第九章。「舞台は途中で終われない。間違わない役者もいない。だからアドリブがきく人材が必要だ。その為にも全員が台本の筋を共有していなければならない。元の筋に話を戻せなくなるからである
長らくお待たせしました。この第九章までが「中編」となります。少し長いですがお付き合いいただければ幸いです。この章で色々な事が分かります。気づいてもらえないかもしれないのでもう暴露しますが、第二章から「剣崎→ 野火→ カオス→ 千鳥とモモピンク」に関係するエピソードを続け、「千鳥とモモピンク→ カオス→ 野火→ 剣崎」と続けたのはちょっとした遊びです。そう。この章ではついに剣崎が覚醒します。覚醒ってかっこいいですよね。これまでで一番「超能力モノっぽい展開」です。
状況を整理しよう。
超能力特措法が制定され、超能力者と認定された者は隔離施設に送られ奴隷のごとき生活を強要されるようになった。
千鳥かなは未来から来たと言う自称スーパーヒロイン「モモピンク」から、これら一連の騒動は国民の完全支配構造を構築する為の、悪しき政治家の企てであると知らされる。
悪法を定める者はすなわち悪人であり、悪人共は長い年月をかけてその下地を整えて来た。
モモピンクによれば、最大の要因は「憲法の改定」と、その改憲に盛り込まれた「緊急事態条項」を「有効たらしめる緊急事態宣言」である。
目下の目標は、超能力者被害に対応する名目で緊急事態宣言が発令される前に、超能力者が人権を取り戻し、明確に勝利する事。
その為にモモピンクは千鳥かなやマイケル青ことマカオを窮地より救い、未来における最大級テロリスト「火炎王・野火太郎」覚醒のきっかけでもあり緊急事態宣言発令のきっかけでもある「野火しずかの死という悲劇」を回避すべく歴史に干渉してきた。
それらは成功した。
モモピンクにはまだこれからのビジョンがあり、考えを整理する前の小休止にチョコレートでもつまみながらコーヒーを飲もうとして、何となくテレビをつけた。
ニュースでは政府が緊急事態宣言を発令したと言っている。
「馬鹿な!? 早すぎる!!」
モモピンクはテーブルを勢いよく殴りつけた。
それを見ていた千鳥やマカオは、一瞬だけ何事かと驚いたが、テレビの内容を把握してモモピンクの憤りを理解した。
モモピンクの言葉によれば、正史における緊急事態宣言の発令にはまだ三か月程度の余裕があったはずである。
ここはモモピンクが用意した隠れ家の一つだ。
マカオが疑問を口にした。
「どういう事かしら。しずかさんは逮捕もされず、だから野火太郎は覚醒する要因が消えて、脱獄事件も起きなかったのよね」
「……いえ、報道によれば脱獄事件そのものは起きたようです。ただ主犯が野火太郎ではありません。誰ですこれは? 剣崎斗真? こんな超能力者は知らない。もしや政府が元々準備していた偽の反乱? いえ……それなら未来においても野火しずかの悲劇と関係なく事件は起きたはず……。三か月も早く事件が起きる理由にならない……」
「剣崎……斗真……!?」
千鳥が青ざめた顔で呟き、その様子にモモピンクが疑問を抱いた。
「どうしました千鳥さん? この剣崎という超能力者に心当たりが?」
「彼は私の知り合いです。能力名はソードオブスミス。刀剣に類する物をイメージするだけで異空間より取り出したり、収納したりする事ができる能力です」
「!?」
モモピンクが驚き、マカオが言う。
「なるほどね。もし取り出せる刀剣が一本ではなくいくらでも取り出せるのなら、反乱する人、全員分の武器を用意できる。あるいは、その異空間とやらの出入り口を体から離れた場所に設定できるのなら、工夫によっては刀剣を射出する兵器として運用できるかもしれない。ここまで変えた未来の影響が悪いように作用して、むしろ剣崎斗真の意識の変化に繋がったのかもしれないわね」
と、そこまで聞いてモモピンクが悔しそうに呻いた。
