4、修道院
1-3話を改稿しました。話の筋は変わっていないはずなので読み直さなくても大丈夫です。
「修道女になるなんてどうして 庶民の学校か教会学校に入り直せばいいだろう、お前は賢い子なんだから」
「いいえ私は神の道を行きます お父さんだって末は聖女かっておっしゃったでしょう むしろ近道ですよ」
「そんな他人行儀な喋り方はやめておくれ」
「私は努力してこうなったのです お母さんも貴族学校に入学した時は喜んでくれたではありませんか」
兄と相談した少女は学園に退学届を出しました 公爵令嬢とは逆方向の辺境にある修道院へと入会するつもりです 両親は引き止めましたが、少女の決意は固かったのです
修道院で少女は奉仕活動にのめりこみました その時だけは学園での羞恥を忘れられたからです
件の公爵令嬢はそのまま修道女となり、王姉であった修道院長と共に国中の貧しい地域をその強大な魔法で開墾して回っています 教会の活動報告で令嬢の活躍を目にするたびに、少女の胸が温かくなりました
十年経ち、少女が女性となり何人もの後輩をもつ修道女となったころ、遠く離れた実家から兄がやってきました
「元気にしているか」
「おかげさまで、神の愛に包まれて健やかに活動できております」
「やめてくれよ兄妹じゃないか、俺は懺悔しにきたんじゃないんだ 妹に会いに来たんだ」
「兄さん」
「もうすぐ公爵令嬢がこの地域にもやってくるな」
「そうですね ありがたいことです」
「王子も教会騎士になってあの騒動はもう終わったんだ 教会を辞めて王都に帰ってこないか」
「もう少しだけここにいます せめて令嬢の巡礼が終わるまでは」
王子が教会騎士になった話は教会の活動報告で知っていました それでも王子の動向が修道女となった少女に影響することはありません 修道女を動かすのはいつでも公爵令嬢なのです
「お前は直接謝罪したいのかもしれないがお前に謝られたって令嬢はちっとも嬉しくないんじゃないか それどころか嫌な記憶を思い出すはめになってお辛いんじゃないか お前もそう思ったから今まで会いにもいかなかったんだろう」
「お会いする気はありません ただ一修道女として活動を支えるだけです」
「お前がそこまでする必要はないだろ あちらさんは本物の修道女なんだから、神の名のもとにお前のことも許しているはずだ」
「神の許しはみなに与えられています でも神が許すからと、兄さんのお店から種を盗んだ人が贖罪を拒んだら許せますか」
「お前がそこまで気にするのは俺のせいか 俺がいつも姉ちゃんのことをあんなにこき下ろしてたからそれを真に受けて ちょっと抱き合うくらいみんなやってるんだよ、俺達庶民はさ でもあの頃の俺はああいうのがすごく汚く思えたんだ 三番目の姉ちゃんは今でも旦那さんとおしどり夫婦で有名だ 二番目の姉は不気味なくらい問題を起こさなくなったし、一番目の姉も離婚せずに何とかやってる 女性不信だの家庭不信だの宣った俺だって結婚して子供も出来た 本当にたいしたことじゃなかったんだ
頼むよ、帰ってきてくれ これ以上俺を責めないでくれ」
「お兄ちゃんそんな風に思ってたのね 私が私を許せないのはお兄ちゃんのせいじゃないわ 舞い上がっていた自分が許せないの 奉仕の時もお祈りの時も、公爵令嬢のことを考えない時はないけどお兄ちゃんのことなんてこれっぽっちも思い出さなかったわ 謝られても困るって本当ね」
「お前子供の頃に戻ったんじゃないか もうちょっと反省しておけよ」
修道女がこましゃくれた子供だった小さな頃と同じような口をきくと、兄の目に涙が浮かびました 修道女の顔は笑っています
「さあ早く義姉さんと赤ちゃんのところへ帰って今度は3人で礼拝に来てちょうだい 兄さんは立派な父親よ 私のことで赤ちゃんに顔向けできないと思うことなんかないわ あと私の公爵令嬢に奉仕する時間をこれ以上削らないで」
兄が王都に帰ってすぐ公爵令嬢と院長が修道女の住む地域にやってきました
二人は領主と領民と教会関係者から大歓迎を受けました 貧しい地域を無償で開墾してまわる二人は各地の領主や領民から絶大な支持を得ていたのです
