第八章「親はなくとも子は育つというが、育てばいいというものではないと思うのは私の独善だろうか。愛なくして人は人足りえないと思うのだが」
「うむ。やはり虫の入っていないお菓子は味が違いますね。小麦粉の純度の高さも素晴らしい」
虫の入っていないお菓子というパワーワードをはばかりもせず、食べ歩きを楽しんでいる女性。彼女の名はモモピンク。
未来からやってきたと言うモモピンクは、この時代のお菓子がいたくお気にいりのようだ。そのへんで売っている普通のビスケットを実に美味しそうに食べている。
未来では、食料不足に対応する有効な手段として、タンパク質は昆虫食で接種するのが普通らしい。
学校教育やテレビの特集でも、昆虫を料理するシーンが頻繁に取り入れられ、それは急速に普及した。
それに比例して肉や卵の消費が落ち込み、値上げしないままでは採算が取れない生産者は次々と営業を継続できなくなった。当然である。経済的にも物理的にも、人間が一日に食べられる量なぞ上限が決まっているのだから、何か別の物を食べるようになれば元々食べられていた物が売れ残るのは必然だ。
逆に安売りをして購買意欲を想起させようと狙った生産者も居たが、例えば半額にしたら単純に倍の商品を供給してその全てを売り上げなければ元の収益とはならない。
現実的に倍の商品を供給するだけの資本を持った生産者は希少であり、ついでに生産や輸送のコストが倍になるという事でもある。学校やテレビで「みんなで昆虫食べようぜ」アピールが繰り返され応援される社会の中、値引き戦法では生き残る事が出来なかった。一部の富裕層にターゲットを絞り、生産量を少なくしてコストを減少させ高額で販売する生産者だけが残る事ができた。
食料危機を解決するはずの昆虫食は、むしろ食糧危機を後押しした。
未来では肉や魚や卵は希少で高級な食材であり、一般市民がおいそれと手を出せるものではなくなったらしい。
また自然環境を保護する事を目的として狩猟や釣りが禁止、または完全有料制のレジャーとしてのみ、限られた場所で許可されるようになった。
肉ではない素材で作り上げる人工肉も人気だそうである。肉ではない物を肉のように加工するのだから、当然、添加物をふんだんに使う。モモピンクの語る未来では添加物の規制がかなり緩いらしいので遠慮する事無く使われ、もはや本物と見分けがつかないそうだ。本物と見分けがつかないくらい美味しい上に安価であるから、肉を食べたい消費者の多くは人口肉を購入した。コンビニで提供される弁当の中身も次々と人工肉に切り替えられていった。
その社会の中で、生産者にこれまで通りの営業を続けてもらう為に行動をおこすべきだと声を上げる者は少なかった。
超能力者に人権を認めるか否かという闘争に疲れた人々は、また何かで争う事を忌避したのだ。
もっとも、生産者当人が戦う事を諦め、牧場や畑を売却し、贅沢さえしなければそれなりに生活できる事に納得してしまうといった事が起きていたそうだから、第三者に何かできる事もなかったのかもしれないが。
さてこの時代、超能力者を隔離する施設では、そういった新しい食生活に切り替えた場合に、心理や体調にどのような変化が有るかなどのデータを取るモデルケースとしての側面があったのだと聞かされて、マイケル青は憤慨した。
超能力者に保障されていた食料とは、昆虫食や添加物だらけの食品だったのだ。
赤ちゃんに与えるミルクも、生育状態によってはゴキブリミルクが与えられたそうだ。
「なんて事。完全に母乳だけで育てろなんてまで言うつもりはないけど、よりによってゴキブリ……」
「食品としての安全性は保証されているそうですがね。それも国が言っている事ですから、どこまで本当か信用ができません。ええ、言いたい事は分かりますよ。『極めて人間的ではない』と言いたいのでしょう? せめて同じ哺乳類のお乳を与えて欲しいと」
「そうよ。それが妥協できるギリギリの部分ね。だって赤ちゃんよ。薬だって気を付けて与えなくちゃ死ぬ事があるのに、親の判断どころか、他人から預かった赤ちゃんにゴキブリなんて……おぞましい!」
どうやらマイケル青はゴキブリが嫌いらしい。食品としての安全性よりも生理的な嫌悪感が強い様子だ。だが、これが当然の反応である。
まともな親であれば、子供にはちゃんとしたものを食べて欲しいと願うものだろう。「生理的に受け入れられない物を選択の余地なく自分の子供に食べさせなければならない」なぞ、これが自分の子供であれば看過できる事ではない。マイケル青にはこれが虐待に思えた。他人の子供への虐待にも怒る事が出来る彼は、良い親になれそうである。
