1、神童
昔々あるところに魔法が使えて賢い平民の少女がおりました
少女はよくある流れで貴族学園へと入学し、よくある流れで王子の特別なご学友となりました 少女は王子の特別であることも気にしません 小さな頃から魔法の才をしめし学業にも優れていた少女はいつだって特別扱いだったからです
王都によくある商家の片隅で、小さな女の子が湯飲みに指を差し込んでいます 女の子は十ばかり歳の違う少年に話しかけました
「みてみて、おにいちゃん、こうすると水がこおるのよ」
「ああ? この暑いのに水が凍るわけないだろっ いたずらしてないで早く飲め 片付かないだろ」
「ほんとよ ほらひっくりかえしてもこぼれないでしょ」
「なんだもう飲んだのか 冷たっ なんだこれ かあさん、とーさあああああん」
兄が慌てて両親の元へ駆け込むと、両親も慌てて魔法使いである大叔母の元へと駆け込みました
魔法使いのおばあさんに促された小さな女の子はあっさりと水を氷に変えてみせます
おばあさんは言いました
「うちの家系には時々魔法使いが生まれるが、習いもせずに魔法を使える子は初めてだよ この子は天才だ えらい魔法使いになる 簡単な魔法は私が教えられるがきちんと学校にいったほうがいいよ もちろん平民の学校じゃなくて貴族の学校さ 教会付きになるなら教会学校でもいい」
うちに帰った両親は娘の魔法に興奮して大きな声で話します その声は隣近所まで届きました
「うちの娘の将来は聖女かもしれないなあ」
「おとうさん、せいじょってなあに」
「神様に選ばれた偉い女性のことさ 聖女様にはみんなお前みたいな特別な力があったんだ」
「せいじょさまはとくべつなひとなんだ」
小さな女の子は目をきらきらと輝かせました
習わずとも水を凍らせた女の子です 大叔母に教わってみるみる魔法の腕はあがります
近所の子供たちが集まると、いつも氷やお湯を作って見せてあげました
「ほら、なかみがこおってつめたいでしょ こうするとすごくおいしいんだから」
「うわあすごい これもやって」
「あたしも」
「ぼくも」
熱狂する家族とはやしたてる周囲を、兄である少年はさめた目で見ていました
少年にも魔法の才がありましたが、少年が魔法を使えるようになったのは女の子より年かさになってからです 家族との確執があった少年は魔法を使えることを親友以外の誰にも言いませんでした 少年にとって魔法は親友との二人だけの秘密でした
でもある日、少年は魔法の制御に失敗し親友の指に小さなやけどを作ってしまったのです 傷はすぐに治り親友も笑って許しました ですが操作できない炎の恐ろしさを知った少年は二度と魔法を使わないと決めたのです 少年の固い決意を知った親友は、自分も少年の魔法について一生口外しないと約束しました ふたりだけの秘密は一生の約束になったのです 親友との約束は魔法を扱える特別な存在であることよりも少年にとってはるかに価値がありました
それからすぐに両親が妹を授かりました もう孫もいる年です 男の子ができるまではと頑張った両親ですが少年が生まれてからは子を作るつもりはありませんでした せめて弟だったらよかったのにと苦悩した少年ですが妹に罪はありません 家業で時間のない両親や、恋人との逢瀬に忙しい末の姉の代わりに暇を見つけては小さな妹の面倒をみました その妹が魔法を使って見せたのです かつての自分より幼い妹が魔法を使うのを見た少年は、早く制御を覚えさせないと大変なことになると恐れました 大叔母が妹を指導してくれることになり安心しましたが、魔法のことが周囲に広まってしまったのは計算違いでした 考えなしの両親に腹が立ちます
妹の騒動を周囲の大人より俯瞰して見ていた少年はその狂騒に不安を感じました 年の離れた手のかかる妹ではありますが、大人たちの身勝手な欲望の犠牲になりはしないかと気がかりでした
妹が1人の時に少年はこっそり言って聞かせます
「お前あまり調子に乗るなよ 魔法は危険なものでもあるんだ 今は天才扱いされてるからいいけど、一度でも失敗したらみんな逃げていくぞ その時になって謝ったってやらかしたことは消えてなくならないんだから」