魔法による開墾を一目見ようと周辺から見物人が集まるため、領主も教会も警備やもてなしに奔走しました 修道女も中堅の裏方として右へ左へと走り回ります
開墾は大成功でした
令嬢の魔法が展開すると同時に院長が補助魔法を上掛けします 次から次へと大規模魔法が発動するたびに、危険だからと止める教会騎士たちを押し倒さんばかりに領民たちが押し寄せるのです
遠目に令嬢の美しい魔法を見る修道女の目からは涙があふれんばかりでした 感極まってあきらかに挙動不審でしたがその場にいる教会関係者のだれもが涙していたために目立つことはありません
ああ、あの方をこうして遠くから眺められるだけでも、修道女になったかいがあった
院長先生が羨ましい あんな愚かな真似をしなければ私にも令嬢をお助けすることができたのに
泣けばせっかくの令嬢の姿が歪んでしまうと修道女は嗚咽をこらえて目を開き続けました
一週間かけて荒地を開墾した二人は三日の休みを経て次の開墾先へと移動します
貧しい地域の修道院ゆえにできることは限られていますが、二人が少しでも快適な休みが取れるようにと、修道女は心を砕きました
令嬢の馬車の座席が少しすり切れているのに気付いた修道女は、この十日余り端切れを見目よく縫いあわせ、ふわふわに洗い直した綿をつめて座布団を作っていました
そこに話しかける人がいたのです
「あなたは私の姪孫の同級生だった子ね」
「院長先生、私は、私は、あの、あの」
「いいのですよ、あなただけが悪かったのではありませんから」
「いんちょうせんせい」
修道女は泣きました あれから十年、当事者に直接会うのは初めてです 修道院長は王子の親族で令嬢の師匠です 酷く罵られても仕方ないと思っていました
院長先生はつっかえつっかえ懺悔する修道女の話を根気よく聞きとります
そしてこう言ったのです
「ねえ、あなた 私は必ず弟子より先に逝きます いつかあなたが私の弟子を支えてくれると嬉しいわ」
「私などがそんな」
「あなたは敬虔な修道女ではありませんか 入会して以来のあなたの献身は聞いております ここの院長は私の後輩なんですよ 彼女の目は確かです 学園で習った礼儀作法もきちんと身についているようですね 手痛い失敗があろうと、今までとこれからのあなたの努力が消え去りはしません
あなたがそのまま神の道をたどるなら、いずれ彼女と道が交わるときが来るでしょう」
修道女の泣きはらした目からはまた涙があふれ出てきました
「神の道はひとつではありませんから、還俗して市井で彼女を支える道もあるかもしれません どの道を選んでも人は必ず神の元へと至ります 自身を教会に縛り付ける必要はありませんよ どこにいてもきっとあなたは彼女と出会うでしょう
さあ、祈りましょう」
修道女は祈りました 神へと院長へと令嬢へと 目の前の院長の背中には光がさして見えました
それから一年も経たないうちに院長が亡くなりました 偉大な先達を失い国中が悲しみ喪に服します
きっと令嬢も嘆き悲しんでいらっしゃる 私には近づく資格なんてないけれど
居ても立っても居られなかった修道女は、院長の修道院へと転属願いを出しました
かつての貧しい修道院は今や教会の聖地となり、転属願いが通らないことで有名でしたが、真面目で献身的だった修道女の願いはすぐにかなえられました
院長先生の修道院に転属した修道女は毎日野の花を一輪、院長の墓の隅に供えました たくさん捧げられる立派な花束とは比べるべくもないけれど、院長先生なら喜んでくださるはずです
「あなた、いつも院長先生のお墓に参ってくれてありがとう」
「とんでもないことでございます 野花を供えるくらいしかできませんが」
いつものように院長の墓に祈っていると何度も夢に見た令嬢の声が響きました 修道女の心臓は口から飛び出しそうになりましたが、長年の研鑽の甲斐もあってなんとか冷静に返答します
「院長先生はお花がお好きだったわ 特にあなたのお供えしてくれた菜の花とかね」
「食料になりますしね」
