おわり
「おい蒼太」
弁当を食べ終え藤井らに「ベートーヴェンは最高だぞ、序曲を聴くと身震いする」などとわかりもしないクラシック談義を一席ぶちかましていると、安永が声をかけてきた。
「一年の女子がきてるぞ」安永は教室の入口を指差した。女子が数名、こちらを覗いてくすくす何か囁き合っている。「お前に話があるんだって」
一年生の女子は四人いた。ひとりは顔を知っている。男子のあいだでめちゃくちゃ可愛い子がいるぞと噂になっていた西田理帆ちゃんという子である。頬を赤くしながら僕のことを上目遣いで見つめてもじもじしている。
「どうしたの?」
「先輩、ライン教えてもらってもいいですか?」
「えぇ? 仕方ないなあ」
僕がラインを教えると、一年女子たちはきゃっきゃはしゃぎなから廊下を駆けていった。
「おいおい今の一年、西田ちゃんだろ。なんだったの」
西田ちゃんたちが去ると男子たちがわらわら集まってきた。みな僕より頭半分ほど背が低い。ラインを交換したと報告すると男子たちは羨望で呻いた。
「いいよな、イケメンは」
と、そこへ早速西田ちゃんからラインが届いた。先輩とお話できてよかったです、そのあとにピンク色のウサギのスタンプ、周りが冷やかしと羨望の歓声を上げる。気分が良かったが、喜びでひくひくとひきつる口角を必死に抑えてなんでもないふりをした。
「そういえばさ」
学校からの帰途、住宅街を歩いていると細貝さんが切り出した。
「お昼休みに一年生の女子きてたけどなんだったの?」
道に視線を落としながら、少しばかり声を上ずらせて聞くのである。
「ライン教えてくれって」
「ふーん。教えたの」
「うん。いやだった?」
「別に」
とはいうものの、その横顔には明らかに不服の色が滲んでいる。ゆっくりと歩く僕たちの横を、小学生の女の子がふたり、はしゃぎながら追い越していった。道の少し先にヤマト運送のワゴンが停車している。横を通り抜けながら、僕は窓ガラスを鏡にして髪型をチェックした。頭の上をヘリコプターの飛んでいる音がする。ヘリはプロペラの音を残して駐屯地の方角へ遠ざかっていった。
「言いたいことあるなら言えば?」
刺のある口調で言うと細貝さんは悲しそうな顔を僕へ向けた。目尻にうっすら生えている産毛がいやに気になった。川で告白をしたあの日から晴れて付き合う次第となったのだが、今にして思うとこの垢抜けない少女のどこに惹かれたのかいまいち思い出せない。見れば見るほど、こいつ平安貴族みてえな顔してんなという感想が湧いてきて打ち消せないのである。ピンク色のうさぎのスタンプに感じたときめき以上のものを、今後細貝さんが与えてくれるとは到底思えなかった。
「細貝さん今度の日曜ひま? 海見に行かない?」
桜木町駅を出て、よく晴れた空の下、僕たちは指を絡ませて手を繋ぎながらみなとみらいの街を歩いていた。細貝さんは扁平な顔面に機嫌のよい笑みを浮かべてアローンアゲインなんかを鼻歌で歌っている。コスモワールドの方から、ジェットコースターのローラーの音と楽しそうな悲鳴が聞こえてくる。道端で大道芸人風のお兄さんが、バルーンアートで子犬を作っては家族連れに配っていた。
強い陽射しに、山下公園へ着く頃には背中に汗が滲んでいた。海沿いに並んだベンチはカップルで埋まっている。少し開けたところにはやはり大道芸人のお兄さんがいて、ジャグリングをやっている周りに人だかりが出来ていた。凪いだ海が穏やかな波の音を立て、揺れる水面で太陽がきらめいていた。
「うわぁ、気持ちいいねー」
細貝さんは海風に髪を吹かせながら、水際の柵に身を乗りだした。僕がその無防備な背中を押すと、細貝さんは鉄棒で前回りをするように半回転して柵を越え、そのまま海へ落ちていった。 〈了〉