19 恋に落ちる瞬間
「サラ……。話が読めないのだが。なぜ肉のためにラナテスに?あそこには魔物しかいないぞ?」
「ラナテスの森は食の世界に革命を起こす素晴らしい宝物庫なのですよ。必ずやご満足頂ける成果を上げてみせましょう!期待してお待ち下さい!」
「待て、なぜ一人で行く気になっている」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
サラはいまだアーサーの腕にちょこんと座ったままこしょこしょと話していたのだがやはり周りにいる騎士達には丸聞こえだったようで、我に返ったジャックが二人の会話に割って入ってくる。
「どういうことっすか…。なんで奥様がラナテスを知ってるんだ、というか嫌がらせで用意した肉を全部平らげるとかおかしいだろ!!不味いんだろ!?残せよ!その前に汚らしく吐けよ!!」
ジャックの心からの叫びが解体場に響き渡る。
「調子に乗った低魔力の能無しがグラハドールの英雄に守られてこんなゴミ溜めにやってきたかと思えば、俺達が試行錯誤しながら何度も何度も挑戦して挫折した魔物肉の食用化を実現させる?笑わせるな、何の苦労もしたことのないガキがほざきやがって!!!」
ジャックの怒りに呼応するように身体から漏れ出た魔力が蜃気楼のように揺らめき出す。
ジャックの魔力はアーサーが軽く魔力をぶつければ霧散する程度のものだったがサラに万が一のことがあってはいけないと、念の為その周囲に結界をはった。
―――しかしこうなったジャックをどう宥めるべきか。
アーサーが意外と気性の荒いジャックへの対処を考えあぐねていると、サラが落ち着いた声でしみじみと呟いた。
「貴方はきっと幸せな人生を歩んで来られたのでしょうね……」
「―――は?何言ってんのお前」
ジャックの燃え盛るトラウマの炎にこれほど的確に油を注げるなんてサラは天才ではないだろうか。
ジャックの怒りが頂点に達し、コントロール出来ない魔力が暴風となって吹き荒れるのをアーサーは感心しながら眺める。
ジャックはお調子者だが非常に捻くれた性格で、高い魔力と魔法を操る高度な技術を持っているにも関わらず、全力を出すこともなく進んで後方支援に志願することが多かった。
かといって魔物と戦うことを畏れているのではない。前線に出せば一騎当千の働きを見せるし、周囲の動きをよく把握して指示を飛ばす姿はリーダーとしての素質が十分あると思わせるものだった。
しかし一年前、仲間を庇って無茶な戦い方をして足を怪我してからは一線を退き解体場に回されていた。
アーサーは彼を見ているとどうしても思ってしまう。
ジャックは死にたいのではないか、と。
本気も出さずに後先考えない戦い方をしては「あーあ、ドジったなぁ〜」と他人事のように笑う。
一時期は魔物肉の食用化に熱心に取り組んでいたようだが、それも無駄を悟ると普段通りのやる気ない態度に戻ってしまった。
そんなジャックが。今、怒りに我を忘れ、魔力を全開に放出してサラを威嚇している。
本来ならサラに暴言を吐いた時点で制裁の対象だが、今はアーサーが鉄壁の守りでガードしているのでどうせ手出しは出来ない。
―――この事態はジャックに何をもたらし、どのような結末を迎えるのだろうか。
そんな興味が湧いたアーサーはしっかりとサラを抱え直し二人のやり取りを最後まで見守ることにした。
「…もういっぺん言ってみろ女。お前に俺の何が分かる!!」
「私はもちろん貴方のことを何も知りませんが、食に困ったことがないんだなぁということは分かります」
「は?」
「貴方は食事にありつけない辛さを知らないから簡単に残せだの、吐けだのと宣えるのです。
土を食べたことはありますか?泥水を飲んだことは?食べることがなくて死を意識したことはあるんですか?
