20 ラナテスの価値
そしてここにも不毛な恋に落ちようとしている哀れな男が一人いた―――ジャックだ。
嘲笑ってやろうとした相手にド正論をかまされ、土魔法で穴を掘り地中深く埋まりたくなるほど恥ずかしくなったが、それと同時に抑えきれない好奇心がむくむくと湧き上がるのを感じる。
普通の人間は高魔力者に対し萎縮して怯えるばかりで、まともに会話出来る者などほとんどいない。
女であれば尚更、高魔力者を犯罪者か変質者か何かと思っているのか、近くを歩いたたけでギャーギャーと騒ぎながら逃げ惑う始末だ。
そんな中サラは臆することなく自分の意見を述べるばかりか、ジャックの怠惰で投げやりな姿勢をはっきりと断じた。女性とこんなに長く会話したことも、誰かにここまで真剣に怒られたことも初めてだったジャックにとってそれは貴重な経験であり、また低魔力者に対する見方が少しだけ変わった瞬間だった。
―――彼女がアーサー様の奥方でなければ……
ジャックの思考が知らぬ内に己の破滅へと緩やかに傾きかけたところで、アーサーにじいと呼ばれる男がポンと肩に手を置き話し掛けてきた。
「ジャック、そこまでじゃ。それ以上考えるな、死ぬぞ?」
「…?あ、ああ」
じいに声を掛けられたことでそれまで自分の考えていたことが霧散してしまい、ジャックは幸運にもサラに抱きかけた想いを見失う。
「ふぉっふぉっ。それにしてもアーサー様の奥方様はなんとも勇ましい御方ですな。ご挨拶させて頂いてもよろしいですかな?」
おじいちゃんと呼ぶに相応しい喋り方に少し嗄れた声の人物に挨拶を求められれば、こんな高い場所(アーサーの腕の中)から「こんにちは!」なんて失礼な真似はとてもじゃないが出来ない。
サラはいそいそと降りようとしたが、しかしそれはアーサーの逞しい腕に阻止され叶わなかった。
「駄目だ」
「えぇ!?駄目なのですか?私は地面に降りてご挨拶したいのですが…」
「っ………、分かった」
アーサーは何かに葛藤した後、頭から毛布を被ったままのサラを渋々地面に降ろす。
サラが自分で歩く久しぶりの地面を噛み締めていると、アーサーが耳元で「ただし相手の顔を、ましてや瞳を絶対に見ないようにしてくれ」と小声で囁くものだから、サラは鼻を抑えてコクコクと必死に頷くことしか出来ない。恋心を自覚したばかりの小娘に、好きな人による前屈みからの吐息がかかるほど近距離で受ける囁きは刺激が強過ぎた。
サラの様子を見たアーサーは「さすがに近すぎたか」と、サッと上体を起こし顔を離す。慣れてきたと言ってくれたがあまり醜い顔を近づけるべきではなかった。嫌われては元も子もないのだから慎重に距離を詰めるべきだろうと考える。
「ふぉっ、ふぉっ。もうよろしいですかな?いやはや、一度逃げられたわりには仲睦まじくされているようでじいは安心致しましたぞ」
「あ、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。私はサラ・ハルベリー…じゃなかった、サラ・グラハドールと申します」
サラ・グラハドール……良い。凄く良い。「サラ・ハルベリーより断然語呂が良いんじゃない!?」と、あっさり旧姓への想い入れを捨てながら、サラは好きな人と同じ名字を名乗れる奇跡に酔いしれていたので、その後ろでアーサーが口に手を当て感激に打ち震えていることに気づかなかった。
「丁寧なご挨拶ありがとうございます、奥様。
わしはトム・キンバリーと申します。わしのことはトムでもじいでもお好きなようにお呼び下され」
「まぁ!では私のこともサラとお呼び下さ……」
サラが暑苦しい毛布の隙間からトムと名乗った男性をそっと覗き見ると、優しい声の印象通り、有名な某童話に出てくる白髭を生やした小人のような見た目の可愛らしいおじいちゃん―――ではなく、小柄なサラが目一杯首をあげなければ顔を見ることすら叶わない、長身かつムキムキの壮年の男が威厳をたっぷりと漂わせ仁王立ちしていた。
喋り方と見た目のギャップが激しい。全然「ふぉっふぉっ」とか言って笑う年齢には見えないのだが。どう考えてもサラの肥え太った父親よりも若いだろうに。
