第十一章「言葉のチョイスはとても重要だ。人に何かを伝える時、どのように伝えるべきか考える事は、とても重要だ。使う言葉にはその者の人間性が現れる」
「……事の起こりは突然だった。本当によく分からないのだが急に攻撃したいと言うか、暴れたいというか、無性にむしゃくしゃした気分になったのだ」
「なるほど。私はあなたを殴ればよいのですね?」
「殴るなあ!? いやそもそもな、私は剣崎なんて恐ろしい能力者がいるなんて聞かされていなかったぞ。こっちにばかり責任を問うのは少し違うのではないか!」
「く。ああ言えばこう言う……」
ここはモモピンクのセーフハウスの一つ、中華料理店に偽装した建物の三階。
剣崎が主犯として扱われた脱獄事件が起きた事で、安全を確保できないと判断した協力者たちは、隔離施設からそのまま脱出した。
店に運び込まれる食材の梱包にまぎれて、今しがた合流した所である。
さっそく事件当時の話を聞いていたモモピンクは、要領を得ないルドルフの説明に少しご立腹だった。
少し時をさかのぼろう。
政府が管理する超能力者隔離施設で脱獄事件が起きた。
施設の警備にあたっていた者は銃などで武装していたが、一部の強力な超能力者が活躍し突破口が開かれた。警備は広く展開していたが、そのため厚さは無く、一点を目指して押し寄せる人の波を止める事は出来なかった。
可能なら避けたい事態ではあったが想定していなかった訳でもない。黒煙のルドルフを始めとするモモピンクの協力者たちは、脱獄してしばらく周辺の森に潜伏し、民間人の逃走を支援した。
隔離施設は木々生い茂る険しい山の中にあったが、当然ながら人を運搬するのに車が便利であるのだから政府も車を採用している。つまり道路がある。心理的に、人は道路沿いに移動しがちだがこれは罠だ。政府は公道と交わるまでの数か所に門を設置し移動を制限していた。
仮に罠が無かったとしても、徒歩と車なら車に分がある勝負となる。道路沿いに移動しては確実に政府に捕捉されてしまう。
ルドルフたちの支援とは、門から離れた森の中に民間人を誘導し、救助部隊が到着し連携が可能となるまで保護する事である。
悪魔王様より知恵を授かったルドルフたちは、単身はだかで無人島に放り込まれても生存可能なサバイバル技術を身に着けていた。割った石で樹皮をはぎ、折った枝で三角形の骨組みを作り、あんだ草と組み合わせて簡易シェルターを構築し、ヨモギなどを見つけてはすりつぶし練って虫よけを作って体に塗りたくった。落ちているタバコも新しそうな物は活用した。扱いには気を付けなければいけないが、ニコチンは強力だ。ヒルすら寄らなくなる。水たまりを見つけて抽出し、靴や袖に塗った。
サバイバルでは保温と虫よけは最優先で行わなければならない。人は食糧がなくとも水さえあれば一月生き、水が無くとも三日は生きる。しかし適切な体温を保持できなければ三時間で死ぬし、虫に刺されてアナフィラキシーショックでも起こせば速攻で死ぬ。
施設側は逃亡者に対して山狩りを行う訳だが、ルドルフたちはその場にある物でトラップを仕掛けて牽制する。仕留める事が出来ればそれでよし。仕留められなくともトラップを警戒するようになれば、それだけ時間を稼げる。
やがて夜になり、寄せる事のできる公道ぎりぎりの所に分散してトラックが停車した。配送業者に偽装した救助部隊である。
日本の配送業者は優秀だ。いつも定時に同じ場所を通っても不自然ではない。約6時間おきに休憩や伝票を確認するふりをして停車し、隔離施設からの「信号」を確認して、異常があれば動く手はずになっていた。
その信号とは「狼煙」だった。
木と木をこすり合わせるとか、水滴や眼鏡を使って太陽光集束で着火する方法がよく知られているが、黒煙のルドルフならばそんな手間も無く火を起こし、煙を昇らせる事が出来た。そしてルドルフは単身で悪魔とも戦える勇敢な戦士だ。狼煙を上げる役は敵に見つかる可能性がある危険な任務だったが、彼はこれをまっとうした。