「何という事だ。……ここにきて作戦がむしろ逆効果に働いた……!」
「仕方ないわよ。その様子だと、元の歴史では剣崎って能力者は活躍しなかったのでしょ? しずかさんの悲劇を回避する事は人道的に見ても間違ってないわ」
マカオは、知らなかった事には対応できなくて当然だと、モモピンクを慰める目的で言った。しかしモモピンクが次に言った言葉を聞いて、先程の「作戦」の本当の意味を知り、その悔しさを正しく理解した。
「違うのです。私は欲をかきすぎたのかもしれません。未来における重要戦力である野火太郎の覚醒をコントロールしつつ、陣営に引き込むために『私の協力者を施設に送り込んでいた』のです」
「なんですって!?」
「恐らく『彼』は、剣崎についてノーマークだったのでしょう。当然です。私も知らなかった能力者なのですから。脱獄の当時でも、その後の政府への反攻においても、ついぞ名前の出てこなかった能力者なぞいないだろうとタカをくくってしまった。いたとしても注視すべき能力ではないと思っていた。きっと『彼』と野火太郎との交流に剣崎は関わってしまったのです。そして脱獄を実現するに足る能力の覚醒や強化、あるいは意識の変化か何かが起きて、脱獄事件を起こしたと見るべきでしょう」
だとしたら、この事態はモモピンクが招いた事になってしまう。
「疑問なんだけど、その『彼』っていうのは、超能力を覚醒させる事が得意な人なの? 口ぶりから察するに、野火太郎の覚醒を確信していたようだったけど。妹の死に対する怒りがなければ気付かないような気付きを与えるって結構な事だと思うのよ。それとも能力を覚醒させる能力とか、そんな感じ?」
「……『彼』は優秀な人物です。与えられた情報からきちんと推理して行動し、時には天運をも味方につけて正答に辿り着く。野火太郎と同じ『炎にまつわる能力者』で、私の知る限り、野火太郎のアドバイザーとしてこの上ない人材でした」
モモピンクは「彼」について簡単に説明した。頭脳が優秀なだけではなく、例え相手が悪魔だったとしても勇敢に戦える気概を持ち、仲間を大切にする心がある戦士であり、かつては新興宗教団体の幹部を務めた事もある経験豊富な男性で、とある王から高く評価された事もある人物だと。
そして言った。
「彼の二つ名は『黒煙のルドルフ』戦う時は常に黒煙の中にあり、ただ一人、生きて帰る者……。かつて私も参加した神魔戦争において、大変重要な活躍をした英雄の一人でもあります」
まさかこんな事になるとは。と、悔しそうに彼女は冷めたコーヒーをすすった。
千鳥とマカオは、神魔戦争とかいう新たなパワーワードを聞いて少し驚いたが、この未来から来たと言う自称スーパーヒロインなら神と悪魔の戦いに参加ぐらいしていても不思議ではないのかもしれないと思って納得した。
なにせ超能力者と政府が戦うような漫画みたいな未来があるのだ。漫画みたいな神と悪魔の戦いがあったとしてもおかしくはないだろう。
さて少しだけ時間をさかのぼり、野火太郎が収容されていた隔離施設の様子を見てみよう。
施設に収容された超特別指定害獣は、基本的に個別の檻に入れられる。
檻からの出入りの時、そこから移動する時には職員の監視が付き、食事もそれぞれの檻に運ばれ、風呂も小さな個室風呂が集まったエリアでまとめて監視されながら入る。風呂に入れるのは週二回だ。
剣崎や野火は「そのへんは拘置所とそっくりなんだな」と思った。
基本的に害獣同士で交流を持つことは難しい環境だったが、それでも風呂の順番を待って列を作っている時や、作業場で近くに寄った時など、監視の目を盗んで小声で会話をする程度の事ができる機会はあった。
黒煙のルドルフは野火太郎と同じ家具作りの仕事を受け持って接点を持ち、少しずつ情報を共有し、そして与えるべき助言を細かく分けて伝え野火太郎の覚醒を促しつつ、うかつに反乱なぞおこさないように忠告した。
それらのやりとりをまとめると以下のような内容である。