「あ、あの…?失礼ですが、トム様はおいくつでいらっしゃいますか?」
「ふぉっふぉっ!わしはサラ様にそのように呼んで頂ける身分では御座いません。どうぞ呼び捨てて下され。はて、わしは今年で七十だったか、七十五だったか……」
「八十だろう」
「ふぉっふぉっふぉっ!そうでしたな!覚えてて頂きありがとうございます、アーサー様」
「え。八十……?」
紛うことなき化け物がここにいる。世の八十歳は盛り上がった胸筋を震わせて笑ったりしないはずだ、たぶん。短く刈り上げた髪は真っ白だがフサフサしているし、顔には瑞々しいハリがあり四十代といっても軽く通用しそうだ。
左目を縦に走る傷跡のせいで右目のみ開かれているが、その美貌を損なうどころか怪しげな魅力を漂わせる要因にしかなっていない。
アーサーに「目を合わせるな」と言われているので毛布の隙間からチラチラと盗み見ることしか出来ないが、トムがナイスなシニアだということはよーくよーく理解した。
「えっと、ではトムおじさまと呼ばせて頂きます!」
「おや…。ふぉっふぉっ、本当になんとも可愛いらしい御方だ」
トムは右目を一瞬見開くも、すぐに目尻に皺を作り笑み崩れる。誰よりも孤独なアーサーの元にやってきた嫁が追い打ちをかけるが如く彼を傷付けるのではないかと危惧していたが、サラは思っていたよりも度胸のある女性だったし、それに高魔力者に対する不快感を表に出さないよう配慮出来るだけの優しさを持ち合わせている。
「……さて、話を戻しますが、サラ様はラナテスに何があるとお思いですかな?あそこはほぼ未開の地であり魔物以外なにもありませんぞ?」
「え?私がザッとみた限り有益な植物であふれていましたけど」
「植物……?―――それよりアーサー様、どういうことですかな?まさか奥方を危険なラナテスにお連れしたわけではないでしょうな?」
トムにギロリとした視線を寄越され、アーサーは反射的に目を逸らす。純粋な強さではアーサーの足下にも及ばないがトムには赤ん坊の頃から世話になっており、今も頭が上がらない唯一の人だった。
しかしなんと答えたものか。まさかサラが八日間も一人ラナテスで生活していたと、本当のことを喋るわけにもいかない。
「サラは…行方不明になっていた間、間違ってラナテスに迷い込んだらしい。幸いすぐに引き返したため大事なかったが」
「なんと……!!グラハドールに住む者でラナテスに入ろうとする民はいないので油断しておりましたな。
まさかサラ様が迷い込まれてしまわれるなんて…。しかし怪我もないご様子で安心致しました」
「は、はいっ。その節はご心配ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
サラも空気を読んで話を合わせる。なぜかサラの周りに魔物は現れなかったが、ラナテス森林は本来魔物達がわんさか出てくる危険な場所だと教えてもらった。そんなところに八日も一人でサバイバル生活してました〜なんて暴露したらどんな目で見られるか分からない。
「それで、ラナテスにはどんな植物があったのですかな?」
「はい。例えば鎮痛効果のある植物や蜂蜜の十倍甘い蜜を出す花、煎じて飲めば風邪薬となる薬草や一欠片を口にしただけで即死する毒キノコなどがありましたね」
「―――は?」
「私が目をつけたのは麹そのものの性質を持つ種子です。取り出すのは苦労しそうですが群生している果実なので量的には問題はないかと。まず、これで塩麹を作ってみたいと考えています」
「しお、こうじ?」
「あとはヨーグルトと同様の成分の樹液を垂らす樹木や、タマネギのような木の実も見つけました。タイムやローレル、パセリのような葉っぱもあったので臭いに関しては大幅に改善出来るかと」
「ヨー…?」
「とにかく!!いますぐラナテスに行きたいですっ。お肉は新鮮なうちに処理するに越したことはないですからね!」
解体場にいる面々が聞いた事のない単語に激しく困惑する中、サラだけは一人目を輝かせてやる気を漲らせていた。
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