妹には兄の言うことがよくわかりません 賢い子ではありますが所詮はまだ幼い子ども、兄の言葉は難しすぎたのです 妹にわかったのは、兄に自分の大切な何かが否定されたことだけでした そして妹は今まで誰にも否定されたことがなかったのです
「うわああああああん」
「うわ泣くなよお前」
火のついたように泣く妹の声を聞きつけて母親が店からとんできました
「いい年して小さい子を泣かすんじゃないよ! 魔法が使えないから嫉妬してるの? お兄ちゃんは賢いし、うちを継ぐんだから魔法なんか必要ないでしょ さあ、お姉ちゃんのパン屋にくるみを届けていらっしゃい」
「魔法を使いたいなんて一言も言ってないだろ だいたい姉ちゃんのパン屋じゃなくて入り浸ってるだけだろうが もういい、行ってきます!」
家族に隠れての忠言を嫉妬扱いされた兄は不快さもあらわに配達に出ました すると泣き止んだ妹がちょこちょこと後ろをついてきます 母親に怒られた兄が一人で可哀想だと思ったのです
「ついてくんなよ お前が泣いたせいで怒られたんだぞ」
「いっしょにいく」
家族の顔を見たくない気分でしたが、幼い妹を外に置き去りにも出来ず兄は足を緩めました
「まったく父さんも母さんも無責任に持ち上げやがって ただでさえ年取ってから生んで初孫より年下なのに自分が死んだあとのことを考えてるのかよ 増長して天狗になって嫌われたって面倒みてやらないぞ」
腹に据えかねた兄は妹には聞こえないように小さな声で文句を言います
両親は家業の跡取りとして少年には厳しく教育しましたが、姉たちには結婚相手も仕事も自由に選ばせました 娘たちに男関係で散々振り回されても甘いままです 妹には姉よりさらに甘いのです 少年なりに妹だけは姉のようになってほしくないと必死で世話をしてきました
考え事にそぞろ歩きになっていた兄の袖を妹が引っ張りました
「ねえねえお兄ちゃん お姉ちゃんはどうしてパン屋のお兄ちゃんにくっついてるの」
妹の視線を辿ると三番目の姉がパン屋の跡継ぎと路地の奥で熱烈に抱き合っていました だからいやなんだと兄はさらにささくれました
「ああもう姉さん みっともない あのふたりは恋人なんだろ でもこんな人目のあるところでいちゃつくなよ 恥ずかしいな」
「みっともないんだ」
「みっともないよ発情しちゃってさ お前はあんな女になるなよ 神童気取りで男にもだらしないんじゃ本当に嫁の貰い手がなくなるぞ」
家族の醜態を恥ずかしく感じた兄は、普段なら妹には言わないような家族への愚痴を口にしてしまいました 妹は意味が分からないなりに神妙な顔をして頷きました
時が経ち兄が商家を継いだころ、小さかった妹は少女となり、貴族学園の狭き平民枠に優秀な成績で合格しました 両親はもちろん、ご近所でもちょっとしたお祭り騒ぎになり少女は盛大に学園寮に送り出されたのです
少女が貴族学園に入学して二年が過ぎました 平民でありながら優秀な成績を認められた少女は、同級生である王子の鶴の一声で生徒会に所属しています
その異例の生徒会室に呼び出されたのは王子の婚約者である公爵令嬢でした 一人の令嬢を複数の生徒会役員と生徒会担当教師が囲みます 正面に立った少女がゆっくりとした口調で令嬢に語りかけました 努力がうかがえる庶民離れした言葉遣いでした
「公爵令嬢、どうか罪をお認めください 誰もが認めなくとも神は見ていらっしゃいます 成績の改竄などなさらなくともそのままの貴女でよろしいではありませんか 殿下は成績の良し悪しであなたを見下すようなお方ではありません」
「ええ、神は見ているでしょう あなた方の行いを 仮にも貴族子息が徒党を組んで一人の女性を囲んでいる様を」
たくみに問題をすり替える令嬢に、王子がたまらず口をはさみました
「いいかげんにしろ 彼女は君のために言っているのに、なぜわからないんだ 私は君が平民より成績優秀でなくても構わない 身分に拘らず平等に競った結果ならば順位など何でもいいじゃないか なぜ身分に拘る? 平民に負けたからなんだと言うんだ」
「私は成績の改竄などしておりません あの魔法は偶然成功したのです」
