表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/15

第六章「例えば昔の法律や歴史など調べて見たら、何でこんな事を? と思う事はないだろうか。今、我々が従っているそれらも、未来から見たら滑稽なのかもしれない。だとしたら我々は何一つ反省なぞしていないのだ」

 かかか!

 かかか!

 規則的なようで不規則な、陶器を叩く音がする。日本人ならよく知っている、丼のご飯を箸で勢いよくかっこむ時の音である。

 モモピンクと自称する謎の女性に窮地を助けられた千鳥は、最寄りの定食屋で共に食事を取っていた。モモピンクのリクエストでかつ丼が食べられるお店である。

 まあまあともかく詳しい話は食事でもしながら致しましょうと提案されたのだが、いよいよ丼の中身を食べつくそうという段階となっても何一つ話は進んでいない。もともと仮面をつけている彼女だが、今は丼を顔が隠れるくらいに持ち上げているので完全に表情が見えない。

 千鳥はモモピンクの食べっぷりに感心しながらも、同時に居心地の悪さを感じていた。日本では仮面をつけて出歩く人は少ないからである。モモピンクの姿は、店内では尚のこと浮いて見えた。

 やがてモモピンクは、空になった丼をテーブルに置いて言った。

「いやー。この時代のご飯は美味しいですね。ついうっかり夢中になってしまいました」

 不思議な事を言うと千鳥は思った。

「え。この時代、ですか?」

「勘のいい千鳥さんならもうお気づきでしょう。そうです。私はここより少しだけ未来からやってきました」

 千鳥にとっては驚愕の事実である。続けてモモピンクは「私のは『そういう能力』です」と付け加えた。

「えっと。未来では食べものが美味しくない、のですか?」

「その質問には答えづらいですね」

「あ。やっぱり未来が変わっちゃうとかですか」

「いえ。『食べ物』の定義が難しいのです」

「食べ物の定義!?」

 食べ物の定義なんて言い回しを千鳥は初めて聞いた。

「私も先程はついうっかりご飯は美味しいなんて言いましたが、未来では安全に食べられる物と、そうでない物の二極化が進み、当然ですが安全な食料は富裕層がほぼ独占し、低所得者はそうでないものばかり食べています。調味料も含めてね。私みたいなのは食事を取るのも大変ですよ。やはり未来の食糧事情について語るなら、一般的に食べられている物について語るべきですが、正直、あれを食べ物と呼んでいいのか甚だ疑問です。どちらかと言うと薬物に近い」

「もしかして、ついに環境破壊が人類の手に負えないくらい酷い事になって……、いえ、まさか核戦争が起きて土壌が汚染されたのですか!?」

 未来が変わるかもしれない事を気にしていたのに、千鳥はそれも忘れてたずねていた。

「いえ。食品添加物や農薬使用に関する法律が超絶改定されて、ほぼ薬づけの食料品ばかりになってしまったのです」

「!?」

 思っていたのとは違ったが、それはそれとして二度目の驚愕の事実に千鳥は言葉をつまらせた。戦争による核汚染なぞより、よほど身近な言葉で語られる恐ろしい証言だった。

「この時代でも、種苗法やらなんやらが改定されて一部の有識者が抗議していた筈ですが、それらの努力もむなしく、未来では食料の生産は完全に政府の管理下に置かれ、自家栽培や種の入手すら難しくなりました」

「自家栽培もできなくなったのですか」

「自家栽培そのものは禁じられませんでしたが、許可を取る必要があり……そもそも自分の家で自分が食べるものを栽培するのに国の許可が必要と言うのも『くそおかしい』話なのですが、国が認めた栽培方法で栽培しなければ違法となります。種や苗についても、一般に出回るのはあらかじめ農薬漬けになっているか、遺伝子改変されたものです。その上、ほら、この時代にもあるでしょう、種なしスイカとか。野菜とかああいう感じのものばかりで、家で増やすっていうのが出来ないのですが、種もまた先述したような有様で、一般人はどうあっても安全なものを食べるのは難しい時代ですね。苦労して天然物を入手して増やそうとしても、今度は国が定めた栽培方法を順守する必要があり、農薬を既定の量だけ使う事になります」

