第18章「逃げる事は恥ではない。本当に恥ずかしい事とは、正しく判断できなくて、それにも気づけずにずっと繰り返してしまう事だ」
シャドウたちが警官隊をおさえ、カオスたちがナメンナーとダーク・アー幹部を無力化しようと奮闘しているさなか、ピリカラ戦士に扮した剣崎と野火もまた、暴走した異世界の火炎王さんをどうにかしようと頑張っていた。
具体的には、召喚主である野火がなんとかなだめすかして落ち着いてもらおうと語り掛けていた。
剣崎が心配そうに言う。
「どうだ?」
「無理だな。言葉は聞こえているようだが、聞こえている言葉を冷静に聞き取れる状況ではない。そんな印象だ」
剣崎にしてみれば、この状況は最初に予定していた「逃走する」を実行する絶好のチャンスであった。
変な女は場を離れたし、銅像の化け物に指示していた男もいつのまにか消えている。剣崎の幻覚の能力を使えば難なく離脱できるだろう。
だが新しい懸念材料が増えた。
逃走する予定だったのは、超能力者の印象を今以上に悪くしたくなかったからだ。
だが共闘した火炎王さんが暴走状態であるのを放置して姿を消せば、きっと超能力者の立場は悪くなる。試せる事は何でも試して、状況を改善する糸口を探さねばならなかった。
野火が言う。
「……よし。上手くいくか分らんが、火炎王さんには異世界に帰ってもらおう」
「……それは、倫理的に抵抗があるな」
剣崎は、野火が大きな覚悟を伴ってそれを言っていると察した。
これがファンタジーものの漫画なら真っ先に選択されるだろう「召喚獣を元の世界に帰す」をまだ実行していなかったのは、きっと暴れる火炎王さんは異世界に帰っても暴れているだろうからだ。自分達の知らない所で破壊の限りを尽くす火炎王さんを想像し、異世界の方々にどんなお詫びをすればいいか、いや、そもそもお詫びをする方法すら分からないのでためらった。
だが、やむを得ない。
剣崎たちにもこれからの生活がある。二択しか無いのなら、自分達の生活を取らざるを得ない。
「く。……ぬ。むうん!」
野火は唸りながら能力を行使した。これまで無意識に行っていた異世界との接続を意識的に行う。感覚としては、見えない手で空間を水のようなものととらえ、その水をかくようにして穴をあけるイメージ。
その見えざる「穴」へ、火炎王さんに入っていただくよう誘導したいのだが……
「く。駄目だ。『穴』はあけたが、火炎王さんが抵抗して……入ってくれない」
野火の額に嫌な汗が出た。
小さな範囲で能力を使っていた頃と違い、今は大変な集中を要求される。それだけに疲労が大きい。気を抜けば倒れてしまいそうだった。
一方その頃、神は疑問を抱いていた。
(なぜだ? 悪魔王だけなら空間跳躍でも超スピードの移動でも、この場から離脱する方法なぞいくらでもあるはず。なぜそうしない? もちろん簡単にやらせるつもりはない。その為にこうして見守っているのだからな。……ははあ。そうか。ダーク・アー四天王か。たしか捕虜待遇の約束をしていた。悪魔は契約を守るもの。これを反故にできない。だから現場を離れる事が出来ない。しかも、あの女「狂人のミセスクイン」がいるのならなおさらか。あの女は敵に対して容赦をしないからな。恐らくだが同行した民間人を護衛する役目もあるのだろう。そういう悪魔契約なのかもしれない。ご苦労な事だ。人間なんか死ねばそれまでなのだから、律儀に契約を守らなくてもクレームなんか入らないのにな)
そして少しだけ神は考えた。
(いけるぞ。我にはまだ勝機がある。利用できる物は全て使い。このまま悪魔王を押し切ってみせる!)