夜空に向けて黒煙が昇る。それは隔離施設が発する照明とルドルフの炎に照らされて、夜空を二つに割る流動的なオブジェのように見えた。
当番制となっている救助部隊は、いずれも強力無比な戦士たちだった。
その日の当番で指揮を執っていたのは全身サイボーグの男。「破壊のダンサー」と呼ばれる人物だった。
彼は以前、不注意から逮捕された経験があり警官に強い恨みを持っていた。
違法行為を行った事自体は素直に反省していた彼だが、尋問の間の非人道的な扱いや、拘置所等での酷い生活には我慢がならなかった。
疑わしきは罰せずの原則に基づくならば、裁判が終わるまでの期間は誰であれ犯罪者として罰せられない筈だが、留置場からずっと「罰そのもの」のような生活をさせられた。
だが彼の警察への憎しみはそれだけではない。それ以前に、彼の友人は無実の罪で逮捕され留置場で自殺している。最後に聞いた友人の証言や、それから調べる程に出てくる警察の不当な行いに怒りを募らせ、ついにサイボーグの体となって悪しき警察官や悪しき裁判官を虐殺し、世直しをしようとしていた過去を持つ。
だが神魔戦争を経て、世直しの方法論に根本的な欠陥があった気付きを得て考えを改めた。
今後は人々に正義と道徳を説き、政治的な方法で世の中を良くしていこうとやる気になっていたのだが、世の中は彼の想像する以上の速度で酷くなっていった。
まさか21世紀の日本で、国民が国民を差別するようになるとは予想外だった。これを扇動した政府は、ダンサーにとって許しがたい敵である。
「ふ。どうやら戦いの方が俺から離れたくないらしい。これも力を持つ者のさだめか……」
彼は、ちょっと中二病だった。
ともあれモチベーションがあるのは大いに結構。そして実際に彼は実力者だった。
かつて存在したトナカイ教団という組織における、最強の戦闘部隊「トナカイ九天使」の一人だったのだから。
「よお。ダンサーが会場に到着したそうだ。楽団はどうだ?」
ダンサーは無線を使い、暗号で連携を確認した。
無線で返事がくる。
「どいつもこいつもテンションが上がってる。開演を待ちきれない様子だぜ」
「そうか。じゃあもう始めていいぜ。客席の証明を落せ」
分散して止まっていたトラックのヘッドライトが消えた。
それが合図だった。
荷台から次々と武器や道具を持った人がおりていき行動を開始する。
着ている服はバラバラだ。コンビニの制服、学生服、ツナギ、スーツ、エプロンを身に着けている者もいる。あくまで統率された組織ではなく、有志の集まりが抗議に集まったと偽装する為の演出である。
「中に居る俺の友達に合わせろ」だとか「夫を返して」等と拡声器を用いて言いつつ、門を激しく揺さぶったり叩いたりして番兵を警戒させ注意をひきつける。
番兵は門の内と外で同時に問題が起きた事で激しく動揺した。
別動隊は暗闇にまぎれて梯子を運び、森を分断している壁を登る。有刺鉄線などをケーブルカッターで切断する。確認できる限り全ての監視カメラに霧吹きで水を吹き付ける。壁を登った者に、降りる用の梯子を渡す。様々な仕事をよどみなく完了していく。
門での騒ぎは、森に潜伏するルドルフたちへの合図でもあった。
ただの暴動と区別する為に暗号が使われていた。
「貴様らはそれでも神の戦士か!」と拡声器を通した声が聞こえてきたので救助部隊の起こしている騒ぎだと判断した。よほどクレイジーな者でなければ、公務員に対してこのような言葉は選ばない。
基本的にここまでは問題なく救助作戦は進行していた。
だがルドルフやダンサーを含め突然、その場の全員が言いようのない攻撃衝動にかられ急に統率が乱れた。
これは施設の中で、暴動が起こる直前に体験したものと同質のものだった。
ルドルフやダンサーは神魔戦争で活躍した英雄でもある。その二人であっても抗うのが難しい感情の爆発とでも言おうか、冷静でいる事を受け入れられない、殺意のような感情がわいてきた。
この影響は施設を管理している側にもおきていた。