「八方ふさがりじゃないですか!?」

「まさしく。農薬は適切に使えば害虫対策として有効な手段ですが、量が問題です。ついには農薬の使用量を少なくする為に『雨が降っても流れ落ちたりしない超はりつき続ける農薬』が発明されました」

「え。それって……」

 千鳥は凄く嫌な予感がした。

「お察しの通り。水で洗っても落ちない農薬なので、害虫すらイチコロの農薬を胃の中に収める事になります」

「農林水産省や消費者庁は何をやっているんですか! いや、それよりもそんな危険な物、国民から反対の声があがるはずです!」

「国民の声はもちろん出ましたが、警察に鎮圧されました。それら省庁は政府の下部組織であり、国民を支配する為の手足です」

「国民の、支配!?」

「千鳥さんならこの言葉の意味を正しく理解できるのではないですか?」

 千鳥はしばらく考えて、やがて言った。

「……もしや、超能力特措法が関係しているのですか?」

「当たりです。そうですよね。当事者ですもの」

 未来の食糧事情と超能力。一見して結びつかなそうなこの二つの問題が、モモピンクによれば繋がると言う。

「民主政治の最大の長所は、政治の影響を最も受ける『国民』に、投票によって資格なき為政者や裁判官を現場から退場させる機会がある事ですが、この国では様々な工作の結果、それが充分に機能しなくなっていました。例えば、民間人に政治の事が分かる訳が無いなぞとのたまう工作ですね。これは問題の本質を『政治は難しいものだとする前提』に基づき、高度な教育を背景とした判断力を持たない者が軽々に口を挟む事ではないとする言説ですが、今の説明の全てが『思考の罠』です。政治を難しく考える人は多いですが、民間人の不満を黙殺するようならそもそも民主政治が成り立ちません。『主権は国民にある』が民主政治の大前提です。生まれや育ちで政治に関わる事を阻まれるいわれはありません。国民の不満を解消し、より豊かな生活が送れるように治世を行えないのなら、『その政党にはそれをする能力が無い』のだから国会から退場すべきです。意欲ある者に議席を与え、出来なかった時には次に回す。それを『国民が豊かになるまで繰り返す』のが選挙の本道の筈ですが、これを無視して『野党には何もできない』なぞと与党を推す者が声高に世迷言を広めました」

 千鳥は突然の情報量に驚きつつ、話しながらのモモピンクに促されて、今まで手付かずだったかつ丼に手をつけた。美味しい。

「これは大きな効果がありました。大学の教授や発明家、芸能人や漫画家などがそれを言えば、多くの国民が『そうなのだろうな』と思って政治に言及しなくなりました。特に、テレビや漫画の影響は大きかったようですね。それはそうでしょう。テレビや漫画は、いつだって子供たちに新しい知見をもたらしてくれる、面白おかしく、分かりやすいものですからね。『そもそも子供にとっては、知る事の殆どが新しい知見』なのですから『疑いを抱く事が難しい』でしょう。幼少期からそれらを基本的な情報源としている方は多いと聞き及んでいます」

 千鳥は汁気の多い米を口に入れすぎてむせてしまった。

「科学的に説明ができる事であれば、それらを情報源とする事にも一応の利点があります。しかし『思想』はいけませんでした。少しずつ少しずつ、弱い毒をすりこみ、なじませるように、子供たちに誤った情報は浸透していきました。むしろ間違った情報を自ら拾いにいくような者も出ました。例えば、先程の話に戻るなら『野党には何も出来ない』などですね。出来るか出来ないかなぞ、やらせてみるまで誰にも分からないから『投票で次を決めましょう』というのが選挙の主旨なのだからやらせてみればよいのです。それどころか、新しい政党を自分達で作っても良かったのに、いつの間にか論点が『与党は頑張っていて正しいか否か』にすり替わっていました。与党は今現在、国民を豊かに出来ていないのが明白なのだから、出来る者が出てくるまで選挙で繰り返し政権交代させていくべきだったのです。競争ってそういうものでしょ。それがあるから人は発展できるのです。しかし、政治の教育を受けていない者が政治を判断するのは間違いだとする風潮の拡散は止められませんでした」

