第四章「変身ヒーローが正体を隠すのには合理的な理由がある。民間人が街中で破壊行為を行う事は普通に犯罪だからである。特に日本では、武装している事が既に犯罪だ。銃刀法とはそういう法律である」
マイケル青には秘密がある。
音楽妖精オッチャマの助力を受けて、音に宿る不思議な力で人々を救う変身ヒーロー「カオス」となって戦うのだ。
メタルバンド活動を行うかたわら、彼は人々の心を蝕む謎の敵と、日夜死闘を繰り広げている。
敵の名前はダーク・アー。名前の意味は分からない。敵がそう名乗ったのだからそうなのだとしか言いようがない。そもそも人の心を蝕む事でダーク・アーにどのような利益があるのかも分からない。
例えばこれが戦争の最中なのだとすれば、敵国の生産能力、経済力を低減させる目的で心理攻撃を行う事は充分にありうる。人が積極的に行動しなくなれば経済は確実に悪化する。消費は落ち込み、それに伴って業績は下降し物価は上昇し、会社は利益を回収する為に無茶なノルマを課し、あるいは解雇を行う。街には失業者が溢れ、治安は悪化し、これを鎮静化する為に警察組織は普段行わない仕事をする事になるが、そうして警官が仕事に忙殺される隙をついて組織的な犯罪はむしろ増える。富の集中がおき、流通は淀み、戦争にかかる金銭は集まらなくなり、労働力資源を失う事になる。
そうだ。これが戦争なのだとすればダーク・アーの行動にも一応の筋が通る。
しかし、肝心の戦争らしい衝突は観測できないのである。
カオスとダーク・アーが戦うのは、戦闘ではあるが戦争とは呼べない。
あくまで個人の奮闘で解決できるような規模の戦いは戦争ではない。
よく暴走族だかヤクザだかを主役にした映画やアニメで「戦争じゃこらあ!」と言った表現が用いられるが、なるほど、確かに個人の規模とは言えないが、やはりこれも戦争とは言い難い。
戦争と言うのなら、国家や民族といった規模での出動を必要とするような戦いではないだろうか。
ダーク・アーは、人々からやる気を奪ったり、酷い悲しみを与えたり、時には抑えきれない怒りを誘発して人々を混乱させはするが、基本的に人を殺さない。
わざわざ直接的に人が死なないよう配慮しているふしさえある徹底ぶりで人を殺さない。
もし戦争行為の延長なのだとしたらこれは不自然極まりない。
そもそも日本国が現在、どこかの国と戦争しているという報道はない。だからダーク・アーの行動は戦争行為ではないのだと結論できる。
ではなぜ「人々の心を蝕む」なんて事をするのか?
最も合理的な推論は「ただの嫌がらせ」であるが、「だったらなぜ嫌がらせをするのか」が分からない。週一くらいの頻度で街のどこかに現れては嫌がらせをするくらい、何かに対する憤りと行動力があるのなら、素直にそれを表明して抗議するべきだと思うが、そのような事をしている様子はない。
ダーク・アー四天王は、いずれもそれなりの稼ぎがありそうな大人ばかりであったし、日本語で会話していたから恐らく日本人だ。もし違うのなら、日本人であるカオスの前では母国の言葉で話をするだろう。ただそれだけでカオスには意味が分らない会話となり、敵に余計な情報を与えなくて済むのだから。
もしかしたら帰属する国家を隠す為にわざわざ日本語での会話を徹底している可能性もあるが。それをやるなら英語で事足りる。同僚との会話を隠す気がない事が前提となるならば、日本でしか通用しないやり方で素性を隠すのは賢いやり方ではない。
つまりダーク・アーはかなり高い確率で日本人なのだが、この不況下にあって副業に勤しむ訳でもなく、何かしらの利益を生んでいるようにも見えない「嫌がらせ行為」に邁進する程度には暇な連中という事になる。
……ひょっとして馬鹿なのか?