「なるほど。君の能力は、実は発火能力ではない可能性がある」
「なんだって。どうしてそう思った」
野火太郎は隣で作業にいそしむイケメンに最初は不信感を抱いていたが、話してみると真面目な人柄であったので徐々にうちとけていった。
野火は世のイケメンに対して、基本的に他人を見下しているような印象を持っていたのだが、隣のイケメンは、それはもう神々しささえ漂うイケメンであるのにそのような気配を微塵も感じさせないよくできたイケメンであったので、イケメンだからといって不当な感情をもって相対してはいけないなと反省した。
黒煙のルドルフは、そんなイケメンである。
「火が燃えるには何が必要かな?」
「……酸素だろ?」
「そして燃料だ」
「!?……確かに」
「指先や手のひらに火を灯せる。だから火に関係する能力だとする推測は理にかなっている。だが、酸素があれば火がいつまでも燃える理屈ともならない」
「ろうそくや焚き木やガソリンのように燃料となる物が必要……」
「そう。だが君はそれらを必要とはせず、熱さを我慢すれば手先に火をつけてポーズを取れるくらいには燃焼を継続できるのだろう?」
「……つまり燃料を供給する能力も共にあるという事か?」
「だが君自身はその燃料の部分を知覚できていないようだな。その可能性はあるが、別の可能性も考えるべきだ」
「別の可能性……」
「例えば私の能力は神や悪魔がもたらす奇跡に近いと結論できる。多くの経験を経てようやくそう理解できた」
「奇跡?」
「体から離れるとすぐに消えてしまうが、燃やす対象と密接であれば念じる限りいつまでも燃える。酸素は必要だが燃料は不要で、恐らく発火と言うよりは『炎を出現させる』能力なのだろうな。炎を出現させ続けて、懐中電灯代わりにもできるぞ。そして私自身はこの能力によっては損傷を負わない。なかなかチートな能力だと思って調子に乗っていた時期もあったのだが、後に酸欠や一酸化炭素中毒の危険がある事が分かった」
「まて。一酸化炭素中毒ってかなり危険な事故だぞ。それを事前に知らないってかなり怖いし、それをどうやって確かめたんだ」
「ふ。過去に色々あってな。たまたま同じ能力者と戦った時にそれが分かった。倒れたのは相手だったが。……恐らく『損傷を負わない』の部分には、一酸化炭素が赤血球と結びつく事は含まれないのだろうな」
「凄い経験だな」
「ああ。私の能力も、経験して学ばなければ分からないような意外な欠点や利点があった」
「俺にはその経験が足りないと?」
「そもそも超能力なんて、足が速いとか、目が良いとか、そういう『感覚で扱うしかないものの一つ』だろう。どっかの漫画みたいに自分で能力の詳細を把握できているほうがおかしい。爪が伸びるのは人間の機能だが、どういう理屈で伸びるのか説明できる人は殆どいないようにな」
「殆ど全ての異能バトル漫画全否定かよ」
「私だってこの能力を神より与えられた後で、色々な経験を経て理解を深め、ようやく満足に扱えるようになったのだ」
「神?」
「昔は宗教団体で働いていてな。……話を戻そう。ともかく君の能力と私の能力はよく似ている。私がアドバイザーとして選ばれたのも納得できる。できる範囲で色々と試し、その時の自分の状態、例えば汗や脈の変化、目はよく見えるか、耳は聞こえるか、そういった事を観察してみるといい。もし体のどこかに変化があったのなら、君の能力とその部分は影響していると判断できる。次はその部分を変化させる事で能力も変化する可能性がある。それで気づきや違和感があったら教えてくれ。何か言える事があるかもしれない。君の能力の理解には『何か根本的な勘違い』があるかもしれない」
「瞑想とか、そういう修業みたいなものでもいいのかな?」
「いいと思うぞ。やってみなければ『それをやったらどうなるかの結果なぞ分からない』のだからな」
そして、くれぐれも安易に反乱や脱獄を企ててはならないと、我々も準備している、時が来るまで待つのだと、念を押して言った。