 千鳥はお茶をすする。とろみがあるご飯なのだから喉の通りはいい筈だが、どうしてむしろ、むせる頻度は高いのだろうと思った。

「しかし僅かではあるものの、政治への不満を持ち、それを主張する個人や団体が無かった訳ではありませんでした。彼らの多くは政府に直接抗議するなどの活動をしていましたが、効果はありませんでした」

「ど、どうしてですか」

 千鳥はまだ少しむせながらたずねる。

「法律とは国会で審議して決めるものだからですよ。そして悪法を定める者が善人な訳はなく、すなわち悪人なのです。抗議を行っている人には法律を決める権利は無いのだから、抗議しても『為政者はそれをただ聞き流すだけ』で支障なく『お仕事』ができます。悪人なのだから人の意見を聞き流すなんてお手の物です。良心の呵責(かしゃく)なんてありません。どれだけ政治の犠牲になっている人のデータやらを集めて突きつけても無意味です。むしろ、こちらの入手している情報を相手に教えてやるだけの結果になります。政治への不満を、そのまま政治家に訴えても意味が無いのです。悪人に改心する事を求めたのが最大の間違いでした。しかしながら、最初から意味が無い事をやっていたのだから次からは反省してやり方を変えればよかったのに、その個人や団体も、その方々に期待していた人々も、多くがそのまま諦めて何も言わなくなりました。ところでこれ、何かに似ていませんか?」

「超能力特措法が可決した後の、世論の動き……」

「その通りです」

 モモピンクは満足げにうなずいた。

「これは奴らの基本戦術です。『意味のない事を人々にやらせる』するとどうでしょう。それをやっている間、人々は収入を得る仕事ができませんし、趣味の事を楽しむ事もできません。恋人と愛を語らう時間も削られ、ペットの面倒をみる時間も削られ、部屋の掃除や友人と遊ぶ事もままならない。睡眠すら満足に取れない。さて、ではそれらの時間を奪われた人が次にとる行動とは?」

「……それらをやって、失った時間を取り戻す?」

「まさに。しかし失った時間そのものは取り戻せません。ただやるべき事をやれるようにスケジュールの見直しをしただけです。何も進展なぞしておらず、むしろ急いでやるべき事が増えました。そして一度不毛な時間を過ごした彼らが、もう一度奮起して政治家と戦えるようになる事は難しい。精神的にも、金銭的にも。後は政府が雇ったバイト工作員やそれに感化された者が、『決められた法律に反対する奴は反社会的な人間だ』なぞと吹聴すれば、残った意気ある者たちのパワーリソースを奪いつくしてくれます。政治家に言っても通用しなかった事を反省した人たちは、次は『人々の側を変えようとしてしまう』のですね。それで政府の味方をしている民間人を敵だと定めてしまうという罠です。奴等は道理を理解できないから道理に反した事を吹聴している訳ではなく『それがお仕事』もしくは『神よりたまわりし使命か何か』なのです。だからその前提を間違えて、奴等を『説得』しようとすると必ず失敗します。先ほどまでのあなたのようにね」

