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玄関の開く音を聞く憂鬱な気分になる。姉が帰ってきたのだ。
僕はリビングのソファに深く腰を沈めてスマホをいじっていた。つけっぱなしのテレビには古いドラマの再放送が惰性で流れている。リビングへ姉がただいまも言わずに入ってくる。僕も無言のままで、姉の方を見ようともせずに、ただスマホの画面を眺めている。
姉にたいして一方的な家庭内冷戦を決め込んでから三年が経った。僕は地元の公立中学に進学し、姉は市内の私立女子高に通っている。二人揃って中弛みと揶揄される第二学年である。幸い、中学は姉の卒業と入れ違いに僕の入学となったので、姉の存在は中学の友人には知られていない。
僕はスマホをいじりながら横目で姉の姿を盗み見た。サイズが合っていないのかいやにぴちぴちした茶色のブレザーを着て、チェックのスカートは膝下まで隠れる長さでなんだか芋臭い。スカートとソックスに挟まれて少しばかり見えている脛を、薄いすね毛がちょろちょろ覆っていた。
姉がソファの隣に座ってきたので、僕は顔をしかめながら腰をずらして距離を空けた。なんのことわりもなしに姉はテレビのチャンネルを変え始める。唇をもごつかせてくんくん鼻をすすりながら姉はしばらくチャンネルを変えていた。
「明日の夢はどんな色」
コマーシャルのキャッチコピーに反応して、反射的に姉の手が止まる。ファッションセレクトショップ、フェイマスアノニムのテレビCMである。服装になど微塵の興味もないくせに姉はこのCMが流れると必ず頬を上気させて食い入るように画面を見つめるのだ。姉の目を釘付けにするCMはこれより他に三つあり、すなわち板チョコとノートパソコンとトールワゴンである。この四つは、某大手アイドル事務所が現在売り出し中のグループ、テッペンボーイズというださい名前の四人組がイメージキャラクターを務めており、姉はそのメンバーの一人である北原亮太、通称りょーくんという湯島の陰間みたいな男にご執心なのだ。部屋の壁にはいたるところに雑誌から切り取ったりょーくんの顔写真が貼られ、顔がプリントされた団扇やらキーホルダーやらわけのわからないファンクラブの会員証のようなカードやら、そのほか関連グッズを少なくとも三桁は所有している。ある日リビングのティーテーブルに姉のものらしきノートが置き忘れられていた。薄青い表紙にサンリオやらディズニーのキャラクターもののシールが秩序なく貼られており、真ん中に雑誌から切り取ったらしいりょーくんの近影が糊付けしてあった。かなわない片思いをするうちに天啓を得たアフォリズムでも書き留めているのかと、僕は好奇心に抗いきれずぱらぱらめくった。中身はりょーくんとの妄想を綴った夢ノートと呼ばれているものだった。普段は朴念仁のような姉だが紙の上ではずいぶんと饒舌で、内容は読むに耐えなかった。今日夢の中にりょーくんが出てきた。私がお風呂に入っていたら、いきなりりょーくんが裸で入ってきて、きゃー! 僕は口の中に酸っぱくて臭いものを無理やり押しつめられたような気分になって、首を振りながらそっとページを閉じたことを覚えている。
姉がアイドルに深く傾倒すればするほど自分の姉に対する嫌悪も取り返しのつかない場所へと進行していった。姉はそんな僕にはなんの関心もなさそうに、相変わらずテレビに映るりょーくんを見て嬉しそうに口をもごつかせては鼻をすすっているのである。
でかいあくびをしながら部屋を出て、階段を下りると洗面所で顔を洗った。鏡を見ると左の側頭部に渦を巻いた寝癖が付いて、頭にゼンマイでも生えたように見える。手を水で濡らして撫でつけてみてもまだしぶとく巻いてるので結局洗面台に頭を突っ込み上からお湯を流した。バスタオルで頭を拭き、ドライヤーで髪を乾かしていたら姉がむっつりと入ってきた。寝起きでむくんだ顔がボクシングの試合後の馬鈴薯のようである。おはようの挨拶すら交わすことなく、姉は顔を洗うと洗面所を出て行った。後頭部に豪快に寝癖がついていたが意に介した様子がない。ドライヤーをかけ終えると、僕は手のひらにワックスを広げて髪に揉み込んだ。しばらく散髪に行かないせいで髪が重く、どうにもまとまりにくい。そろそろ美容院に予約を入れて、
――断髪式をしないとな。
断髪式!
襟足を整えようとして掴んだ瞬間いきなり頭の中に声が響き、体にびくりと力が入って、握り締めた髪の毛を二十本ほどぶっこ抜いた。力んだ途端に鼻水がぴゅっと飛び出て唇のしたでぷらぷらした。
いつからか、自分の頭の中で突然誰とも知らない声が聞こえるようになった。その声はなんの前触れもなく相撲を連想させる言葉をぼそりとささやいて、幻影の肉の抱擁は世界を僕から隔離し、たちまち僕を孤独の淵へと追いやった。平たく言うと「どーせ僕なんか相撲取りみたいな女の弟だ」と不貞腐れた気分になるのである。姉への嫌悪が生み出したもうひとりの僕の人格なのかもしれない。時には過去にあった嫌な思い出や忘れていた悲しい出来事までが連鎖的に脳裏を去来して、場合によっては意識が一種のトランス状態におちいることもある。自分はその声を、「内なる自己の冷酷な鉄槌」と呼んでいた。