「語るに落ちましたね あれは偶然で成功するような魔法ではありません 協力者がいるのです」
「父君と違って偶然でも成功できないからと私に当たるのは止めてくださいませ、先生」
「なんという無礼な言動だ! 優しく注意していれば反省の欠片もない 殿下、このままにはしておけません」
「彼女は反省などしませんよ 今必要なのは優しさではなく罰です殿下」
「厳罰に処するべきです」
妹に詰め寄る男性教師や男子生徒に危機感を覚えた令嬢の兄が割って入りました
「お待ちください殿下 妹は一度屋敷に戻し反省させますので」
「甘すぎる 問題は成績改竄だけではない 令嬢はそれこそ女性陣で徒党を組んで少女を無視させている やり方が陰湿だ それに自分の悪事を糾弾された立場でありながら逆に私たちに徒党を組んだなどと罪を擦り付けている」
「私の婚約者も少女を誤解して嫌っている 君の入れ知恵だろう」
「私はほかの女生徒になんの指示もしておりませんし、皆さまの婚約者と彼女の話をしたこともありませんわ 関係ありませんもの」
「ですが貴女は何度も、私に殿下から離れるようにと仰いました」
「未婚の男女なのですから二人きりになるのも距離が近すぎるのも頻繁にお会いするのもよろしくないと申し上げただけです 私と同じことを仰る生徒がいらっしゃったなら、その方もそう感じたまでのことですわ」
「殿下の傍には常に我々がいるというのに二人きりのわけがないだろう 話になりません 殿下、ご決断を」
「おかしなことをおっしゃるわ あなた方は席を外していたこともあるでしょうに」
「殿下」
「殿下」
男子生徒たちはますます興奮を強めます 一度引き離して冷静にさせようと、王子は公爵家の兄妹に命じました
「公爵令息、令嬢を連れて帰宅するように 処分は追って言い渡す」
翌朝、公爵家の兄妹は登校せず、昨日の糾弾に参加した者には王子から説明がありました
「昨夜のうちに王城で公爵と相談し、令嬢は一時的に公爵領内ではなく辺境の修道院へ送ることになった 寄付がなくとも誰でも受け入れるが戒律が厳しいと有名な修道院だ 彼女もこれで改心するだろう」
昨日公爵令嬢を囲んでいた子息たちの一部は喜び、一部は甘いと不満を表しました 少女は心配げに王子の顔色を窺います
講義が始まるからと王子が生徒を解散させると、生徒会室には王子と少女の二人だけが残りました
王子は先ほどの姿が嘘のように力なく口を開きます
「これで彼女が改心してくれるといいのだが 私の妻となるために名声など必要ない それさえ彼女がわかってくれればなんの憂いもなく結婚できる 少しでも早く病身の父や心配性の祖父を安心させてさしあげたい」
王子は心苦しそうに言いました 少女はそっと王子の二の腕に手の平を添わせます
「信じましょう殿下 彼女も悪い方ではありません きっと修道院で神の声を聞いてくださるはずです」
「そうだな」
二人そろって生徒会室を後にし、少女はため息をつきました
本当に彼女が改心して戻ってきてくれたらいいのだけど
なぜあれほど平民の私に負けることを嫌がるのだろう 魔法の腕が立つ人間がたまたま平民だっただけなのに 婚約者である王子も成績など気にしない方なのに 私が殿下の個人指導を受けていることが不満で成績だけでも勝とうとしているのかしら 指導と言っても魔法ではなく礼儀作法だし、改竄で勝っても意味がないのに
それ以前にどうして婚約者の殿下を信じられないのかしら 殿下は身分を鼻にかけず相手が平民でも誠実に平等に接するお方 教職員も含めてほとんどが貴族のこの学園でも、あれほど身分を気にしない方は他にいらっしゃらない だから平民の私にもお優しいだけなのに恋愛感情と勘違いなさるとは 素晴らしい婚約者を持てたことを誇りにして胸を張って殿下の隣にお立ちになればよろしいのに
「本当に理解できないわ」
2024/02/23 改稿 話の筋は変わっていません
2024/02/24 誤字訂正 顔を伺います→顔色を窺います
誤字報告ありがとうございました
2024/04/14 誤字訂正 なんの支持もしておりません→指示
誤字報告ありがとうございました