そして神は神力を使って火炎王に少しだけ干渉した。
「GYAAAAAAAAAAAOOOOOOOOOOOOOONNNNNNNNNNNN!」
「ぐう!? どうした火炎王さん!」
「何があった!?」
「わからん。急に強く抵抗……いや元々抵抗はしてたんだが、それが強くなった!」
剣崎は火炎王さんを見やった。
(……なんだか、興奮してるような……いや、それは元からだ。なんだ? ……嫌な事をされた? 元々不機嫌だったところに嫌な事をされて、癇癪をおこした子供のような雰囲気。そう見える)
アングリイに言わせれば、剣崎には役者の才能がある。
言葉を交わさずとも相手の感情を読み取る能力が、この戦いを通して開花しつつあった。
「おい。さっき『穴』といったな。そこに入れさえすれば異世界に飛ばせるのか!?」
「あ? ああ。そうだ。丁度、火炎王さんの頭上。火炎王さんの体長と同じくらいの距離をおいた高さに穴がある!」
剣崎には「穴」が見えない。しかしだいたいの目星はついた。
「確認するぞ! 火炎王さんをそこに持っていきさえすればいいんだな!」
「そうだ!」
剣崎は野火の手を取った。
「トウフホワイト。できたらで良い。俺の手の動きに合わせて、火炎王さんを誘導できそうならやってくれ! 完全でなくていい。少しで良いんだ!」
野火には剣崎の意図がよく分からない。だが断る理由もない。何が何だか分からない時に、明確な指示が出る事は嬉しい事だ。
「分かった!」
神が与えたのは小さなきっかけである。
ちょっとしたつまずき。ささいな不調。ほんの少し上手くいかない流れ。
そんな小さな事で正気を失う人間は沢山いる。
例えばコンビニエンスストアでは、古より「箸をつけねえのか」と言うクレームはつきものだった。これは店員が箸をつけ忘れる事が、原因の殆どなのだが、環境がどうのこうのという理由で「箸をおつけしますか」とたずねるようになると「当たり前だろうが」「手で食えってのか」等など、「ただマニュアルに従って聞いているだけなのにクレームが発生」した。相手もマニュアルで聞いているだけだと分かっているはずなのにクレームが発生した。ただ聞くだけでも時間的な圧迫が生じた。箸をつけるか確認しなかったパターンでも確認したパターンでもクレームは発生した。確認なんかせずに箸をつけていた時代なら、つけ忘れた時にだけクレームだったので、自然環境に配慮した結果として労働環境は悪化した。
今では法律によってレジ袋が有料化され、あらゆる商店で買い物にかかる時間が増えた。客にしてみれば買い物一回あたり数秒だが、店舗ではそれが客数だけ増える。それまで当たり前にできていた作業が滞るようになり、それを早くこなそうとして、それまでなかったようなミスが増える。そして「袋をつけるのは当たり前だろうが」と「袋をつけるな」というクレームが発生するようになり、ついに「いつも買ってるんだから袋をただでよこせ」と言われるようになる。箸やフォークを余計に要求する客は以前からいた。しかし箸やフォークと違い、レジ袋は備品ではなく「商品」の扱いだから無断で提供する事はできない。
法整備から数年、ついに当時、環境省の大臣だった人物が「この制度で自然環境が良くなったという事実はない」と認めたのだが、悪しき法は変わらず適用され続けている。
レジ袋は物によっては一枚五円する。昔は五円で変える安いチョコレートもあったが、その時代に「いつも買い物してるから五円のチョコをよこせ」なんて無法がまかり通っただろうか?
