第五章「最も残酷な人間とは悪人の事ではない。正義に酔い、自らを正義と信じ、正義の為ならばどのような攻撃も必要な事で許される事だと誤解している人間である」
そこは山の中。一応登山用に整備された道。しかし訪れる者も久しいゆえに落ち葉が散乱し、ゴミも片付けられないまま放置された中を、一人の女性が走っていた。
彼女の名は千鳥かな。
彼女が自らの才能につけた名前は「フロートシステム」という。空を飛ぶ事ができ、その気になればマッハで飛行する事も可能。最大高度は計測した事がない。なぜ計測していないのかと言うと「彼女は高所恐怖症」だったのだ。神は何を思って自分にこの能力を与えたのだろうといつも悩んでいた。遊んでいるとしか思えない。能力の悪用なぞ、およそ思いつかないが、世間の「超能力者は排除すべし」とする気運は、きっと彼女の内面なぞおかまいなしに彼女を責め立てるだろう。
なお、飛べるのに移動が徒歩なのは、障害物が沢山あるような場所、人にぶつかる可能性がある場所で高速移動すると普通に危険だからである。加えて、能力を使うととても疲れるのだ。
彼女は第二章に登場した剣崎の友人である
まずい事になった。本当にまずい事になったと、彼女は焦っていた。
事の始まりは、剣崎が銃刀法違反で逮捕された事だ。
千鳥の友人が銃刀法違反で逮捕されたのは、実はこれが初めてではない。
千鳥がかつて務めていたコンビニエンスストアでも逮捕者が出ていたからである。
日本の読者諸君はよく知っていると思うが、最近は縮小傾向にあるものの、かつてコンビニでは「おでん」が冬の風物詩であった。
当然だが、おでんが魔法か何かによって急に鍋に現れる訳ではない。
材料は、味付けなど施された状態で納品されるとはいえ、最後に店で簡単な調理が行われる。材料をパックから取り出し、調味料と水を加え、鍋で煮るのは店員の仕事である。
大根を入れたパックは、運搬の最中に崩れるのを防ぐ目的があるのか、特に頑丈なパックに入っている。コンビニ売りで300円くらいのゼリーが、ふちの部分で三つ繋がったような形状で、それぞれカットされた大根が入っている。保存液と共に強く密封されており、素手で取り出すのは難しい。崩れるのを防ぐのが目的なのだから強度もそれなりだ。これを鋏で切って取り出そうとすると、力をこめる事になり、余計な力を加えた事で手元が狂い、いらぬ事故に繋がる危険もある。
そこで有用なのがナイフだ。半透明のパックに入っている大根の輪郭にそってナイフの先端を入れて、これを数度繰り返す事で力をこめる必要なく安全に梱包から取り出す事が出来る。
ある日、彼女の務める店でこのナイフが消失した。恐らく誰かが使った際に、元に戻すのを忘れて、しかも普段は目につかないような場所に置いてしまったのだろうと予想できた。店の備品が見当たらなくなるたびに犯人捜しをしていては仕事に支障が出る。その当日は鋏で対処した訳だが、鋏は二枚の刃で挟んで圧力を加える事で切れるように設計されている。なめらかに切れるようにはできていないのだ。片刃を突き入れるやり方では、先述したように余計な力を加えなくてはならない。なお、店売りのカッターナイフを使おうと言うアイデアもあったが、これはステンレスではなかったので錆びて使えなくするのは勿体ないとして不採用となった。
そこで翌日、ある店員が家から包丁を持参した。新しいナイフが納品されるまでの代替品にするつもりだった。
その店員は銃刀法違反で逮捕されたし有罪になった。
もちろん家から店まで鞄に入れて運んだし、店のカウンター内で管理し、人に向けてすらいない。店に来た警察に取り押さえられた店員以外、怪我人も出ていない。
通報は店内からのものだった。
千鳥は最初、そもそも店で刃物を扱う業務があって、それが消失したのが理由で家から持参したのだから、すぐに警察の誤解は解けて釈放されるだろうと思っていたが、そうはならなかった。
検察は当初、包丁なぞなくとも鋏で充分遂行できる業務だとして店員の主張する正当性を否定した。店側も、取り調べに対して「店で刃物を扱う業務は無い」として店員が主張する「業務に必要だ」とする正当性を否定していた。
だがその店側の主張を、留置場で弁護士から聞かされた店員はすぐさま「そんな訳はない。そもそも『店舗備品の発注台帳』にも記載がある物品だ。個人的な方針として使わないって言い分ならまだしも、『刃物を使う用が無い』なんて事にはならない」と反論した。
それを受けて店側は言い分を反転させた。「店では業務に必要な道具は揃えてあるので、家から持参する必要はない」とした。これにより、検察が主張した「鋏で遂行できる」とする主張は否定されたが、その店員が家から包丁を持参した正当性も消えたのである。
裁判では、店側が後から出した主張だけが使われ、当初の「刃物を扱う業務は無いとする言い分に関するやり取り」は取り調べに関わった者しか知らないものとなった。
果たしてこれは公平な裁判だろうか?