 千鳥は「子供を超能力者から守る会」に追われ、もしかしたら死ぬかもしれなかった事を思い出し、身を震わせた。

「さて、ではそろそろそれらと食料問題、超能力特措法がどのように繋がるのか、ですが。なに。大それた陰謀があるとか、深い理由があるとか、そういう事はありません。これらはそれぞれ、奴等にとっては支配を円滑に進める為の手段でしかなく、目的ではありません。いいですか? これはとても重要な部分です。食糧の規制や人権制限は手段であって『目的ではない』のです。食べ物を国が管理するようになれば、人は生きる為に国に従うしかなくなります。シンプルですね。その社会を30年か50年か継続すれば、以前のような作物の栽培法を知っている人間はほぼいなくなり、国に逆らって生活基盤を失う事が死に直結します。国を変えたところで、後でどうやって生活基盤を構築すればいいか、その知識が無いのですから、人は完全に国に依存して生きる他なくなります。富の独占なんて簡単です。富の独占が簡単だという事は、選挙においても低所得者は勝ち目がほぼなくなるのです。富裕層はコマーシャルだって広告だっていくらでも打てます。低所得者は発信できる情報量で負けます。これは奴等にとっても大きいプロジェクトで、極めて実現が難しい問題でした。何せ奴隷に畑を耕させていた頃とは事情が違いますからね。国が急にそんな事を始めたら、農民一揆の勃発や、大規模な国外移動が起きかねません。そこで奴等は考えました。『もう一度奴隷を作ろう』と。『逆らう発想すら持てなくしてやろう』と。しかし今の時代に奴隷という言葉を使って人を扱う事は難しい。ですから、先に『差別意識』を植え付けようと画策しました。同時に、いかにして国民から富を奪い、国外への移動と、反抗準備を妨害するか、様々な施策がなされました。先ずは増税です。しかしこれも急にやり過ぎると国民感情が爆発します。ですからゆるりと進められました。これに伴って物価も上昇します。そして政府主導で賃上げが行われました。賃上げが行われるという事は、会社はそれをこえる利益をあげなければなりませんが、増税されて消費が落ち込んだ中、そんな見込みはありません。そこで、安く雇用できる外国人労働者や生産ラインの大規模な機械化を進め、日本人労働者の大量解雇が頻発しました。新聞やテレビのニュースは、人が働かなくていい時代が到来した、とか、外国人にも公平に仕事が任されるようになったとか、よくもまあ美しく言えるものだと偏向報道が繰り返されました。ついにコンビニやスーパーのレジ打ちすら機械に仕事を奪われるようになりました。分かりますか? 支配者はわざわざ人を罰して殺す必要が無いのです。物価が上昇し続ければ、やがて経済力に乏しい者から死んでいきます。そうです自殺です。恐ろしい事に、自殺者がどれだけ出ても職場の機械化が進んでいる為に労働者が減って困る事はないのです。後は税を含む、生活にかかるコストを増やしていけば、生かすも殺すも自在です。国は生活が困難であれば、生活保護を受けるようにと勧めますが、そもそもこの国で生活保護を受ける事の出来る条件を満たせる人は少ないのです。条件は四つです。『世帯収入が最低賃金以下である事』『預貯金、現金、家、土地、車などの財産が無い事』『援助してくれる親族、家族がいない事』『病気などの理由があって働けない事』です。『これら全て』を満たさないと生活保護は受けられません。例をあげれば、これまで懸命に働いて納税をし、念願のマイホームを手に入れた矢先に突然の失業をしても、健康な体を持っているだけで生活保護は受給できません。マイホームを売却できても、そのお金がありますからやはり保護は受けられません。なお、『預貯金が無い』の部分ですが一文無しという意味ではありません。これは自治体や家族構成よって違うのですが、平均して一人あたり十万円前後と考えて頂ければと思います」

「あ、それ知ってます。『ミセスクイン物語』って小説にも書いてました」

「ああ。そうか。これは失敬。あなたはミセスクインの大ファンですものね。これは蛇足と言うものでしたか」

「モモピンクさんもミセスクインを読まれるんですか。未来にも残ってたんで……え? なんでそんな事を」

「さて、本当ならどうやって政府は差別意識を植え付けたのか、具体的な方法について語るべきと思っていましたが、そろそろ何故私が未来からあなたの窮地を救う為にやってきたのかご説明しましょう」