ルドルフはモモピンクより与えられた任務に真摯に取り組んだ。
モモピンクは、ルドルフに野火太郎の能力の詳細を伝えていない。ルドルフならば適切な訓練方法や心構えを助言できると信頼していたし、超能力の扱いなぞ結局、自転車の乗り方と同じで体験による理解を得なければ上手くいかない物だからだ。
何より正史において、野火太郎が怒りに任せた時にいかなる感覚を得てそれをどのように扱ったのかは野火太郎の内面にしか答えが無い。「外部から見てこういう能力だったよ」と伝えて、それが余計な先入観を与えたり、未来の野火太郎にとってすら誤解であったりする可能性もあるのだ。
野火以外にも、モモピンクにリストアップされた超能力者には他の協力者を通して根回しは済んでいた。能力を強化する修業はしてもいいが、反乱の時はこちらで誘導すると伝えられていた。
その協力者とは、かつてルドルフが幹部を務めた宗教団体の元信者である。その人脈を活用し、検査陽性となった者に動いてもらっているのだ。彼らは既に宗教とは関係ない立場にあったが、これもルドルフの人徳の賜物なのだろう。
まさかただの一般人だと思っていた剣崎斗真というダークホースが、この作戦の渦中で真の能力に覚醒し、反乱の主犯となるとは完全に予想外だった。
この施設に収容されている人の殆どは無辜な一般人で反乱の実行力は無く、政府に対して強い憎しみを持っているから、反抗の準備を進めている自分達の不利になる事はしないだろうと信頼していた。
モモピンクからは、この時点でこの施設にそれほど重要性のある強力な能力者はいないと聞かされていたので、これらの助言が影響して誰かが反乱を可能にするほど成長するとは考えていなかった。むしろ味方が増えるなら好都合だとすら思っていた。
未来において、内戦が起きるまでになってもついに覚醒しなかった能力者、剣崎のソードオブスミスは、未来からの情報を持つルドルフの助言をたまたま聞いた事で覚醒のきっかけを得たのである。
正史では、剣崎は初志貫徹して能力の事を隠し通していたのだ。
ついに裁判に敗北し、隔離施設に入れられても、検査の精度99.97%という事実から「もしかしたら再検査の機会が与えられる可能性があるかもしれない」と期待し、徹底的に模範囚を演じた。それは長い時間をようしたが、結果として剣崎は社会復帰を果たした。
そして二度とあんな生活はごめんだと、その後の人生においても警察に逆らうような事はせず、友人の千鳥が超能力者の為に奮闘している事に心を痛めつつも、自身は普通の人間としてふるまい続けたのである。
だから他の超能力者と交流する事もなかったし、歴史に登場する事は無かった。
奇しくも「やってみなければ『それをやったらどうなるかの結果なぞ分からない』のだから」という、ルドルフの言葉の通りになった。
歴史が大きく、当事者にとって予想外に変わってしまった。
剣崎は自身の能力への理解を深める為に様々な事を試した。
息を止めたまま能力を使ったり、影に入った場合や、光に当たっていた場合で差があるか試したり、刀剣以外に、例えば斧や槍は扱えるか試したり、刀剣以外は異空間に収納できるのか私物を使って試したりした。
そして「自身の本当の能力に対する気付きを得た」のである。
さて、ではそろそろモモピンクの知る未来と、現在の状況が違ってしまっている原因について説明しよう。
実は剣崎の能力の覚醒そのものは関係が無い。
敵側の当初の予定としては「このタイミングで反乱を起こさせる事はすでに決まっていた」のだ。
反乱を理由に緊急事態宣言を発令する為である。
その反乱にはダーク・アーのパニックブーストが用いられた。
スイッチ一つで人を狂乱させたり意気消沈させたりする事が出来るこの便利なパニックブースト発生装置を扱うにあたって、当然その場にはダーク・アーの構成員が居た。怒りのアングリイである。