「食文化も、また文化。これは少しずつ変化していくものですが、他の選択肢を奪われた上で食べさせられるのは変化とは呼びません。これは『明確な文化破壊』なのです。食を支える生産者の保護なくしての食料危機対応なぞ愚の骨頂。しかし、昆虫食をベースとした生活を強要された何万もの人たちからデータを取ったとして『昆虫食や添加物増量食品の安全性は確認された』と公表され世に広まりました。『安全が確認された』ではなく『安全性が確認された』となっているのがポイントです。酷いやりかたですよ」
そう言ったモモピンクは、ふと千鳥を見やる。
千鳥はマイケル青のファンである。マイケル青と対面した時は、それはもう舞い上がり嬉しそうにしていたのだが、ある時から急に何か思いつめたような雰囲気を出し始めた。モモピンクはそれが気になっていた。きっともっと喜んでくれると思っていたのに。
「どうしました千鳥さん。何か心配事でも?」
「あ。ああ、いえ、なんと申しましょうか……」
千鳥は、マイケル青救出の時にモモピンクが話した検査の精度について気にしていた。
「ほら、私って検査には信憑性がないとか言って活動していたじゃないですか。まさか99%以上の精度だったとは思っていなくて」
「なるほど。それなりの精度がある検査だったので、これまでの自身の言説をくつがえされたように感じていらっしゃるのですね」
「ええ」
「気にする事はありません。99.97%なんて『向こうが勝手に言っているだけ』の数字です」
「そうなんですか!?」
「そうなの!?」
「この時代ではまだ周知徹底されている数字ではなかったのですが、警察関係者は知っていたのでそれに合わせて言っただけです。千鳥さんが言っていたように、超能力の覚醒が遺伝子によるものだなんてのは仮説に過ぎません。論文も存在するのは事実ですが、そもそも論文なぞ書こうと思えば誰でも書けます。今回は『超能力が遺伝子に起因する事を前提とした論文が採用されただけ』です。対論もちゃんと存在するのですが、なぜか日本人は論文があると言われて最初に見せられた論を正しいものだと信じる癖があるようですね」
生粋の日本人である千鳥とマイケル青には思い当たる節がありすぎた。
「じゃ、じゃあ、なんで検査なんか」
「考え方が逆なのですよ」
「逆?」
「超能力者を見つける為の手段として検査をしているのではなく、適当な人間に超能力者というレッテルを貼って社会から隔離する為の手段なのです。なぜか日本人は『検査結果』という言葉を疑うという事が難しい民族らしいですね。ただの病気の検査ですら、病院を変えて行えば別の結果が出る事も珍しくないのに。セカンドオピニオンという概念がなかなか根付かないのは、そういう民族性に由来するのですかね」
生粋の日本人である千鳥とマイケル青には多い当たる節がありすぎた。
余談ではあるが筆者自身、癌の検査で三つの病院を受診し、癌がある、ない、可能性がある、と見事にばらけた経験を持つ。「この国の医療どないなっとんねん」読者諸君においても気を付けてもらいたい。
「すでに話しましたが、奴等の最終的な目的は完全支配構造の構築です。その為に差別を助長し、それなりの数の人を奴隷として扱い、それにまつわるデータを取る事が出来れば『レッテルを何にするかはどうでもよかった』のです。ただ今回、その対象を超能力者にしたのには、一つ、特別な事情がありました」
ここでマイケル青が口を挟む。
「政府と対等に戦える可能性を持った未知の勢力、超能力者の程度を探る事ね?」
「さすがは変身ヒーロー。見抜いておいででしたか」
「どういう事です?」
「簡単な事よ。インチキでもなんでもとりあえず『お前は超能力者だ』と言って自由を奪うのが当たり前で、監視されるのが当たり前の生活を続けたら、まともな人はどんな感情を持つかしら?」
「……えっと。怒る?」
「御明察。ではその怒った人が『実際に超能力者だった』ら、どんな行動に出る?」
「ああ!? きっと反乱をおこします」
