養満点ご褒美状態で、サラはすでにホカホカしていたほっぺをもっと赤らめ俯く。
「お、お風呂…お待たせし過ぎてしまいましたか?」
「いや、女性の風呂は長いと聞いたことがある。ゆっくり入ってくれて構わない。俺が部屋にいては落ち着かないだろうと思って軍の大浴場で済ませてきただけだ」
「あ、ありがとうございます…」
目のやり場に非常に困る。サラは風呂上がりにも関わらず少年用のシャツにズボンという代わり映えのしない格好をしているが、アーサーはかっちりした軍服を脱ぎ捨てプライベート感満載のラフなパジャマ姿だ。ギャップがたまらなく良いし、前髪がおりて少し子どもっぽくなった感じも大好物だ。
サラは透け透けのネグリジェなんかあれば、それこそギャップの力で少しはアーサーを悩殺出来たかもしれないのにと詮無きことを考える。つるぺたストンの体型が透けたところでアーサーの色気に及ばないことなど悲しいほど理解しているが。
俯いて煩悩に塗れたことを考えているサラは気付かなかったが、アーサーは風呂上がりのサラの姿に十分悩殺されていた。
まだサラの服が届いていなかったので最初に服屋の店主が持ってきた男物のシャツとズボン姿だったが、よく温まったからか身体全体がピンク色に染まっており、特にぷっくり艶々とした唇に自然と目が吸い寄せられてしまう。
まだ濡れている銀色の髪の毛は緩やかにウェーブしながらキラキラと輝いていて、真夏の夜空に散らばる星々よりも美しいと感じた。
こころなしか潤んだ瞳を泳がせながら俯く仕草に、アーサーは何かを試されている気持ちになる。
サラはアーサーの妻だが書類上の話なのでもちろん手を出すつもりはない。
だが、妻の風呂上がりの無防備な姿を見ることが出来るのは夫だけの特権であり、今はこの幸福を噛み締めることが出来るだけで満足だった。
「サラ、こちらへ」
「? はい」
トコトコとやってきたサラに動揺を悟られないよう理性を総動員して目の前のソファに座らせ、濡れた髪の毛を風魔法で乾かす。その際花のような香りがふわっと漂い、同じ石鹸を使っているはずなのに嗅いだことのない甘い香りに、かき集めたはずの理性が霧散しそうになった。
「………これでいい」
「わあ、ありがとうございます!!」
アーサーが手を翳すと長い髪の毛が一瞬で乾いてしまった。タオルもドライヤーもいらないなんて魔法は本当に便利だとサラはつくづく思う。
今までは原始的な生活を送ることが日常だったのに、魔法や魔道具のある便利な生活に慣れるのなんかあっという間だ。「もうサバイバルなんか出来ないなぁ」と他人事のように考えながら有り難く魔法の恩恵にあやかる。
「―――もう休むか?サラも疲れただろう」
「そうですね、さすがにそろそろ地上で寝たいとは思っていました」
よくよく考えてみれば、今日八日ぶりにアーサーと再会し、身に宿る誓約を破棄してもらい、解体場で魔物のお肉と運命的な出会いを果たし、その足でラナテスに入って素材採集をし、その上調味料作りまでやってのけている。なんと濃厚な一日になったものだ。
「…魔力のないサラを一人にするわけにはいかない。悪いが俺もこの部屋で寝かせてもらう。もちろん、俺はソファで―――」
「ベッドで一緒に寝ましょう!!」
サラは食い気味に言い切った。本当ならば「小さい私がソファで寝ます!」「いや、女性をこんな場所で寝かせられない」「でもっ…」という、いかにもな定番のやり取りを挟むべきなのだろうが、サラはアーサーと一緒に寝たいのだからそんな無意味でまどろっこしい応酬などやってられない。
笑顔のサラとは対照的に、アーサーは「カチン」という音が聞こえそうなほど固まっていた。
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