門の方向で発砲する音が聞こえた。
「またか!? さっきといい、どうなっている。脱獄囚相手ならともかく、向こうは一般人に偽装した部隊のはずだぞ。いくらなんでも過剰な反応だ」
そう言っているルドルフ自身も、いますぐに民間人を放り出して敵を殺しにいきたい衝動にかられていた。それでも任務を優先している彼は、本当に優秀な戦士である。脱獄当初も、敵の撃破よりも民間人の保護を第一に行動した。
暴動の起こりは本当に突然だった。誰もかれもが突然あばれだし、本来は鎮静化させるべき警官さえも異常に興奮して攻撃してきた。ルドルフは最初に相手した警官の背後を取り、両手を燃やして銃を握れないようにした。しばらく難儀な生活が続くだろうが死にはしないだろう。
それからも基本的な戦い方は同じだ。物陰に隠れられるならそうして、時に炎で威嚇して、敵の死角から襲う。
悪魔や神の戦士に比べれば、ただの警官なぞルドルフの相手にならない。接近戦で戦う事が常であるルドルフは、すなわち「敵に接近する技術」において警官を圧倒した。警官がふだん相手にしているのは武器を持っていないか、持っていたとしても素人の民間人だ。そしてまだ警官はこちらをただの民間人だと思っている。超能力検査で陽性になった人間だと認識してはいても「逮捕されてからここまで、ずっと大人しくしていた人間を脅威だなぞと思ってはいない」こちらをなめきっているのなら、いくらでもなめていて欲しかった。それだけルドルフは相手の意表をついて戦えた。
刀や槍が戦場のメインウェポンだった時代、「ただ一歩の差を詰める技術」は重要なものだった。試しに本棚の前にテーブルをおいて本を手に取って見るといい。棚の奥にある本を取りづらくなる筈である。「ただ一歩の差」は「敵の首に届くかどうかの差」だと理解できるだろう。
警官とて格闘戦の訓練をしていない訳ではないが、銃がメインウェポンとなった今の時代では重要視される技術ではない。だからこそルドルフのような戦士には、つけいる隙があった。
ルドルフは家具作りの工房部屋にいた敵を一掃すると、窓からそっと廊下を確認した。誰だか分からないが一人の男が次々と敵を倒して歩いていく。
その男が手を横にすっと振ったかと思うと、無数の剣が並んで出現し、それが銃弾よりも早く飛んで行く。
最初は素手の男を相手にしていたと思い込んでいた敵は、虚を突かれて攻撃を回避できない。
それぞれの剣は必ず胸に命中し、敵はそのまま倒れて動かなくなった。
ルドルフは戦慄した。武器が剣という事は、接近戦にも対応している可能性があり、遠距離ではそれが銃弾よりも早い。しかもどんなトリックなのか不明だが、胸を貫いて兵を即座に倒せるのは脅威だった。
心臓を貫いても人は即死しない。心臓とは血を巡らせるポンプに過ぎない。血を巡らせる必要性とは、酸素やエネルギーを体の細胞すみずみまで行き渡らせる事である。たとえ心臓が機能しなくなり血流が止まっても「すでに行き渡っている分の酸素やエネルギー」で人はしばらく生きている。実はギロチンで処刑されても厳密な意味での「即死」はしないと実験で分かっている。心臓が損壊した場合の死因とは「失血死」であり、平均的な日本人の男性ならおよそ30秒は生きる。痛みによるショック死の可能性もゼロではないが、雑魚とはいえ訓練された警官が決死の反撃をする事も出来ず倒されるのは、まるで夢か幻のようだった。
実際に剣崎の能力による幻で、警官が倒れたのは「死に至るダメージの錯覚」による気絶だったのだが、この時のルドルフはそれを知らない。
結果としてその男、剣崎は反乱の主犯として扱われ報道された。ルドルフもその報道を見て剣崎については誤解していた。
ここで冒頭の台詞に戻る。報告における、暴動が起きてからのルドルフたちの活躍は素晴らしいものだったが、肝心の暴動当初にルドルフや他の収監者たちの状態や環境にいかなる変化があったのか、例えば食事に薬物が入っていた可能性や、敵の工作員が扇動をしていたような疑いがなかったのか説明を求めたモモピンクにとって、ルドルフの言葉は苛立ちに繋がった。