「その通りです。超能力者とは言え、普段の生活は普通の日本人なのですから、やはり普通の精神性を獲得します。その精神をいかに削ぐか、蝕むか、冷静でいられなくするかのノウハウは既に警察が持っています。それはそれは簡単な事だったでしょう。検査の精度を完璧なものとして公表しなかったのは、定期的に再検査を行って施設の中身を入れ替えるためです。もちろん再検査の対象は『模範的な超能力者』です。そして何をもって模範的と判断するかは政府の都合です。これもまた、一度は奴隷として生活した人が社会復帰を果たした時にどうなるかというデータ取りにもなっていたのですが、まあそれらは今の話の主旨ではないので割愛します。さて。ともかく千鳥さん、あなたの活動は断じて無意味な物ではないですし、恥じる事もありません。あなたの言及があったからこそ検査をする前に思いとどまって、被害を免れた人もきっといる事でしょう」
ここで一息。モモピンクはヨモギ餅をどこからか取り出し、食べ歩きをしながら話を続ける。もぐもぐ。
「もし超能力者が単騎で反乱を起こせば簡単に鎮圧できます。この国の警察は暴力で人を屈服させる事は得意です。そうして確保した超能力者のデータは活用されます。血筋や普段の生活などから、超能力者として覚醒する者のデータをとにかく集め、類似性を見つけ出し、検証し、次に超能力者としてマークする者の指標としたそうです。これらのデータは本来、百年規模で集める事を想定していたそうです。複数人で反乱を起こしても、それを想定した特殊部隊が控えていたそうですね。即時とはならずとも早期に鎮圧する事を目的とした部隊です。強力ですよ。もしいつまでも反乱が起きないようなら、わざと偽の反乱を演出して反乱分子を誘いだす用意だってしています」
「……それだけの用意があったという事は、政府は考えなしに動いているように見せかけて、ずっと前から超能力者が存在する事に確信を持っていたという事ね?」
「左様。わざと無能を演じたり、馬鹿を演じたり、隙を見せるのは奴等の常套手段です」
マイケル青とモモピンクは、いわゆる「戦う者」というスタンスなので意気揚々と会話している。しかし千鳥は少々ついていけない分野だった。
少し街路をチラ見して、その先にハンドメイドのアクセサリーを路上販売している女性を見つけた。
その様子にモモピンクが気づき、慌てて歩みを止めた。
「おっと。これはいけません。忘れるところでした」
「あの女性がどうかしたの?」
「さきほど言いましたね『データは百年規模で集める事を想定していた』と」
「え。ええ」
「彼女の存在が、その行程を大幅に縮めました」
「なんですって!?」
「彼女の名前は野火しずか。なんとなく未来から来たネコ型ロボットに縁のある男性と結婚してそうな雰囲気の名前ですが、もちろんそんな事はありません。正史では、この数日後、通行人から超能力者の疑いがかけられ逮捕されます」
「!?」
「!?」
「路上に商品を置いたまま連行され、売上金の回収すらままならず、そのまま隔離施設送りです」
「……それは」
「痛ましいですね」
「彼女は後に、国内最大級テログループにおいて『火炎王』の二つ名で呼ばれる事になる『野火太郎』の妹さんで、彼女の身に起こった悲劇が、野火太郎の能力を覚醒させるきっかけとなりました」
「悲劇? まさか殺……」
「ええ。彼女は甲殻アレルギーだったのですが、コオロギパウダー入りの食事でショックをおこしてしまいます。彼女はきちんとアレルギーについて申告していたのですが、食事を配給する担当が、昆虫でアレルギーを起こすとは考えていなかったらしいのです」
「隔離施設って国の施設でしょ!? そんな馬鹿を働かせているの!?」
「しょせんは日本の施設ですよ」
モモピンクは国に厳しい。
昆虫で甲殻アレルギーがおきる事はニュースでも報道されており、食事を提供する業務マニュアルに記載がなかったり、マニュアルを把握していなかったりするなぞ許される事ではない。
マイケル青は最初、過剰な労働や暴力によって命が絶たれたのだと思っていたが、食物アレルギーだと言われて己の浅慮を恥じた。男女差や年齢なぞ関係ない。誰の身にも起こりうる恐ろしい事件だと思った。
「偶然にも同じ施設内で家具作りの仕事をしながら日々を送っていた野火太郎が、妹の不幸を知る事になり、大きな火事をおこしました。彼は自身の能力をただ着火するだけの発火能力だと誤解していたようですが、発火能力にしては少し不合理な点があった事に、妹に対する不合理な仕打ちを知って怒りにまかせたら、気づきのきっかけを得たのですから皮肉なものです。この時、多くの人が脱獄し世の治安は悪化。そして野火しずかの悲劇を繰り返してはならないとして全国から超能力者が集まり決起しました。しかし戦闘や組織の運営は素人の集まりですから、すぐに戸籍などのデータは調べ上げられ、家族や友人を人質に取られて膠着状態となります。これは緊急事態宣言が発令される一因ともなりました。この未来を変えねばなりません」