店からナイフが消失したのは店員なら全員知っていた事だし、最初は店側が刃物を使わないと主張していたのに、あとになって店の炊事場に道具一式が並べて置かれている写真が撮影され証拠として提出されても公平と言えるだろうか?
店からナイフが消えたという被告の主張と、検察が提出した、店では必要な道具は揃えられていたという主張の整合性について議論すべきだと思うが、どうしてか検察の主張が正しいとする前提で進行される裁判は公平だろうか?
検察が提出した証拠写真は事件の前の物ではなく、後になって撮影されたものだが、それに証拠能力が有るとする裁判は公平だろうか?
付け加えて、検察は被告について、調理の作業時間以外でも刃物を握るなどして人に恐怖を想起させた悪質な行為だと言って非難する姿勢を取っていたが、もしこれが量刑に関わる話だとしたら不思議な事だ。それは家から持参しなくても備品のナイフでも起こりえる事だし、それを犯罪とするなら同様の犯罪者が恐らく日本中にいる。警察は類似事件の発生を抑止する為に邁進すべきだがそのような取り組みをしている様子はない。まるで、「お前たちはいつでも逮捕できるし有罪にできるがこれまではしていなかっただけだ」と言わんばかりである。ではなぜこの時は懸命に店員を有罪にする為に行動したのだろう。当初の逮捕理由である「店外から不要に刃物を持ち込んだ」と最終的に違う話になっているが、誰もその点について言及しない裁判は真っ当だろうか?
それらを踏まえて、通報したのが当時、店長研修で働いていた新参で、例の店員と度々意見の衝突があり仲が悪かった人物だとしても真っ当だろうか?
逮捕された当初と最後で、店側が主張する背景情報が全く異なるが、裁判の場で行えば偽証罪に問われそうな事も、裁判の前ならばいくらでもやれる事がこれで分かった訳だが、それは是正されず、利用するような警察や検察は果たして正義の味方と言えるのか?
正義はともかくとして公平な存在と言えるのか、甚だ疑問である。
千鳥は当時、例の店員のように仕事を失ったり、犯罪者の仲間だと言われたりするのが恐ろしくて真実を伝えて抗議する事ができなかった。それは千鳥を、強い後悔の念となって苛んだ。
だから千鳥は、剣崎が逮捕されてからその動向に注視していたのだが、まさか超能力特措法なんてものが出来上がるとは予想を超えていた。
物証が無いままに剣崎が起訴された事を不思議に思っていたが、特措法の存在で合点がいった。恐らく検察は剣崎を超能力者だとして有罪にするつもりなのだと思った。
そうして剣崎の身を案じていた矢先、ついに全国民待望の「超能力者を発見する発明」が登場したのである。
名付けて「超能力因子培養検査法」である。
ある超能力研究家が注目したのは、超能力者の殆どが、先天的に超能力を有しているという事だった。そもそも超能力の存在がフィクションではない事を前提としている点についてはツッコミを入れてはいけない。
その仮定を基に、人体の遺伝子に超能力を発現させる因子があるのではないかとする研究が進められ、研究者によれば、その因子を一定以上の数もっている個体は超能力を発現させる可能性が高いそうだ。
そこで細胞の欠片を一定以上まで培養して観測すれば、現在または将来的に超能力を発現するかどうかが分かると言っている。そもそも超能力の存在がフィクションではない事を前提としている点についてはツッコミを入れてはいけない。