しかし正史においては逮捕され隔離施設に入れられていたマイケル青ことマカオこと変身ヒーロー「カオス」の尽力により、それらダーク・アーの作戦は阻止されていたのだ。
モモピンクは、この時のカオスの隠れた活躍を知らなかった。
隔離施設には楽器を持ち込めなかった。歌う事も禁じられていた。そのあたりも拘置所とそっくりだった。
しかしカオスのフェアリーギターは音楽妖精オッチャマが姿を変えたものである。
パニックブーストによって人々が狂騒状態となったとみるや、カオスはこれを鎮静化した。フェアリーギターの音は遮蔽物の影響を受けない。カオスは施設のどこからでも施設全体を掌握できた。
鎮静化したのだからニュースにもならなかったのだ。
この行動によりマイケル青は正体が発覚し、拘束着を使われて完全に自由を奪われる事になるのだが、それでもギターを歯でひいたり、後ろ手でひいたり、パニックブーストの波を感じ取ると工夫をこらして対処した。
自分で自分を守れる超能力者はともかくとして、そうではない超能力者や一般人まで巻き込んだ騒ぎとなれば、怪我人や死者が出るかもしれないと懸念したのも事実だが、そもそもダーク・アーが起こす騒ぎであるのだから、放っておけばろくな事にならないだろうという判断だった。
正史では反乱を三か月間ふせぎ続けたマイケル青が、この歴史では施設に不在だった事がそもそもの原因なのである。しかし、これにモモピンクたちが独力で気づく事は難しいだろう。
正史の脱獄事件の際、拘束されていたマイケル青は衰弱しており、逃げる人々を敵の銃弾からかばった時に負傷してしまう。彼はこの療養に長い時間をかけて、反政府組織のリーダーとして活動できたのはわずかな期間であった。
その時の傷が後に悪化して死亡したのだ。
突如として優秀なリーダーであり戦力であったカオスを失った反政府組織は、苦戦を余儀なくされた。
モモピンクはこの怪我を「野火太郎が起こした脱獄事件の渦中の事故」として解釈していた。そして「政府は偽の反乱を起こして超能力者を炙り出す作戦を準備していたが、『野火太郎が反乱をおこしたので』その準備は無用なものとなった」と認識していた。
いつだったかのモモピンクの言葉を借りるなら「考え方が逆」だったのだ。
カオスはヒーローとしての仕事を全うして人々の暴徒化を防いでいたが、当事者の誰にとっても予想外の事故が理由で、本当に反乱が起きたのである。
モモピンクは野火しずかとマイケル青の両方を救う為、マイケル青を事前に警察から救出する方法を選んだ。施設に入らなければ脱獄事件で怪我を負う事も無いとする判断だったが、これが裏目に出たのである。
千鳥かなが骨折を充分に治療する事ができなかったエピソードと重なるが、当時は非超能力者証明を提示できない者や人権尊重派は、病院で門前払いされる事も珍しくなかった。
超能力者を病院に近づけるわけにはいかないとして、証明を提示できない場合にはたとえ救急の患者であっても検査が強要された。
人権尊重派は人間として扱われる筈だが、病院側は「患者と医師が信頼関係を築けない場合に診療を断る権利は医師法でも認められている」と主張した。
その権利が医師法で認められているのは事実だが、信頼を築けない理由が「思想」なのだから話にならない。これがまかり通るのなら、特定の宗教に入信しているとか、特定の文化圏の生まれであるとかの理由でも「医師の気分次第」でも診療を断れる事になってしまう。
国が差別を推奨している影響は医療にまで及んでいたのだ。
加えて、マイケル青は収入減を断たれた状態にあった。治療してくれる病院を探す事は金銭的にも難しかったのである。
医療を受ける権利は全ての人間にある筈だが、病院が差別を始めて、それを止める事が誰にも出来ないのだから本当に日本は近代国家なのか疑ってしまう状況だった。