「それで。具体的にはどうやって彼女の未来を変えるの?」
「そこでマイケル青さん。あなたの出番です」
「あたし!?」
「野火太郎はマイケル青の大ファンで、彼女もあなたの顔を知っています」
「……なるほど。モモピンクよりは信頼を勝ち取れそうなポジションにいるという事ね」
「マイケル青さんは本当に話が早くて助かります」
「マカオでいいわ。親しい仲間はそう呼ぶの」
「分かりました。ではマカオ」
「とりあえず全部アドリブになるけど、基本的にはあたしの経験を正直に伝える方針かしらね。ライブハウスのクレーム対策で検査をしなければならなくなったけど、やりたくない。なぜなら偽陽性にでもなれば人生が終わるから。確率を計算したら数万人に間違った結果がでるなんて恐ろしい。更に調べてみたら今後は人の集まる場所では検査が義務化される。ざっけんなよクソ政府。って感じ?」
「いいですねー。休日には歩行者天国となるこの場所は、検査が義務化される事も伝えると良いでしょう」
「検査が義務化されるとなると、警告してもどのみち検査を受ける事になるのじゃない? 仕事をやめさせる訳にもいかないし」
「その点は問題ないかと。さいわいにも彼女の露店は半分趣味で始めたものだとか。一連の騒動が落ち着くまではオンラインショップを運営してはどうだろうと提案してみて下さい」
「……上手くいかせる自信はないけどやってみるわ。千鳥さん。あなたも来てくれる? 多分ペアのほうが話を転がせやすいと思うの」
「まあ気楽に。これが一番穏便な方法というだけで、他にもプランはあります。彼女を通報した通行人というのが特定できなかったのですが、その日だけ営業を妨害するとか、客を特定できたならしめて黙らせるとか、警察をしめて黙らせるとか、まあ色々です」
「今、サっと提示されたプランのだいたいがだいぶ穏便じゃないわね。一番穏便という言葉の意味を噛みしめるわ」
かくしてマカオと千鳥は野火しずかの露店へと向かう。
それを見守りつつモモピンクは未来について思いをはせる。
「さて。上手くいくと良いのですがねえ」
先程は二人に伝えなかったが、野火しずかの事故に関わる未来はあれだけではなかった。
大量の脱獄犯が出た事でアレルギーによる事故を隠す事ができなくなった政府は、むしろこれを好機ととらえ、アレルギー申告をした超能力者に与える食事を、完全ノンアレルギー素材のみで作った流動食に切り替えた。これはうずらのように喉に詰まる事もない、作り置きも可能な素晴らしい発案で、政府は反省しているとメディアを使って宣伝された。
また、脱獄を抑止する目的で全員にハーネスを装着させた。居室にいる時以外は常にワイヤーロープによって繋がれ行動を制限される。
最初から人間的な扱いの感じられない環境だったが、ますます家畜か何かのように扱われ始めた。
超能力者として逮捕された人たちは様々だった。例えば、修学旅行直前に陽性となった学生。オーディションに出られなくて役を取れなかった役者。試合に出る事ができなくなったアスリート。使命感をたぎらせて新規プロジェクトにあたる予定だった労働者、脱サラして店を始めた矢先に検査で陽性となった店主など、それは本当に様々だった。
かの人々は逮捕された当初から強いショックを受けており、奴隷生活を続ける中で健全な精神性を損なってしまい、社会復帰できたとしても順応する事が難しかった。
特に子供が酷かった。拘束される事に安心を覚えるようになり、自立して考える事ができず、人に命令されなければ自信を持って行動できないなどの悪影響が顕著だった。
人間は人間として扱われる事で、初めて人間として成長する生き物である。
家畜のように扱われ、家畜のように育てられたのなら、その精神は家畜となる。
モモピンクは悪を許さない。特に許す事ができないのは子供を巻き込む悪だ。
たとえマイケル青と千鳥の作戦が上手くいかなかったとしても、必ずやり遂げて見せると心を燃え上がらせた。
一方その頃。裁判が終わり既に隔離施設での生活を始めていた野火太郎は、盛大にくしゃみをした。まさか自分の知らない所で、大好きなアーティストであるマイケル青と自分の妹とが縁を持つ事になっているとは予想さえしていなかった。さて彼の能力は実は発火能力ではない事が分かった。このままモモピンクが歴史を変え続けたとしたら、彼は自身の真の能力に気づく事はあるのだろうか。それは、今は誰にも分からない。