特措法によって差別を受ける超能力者だと疑われたくない、超能力者ではない証明が欲しい人は、われさきにと検査を受けた。そもそも超能力の存在がフィクションではない事を前提としている点についてはツッコミを入れてはいけない。
不思議と、「超能力者だという自覚がないのなら、恐らく本当に超能力者ではない」のだから、そのまま生活しているだけで超能力者ではない証明になるのではと、発想する人は希少だったらしく、沢山の人が「非超能力者証明書」として機能する検査結果を取得した。
もしこれで超能力因子なんてものが自分に備わっている事が証明されてしまったら、「超能力者だとする自覚は無い」のに、「超能力者として差別を受けるかもしれない」と想像できる人は、あまりいなかったらしい。
哀れな事に、自分をただの人間だと思っているのなら、そのまま生活しているだけでよかったのに、検査を受けた事で超能力者だと判断され、実際に差別を受けるはめになった人が出ているそうである。超能力者と断定された人は逮捕され、社会から隔離される。もうどれだけの人が被害にあったのか分からない。
繰り返しになるが、超能力がフィクションではない事を前提としている点にツッコミを入れてはいけない。そんな事をすれば、それは社会不安の根幹たる超能力者の排斥を否定する事になり、反社会的な行動だととらえられてしまうからだ。
ちなみに千鳥は、この検査が当てにならない物だと知っていた。
なぜなら千鳥自身が陰性結果だったからだ。
彼女自身は検査を受けるつもりはなかったが、職場の方針で強制的に行われた。
だから彼女は確信して言えたのだ。この検査で陽性だろうが陰性だろうが、それで超能力者かどうかなぞ分からないと。陽性だからと差別を受けている人はただの被害者だと。そもそも検査の信憑性が無いと言った。超能力が遺伝子に起因するという言説自体が仮定の話だし、因子の数が問題だとするなら、培養するサイクルを増やせばいくらでも超能力の才能がある事にできるからだ。
かつて、仕事を失う事を恐れて同僚の正当性を明言できなかった後悔と、世界のどこかで自分の同類が不安になっているかもしれないという懸念と、友人が危機に陥っているという焦燥、そして正義感に基づき、彼女はこの検査で超能力者ではない安心が得られるなぞインチキであると主張した。
その主な手段はSNSへの書き込みという小さなものだったが、彼女と同様の活動をしている者も多くいて、少しだけ世の中の流れが変わったかもしれないと思った。
剣崎がこの検査をもう受けたのか、受けていないのか分からないが、この検査に信憑性がない事が広く知れ渡れば、もし剣崎が検査を受けていてもそれで有罪が確定するような事にはならないかもしれないと思った。
しかし、それらの主張を超能力研究の専門家は否定した。検査を否定している人たちの判断材料にはネットによくある根拠薄弱な陰謀論が多くあり、信用に値しないと言った。
つまり超能力を研究している専門家だと自称している人間が、しかし自分の言説は信用に値すると主張している訳だがその部分にツッコミを入れてはいけない。
検査には偽陽性や偽陰性と言うものがあり、超能力因子培養検査法の場合、採取された細胞がたまたま超能力因子の多い箇所で、偽陽性となった場合や、その逆もありうるとした。また、あくまで判断は検査時点のものであり、後から超能力因子を覚醒させる例もあると言い、定期的に検査を受けて確認するよう呼びかけまで始めた。
同じような表現を何度も繰り返す事に心苦しさを感じるが、それつまり検査しても何の安心材料にもならないって事じゃないか、とツッコミを入れてはいけない。専門家の主張に異を唱える事は、この国では反社会的な行動ととらえられてしまうからだ。