 一呼吸の間。

「本来のあなたは、あの山で『守る会』の連中に追い回されている最中に足を滑らせて谷に落ちました」

「!?」

「しかし高所からの落下という恐怖の中、がむしゃらにフロートシステムを使い、どうにか減速し一命はとりとめました。だが足を折ってしまいます。完全に浮遊するには集中力が不足していたようですね。やはり集中力の関係から、フロートシステムで浮遊しての移動は困難でした。それでもあなたは諦めず、近くに散乱していたゴミの中から紙とペンを見つけ、自身の状態と背景を書き記し、ビニール袋を何重かに巻いて、川に流したのです。山にゴミを捨てる事は感心しませんが、この時ばかりはこのゴミが役に立ったのだから複雑な気分ですね。さて、そのビニールに入ったメモを、ある女性が拾いました。女性は川をさかのぼり、フロートシステムで少しずつでも移動を試みていたあなたを見つけます」

「まさか……」

「その女性こそがミセスクインでした。そのまま死ぬよりは、差別主義者共に見つかるリスクを抱えてでも助かる可能性に賭けたあなたは、見事に勝ったのです。未来では、あなたはミセスクインと合作という形で何冊かの本を出版します。その中には超能力者を差別する社会の問題点などに強く言及するものがありました。自身の体験に基づいたそれらは、人々の心を少しずつ変えていきました。これは本人にあってからのお楽しみですが、ミセスクインも超能力者だそうです。さて、そうして差別に反対する組織の、シンボルのような立場となったあなたですが、怪我の回復が芳しくなく悪化してしまい、よろめいた時に事故に遭い死亡してしまいます。お分かりですね。私はあなたが死ぬ未来を変える為に、怪我をする前に参上したのです」

 三度目の驚愕を千鳥が襲った。

「まって下さい。それが本当だったら、どうして『守る会』に住居が特定される前に来てくれなかったのですか。もしくは、私が怪我でよろめく未来の部分だけ変えればいいじゃないですか」

「まことに申し訳ありません。あのいきさつは、あなたが今後発表される作品に影響する事件であった為に変える訳にはいきませんでした。二つ目の質問ですが、一度の事故を回避できても、同じ理由で二度も三度も事故がおきる可能性はあります。全ての事故が私の介入で回避できるとも限りませんし、あなたが事故死する度に歴史を変えるのは倫理的にも控えたい行為でした。これでもギリギリの行動なのです」

 く。「ぐうの音」も出ない正論である。

「話が少しそれてしまいましたが、続けます。さて、こうしてこの国はG7加盟国中トップの自殺率を持つ国となった訳ですが、死者は騒ぎません。死ぬ程に追い詰められていたのですから、生きていた間にも出来た事は少ないでしょう。国は生活保護制度を何度も主張して、経済的な問題で自殺者が増えているという事実は無いとしました。国はできる事をやっている。不備はないと。そしてパワーリソースを奪われた結果『活動家が沈黙してしまっている』のですから、次の世代である子供たちが耳にし、目にするのは、『この国の政府は頑張っていて正しく、反対するのは反社会的な人間だ』とする工作員の主張です。奴等はあれがお仕事なのですから、それで生活が出来ます。活動家が声を上げるのをやめても、やめる理由がありません。13歳の子供がそういった環境の中で5年も育てば、18で選挙権を得る頃の次の年、地獄が生まれます」

 千鳥は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。5年。大人にとっては大した時間ではないのかもしれない。しかし、モモピンクの言う通り、子供たちに絶望的に洗脳を施すのには充分な時間に思えた。