少し考えれば分かるような事だが、少し考える余裕がない人間があまりに多く、時に暴力へ発展する問題である。
少しずつ。ほんの少しずつ余裕が削られて、「少し我慢すればいい事」だと言われて我慢を強いられた結果、余裕のない者から順に正気を失っていった。
それをよく見て知っていた神は、火炎王に少しだけちくりとした痛みを与えたのだ。
深層意識では破壊衝動に抵抗しようとしていた火炎王さんだが、この不意の痛みをきっかけに「色んな事に嫌気がさした」状態となった。結果として更に興奮したのである。
そして火炎王さんを更に暴れさせる予定だったのだが、現場に居合わせた剣崎がこれを妨害した。
剣崎が叫ぶ。
「いくぜえ!」
「GYAAAAAAAAAAAAOOOOOOOOONNNNNNNNNN!」
野火は驚いた。
「な。なにぃ!?」
火炎王さんが急に、剣崎ことマーボーブラックの手の動きに合わせて動き出した。
今までただ暴れるだけだったのに、周囲を旋回しだしたのだ。
それは、まるで二人のピリカラ戦士が炎の蛇を操っているように見えた。
遠目には、手を合わせたピリカラ戦士から炎がほとばしっているように見えたかもしれない。
火炎王さんがしばらくぶりに人語で叫んだ。
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 何でだ! 何でだよ! 何でだよおおおおおお!」
「……どういう事だ、剣……マーボーブラック!?」
「俺の能力は人間に幻覚を見せる事だ」
「うむ」
「今、火炎王さんを取り囲むようにして、火炎王さんが『最も恐ろしいと考えるもの』を見せている。何を見ているのかは知らんがな」
剣崎の能力が火炎王さんにも通じるかは「賭け」だった。
だが人間と同程度の知能を有しているのなら、分の悪いものとも思っていなかった。
結果として、火炎王さんが嫌なものから逃げるように仕向ける事に成功した。
今、火炎王さんは、無数のミセスクインに取り囲まれ命を狙われる幻覚から全力で逃げている。
当然だが幻覚なので逃げ切る事は不可能だ。
ミセスクインの幻は建物を蹴って駆け、跳躍し、悪魔空手を使い、火炎王さんに対して必殺の攻撃を連発してくる。
「悪魔! 眼球抉拳!」
「悪魔! 眼球抉拳!」
「悪魔! 眼球抉拳!」
執拗に目を狙ってきた。
もちろんこれは幻覚なのだが、実際にミセスクインが戦った場合、眼球抉拳を使う可能性は極めて高い。
警官に対しては加減して使ったらしいが、ミセスクインは銅像ナメンナーの首を一撃でへし折れる威力を生み出せる。
眼球を抉ると同時に、眼球に対して鼻骨破砕拳のエネルギーをぶつけ、眼窩を圧迫して脳へ振動を伝わらせる攻撃をする事は十分に考えられる。
火炎王さんには知りえない事だが、ミセスクインは銃を用いた戦いこそが本領であり、呼べばすぐに応じられる距離に仲間を配置している。何重にも切り札を用意して戦いに臨んでいるのだ。そこから生じる自信を感じ取り、火炎王さんはミセスクインことモモピンクを警戒したのだ。
警戒は恐怖となり、かつて、火炎王さんが悪魔王と戦った経験と結びついた。
そして多彩な技をあえて使わず、警戒させる伏線として活用した、悪魔が如き女戦士を想像するに至った。
悪魔王と火炎王さんは、それは本当に大変な死闘を経て主従関係となったのだが、それはまた別のお話である。
剣崎が野火に耳打ちする。
それを聞いて野火は「なるほど。それはいい演出だ」と同意した。
「「いくぜ!!」」
二人は天に向かって両手をかざす。そして叫んだ。
「「ピリカラ!! マーボー!! スクリュー!!」」
まるで、炎の蛇が天に向かって飛びあがるように見えた。
剣崎が、幻覚を見せる方向を調整したのである。今までは実験。これが本番だ。
野火は「穴」を維持しつつ、アシスト程度に火炎王さんを誘導した。
神は苛立った。
あったはずの勝機が、人間如きの奮闘で台無しになったからである。
少しずつ。本当に少しずつ。ミセスクインという女の登場で神の計画が崩れていく。
神は、絶対に許さない、殺してやるぞと決意した。