例えば今現在、千鳥が置かれているような状況だ。
千鳥はSNSアカウントで反超能力思想へのアンチ行為を繰り返した事が災いし、住居を含む多くの個人情報を特定されてしまい、狂信的な集団に追われる身となった。
だから山の中を走る羽目になっているのである。
うかつにも、千鳥は新しいアカウントを作るという発想を持たず、ずっと趣味の事や日常の出来事を投稿する為に使っていたアカウントで抗議活動を行っていたのである。
先ず買い物の様子や、偶然撮れた綺麗な夕焼けの写真などから行動半径が特定された。まずかったのは「しごおわ。これから帰宅」という投稿と「今日はお休み。趣味を頑張る」という投稿だった。同様の投稿が複数、ほぼ同じ時刻、曜日に行われているので確度の高い情報だと判断され、その投稿時刻前後に終業となる、休みがその曜日となりうる職業にあたりを付けられ、行動半径の中から絞り込まれ、後に就業先も知られる要因となった。とどめとなったのは、偶然映り込んだ柱の構造からマンションが特定され、その部屋全ての玄関先に「美味い棒の駄菓子」がばらまかれた。それぞれに違う味の美味い棒の駄菓子を配置し、どの美味い棒の駄菓子をSNSに投稿して「誰かお菓子落としてった人いるw」なぞとコメントするかで場所を特定する方法が使われた。千鳥は写真を添付せずコメントだけ投降したのだが、工作員は「うちの部屋にも以前落ちてましたwチーズ味でした。そっちは何味でした?」とリプライして、千鳥はそれに正直に返信してしまったのだ。種類豊富で安価な御菓子を利用したあくどい手口と言える。読者諸君においては、プライベートを含む投稿を行う場合には細心の注意を払って欲しい。
ゆるい坂道程度なら平気だが、高所恐怖症の千鳥にとって、いつ「高所」と認識できる大きな段差などにでくわすか分からない山中は、できれば避けたい場所だった。
それでもがむしゃらに逃げているうちに、いつの間にかこうなっている。普段から逃走経路や避難経路について意識しておくべだったと反省した。
さて、山の中に逃げ込んだ千鳥を元気一杯追い回している狂信的集団とは「子供を超能力者から守る会」の一同である。特に力の弱い子供を、はびこる超能力被害から守る事を理念とする集団だが、具体的にいかなる方法で超能力者から子供を守るのか、その手段についてはホームページにも明示されていない。
これまでやってきた事と言えば、集団行動を心がけようとか、知らない人にはついていかないようにしようとか、普通にこれまでも言われてきた事を喧伝する程度である。
彼らは超能力者を極めて危険な存在だと認識し、その上で子供たちを守ろうと言っている訳だが、この方法で果たして本当に彼らの目的を達成できるのか、彼ら自身がどう思っているのか疑問で、志を同じくする筈の反超能力思想の賛同者からも冷たい視線を向けられる集団である。
だが彼らは真剣だ。大人でさえ超能力者にいつ殺されるか知れない恐怖の中で生きているのだから、子供はもっと怖い筈だ。大人が守らねば。と、そう思って行動している。
では子供を守る手段として今回、彼らが取った行動とは、「まだいかなる犯罪行為も行っていない民間人を、システムの信憑性や不備について言及し、疑義を呈した事を理由に、個人情報を特定して追跡し、ついに山の中に追い込んだ」な訳だが、果たして彼らのやっている事は正義と言えるのだろうか?