本当に馬鹿なのかもしれないが、結局の所、どれも推論に過ぎない。
マイケル青こと、変身ヒーロー「カオス」が戦っているのは、そういう謎の多い存在なのだ。
そして今この時も、カオスは人々の心を守る為に戦っていた。
「く。今回の敵も厄介ね!」
全体として白を基調としたヒラヒラの沢山ついた衣装。そして仮面。元はセミロングだったが、変身する事で長いツーテールとなった髪。そのシルエットは紛れもなく女性のそれであるが、マイケル青は男性である。
最近では赤ん坊から中学生くらいの年代に急激に成長して変身して戦う女児向けアニメのキャラクターもいるのだ。男性から女性に変身するヒーローがいてもおかしくはないだろう。
もっとも、彼が女言葉で喋るのは変身前からの特徴である。
少し前までは「オカマキャラ」として一言で表現できたが、昨今、女言葉だのと言うとそれは差別だの何だのと、男らしさや女らしさを押し付けるなだの何だのと、配慮がどうだだの何だのと言うやからが出てきて、むしろずっとオカマキャラで通してきたバーの従業員などに対する配慮はどうなったのだと疑問だが、そういった事情もあって生きづらい世の中になったなと感じている。
ダーク・アーはエーテルエネルギーと呼ばれる謎の力を用いる事で様々な事象を引き起こす。遠い距離を一瞬で移動したり、空を飛んだり、物質の構成を変えて化け物、「ナメンナー」を作ったりするのだ。
今カオスは、八百屋さんに並んでいた大根と、その店主が耳に挟んでいたシャープペンが合体して巨大化した敵と戦っていた。
「ナメンナー!」
化け物が吠えた。
基本的なフォルムは大根に手足が生えたもので、菜っ葉に相当する部分が頭頂らしく、その近くに目鼻と思しきものが配置されている。
身長は目算で3メートル程だろうか。まるで人型に変形したトラックと戦っているような気分だ。
大根の化け物は空高くジャンプしたかと思うと、頭頂部を連続でノックした。すると、尖っているお尻の部分から「カットした大根のさきっぽ」みたいなものが次々と発射されていくのである。そうか。これがシャープペンの要素か。いやそれシャープペンだけでよくないか? 何で大根足したのだと思うが、謎の多い敵なのだ。いちいち行動に理由や合理性を探しても疲れるだけだろう。
「ふははははははは。ゆけえ! ナメンナー! この国の八百屋という八百屋を営業停止に追い込み、カルシウム不足で心理的に安定した生活がおくれないようにしてやるのだあ!」
ダーク・アー四天王の一人「怒りのアングリイ」がそう言って笑った。
お前らやっぱり馬鹿だろ。
そんな事をしなくても大型ショッピングモールの台頭で個人商店はどんどん潰れているよ。そして個人商店が潰れても買う場所がかわっただけで、野菜を入手できなくなる訳ではない。
なるほど。昨今、カルシムと言えば牛乳や魚ばかりを連想する風潮がある中、野菜に含有されるカルシウム成分に注目した事は褒めてやろう。だが野菜不足を引き起こしたいなら畑や、肥料、車の販売、燃料を扱う業者を狙うのが効果的だ。最終的に商品を消費者に渡す人間だけを狙うなぞ、極めて非効率的で迷惑でしかない。
職業差別をする訳ではないが、経営不振にも負けずに頑張って働いている方々を狙うとは、マイケル青自身が、殆ど収入に繋がらないバンド活動をしているという事情を抱えている為に、より大きな怒りが込み上げてくる。
カオスは連続で飛来する大根弾を跳んでかわすと、そのまま建物の壁を蹴ってさらなる高みへ跳躍する。その勢いを、かかと落しによる縦回転で下に向かう力に変え、大根の化け物を蹴り落した。力の伝わり方としてかなり間違っているが、音楽妖精の力を借り受けるカオスは、体重の差による反作用の影響であるとか、エネルギー保存の法則とかを「ある程度無視できる」のである。
「今よ!」
カオスが合図をだした。ちゃーららっちゃー、ちゃーららー♪ BGMが変わった、様な気がした。音楽妖精オッチャマは、フェアリーギターへと姿を変貌させる。普段はカオスの肩の上あたりにフヨフヨ浮かんでいる小さいおっさんにしか見えないオッチャマは、ただの飾りではないのだ。カオスが心を込めてギターをかき鳴らすと、それを聞いた人々の心に変化が起きた。
人は心臓の鼓動によって生きている。鼓動とは、一定のリズムの事であり、ふるえ動く事である。だから空気振動である音は、音楽は、人の心と生命に大きな影響を与える。
フェアリーギターの音は、空気をふるわせるだけでなく、目に見えない不思議な力が直接人をふるわせるのである。
カオスの演奏は、大きな衝撃を受けて波立つ心に、同じ波長の波をかぶせて一体化し、その主導権を奪った上で徐々に波を小さくし、やがて消滅させた。
アングリイはうろたえた。
「いかん。このままでは!?」
「まだまだいくわよ! モルトビート・バイブレーションんんんんんんんん!」
ギュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!