「そうよ、院長先生はいつでもどなたでも修道院や孤児院に受け入れていたから、いつも食事や衣服やいろんなものが足りなかったの 今はそうでもないけれど」
「院長先生とお弟子様の素晴らしい魔法のおかげです」
「院長先生の導きがあってこそよ 私には攻撃魔法をこんな風に使う発想はなかった あなたもよい魔法が使えるそうね 私と一緒にこの国を巡ってくれないかしら」
「私などがそんな」
「院長先生がいらっしゃらないと色々と大変なの 穴を埋めようと皆さんが頑張ってくれるけれど、魔法の補助だけでも共倒れしそう 私も一人では無力だわ」
「私で出来る事でしたら何でもお申し付けください」
亡き院長を思い出したのか寂しそうな令嬢の横顔に修道女の罪悪感も羞恥も吹き飛びました 令嬢が自分のことを覚えていないなら黙って献身すればいい 卑怯な自分を心中で軽蔑しながらも令嬢の手を取る誘惑には勝てません
二人は手をつないで全国をまわりました ほかの随行員は時々で替わっても、二人だけは常に一緒でした 暑い時も寒い時も高地でも低地でも砂地でも泥炭地でもどこへでも手を取り合って赴いたのです 二人の馬車にはいつも修道女が作った座布団がありました
やがて国中の荒地という荒地が開墾されました さらに農地の改良にも区切りがつき令嬢と修道女の旅は終わりました
中央教会での奉職を断った令嬢は辺境の修道院に帰ることを選びます 聖女の弟子と名高い令嬢は新たな修道院長に任命されました 修道院ではたくさんの人が聖女の弟子を待ちわびているでしょう
もう旅の間のように令嬢をひとりじめはできません 修道女は古びてしまった座布団を抱えて消沈しました
寂しくとも令嬢の新たな門出を祝わなければなりません 馬車での旅もこれで最後です 俯いている暇はありません
「明日からは修道院に腰を据えて院長生活ですね」
「不思議ね、この私が修道院長だなんて」
「なんの不思議もございません 亡き院長先生の跡継ぎはあなただけです 誰もが認めなくとも神は見ていらっしゃいます」
「罪は認めなくてもいいのかしら」
「ああ聖女様! 私のことを覚えていらっしゃったのですね」
修道女の目が限界まで開きました 見る見る間に両目が潤みます
年月を経ても美しい令嬢の右手を両手で押し包んで額に当て、修道女は狭い馬車の床板にひざまずきました
自身を聖女と呼ばれても令嬢はまったく動じません
「あらあら、恐れ多くも教会に列聖された聖女は院長先生だけよ」
「その口調、まるで院長先生のようですね 今はあなたが院長先生ですけれど」
「そうだったわね でも聖女は不遜すぎるわ 亡き院長先生に叱られてしまうかも」
「院長先生はお優しい方でしたから、私が私の聖女様を聖女とお呼びしても叱ったりなさいません」
「ああ、そうね 院長先生は叱ったりなさらないわ いつだって誰にだって優しく諭してくださった 院長先生の優しさは神と同じくこの世のすべてに向けられていたわ」
「そのとおりです 院長先生は神の愛の体現者でした」
「私には神の万人向けの愛では足りないのよ 私だけを焦がすほど見つめてくれないと」
「聖女様 ああ聖女様 あなたを神より愛してやまない私をお許しください」
「許すわ」
学園を去った平民の少女は一修道女となり、悪役令嬢と呼ばれた公爵令嬢を生涯支え続けました
自身の手で闇に落とした悪役令嬢を魔王として打ち倒す日も、戦争の功績で聖女と呼ばれる日も、魔王に滅ぼされた国家の再建に奔走する日も、魔王を作り出した戦犯として誹られる日も訪れませんでした
令嬢が亡くなった時、修道女はおおいに泣き、泣き止んだあとは師と同じく聖女に列せられた令嬢の墓を守り続けました
やがて修道女が亡くなると、教会は彼女を師弟聖女が眠る特別な墓地へと埋葬しました
師弟聖女の大きな墓の傍には今も修道女の小さな墓が寄り添っています
めでたしめでたし
王子が当て馬すぎる
2024/02/24 誤字訂正
二人がすこしでも→二人が少しでも
居ても立ってもいられなかった→居ても立っても居られなかった
時々で変わっても→時々で替わっても
誤字報告ありがとうございました