15 魔力がないということは
トイレ後のサラの嘆きも収まってきたので、クリーン魔法で服やベッドに飛び散った血を綺麗にした後、アーサーは冷蔵魔道庫から料理をいくつか取り出し温熱魔道庫で温めたものを皿に移してテーブルに並べていく。
喉が渇いたと教えてくれたので先に水を一杯手渡したのだが、サラくらいの年齢の女の子は果実水を好むのだろうか。あいにくこの部屋には酒と水しか置いていなかった。
「え?好きな飲み物ですか?うーん…幼い頃は大事に育てられ何でも与えてもらえましたけど、十三年ほど森の奥で原始…野性的な生活を送っていましたから自分の好みなどとっくの昔に忘れてしまいました。お恥ずかしながら当たり前の常識や今の流行り、物の名前や通貨の使い方など知らないことが多すぎてご迷惑をお掛けするかと思います…。ちなみに……『果実水』って美味しいのですか?」
「……っ!……果実水は、…今日中に用意しよう」
「え!いいのですか!?嬉しいです!」
サラは水が入ったコップを握りしめ興奮したように頬をピンク色に染めて喜んでいるが、アーサーが与えると言ったのはただの果実水だ。どこにでも安価で売られているし家庭でも自作して常備するような、水に好きな果物の果汁をブレンドしただけの飲料水である。
そんな味のついたただの甘い水一つに歓喜出来るような環境で生きてきたのか―――十三年も。
ここでアーサーの手は止まる。
十三年前と言えばサラはまだ三歳だ。そんな幼い頃から身内以外誰にも会わず、森の奥に引き篭もった生活を送っていたというのか。
子爵は実の娘に従属の誓約を掛けるくらいのクズ親だから身内とはきっと父親のことではないはずだ。
では母親のことか。それとも信頼出来る乳母か侍女が孤独なサラの側にいてその心を慰めてくれていたのだろうか。そうであってほしい。
もし、そうでなければ―――
「………サラは三歳から領地の森に閉じ込められていたのか?―――その時は誰かと一緒だったか?」
「? いえ。魔力がないと分かってからは物置き部屋に放り込まれ、父が苦労して誓約を手に入れた後は身一つで森に運ばれてそれからずっと一人です」
「っ!!」
アーサーの中に明確な殺意が生まれた。この燃え滾る怒りをどう消化するべきか思案する。
ハルベリー子爵は必ず殺す。しかしただ殺すだけでは愚かで鬼畜な男に対する処罰としては生ぬるい。
魔物を閉じ込めた檻に奴を生きたまま放り込み、手足や頭を齧られ「死にたい」と懇願するほどの苦痛を与えた後、治癒魔法を掛けて寝る間も与えず同じ地獄を延々と味あわせるのがいいか。
それとも北の軍事国家にスパイとして送り込み、持ってもいない情報をチラつかせては終わることなく続く残虐な拷問にかけられるよう仕向けるべきか。
夜会でチラリと見たあのデブに、これらの苦痛を耐えるだけの根性があるとも思えないからショックですぐに死ぬかもしれない。匙加減が難しいがそういう細やかな調整はアーサーの得意とするところだ。
「……あの?辺境伯様?」
サラの遠慮がちな声でハッと我に返る。アーサーの手が止まったことで食事の用意が中途半端になってしまっていた。
アーサーに給仕係のような真似をさせることにサラはとても恐縮していたが、魔力がなければ料理を用意することも温めることも出来ない。それに八日も城の外を彷徨って疲れているだろうから休んでいるように伝えていたのでサラはお行儀よく椅子に座って待っている。
アーサーは止まっていた手を動かしサラの目の前にサラダにスープ、メインの肉料理を並べた。男所帯のこの城ではアーサーとて自分で出来ることは自分で行っているので、これくらいならば手際よくサッと用意出来る。
「わゎ…美味しそう…」
「全部食べていい」
「ありがとうございます!頂きます!!」
手のひら同士をパンッと合わせる謎の動作をしたサラは目を輝かせて料理を眺めたのち、フォークとナイフを美しく操り、意外にも正しいマナーで食事を始めた。
「おいしい……ドレッシングがかかっていたら葉っぱもこんなに食べやすいんだ…」
「そうだな…」
「塩以外の味がついたスープって本当に美味しいですよね。領地を出て王都にやってくる馬車の中でパンとスープを用意して頂いたのですが、あまりの美味しさに号泣しました。使者の方、ひいてましたね」
「…そうか」
食事の間に呆然と呟く言葉や感動する様子が不憫過ぎて、アーサーは優しく相槌を打つことしか出来ない。「サラダ」を「葉っぱ」と表現するあたりにこれまでの食事情が窺えた。
「加工されたお肉……!!ちゃんと下味ついてる!ソースもかかってる!丸焦げでもない!!