正義と言えば正義なのだろう。彼らにとっては。
千鳥は、少し前に読んだミセスクインという作家の書いた小説の一節を思い出した。
「善意による行動の殆どは結果をかえりみない。善意による行動そのものを素晴らしいと思っているからだ。自他にとって都合の合わぬ結果にはなるまいと思って行動しているから、振り返って反省するという事が無い」
確か、悪魔王様と呼ばれるキャラクターの台詞だったろうか。
こういう奴らにこそあの小説を読んで欲しいと思った。
奴らは千鳥を反社会的な人間だとレッテルを貼って攻撃しているが、現状、千鳥は検査においても陰性の、法的にも認められた完全無欠の一般人である。
一切の違法行為を行っていないし、そもそも違法行為をしていたとしても、それで彼女をリンチしていいとする道理はない。
その部分については既に千鳥は質問していた。
彼らはこうのたまった。「犯罪者の肩を持つ者は犯罪を助長する人間だ。町から出て行け。これは町民の願いであり民主主義に則った正当な主張だ!」
肩を持つ、が彼らにとっていかなる意味を持つのか分からないが、千鳥は「超能力者が犯罪をおかす」事と「超能力者である事が犯罪」は違う話だと思っている。千鳥自身も法を論拠にして議論する事は大切な姿勢だと思うと共に、法が社会や文化に相応しくないと思えるのなら言論の自由に基づき異を唱えるべきだと思う。今回は超能力特措法が争点となるが、超能力者であるだけで世の中から排斥しようとする世の中は人権尊重の観点からも異常だと思う。ましてや、人権を主張する事が犯罪を助長する事に繋がるとは思えない。もし人権を主張する事が犯罪に結びつくのなら、全ての国で今すぐに人権尊重思想を排斥しなければならなくなるからだ。人権を呼びかけている事を理由に差別行為を繰り返すなぞ言語道断である。それでも百歩譲って、個人的思想として町から出て行けと願いを抱く事は個人の自由だとしても、それで嫌がらせを繰り返したり集団で迫って圧力をかけたりする事に正当性は無い。民主主義がどうしてこの話題に出てくるのか理解できないが、もしや彼らは数さえ集めればいかなる暴論も通用すると思っているのだろうか。
だがそれら千鳥の反論は彼らには通じず、ずっと暴論を繰り返しながら追いかけてくる。
「超能力者はいつ人を殺すか分からない悪だ! この国から消えるべきだ! 人権を制限されるのが嫌なら超能力者だけの国にでも行けばいい! できれば死ぬべきだ! これに反論する者は反社会主義者だ!」
「そもそも今まで超能力者なんて気にもしていなかったのに、急に気にしだしたのは何でなのよ!」
「ニュースを見ていないのか。情弱め! 目に見えない凶器にも等しい能力で警官を殺した危険生物。それが超能力者だ! 世界平和の為に死ぬべきだ!」
「ニュースで見た話しか根拠にないの? 自分の知人が超能力で被害に遭った話もないの? 自分自身で経験した訳でもないのに、ニュースで言ったからって超能力者を悪と決めつけるの?」
「ニュースは真実を伝えるものだ。これは常識だ! 政府も超能力者は危険だと言っている! 目に見えない力だと言ったのを忘れたのか! 超能力で殺されても一般人にはそれが超能力の仕業か分らん! だから全ての国民に検査を行い、殺人者予備軍を炙り出して社会から隔離する事が、多くの人を救う事に繋がるのだ! できれば殺すべきだ!」
「そもそもその検査に信憑性が無いって話を私は主張してきたし、それを見たからあんたたち私を追いかけまわしてるんじゃないの? あの検査で陽性になった人の中に、どれだけあんたたちの言う『殺人者予備軍』がいたのよ。ずっとこれまで普通に生きてきた人でしょ。そもそも予備軍なんて、あんたたちが勝手につけた通称じゃない。殺人どころか何の犯罪行為もしていない人を、あんたたちの都合で『これから殺人をするかもしれない人』に仕立て上げて不安を煽ってるだけじゃない。かもしれないって話をするんなら、超能力者じゃなくたって誰だって人を殺すかもしれないわよ。何度でも言うわ。あんたたちが信頼を寄せている検査には信憑性が無い! そして、その信憑性が無い検査によって陽性反応が出て、受けるいわれのない差別を受けた人が無数にいる。あんたたちのやっている事こそが、差別と言う非人道的行動の助長よ!」
「何度でも言うが、検査は国も専門家も認めた『判断する手段』だ! これを疑う事は社会不安を増進させる極めて非人道的行為だ! 分かったか。分かったなら今すぐ投降して反省してアカウントを削除して日本から消えろゴミクズめ!」
だめだ。こいつらには完全に話が通じない。
千鳥の主張に対して反論するのであれば、まず検査の信憑性を提示すべきだが、彼らはそれをせず「政府や専門家が認めたものだ」と言って議論に応じない。権威主義的な考え方に則って喋るので、超能力者の人権について主張しても「政府はそれを認めていない」で返してくる。千鳥はそれらについて、言論の自由に基づいて反対意見を表明している訳だが、彼らは言論を弾圧してくるのである。
国民の生活は苦しくなる一方なのに税金を上げ続ける国や、いきなり最近になって出てきた超能力の自称専門家にどうしてここまで信頼を寄せる事ができるのか千鳥には理解できなかった。
売り言葉に買い言葉で相手の望むままに会話をしてしまったが、そもそもの話、彼らがいかなる言説をふりかざそうとも「千鳥をリンチする」に正当性はないのである。この場においては彼らこそが犯罪者であるが、その犯罪者を取り締まるべき警察はこの場に居ない。
もし仮に、千鳥が彼らの攻撃によって、あるいは行動に起因する何かしらの事故によって死亡したとしたら、彼らは一体どうするつもりなのだろう?