人々の心が落ち着いた事を、不思議な力で知覚する事のできるカオスは、今度は人々の心を激しく揺さぶる演奏を始めた。フェアリーギターの音は空気振動だけではない。建物に隠れていた人にも、遮蔽物の影響を受けずに充分に届く。
カオスのギターを聞き、正気を取り戻した人々が我に返る。
「は!? 私たちは今までいったい……」
「我々は何を呆けていたのだ。あまりの事に思考が止まっていた」
「どうやらあそこで笑っていたのが騒動の原因みたいだな」
圧倒的な暴力を前に萎縮した人々、冷静でいられなくなり、判断力を失った人々は、そこにダーク・アーのエーテルエネルギーによる攻撃「パニックブースト」を受けていたのだ。パニックブーストは、鬱や失望、あるいは狂乱や暴力衝動といった負の想念に人を誘導する心理攻撃である。だがこれは平時においては殆ど効果を持たない。あくまで人の心が落ち込んでいたり、焦っていたりする時に、それを後押しする形でなければ人の理性が勝るからである。だからダーク・アーは、パニックブーストを使う為にたびたび事件を引き起こすのだ。
だが今、カオスの演奏によって人々は万全の状態となった。そしてよく見れば、直接的な脅威は大根の化け物一体だけであり、それはカオスと言う謎の人物が対等の能力で拘束できている。地に落ち、割れて埋まったアスファルトから立ち上がろうともがいている化け物を、カオスが一方的に踏んだり蹴ったりしているのを見てそれを確信する。となれば、あとは指揮をとっているらしい「残る謎の人物を拘束すべきだ」と判断できた。
どこかの誰かが言っていた。「その場の全員でかかれば、そこで命令している人間くらい簡単に打倒できる。『それに気づかないのが奴隷』であり『気づかせないのが支配者』である」と。
この場を支配し、コントロールしていた人物の手法が、実はハリボテのような程度の低いトリックであったと解釈した人々は、手に思い思いの武器を持ち、声を上げて向かって行った。
「おのれ。今日はここまでだ。アン・アン・グリイ!」
シュン!
どうやらアン・アン・グリイが合言葉なのだろう。その言葉と共にアングリイは姿を消失させた。ダーク・アーが用いる瞬間移動技術だと言われている。これを用いれば、要人の暗殺であるとか、画期的な流通の開拓であるとか、やりたい放題の筈だが、なぜかダーク・アーがそれをやっている様子はない。きっと扱うには難しい条件があるのだろう。きっとそうなのだ。
さて、一応この騒動はこれで決着である。だがカオスの戦いはむしろここからが本番だ。
なぜなら、次は警察との戦いが待っている。
警察にとっては、街で暴れる大根の化け物も、それを撃退したカオスも、等しく国家治安を乱す存在だ。破壊行動を主に行ったのはダーク・アーだが、カオスもまた敵を地面に叩きつけるなどして道路の舗装を破壊している。警察にしてみればただの喧嘩とかわりない。どちらが善か悪かなぞ関係ない。どちらも等しく、傷害や器物破損で犯罪者に仕立て上げる可能性を持ったチンピラでしかない。仮にこれまでの戦いが全て不可抗力的な仕方ないものだと解釈されたとしても、警察に個人情報を取られるのは極めてまずい。今度の活動が非常にやりにくいものになってしまうだろうと予想できる。
いや、それどころか、カオスの戦闘能力を超能力だと疑われでもしたら大変だ。
音楽妖精の存在を信じてもらえるかが先ず分からないし、音楽妖精を超能力の一部だと言われでもしたら、カオスにはそれを否定して納得してもらう方法が無い。
超能力と言う言葉の定義を調べたら「科学では合理的に説明できない超自然な能力」だとか「普通の人間には実現できない事を実現する能力」だとする説明が検索結果として出てくる。これに照らし合わせれば、幽霊と話ができる事も超能力だし、今は失われた古代の技術で肉体を強化された人間も超能力者となる。
ならば「音楽妖精の助力を受けている」を信じてもらえなければ、カオスは間違いなく超能力者という扱いになるだろう。あるいは音楽妖精と意思疎通ができる事が超能力なのか。少なくとも彼を超能力者だと思いたい人間にとっては超能力者なのだ。
この国では銃どころか刃物で武装する事すら民間人に禁じている。
ならば単純な身体能力で勝る人間から攻撃を受ける時、殆どの民間人は逃げる以外の対処が出来ない。逃げる以外の事をするなと銃刀法は言っている。
カオスには、そうした逃げるしかない人々の財産や生命を守ってきた自負がある。武器を持たない人々の代わりに戦ってきた。そして、武器を取って戦えば、ダーク・アーは決して対抗できない相手ではないと伝えてきたのだ。