「さて超能力特措法ですが、まさか法律の通りに超能力者を超特別指定害獣だと認識して社会からはじき出そうとした人なぞいないでしょう。いたら大変です。超能力者は人なのですから。彼らは超能力者を人だと認識したまま通報し、逮捕させ、社会からはじき出したのです。さぞ痛快だったでしょうね。特別な権利や武器を持っている訳でもないのに、『あれは超能力者だ』と言うだけで悪のレッテルを貼る事が出来て、自分は正義だと思えるのですから。その証拠に、味方はそこら中にいます。そして超能力者がいない景色を作るのに、自分は一役買ったのだと胸を張れます。『超能力者として生まれただけの人』を『超能力者として生まれた事を理由に』『そこからいなくなれ』と言って、実際にいなくなるのです。社会がそれを許すのです。これを差別と言わずに何が差別でしょうか。殺人鬼を社会が許さないのは殺人鬼に生まれたからではなく『殺人をしたから』ですし、『窃盗癖がある人』を許さないのは『窃盗をしたから』ですが、超能力者は人を殺した訳でも何かを盗んだ訳でもないのに『あるがままでいるだけで社会が許さなく』なりました。『そのように生まれた事を違法とする』なんてイカれた法律が、現代に差別を復活させたのです。これは差別の予行演習だったのですよ。隔離施設に入った超能力者は自由に移動ができない。移動に自由が無いのだから、仕事も趣味も恋愛も、全てに自由が無い。それを知っていて超能力者は社会の害だと信じて国民が攻撃した。しかも『その人が本当に超能力者かなんて分りもしないのに』です。この予行演習を経て、人々は差別をする事に慣れた。この時代の人も、既に差別をする事に躊躇(ちゅうちょ)がないのでしょう? その為、将来的に奴隷が合法化するような事があっても抵抗なく受け入れられるようになったのです」

 モモピンクはここでお茶をすすった。

 千鳥も思い出したように丼の中身を口に運ぶ。今、しれっと「未来には奴隷がいる」事を示す言葉があった気がするが口を挟めない。

「そして、この法律は支配者にとって様々なデータ取りの役に立ちました」

「で、データ取り?」

「ええ。『未知の存在に由来する恐怖』を『どれだけの人が信じるか』それが、どのように人々の心理に影響するか。人権を尊重すべきとする人が『具体的にどれくらいの数、存在するのか』『その人たちの情報収集能力や、収集の手段』『情報の拡散速度』『仕事や趣味や経済能力』や『結婚しているか未婚か』はては『男女のどちらが多いか、年齢別のデータ、それらの年代に行われた義務教育の内容』や『人を差別して良いとする決まりを国が作った時、実際に差別を行う人の数や、それを継続する人の数』『一度自身が発した言説について、後からそれを変える事が出来る精神性を有しているかどうか』などの、多くのデータが奴らの手に渡ったのです」

 千鳥はミセスクインの著作の一つに「人間という生き物はな、一度自分で発した言説を否定する事が難しい生き物なのだ」という言葉がある事を思い出した。

「なるほど。判断する為の情報が不足していたり、一時の感情で思いもよらぬ暴言を吐く事は誰にでもありうる事だけど、後から新しい事実が分かったり、冷静な判断ができるようになったりした時に、『どれだけの人が反省できるのか』そういう健全な精神性を持っている人の数が分かれば『同時に、そうではない人の数も分かる』という事ですね」

 さすが悪魔王様の言葉は為になると千鳥は思った。

「左様。そしてこの時代、実際に差別を行い『それが罰せられない』事を学習した人たちは、内面に『差別をしない理由を持たない』のです。その数は、数値は、政府が行った洗脳の成果を示す数値です」

「だ、だとしたら、この時代に生きる多数派とは……!?」

「実際に何らかの形で自分が差別を受けるまでは、差別を国策として正しいと言い続けるでしょうね」

 千鳥は目の前が真っ暗になった錯覚を覚えた。しかし、モモピンクが次に発した言葉は意外なものだった。

「しかしながら、今回の超能力特措法に関わる騒動は六年程で終息します」

「え?」

 千鳥は不思議に思った。それはそうだろう。この一連の騒動が終わると言うのなら「モモピンクが未来からやって来た理由とは何なのか」分からない。てっきり千鳥は、未来における超能力者差別を正す為だと思っていた。