まさか女性を集団で追い回して、あげく山の中でその女性が死亡したとしても因果関係を否定できると思っているのだろうか。まともな思考回路なら導き出せない回答だが、つまり彼らはまともではないらしい。
千鳥は戦慄した。今更だが、自分が相手にしているのはそういうまともではない連中なのだ。まともではないのなら、いかなる暴挙も想定してしかるべきだろう。彼らが使う暴力的な表現は、ただの威嚇ではなく、本物の殺意だととらえるべきだと思った。
なんという事だろう。友人の剣崎だけではなく、千鳥自身もまた、絶対に超能力者だと知られるわけにはいかなくなったのだ。知られれば、恐らく殺されるからである。
そうして千鳥が、もうすぐ日が落ちて暗くなる山の中で、どうやって奴らから逃げようと恐怖を押し殺して冷静に考えようとした矢先。
遠くから女の声が聞こえた。
それは、遠くから聞こえるのだと理解できるのに、はっきりと聞き取る事のできる、まるで実力派の声優のような発声であった。
「はっはっはっは。これは随分と勇ましい。烏合の衆といえども、自分を世論の側だと思っていれば強気になって、こうも世迷言を豪語できるものなのですね。恐ろしい」
「誰だ! ゴミクズ女の仲間か!?」
その声の主はいつの間にか「守る会」の連中の正面に立っていた。
「速い!?」確かに遠くから聞こえていたのに、どんな移動速度なのだと、その気になればマッハで飛行できる千鳥が驚いた。
「ええい。そこをどけえ!」
「触れないでいただけますか?」
「ぐああああああああああああああああああああああ!?」
仮面を身に着け、緑色の髪をポニーテールにした謎の女性の肩を押しのけ、目の前からどかせようとした男の指は、五本ともがあらぬ方向へと曲がっていた。
「悪魔五指骨折拳。一見して力任せの技ですが、テコの原理を応用して握った指それぞれに偏った負荷をかけるのがコツでございます」
別の男が謎の女性に食って掛かった。
「きっさまあ! これは傷害罪だぞ。訴えてやるからな!」
「できるとお思いですか?」
「なに!?」
「女性を集団で追い立て『脅して無理やり自分達の言う事を聞かせようとしていた現場』に私は正義感から姿を現し、男性相手に無我夢中で抵抗した結果、不可抗力的に指が折れた。世間はそのように見ますし、そのように証言いたします」
「そ、そんなもの、誰が信じるものか!」
「少なくとも、女の細腕で握られて男の拳がおしゃかになった。よりは信憑性のある話かと。直近までのあなたがたの会話は録音しておりますし、SNSにも、あなたがたの攻撃的な行動は記録として残っているでしょうね。動機を否定する事は難しいと思いますよ。ああ、それから、今この瞬間からの記録を携帯端末で保存しようと考えない方が宜しい。写真を取られたくない私は無我夢中で抵抗して、不可抗力的に目を潰したり、喉を潰したりするかもしれません」
「……」
なんと「守る会」の一同は黙ってしまった。謎の女性が「本気」だと理解したのだ。
理屈は説明出来ないが、この女性の言葉には超常的な説得力があった。
やがて千鳥に向けて女性は名乗った。
「ごきげんよう。私の事は謎のスーパーヒロイン、モモピンクとお呼びください。悪党は死んだほうが良いと思っているタイプの人間です」
「特徴が、緑の髪色なのに!?」
恐らく偽名であろう彼女の名乗りに、千鳥はツッコミを入れた。見えざる何者かの声が、ずっとツッコミを入れてはいけないと言っているような気がしていたのでとてもスッキリした。
正義の味方っぽくない台詞だけれど、きっとこの人は正義の味方だと。そう直感した。