なお、今回の主犯として剣崎が取りざたされた原因だが、それには怒りのアングリイの経歴が関係する。
怒りのアングリイの正体とは、かつて千鳥かなが務めていたコンビニの同僚で、銃刀法違反で有罪となった店員であった。
彼は元々、俳優志望だった。役者としての収入よりもバイトの収入が多い駆け出し中の駆け出しだったが演技力は高く、その能力は謎の組織の悪い幹部を演じるのに役立っている。素で「ふはははは」なぞと笑う人間なんかアングリイ自身が現実で知らない。
アングリイは事件当時、何度も保釈申請をしたが「証拠を隠滅する可能性がある」と検察が主張し、裁判所もそれを認めて保釈はされなかった。証拠となる包丁や現場の写真は全て検察が管理している筈だが、どうやって証拠を隠滅する事が出来るのかと聞いても回答は得られなかった。
検察が証拠を隠滅する可能性があると書類に書けばこんな不合理も通るのだから、もしかしたらどんな無理な事も検察が望めば裁判所は通すのではと思えた。
そうして裁判が終わるまでの数か月を檻の中で過ごした。その間に何度も予定していたオーディションに出られなかった。
よく、役者とは事務所に入れば勝手に仕事が入ってきて給料が貰える仕事だと誤解されるがそんな事は無い。事務所に所属しなくてもオーディションに通ればフリーランスとして仕事は取れるし、事務所に所属しても仕事に採用されなければ無給である。
アングリイはその数か月で完全に貯金を使い果たしていた。住人が不在だったとしても、家賃や電気料金やらは定額を口座から必ず引き落とされる。弁護士に依頼して電気をとめる手続きもできたが、冷蔵庫の中身が腐る事を心配した。それを出所してから片付ける事が嫌だった。
何をするにも元手が無く、これまで真面目に生きて来たのにそれは評価されずに不当な裁判で敗北した心のダメージが、彼の再起を邪魔した。
そんな折、ダーク・アーの求人を見つけて応募し、採用されたのである。
もちろん悪の組織だなぞと書かれてはいなかった。「様々な電波を用いて生物にどのような変化があるか観察してレポートにまとめるお仕事」として公募されていた。
電波は生物を通過するから人体には無害だ、なぞとする言説を見かける事があるが、諸君が普段使っている電子レンジは電磁波によって物を温める。そして電波とは電磁波の一種だ。電波には刺激作用や熱作用が認められており規制もされている。電波は確実に生物に影響する、目に見えない存在であり、兵器に用いる事もできる。
パニックブーストの正体とは「電波」だったのだ。
エーテルエネルギーから変換して起こる特殊な電波の兵器だったのである。
ダーク・アーはどのような電波が、どのような影響を人に与えるのか様々な状況で様々な人々に対して実験していた。
アングリイは最初、この仕事は治験のお手伝いか何かのようなものなのかなと思っていたが、面接のみで採用され、後に詳細を知らされてその実態に驚いた。
ついでにナメンナーという新しい兵器の運用実験もやらされるようになった。
もしかしてブラック企業なのかなとも思ったが、福利厚生はしっかりしており週休も二日。激務ではあるものの、業務の進行や休憩の取り方は各員の裁量に任されていて、働きやすさで言えば日本の殆どの職場と比べて優れているのではと思えた。
そしてアングリイには仕事を選べる程の余裕はなかった。生活保護申請をやってもみたが普通に通らなかった。何かしらの仕事をしなければ飢えて死ぬのである。
悪い事をやっているのではと心配もあったが、それをしなければ死ぬように追い詰められていたのだ。
本当に日本は近代国家なのだろうか。まるで悪夢のようだ。
また、ダーク・アーの構成員が着ている衣装にはパニックブーストを遮断する加工がしてあり、影響を軽減できるのだが、それでも露出する部分はあるので僅かに効果を受ける。恐らく構成員には少々の効果になら抵抗できそうな精神性や精神力が要求されていて、それが採用の基準になっているのだろう。必要ならいつでも泣けるし笑える「役者」という感情コントロールの達人は、この仕事に向いていると言えた。