「未来では、超能力に怯える人は殆どおらず、それに起因する差別もありません」

「で、では、あなたが未来から来た理由とは?」

「千鳥さんにとってはこの後、この時代、政府は増える超能力者被害に対応するとして緊急事態宣言を発令します」

「……はあ」

 なるほど。ありえる話だと思った。

「やがて差別の時代は終わり、そして超能力特措法があったとしても通報する者もいなくなり、逮捕される者もいなくなり、平和になり、誰もが対話によって理解しあえるのだと思う世の中になります。もう思想の違いで争うのはこりごりだと、誰もが思うようになりました」

「それは、良い事なのでは?」

 話が見えないなと思った。

「そして日本国憲法の改定が行われます」

「!?」

「活動家は沈黙し、または思想による争いを避けておりましたので、改憲はとどこおりなく完了しました。その改憲案には『緊急事態条項』が新設されておりました。そして『発令されたまま実は解除されていなかった緊急事態』を理由に、一党独裁が始まったのです」

 緊急事態条項とは、災害等を理由に国が緊急事態となった時に発令される事で有効となる条項である。当時の草案では、緊急事態が解除されるまでの間、内閣による、法令と同じ効果を持つ政令を発する事ができるようになる。「国会で審議して法律を作るという前提を覆す条項」である。また緊急事態を理由に選挙が行われなくなる。海外では普通に存在する条項だと喧伝されているが、海外では独立した立法権は与えられていないし、基本的人権を守る為に、条項の乱用を防ぐ法律とワンセットで存在している。だがモモピンクがいた未来では、それら「条項のブレーキ」とでも呼べるものが無いまま改憲されたのである。

 千鳥は更に驚愕した。そろそろ感覚が麻痺してきた。未来には、絶望しか無いのかと思えてきた。

「繰り返しになりますが、悪法を定める者はすなわち悪人なのです。超能力特措法なぞという、差別を助長する悪法を定める者が、国民の為にと憲法を改定する訳なぞなかったのです。奴等は『超能力特措法なぞというクソたわけた法律に従うような、そして反省もしないような、無思考の人間が大多数を占めるようになったと、そう判断できるまで待った』のです。むしろ未来では、超能力者は国と戦うヒーローのような存在ですね。時すでに遅し、となりますが、独裁が始まり、主権を事実上うしなった事でようやく人々も目を覚ましました。超能力者は悪法を定め続ける政府に対抗する唯一の希望と言えます。近代兵器での武装は超能力者と充分に戦えます。言い換えれば『近代兵器で武装した集団を引っぱり出す事のできる戦力』が超能力者です。ですが数が足りません。戦局は常に不利なのです。そうそう、先程は言い忘れました。『実際に奴隷として扱われた人がどの程度、どのように抵抗するか』も重要な情報でしたね。内乱が起きた時の国民の戦力を分析する役に立ちます。それを見て『勝てる』と踏んだから奴等も改憲に踏み切ったのでしょう」

 時々モモピンクは「くそ」といった下品な言葉を使う。もしかしてこっちが地なのかもしれないと千鳥は思った。

「そこで千鳥さん。未来では人権尊重派のシンボルとなるあなたの出番です。途中で死ぬ事無く、これから存分に人々の心を鼓舞して下さい。実は私以外にも、同様に動いている者たちがいます。力を合わせ、なあなあで事態が終息するような未来を変えましょう。緊急事態宣言が発令される前に、明確に、確実に、超能力者の勝利で終わらせるのです」

 とんでもない話に繋がったと千鳥は思った。言うなれば国との戦争である。モモピンクの言う事が正しければ、未来において独裁を行っている政府と、超能力特措法を定めた政府は同じものである。その悪しき政府がコントロールしている現状を変えようと言うのだ。

 この時ようやく千鳥はかつ丼を食べ終えた。殆ど味を覚えていない。空になった丼をそっとテーブルに置き「少し考えさせて下さい」と言うのが精一杯だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