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何もする気が起きないまま非生産的に黄金週間は過ぎ行き、今日は最終日のこどもの日である。昨夜、映画を三本ぶっ続けに観たら寝るのが三時を過ぎてしまい、目を覚ますと正午に近かった。しかも観た三本がゾディアックとミスティックリバーとエレファントというダウナーな映画だったので寝起きの気分がさらにすっきりしない。
キッチンへ降りても誰もいない。父は朝から釣りに行くとか言って昨夜は早く寝てしまっていた。母はおそらく家具を物色しに港北のイケアにでも出かけたのだろう。でぶの上に出不精の姉の姿が見えないのが面妖ではあったが、特に顔が見たいわけでもないので気にしないことにした。
冷蔵庫にペットボトルのミルクティーがあったので、コップに注いで飲みながらリビングのテレビを点けた。お昼のバラエティ番組で、ゴールデンウィーク特別企画、有名人そっくりさん大集合とやらをやっている。
「ではフリップを開けてください、どうぞ!」
「はい」じゃーん、効果音。「ビールっ腹の武藤敬司」
「それでは登場していただきましょう、カーテン、オープン!」
ステージのカーテンが開いて、いわゆるビールっ腹の武藤敬司がにこにこしながら登場すると、あー、と客席から納得の嘆息が漏れた。出演しているタレントさんたちが似てる似てないの評価を審議し、武藤さんはまあまあの高得点を得ていた。始終困っているジュード・ロウ、将棋が趣味のピエール瀧が登場したあとで、次の紹介者がステージへ呼ばれた。女子高生の二人組である。茶色いブレザーとチェックのスカートの組み合わせにはなんだか見覚えがあった。
「今日はどちらから?」
「横浜から来ましたー!」
「元気でいいですね。それではフリップを開けてください、どうぞ!」
じゃーん。
「りょーくん大好き、栃若葉」
口に含んだミルクティーを思いきり吹き出した。僕は祈った。ここに墜落しろブラックホーク、あるいは何かの手違いで暴走した太陽が地球を焼き尽くしてもいい。
「では登場していただきましょう、カーテン、オープン!」
全国放送の電波に自分の家族が乗った初めての瞬間である。一瞬の沈黙のあと、会場は割れんばかりの大爆笑に包まれた。出演者のタレントたちも、みんなで手を叩いて大笑いしている。姉は笑われていることも意に介さずに、むっつりと黙って虚空を見つめている。
「りょーくん好きなの?」
まだ笑いの収まりきらない司会者が姉にマイクを向けた。
「うひひ、好きです、うひうひ」
姉はにやりとしてそう答え、あろうことか口の端から涎を垂らし、客席から「いやぁ」という嫌悪の声と笑い声が半々に巻き起こり、出演者はみんなして床を転がり回って笑っている。姉は満場一致で優勝を獲得した。安っぽい王冠を頭に載せて賞品の温泉旅行を貰った姉は、大して嬉しくもなさそうに唇をもごもごさせて鼻をすすっていた。
「おい、昨日小栃若葉がテレビ出てたぞ」
「俺も観てた。笑いすぎて死ぬかと思った」
朝の教室は姉の話題で持ちきりである。誰もが登校するやいなや、昨日テレビ観たかと開口一番に切り出すのだ。
「祝日の真っ昼間からテレビ観てるなんてお前ら悲しいな」
精一杯の毒を込めて僕は言ったが誰も聞いちゃいなかった。本当は自分も観ていたので余計に悲しかった。とにかくもう姉の存在は周りに隠し通したまま墓まで持っていくしか選択肢がないのである。その上細貝さんに挨拶してもこの前のことを引きずってか何だかよそよそしい。碌なことがない。
朝のホームルームが終わり一時間目の始業のチャイムが鳴った。数学界のクリストファー・ウォーケン島田先生が入ってきて起立の号令がかかり礼をする。着席したあとで、やけに楽しそうな島田先生と目が合った。
「おい飾磨、昨日テレビ観たぞ。いやー、言われてみればたしかにお前の姉ちゃん栃若葉そっくりだな。あははははは」
静まり返った教室に先生の笑い声が空虚に響いた。
「先生、それって昨日のお昼にやってた有名人そっくりさんのやつですか?」
「そうそう、観た?」
「あの優勝した人って飾磨のお姉ちゃんなんですか?」
「そうだよ、なんだみんな知らなかったの」
秒針が七回時を刻んだ。奇妙な沈黙の満ちた教室を、先生はあれれという顔で見回していた。
誰かが堪えきれずに吹き出したのをきっかけに、大爆笑がクラスを包んだ。駒場と藤井が僕を指差して笑っている。吉田は、顔面を真っ赤にして机に突っ伏し、ひくひくする腹を抱えている。僕はとっさに細貝さんの方に目を向けた。前の席の子が振り返って、笑いながら何か細貝さんに話しかけているのが見えた。細貝さんは僕の方をちらりと見て、くすりと笑った。少し眉を寄せたその笑顔が、僕の目には嘲笑に映った。
「とーちわかば、とーちわかば」
気付くと教室中が手を叩いて僕を煽っていた。ポコポコダンスをやれというのか。似てるの僕じゃないんだが。
――やっちゃえよ、やっちゃえって。
鉄槌の声が頭に響く。朦朧とした意識のまま、僕は机の上に上がり、僕に向けられた冷笑と嘲笑の数々を見下ろした。最高潮に達した手叩きとシュプレヒコールが、僕の頭を芯まで痺れさせ、深い絶望に沈みゆく恍惚が体を満たしていく。
「うおおおぉーっ」
両の握りこぶしを砕けよとばかりに頭から頬そして胸へとぽこぽこ叩きつけ、最後に腹をぽーんと叩いた僕は、校舎を揺るがすほどの喝采に包まれたのであった。