ないでしょうね。一度でも飢えたことのある人間は絶対に食べれる物を粗末にはしません」
「っ!」
「私は少し怒っています。お肉をたくさん用意して頂けたのは嬉しかったのですが、貴方のそれは善意ではない。私がお腹いっぱいの状態であれだけの量のお肉を食べていれば、本当に吐いていたかもしれないのですよ、勿体ない!食べ物で遊ばないで下さい!!」
「そ、れは…」
「私は何味でも食べれますが、多くの人は不味い物は口にしたくない傾向にあるということは理解しています。ですから魔物肉を美味しくしたいのです。魔物肉を美味しく食べて飢える人を世界中から減らしたい。私と同じ思いをする人が一人でもいなくなりますようにという願いを込めて。この気持ちを貴方のお遊びと一緒にしないでくれます?」
「……!」
「ていうかもっと本気出せよ。何途中で諦めてんの?魔物肉が食べれないなら牛肉を食べればいいじゃないってか?舐めてんのはお前の方だろーが」
「さ、サラ……もうその辺にしてやってくれ。ジャックが立ち直れないほど打ちのめされている」
「あっ、辺境伯様…。すみません、昔はこんな性格ではなかったのですが食が絡むとどうしても熱くなっちゃって」
えへへと照れたように笑うサラに、先ほどまでの他を圧倒するような迫力はない。
しかしサラの言葉は確実にこの場にいる人間の胸を打った。
コントロールを失い吹き荒れていた魔力の風はいつの間にか止んでおり、ジャックは羞恥のあまり顔を俯かせている。
―――確かに俺は飢えたことなど一度もない。
高魔力者は醜さで差別されているが、なんやかんやで高給取りだ。
低魔力者が使えるのはしょっぼい魔法で、あとは身に流れるチョロッとした魔力で魔道具を動かすことぐらいしか出来ないが、高魔力者ともなれば己の魔力で魔道具に頼らずとも様々な事象を起こすことが出来るのだから需要はどこにでも腐るほどある。
防衛に関しても国は高魔力者が集うグラハドールにすべてを丸投げしていると言っても過言ではない。
ジャックは故郷の国で、ジャックのことを「醜い」と嫌悪して顔を見ようとせず、しかしヘコヘコと頭を下げては高い魔力だけを目当てに擦り寄ってくる権利者達が憎くて、依頼を受けては高い報酬をぶん取ってやったので金に困ったことは一度もなかった。
魔物の食用化の研究を始めたのも、魔物と戦う高魔力者を蔑む奴らに美味しくした魔物肉を食べさせ、後で「お前らが食べた物はお前らが何よりも嫌悪している魔物の肉だぞ!」と種明かしをして慌てふためく顔が見たかったからだ。
あとはいちいち焼却処分するのが面倒くさいという理由と、討伐費用のかさむラナテスで何とか一儲け出来ないだろうかというくらいの軽い気持ちで始めたことだった。今となっては「研究」と呼ぶのも恥ずかしい。あんなのは暇な仲間と片手間にやった、ただのお遊びだ。
項垂れているジャックを尻目に、アーサーは勇ましい啖呵を切ったサラの頭を優しく撫でて誓いを口にする。
「―――サラ。俺はこの先、絶対にサラを飢えさせることはないと誓おう」
「っ!!?へ、辺境伯様……!!」
サラはこの瞬間恋に落ちた。
今までも「イケメン!格好いい!優しい!紳士的!!」と脳内で散々騒いできたし、アーサーとのめくるめく新婚生活を妄想したりもしたが、やはり顔面偏差値が違い過ぎるお相手に対し本気になれるわけもなく、サラのこれはアイドルに対する淡い憧れみたいな気持ちだった。
でも―――『俺はこの先、絶対にサラを飢えさせることはないと誓おう』
こんなことを頭を優しく撫で撫でされながら真摯な瞳で告げられて堕ちない女がいるだろうか。いや、絶対にいないと断言出来る。
サラにとって「好き」や「愛してる」より何万倍もの破壊力を持ったその言葉は、淡い憧れだったあやふやな気持ちをぶち壊した。
こんなに格好良くて性格も素晴らしく、さらには確固とした地位まで持っているパーフェクトな男性を好きになったところで待ち受けるのは「完膚無きまでの玉砕」だろうが、一度自覚してしまったものは仕方ない。
恋心を自覚したばかりのサラは「結婚済み」というアドバンテージを生かして、意外と押しに弱そうなアーサーにバンバン肉体的接触を図ろうと決意する。
サラの性格上、手の届かない無理そうな相手だからといって諦める発想はない。
一方のアーサーも胸の中に抱えきれないほどの庇護欲と愛しさが湧き上がり、どうしようもなくサラを抱き締めたくなっていた。
サラが二度と土を食べたり泥水を啜ることのないよう、何を犠牲にしてもサラだけは絶対に守り抜くと固く心に誓う。
サラの強さはどんなに過酷な状況であっても生き抜こうとする強靭な精神にある。アーサーがもし同じ状況に置かれたとして、果たして土を食べてまで生きようと思えるかどうか分からない。生に執着がなければなおさらだ。
実の親に従属の誓約を刻まれようとも、魔力がなくて不便な生活を強いられようとも、死を覚悟するほどの飢えに苛まれても、生きることを決して諦めないサラの強さが放つ輝きにアーサーは強烈な憧れと尊敬、そして恋情を抱く。
これまでは醜い顔を見ても気絶せずに接してくれるからという理由でサラに執着していた部分が大きかったが今はもう違う。強さの中に見せる一筋の弱さも含めて全部全部、愛しくてしょうがない。
醜い化け物が万人を照らす太陽に恋焦がれたところで想いが成就する可能性などゼロに等しいだろう。
だが、諦めるわけにはいかない。
アーサーは疎ましく思っていた高過ぎる魔力や権力を使ってでも「サラをこの腕の中に閉じ込めてみせる」と決意を固める。
こうして二人は色気もへったくれもない状況で、底なしの恋の沼へと落ちていった。
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