ダーク・アーとの戦いで金銭が手に入る訳ではないが、自分にしかできない役割を得た事で充足感や高揚感と言ったものには繋がっている。今さら、超能力を持っているのは違法だから裁判を受けて隔離施設に入れなぞと言われて、おとなしく従えるものか。
超能力特措法が実現したこの世界では、カオスは間違いなく犯罪者であった。
だからカオスは断言する「間違っているのは社会の側だ」と。
怪物と戦って人を守っても感謝されるどころか警察に追い回される経験を経た事で、か弱い女子を暴漢から救おうと勇敢に戦った青年が「過剰防衛で罪に問われる」とか、ストーカーに怯える女性が護身用にスタンガンを持ち歩き、動作テストの為にバッグから取り出したら「軽犯罪法違反で逮捕される」とか、この国の法律は、人々が自衛する事をことごとく邪魔してくる事に疑問を感じる事ができるようになった。
むしろこれまでどうして疑問に思わなかったのだろうとおののいた。良くも悪くも、人は社会に順応する生き物なのだと改めて学ぶ事が出来た。
なるほど、例えば殺人事件がおきれば警察は懸命に犯人を捜してはくれるだろう。しかしそれで殺された人が蘇生する訳ではない。凶悪犯罪には警察を頼ってくれと言いながら、ストーカーへの対処すらろくにしてはくれない。そして人が怪我をしたり、死んだりしてからでなくては動いてくれない。それなのに、法的には人々に自衛する手段を与えないのだ。
国民に自立して欲しくないという国の都合が透けて見えた。いつまでも国に依存して生きていて欲しいと願っているかのようだ。
そして最近になって制定された超能力特措法である。
超能力を解明しようとか、社会貢献に役立つよう利用しようとか、そういう発想を飛び越えていきなり迫害してきた事に不気味さを感じる。
人々は目で見て判断できないものに怯え、疑心暗鬼を生み、思想によって分断されている。
超能力者の疑いがあるだけで、友人を通報した者がいたとしてもカオスは驚かない。
政府はもしかしたら、超能力者を中心に人々が団結する事を恐れているのかもしれない。
どこかの誰かが言っていた。「その場の全員でかかれば、そこで命令している人間くらい簡単に打倒できる。『それに気づかないのが奴隷』であり『気づかせないのが支配者』である」と。
どこで聞いた言葉だったか、あるいは読んだ言葉だったか忘れてしまったが、政府は本気で、超能力者がその力を正しく使えば国家転覆すらできると考えて、警戒しているのではないだろうか。
「だからわざわざ、超能力者を人々が恐れるように仕向け、超能力者が人々を憎むようにして煽っているのかもしれない」と、カオスは思った。
殆どの人は気づいていないが、超能力迫害思想によって最も危険に晒されるのは超能力を持っていない一般人である。
今や超能力者を危険視し、超能力を犯罪行為だとして、超能力者の行動制限に賛成し、それを声高に唱える者は、「超能力者にとって明確な敵」だ。
運悪く警察に逮捕され、隔離施設に入れられてしまった超能力者がいる事をカオスは知っている。逮捕できたという事実が、どうやら人々の希望のようなものになっているらしい。超能力者を悪として、その悪を国家は拘束できるのだと。
だが逮捕されていない超能力者は、それができる程度には注意深く、知恵がまわり、隠密に行動できて、普通の人には出来ない事が出来るアドバンテージを持っているのだ。
国家を相手に戦うような事はしないかもしれないが、個人的な恨みを晴らしたり、何かのはずみで怒りに任せて人を加害したりする事はあるかもしれない。
そして武器を持たない事を前提とするならば、超能力者は只の個人を圧倒する筈だ。
その時、警察は超能力者による加害から人を守ってはくれない。物理的に守れない。守れる場所にいないからだ。
いつだって警察は事件が起きてからでなくては動かない。
警察が民間人を守ってくれると妄信し、売らなくていい相手にわざわざ喧嘩を売っている事に気づいている国民はあまりいない事に、カオスは危機感を募らせた。
だからカオスは戦わなくてはならない。
どうせ超能力者だと言われるのが避けられないのなら、その超能力者は人々を守る為に戦う事もあるのだと伝えなければいけない。それがもしかしたら、人々の超能力者に対する迫害思想を反省させるかもしれない。
そうして少しの間、考え事をしていたら警察がやってきた。
さあ次は、この警察を華麗にいなして逃げるターンだ。
警察では超能力者を拘束するのには不十分であると周知させる目的がある。
カオスにはダーク・アーとの戦いで見せた超常的な身体能力があり、変身によって正体も隠せている。変身する際も、逃げる人の波にまぎれ、更に煙幕や発光を利用して、誰が変身したか分からなくなるよう細心の注意を払っている。
この混沌の時代の明暗を分けるかもしれないヒーロー。カオスの戦いは、まだ始まったばかりだ!