柔らかーい、美味しい〜〜〜!!、あっ。食事中にはしゃいでしまってすみません。お肉の処理って難しいので中々あり付けなくて…こんなに美味しいお肉を食べたのは生まれて初めてです!ありがとうございます、ご馳走様でした!」
サラは食事の感想を交えつつアーサーが用意した食事をすべて平らげた。サラの身体は風が吹けば飛んで行ってしまうのではと思うほど細く、少しでも食べて欲しいと願いから多めに用意したのだが、意外にもあっさりと食べ切ってくれたことに安堵する。
サラが一息ついたところで、アーサーはあらためて行方不明になっていた間の動向について尋ねることにした。
「サラはこの部屋を自力で出た後はどうしていた?一番近くの街にも捜索をかけたが目撃情報一つ出てこなかったが」
「はい?街には行っていません。城から見えた森に行って自炊生活をしていました」
「ここから見える森って…ラナテスじゃないか!あそこは魔物が溢れる危険な場所なんだそ!?」
「やばりあそこが辺境伯様が討伐に向かわれたという森でしたか。途中で会えないかなぁと思いましたがあれだけ広いとさすがに無理でしたね〜」
「サラ……」
サラは三歳から領地にある森に閉じ込められていたせいで常識がないと言っていたが、その事がこのような命を失ってもおかしくない危険な事態を引き起こすとは思っておらずアーサーは絶句する。
ラナテスが凶暴な魔物達の住処となっていることなど誰でも知っているというのに。
「サラ、あの森へは二度と入ってはいけない。小型の魔物でも腕を食い千切るくらいの凶暴性があるんだぞ。あの時は大型が暴れて小型が逃げ出していたとはいえ全部ではない。怖い思いをしたんじゃないか?」
「えっ…?普通の動物や生き物は見かけましたけど魔物には遭遇していません。魔物は赤い目をしているからすぐに分かると聞きましたけど」
「一度も魔物に遭遇しなかった、だと?」
そんなはずはない。アーサー達も討伐任務で森の奥へと向かう途中、何体もの小型の魔物に襲われたし、空を飛ぶ魔物に至っては上空から持参していた食料を何度も狙って降下してきて鬱陶しかった。
森に一歩足を踏み入れば例え奥に進まなくとも状況はさほど変わらないはずだ、とアーサーが考え込んでいるとサラの溜め息が聞こえた。
「分かっています…。こういうところが『悪魔』っぽいのですよね?悪魔は魔物を操ることが出来ると言われてますから。辺境伯様も私が魔物を操ったとお考えですか?」
「…いや、そういうわけでは」
「いいのです。これは私が長い時間をかけて証明せねばならないことですから。いつか辺境伯様に私が人間であると信じさせてご覧に入れましょう」
そう語るサラの表情は前向きで明るく、普通の人間は悪魔だと疑われたら発狂して否定しまくると思うのだが、サラには悲観というものがまったく見られないのが不思議だ。
とりあえず魔物に関しては置いておくとして、その他にも疑問点はいくつもある。
「……魔物に遭遇しなかったとはいえ、それでもたった一人で八日間も森の中で過ごせるものなのだろうか」
アーサーとて野営の経験は何度もある。だがそれは入念に準備をした上での話だ。今は野営用の便利な魔道具も開発されており、屋内となんら変わらぬ設備で過ごせるとなれば特に苦労もない。
しかしサラは小さな鞄に洋服を数枚詰めただけの軽装で森へと入っているわけで、十六の少女が何も持たずして森へと入り八日間を生き延びる―――果たしてそんなことが本当に可能性なのだろうかと疑問を抱かずにいられない。
「ふふふ。辺境伯様、私は領地の森でも同じような生活をしておりましたので八日生き延びるくらい余裕ですよ。
自力で火を起こし、飲水を確保し、罠を仕掛けては獲物を捉え日々の糧とする。苦労して集めた毛皮で冬を越すための毛布を作ったりもしましたね」
「っ、まさか……!森にある離れに閉じ込められたとは言っても、食料や衣類など必要なものはきちんと届けられていたんじゃなかったのか…!?」
「いえ、私に与えられたのはかつて森の管理人が住んでいたという粗末な小屋だけですよ。父はきっと私に死んでほしかったのでしょう。思惑を外れてしぶとく生き残ってやりましたけど。それにしても王宮で久しぶりに見た父の仰天顔は見ものでしたね!
……まあ、と言ってもこの十三年間しんどい事もたくさんあったわけで、……魔力がないから仕方ないだろうと言われればそれまでなんですけど、ね」
すべてを呑み込んで寂しそうに笑うサラの顔は年齢以上に大人びて見え、アーサーの胸はひどく締め付けられた。
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