15
その週の土曜日、朝の十時頃から藤井がギターを携えてうちへやってきた。香水の匂いをぷんぷんさせている。
「遊ぼうぜ」
いいけど姉ちゃんは学校だぞというと帰って行った。
二時ぐらいになって姉ちゃんが帰ってきた。来週から中間テストがはじまるらしく、帰ってくるなり部屋にこもって勉強を始めた。が、三十分くらいするといらいらした様子で下りてきた。
「もー、理系科目ぜんぜんわかんない。もっと頭良く生まれればよかった」
「大丈夫? 殺そうか?」
「えっ、どういうこと」
「コンビニ行くけどなんか買ってこようか」
「じゃあチョコ買ってきて。頭使ったから糖分必要」
サンダル履きでぶらぶら家を出ると、お隣の庭で年中さんになる真奈ちゃんがしゃぼん玉を吹いて遊んでいた。いくつもの丸い玉が煌きながらふわふわと飛んでいく。
「すいません」
青空を背景に浮かんでいくしゃぼん玉を眺めていたら突然声をかけられ、みっともなくもびくりとしてしまった。スーツ姿の二十代後半くらいの兄さんが笑顔を向けている。
「あちらのおたくの方ですか?」
兄さんは僕の家を手で差した。
「ええ、そうですが」
「先ほど少し前に制服の女性が入っていかれたと思うんですが、あの方とはご兄弟でしょうか?」
「はあ、姉です」
「実はお姉さまを電車の中でお見かけしまして、少しお話させていただきたいなと思いまして」
「えぇ……。ついてきたんですか……。まずくないですかそれ……」
容姿がきれいになるとこういった輩も引き寄せてしまうらしい。考えものである。
「あ、失礼しました、わたくしこういうものです」
いやな目をして半歩下がった僕に、兄さんは名刺を取り出して渡した。芸能事務所の人らしいのである。
「これはいわゆるスカウトってやつですか」
兄さんは彼の勤めている事務所にどういったタレントさんが所属しているのかを資料を見せながら僕に説明した。資料にはモデル風の女の人やイケメンの若い男がたくさん載っている。何本もドラマや映画の主演をやっているアイドル女優の顔をみたときは、おおっ、となった。なかなか大きいところのようである。僕はいったん家に引き返し姉ちゃんを呼び出した。芸能事務所の人がスカウトにきてるよというと、姉ちゃんはさほど興味もなさそうにのこのこ出てきた。
スカウトのお兄さんが姉ちゃんに事務所の説明をするのを、僕はあくびを噛み殺しながら眺めていた。
「芸能人になって人気出ちゃえば物理なんて勉強しなくていいんですもんね? うーんどうしようかな」
「そんな理由で? 短絡的すぎないか」
「蒼太もいっしょにやろうよ、姉弟で芸能人」
姉ちゃんがそう言うとスカウトの人は困ったような顔で僕を見た。
「わたくし共の事務所はですね、所属タレントが美形であることを売りにしておりまして……」
皆まで言わずとも僕の容姿じゃ無理だと言いたいのがわかり、さすがに僕は傷付いた。
契約するには、未成年は親の同意が必要とのことなので、スカウトの人はとりあえず名刺だけ渡して帰っていった。その日の晩御飯中、姉ちゃんが芸能事務所にスカウトされたことを切り出すと父さんが口から米粒を吐き出しながら猛烈に反対し、姉ちゃんはあっさりそれに従った。僕は安堵の嘆息をついていた。姉ちゃんが美貌を売りに有名になったら、僕は残念な弟というレッテルを貼られてしまうと恐れたのである。
その日から僕は朝の洗顔の時間になると、鏡に映った自分の顔をひたすら眺めるようになった。何度も首を動かして映してみて、一番よく見える角度を探した。
「おはよー」
あごを少しばかり下げ気味に上目遣いで鏡を睨んでいると姉ちゃんが入ってきて歯を磨きだした。鏡の中に僕と姉が並んで映っている。姉と比べると自分はなんて顔がでかいのだろう。比較的ましに見える角度なんか探していたのがとたんに徒労に思えてくる。
「どうしたのよ? 大丈夫?」
途方に暮れている僕を姉ちゃんは不気味そうな顔で見た。
「遅刻しちゃうよ」
姉ちゃんが洗面台をあとにしたのちも僕は何かを求めてひたすら鏡を眺め続けた。鏡に顔を近づけると鼻毛が一本飛び出しているのが見つかり、あわてて引っこ抜いた。毛を抜いた痛みに涙目になりながら、死にてえ、と僕は思った。その考えに思い当たって僕は体から沸き起こる喜びを感じた。死ねばいいのだ。自分の顔が納得のいく美貌を手に入れるまで、死んで死んで死に続ければいいのである。殺した相手がグレードアップする法則は自分自身にも効果があるはずだと僕は思いいたった。
早速その夜、僕は首をつった。飾磨蒼太ここにありき。