さて正史ではカオスに邪魔されるパニックブーストを用いた反乱の偽装作戦だが、この歴史ではカオスが不在だった。なので、アングリイはほんの少しだけ正史と比べて「手すき」になった。手すきになったので余計な事に気を回す余裕ができた。これは正史にはない状況だった。その時、たまたまめくった収容者の名簿を見て、剣崎斗真の記録に興味を持った。剣崎はアングリイと同じ、元々は銃刀法違反で逮捕された者だった。アングリイは剣崎に不思議な縁を感じた。
だから直接話しかける選択をした。
剣崎はルドルフの助言に従い、その強固な精神でパニックブーストがもたらす攻撃衝動に抵抗していた。アングリイは、なぜそんなに抵抗するのかちょっと意味が理解できなかったが、少し背中を押せば前に進んでくれそうな気配を感じ取った。役者であった彼は、目に見えない心の動きを感じる事には長けていた。
役者とは舞台の上にいても、暗い客席に座る人たちの期待や失望など、そういった心の動きを感じ取れるものである。
アングリイは言った。
「何が理由で耐えているのか知らないが、そうやって抵抗しても意味はないぞ」
剣崎が応える。
「な、ん、だ、と。なぜ、そう思う……」
剣崎の言い回しに、アングリイは「こいつには役者の才能があるな」とシンパシーを感じつつ、しかし今それは関係ないなと思考の隅に追いやった。
「周りを見て分からないか? もう反乱は起きている。ここに収容されているのはもれなく、区別なく『超特別指定害獣』だ。警察の非道さはお前もよく知っているだろう。檻を破って猛獣の群れが暴れるのを見たら、保健所やハンターはどう対応する。いちいち『暴れる猛獣』と『暴れるかもしれない猛獣』を区別して、加減して扱ってくれると思うのか?」
「!?」
その言葉は剣崎の心を折るのに充分だった。
どのみち同じように扱われる。そして今度は更に立場を悪くされる。「ならばいっその事」と剣崎が思うのも無理からぬ事であった。
こうして正史では起こらなかった剣崎の覚醒と、正史では抑止されていた超能力者の反乱は同時に起こった。その結果、超能力者にとって目覚ましい活躍を剣崎は見せた。
アングリイに悪意はない。
この状況は政府と言う圧倒的強者にコントロールされているものであり、暴動の始まりから終わりまでシナリオが存在し、制圧の準備まで全て整えられている。
このまま超能力者の立場が更に悪くなるのは予定されている事だった。
だからアングリイは彼にできる範囲で剣崎の背中を押したのである。そのまま行動しなくても地獄の未来が来るのは変わらないが、何か幸運が味方するとか、奇跡がおきるとか、万が一の可能性ではあるが脱獄に成功すれば剣崎は自由になれるかもしれないと、そう思っていた。
もしアングリイと剣崎が出会わなければ、もしかしたら剣崎は今も普通の人間のふりをして、能力に気づくだけで終わり、時間をかけて社会復帰していたかもしれない。反乱には参加せず、だから主犯として扱われるような活躍もしなかったかもしれない。
この変えられた歴史において当人も自覚しないままに、剣崎は猛獣どころか、超能力者テロリスト集団における重要人物として認識される事になる。
ではいよいよ剣崎の能力について記そう。
剣崎の真の能力とは「幻覚」であった。
そう。「剣と言う違反の物証が無い」にしろ、公園の監視カメラの映像や、パトカーに装備されている専用ドライブレコーダーからも「一切の映像証拠が出なかった」のは、剣崎の能力が「剣を取り出すもの」ではなく「そういう幻覚を見せる」能力だったからである。その幻覚は剣の重さすら体感できた。剣崎もまた自身の能力を誤解していたのだ。
しかし警官は確かに剣を目撃しており、逮捕までしてしまったので今さら剣崎を釈放できなかった。だから検察は超能力特措法ができるのを待ったのである。
