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 二年生には六月の初旬に里山体験なるイベントがある。山岳地方の農村に二泊三日で泊まり込み、田植えや川遊びを経験するのだ。一クラス三十五人が七人ずつ五つの班に分けられ、地元の人の厄介になる。我々の班は農業を営む老夫婦の民家に泊めてもらった。野口さんというお宅である。友達との外泊で僕たちは初日の夜にはしゃぎすぎ、晩飯前にプロレスをやって間借りした部屋の押し入れのふすまを藤井が蹴り抜いた。野口のおじいさんは大笑いしていたが、奥方のおばあさんはガチ切れして寝るまで口を利いてくれなかった。

 二日目は早朝から田植えをした。水を張った陽光きらめく田んぼで、野口さんに教わりながら一本一本苗を植えていった。一本植えた吉田が泥に足を取られて尻餅を突き、泥まみれになってみんなで爆笑した。おばあさんも声を上げて笑っている。前傾姿勢で田んぼの端から端まで苗を植えると腰が痛くなった。最初はみんなでわいわいやっていたが、半分を過ぎる頃には弱音が増えだし、最後の方はみな無口だった。植え終わったあとを眺めてみると、まっすぐ並べて植えたつもりでも苗はぐにゃぐにゃと蛇行している。痛む腰を抑えながら見回すと、まだ苗の植え終わっていない水田が幾面も陽を浴びてきらきらしている。僕は額に吹き出した汗を払った。

「これ全部植えるの大変ですね。野口さん腰痛くしませんか」

「うん、まあ、普通は田植え機でやるから」

 朝食を食べ終えると、ほかの農家に泊まっているクラスメイトと合流し、近くの川へ遊びに出かける。集合場所は昨日バスを降りたところで、無人の精米所が目印である。サンダルを履き、タオルを持って集合場所へ向かうと、二組の担任の小島先生が指揮をとっていた。

「赤坂先生こられなくなっちゃったから三組も俺が監督するぞ」集まった生徒たちを前に小島先生は言った。「自分のクラスもみないといけないからこっちに付きっきりってわけにもいかないんで、あんまり深いとこにいったり、危ないことはしないようにな」

「赤坂先生どうしたんですか」

「二日酔いだ」

 澄みきった水に川底の石が透けてゆらゆらしていた。目をこらすと透明な流れのなかに川魚が泳いでいるのが見える。魚がいるーと誰かが叫んで、吉田が捕まえようとしてばしゃばしゃ水に踏み込んだが、手のひらほどの魚はさっと身をひるがえしてあっという間にどこかへいってしまった。川の少し上流の方で、二組の連中がすでに川に足を入れて遊んでいるのが見える。

「お菓子とかジュースのゴミは散らかさずに持ち帰るようにな。絶対に川には捨てるなよー」

 小島先生はそう叫んで自分のクラスの監督へ向かった。何人かが流れに足を踏み入れだし、水の冷たさに悲鳴を上げている。

 川の対岸に大きな岩があり、その下が底の見えない淵になっていた。いつの間にか安永が岩に上っていて、バク転しながら淵へと飛び込んだ。水飛沫が大きく跳ね、陽を浴びて輝いた。翠玉色の水からいきおいよく顔をだして、くっそ冷てぇ、と安永が叫んだ。男子が体操服のまま、一人また一人と淵へと飛び込んでいく。浅いところで水を掛け合っていた女子たちも、男子たちに無理やり淵に引っ張り込まれ、髪の毛までずぶ濡れになってはしゃいでいた。僕は佐藤に羽交い絞めにされ、吉田と藤井に手足を掴まれ淵に放り込まれた。

「てめえら!」

 淵は足がつかずに焦ったが、なんとか泳いで抜け出すと岸へ上がった。細貝さんが平たい石の上に座って川の騒ぎをにこにこ見守っていた。

「泳がないの?」と僕は濡れた前髪をかきあげながら隣に座る。

「かなづちなんだ、実は」

「大丈夫だよ、溺れたって」

「えーひどーい。なんてことを言うの」

「細貝さんが溺れたら俺が助けてやるって」

 なかば冗談だったが、僕がそう言うと細貝さんが顔を赤くして黙ってしまった。目を伏せたまま、何か言おうとして唇を動かしては戸惑っている。川から涼しい風が吹いて細貝さんの髪を揺らし、二人を包む空気が甘い色彩を帯びていくのを僕は感じた。

「なんで?」

「ん?」

「なんで助けてくれるの?」

 足元の濡れた石が乾いていく。尻尾の青いとんぼが、蒲公英の葉の上で羽を休めていた。

「好きだから」

 とんぼが飛び立って、緑の葉が音もなく揺れていた。言っちゃった言っちゃったついに言ってしまったぞ、僕は指先が細かく震えているのがばれないように、力を込めて膝頭を掴んでいた。僕の告白を聞いた細貝さんはというと、うぅ、と呻いて泣き出した。すすり泣く声の合間に、私も好きぃ、という言葉がかろうじて聞こえた。

「あーっ、飾磨くんがはるかちゃん泣かせてるー」

 川から僕を指差しながら倉本さんが叫んだ。みながこちらに注目し、男子たちから「おぉい何泣かせてんだよー」と非難の声が上がる。こっちに向かってぱしゃぱしゃ水をかけてくる奴もいる。僕は立ち上がり、澄み渡った空を仰いで両の拳を突き上げた。

「彼女ができたぞぉー」

馬鹿でかい声で叫ぶと全力で駆け出し、奇声を上げながら水しぶきを立てて流れを横切ると、淵の中へ飛び込んだ。


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