素手で素振りをしている剣崎を全力で取り押さえている警察のマヌケなドラレコ映像を見て、剣崎が超能力者だとする確信は得ていたからだ。
集団幻覚の可能性も考えたが、薬物や電波の影響は早期に否定された。だがこの幻覚症状への調査と、家族や知人への聞き取りで、剣崎が超能力者だとする確信はより強固になった。なにより、法が出来た後で検査を強要してしまえばその結果なぞどうとでもできるようになるのだから、それまで待ったのである。
以前の剣崎であれば、人を傷つける事を忌避して剣を当てるような事はしなかった。しかし、様々な実験の結果、「剣に影ができない」事や「異空間の入り口にどうあっても物を入れられない」事や「止めていた息を吐いた時に、その呼気が剣にあたった様子がなかった」事から自身の能力を前提から見直し、気づきを得た事で能力の運用のしかたが変わった。
能力を最初に使った時、剣をイメージしてそれを取り出すような幻覚を自身に見せていたから、それが誤解に繋がっていたのである。当時、彼が好んでいたアニメの影響だった。
能力を正しく理解した剣崎は、剣以外にも様々な幻覚を見せられるようになったし、強く念じる事でダメージを錯覚させられるようにもなった。
物理的に一切損傷させる事無く、警備を無力化できる能力を手に入れたのである。
剣崎はこの能力に「正義の道を切り開く」という願いを込めて「ロードオブジャスティス」という名前を与えた。ソードオブスミスという名前を強く後悔していたので、改名する抜群の機会であった。
では物語の舞台をモモピンクのセーフハウスに戻そう。
マカオが提案した。
「どうするモモピンク? あなたの能力でもう一度、歴史をやり直す?」
当然まっさきに提案されるだろう話だと千鳥も思った。
モモピンクは不具合が起きる度に歴史を変える事に抵抗を感じているようだが、予定よりも事態が悪化しているのなら致し方ないだろう。
しかし千鳥もマカオも、その事に寂しさを感じていた。もしモモピンクが歴史をやり直すとなれば、今の自分達の感情や記憶はどうなるのだろうという懸念があった。消えてなくなるのだろうか。それとも多元宇宙論のように、別の歴史が作られるのだろうか。
いやまてよ。と、千鳥は思った。もし別の歴史や別の宇宙に分岐するのだとしたら「そもそもモモピンクが歴史を変えようとする事に意味がなくなる」ではないか。今、自分がいるこの歴史で超能力者が勝利しても「元のモモピンクがいた歴史は変わらない」のだから。ならばやはり、この歴史に生きる自分たちは消えるのだなと想像し、千鳥は自分の意識がぷっつりと途絶えるような、死が迫るような感覚を、寂しさどころか恐怖を想起した。
やがてモモピンクが結論を出した。
「いえ。このまま作戦を修正しつつ進めます」
「え」
「理由を伺ってもいいかしら」
「現時点で『この反乱が起きた要因』が確定できていません。まずはルドルフや他の協力者から話を聞く事になります。そうでなくては、ここで戻って歴史をやり直す意味が無い。やり直すにしても、これがどのように今後の歴史に影響するかデータを取る必要があります。少なくとも野火しずかさんの事件は起きていませんから、政府の対応も正史とは変わるかもしれません」
問題は先送りとなった。その事に千鳥は安堵しつつ、それでも先ほど想像した未来がいつかやって来るのかもしれないと思った。
今さらながら、今の自分がこのまま生きていけるのか、それとも強制的にいなくなるのか、全てはモモピンクの判断次第なのかと発想して、なんて恐ろしい状況に身を置いているのだろうと思った。
そして同時に、多元宇宙論という発想からミセスクインの書いた物語の中にそれらに関係したものがあった事を思い出した。もう一度、読み返してみようかと思った。千鳥は無意識に、今の状況を改善するヒントがあるかもしれないと期待していたのである。