話を静かに聞いていたマカオが、口を挟んでもいいのかしらと控えめな雰囲気で言った。
「……もしかしたら、ダーク・アーのパニックブーストかも知れないわね」
「パニックブーストとは?」
「え! 知らないの!?」
マカオには意外だった。意外ではあったが、すぐにその可能性に思い至る。
カオスとダーク・アーの戦いは極めて派手な物であり、巻き込まれた人たちの証言や、証言を基にした再現映像がテレビで放送される事もあったから「謎の敵と戦う謎の人物」の存在自体は知られていた。
そしてダーク・アーの構成員とカオスが会話をする機会は何度もあったが、決まって周囲の人は話をまともに聞けるような状態や環境ではなかった。ならばカオスがダーク・アーから知りえた情報は誰にも伝わっていなかったのだろう。カオスがギターを弾いて人々を鎮静化する能力を持っている事は推測できても、パニックブーストの名前や、その具体的な効果は未来においても知られなかったらしい。
だからマカオは自分の知っている限りでパニックブーストの情報をモモピンクたちと共有した。
「……なるほど。そのような力、いえ装置ですか。それをダーク・アーが隔離施設で用いたのだとすれば……」
「ええ。これまで市街地を主な活動場所にしていたダーク・アーが、今回だけ社会から隔離された場所で活動するのは不自然よ。もちろんこれは仮定の話だけど。でも仮定の通りだとすれば」
「恐らく元の歴史においても施設ではパニックブーストが使われた?」
「でも元の歴史では、あたしはモモピンクに救われる事もなく逮捕されたのでしょうね。そして施設の中に居た。とすれば、あたしはきっとパニックブーストによる暴動を止めたと思う」
「……ならば、これは『敵にとって予定通り』という訳ですか。反乱が早まったのではなく、元の歴史こそが反乱を遅れさせていた」
「でも今回の歴史ではあたしが不在だったから、パニックブーストに対応できる者がいなかった。……つじつまが合ったわね。仮定の通りならば、がつくけど」
「新しい可能性も出てきました。ダーク・アーと政府は繋がっている可能性です」
「今までどうしてあんな派手な連中が指名手配すらされないのか、一見して無意味な行動をとっているのかも見えて来たわ。警察にとっても身内だというのなら捜査が行われなくて当然ね。そして人々を暴徒化して騒ぎを起こした先に目的があった訳じゃなく、暴徒化する事が目的だったのかもしれない……」
千鳥が疑問を口にした。
「どうしてです?」
「薬だって兵器だって『実用実験』はするものよ。パニックブーストが兵器だと仮定したなら、その運用思想は『大規模な兵員の無力化』もしくは『内乱からの自滅』を誘発する目的が主でしょうね。でもあたしの知る限りでは、そんな無差別兵器が戦争で使われた事なんてない。ならば……『新兵器』なのでしょう」
「!? ダーク・アーは民間人を使って新兵器の実用実験をしていた?」
「なんて恐ろしい。いえ、政府なら民間人を実験動物あつかいするのも当然ですか。ついでに『ただの暴徒がどの程度の脅威になりえるか』も検証していたのかもしれませんね」
「報告を続けるぞ? とにかく我々は言いようのない攻撃衝動に悩まされたものの、ダンサーの一喝でなんとか正気を保ち、作戦を遂行した」
「どのような一喝だったのです?」
「ふ。聞きたいか。オレはこう言ったのだ『怒りで目的を見失うな! ここで統率を乱せば敵の思うつぼだ! 敵を喜ばせるつもりか! 敵を殺すのは後でもできる! いいや、むしろ後でこそ思う存分に殺せるだろう! 足手まといを先に逃がせ!』とな」
もう少し言葉を選ぶ余裕はなかったのかと思う者もいたが、結果としてダンサーの言葉は、それぞれが抱える「謎の攻撃衝動」を「悪党に対する怒り」だと解釈させ、「最終的にどうしたら敵が最も苦しむか」と思考を誘導する事で、コントロールする事に成功し、統率を維持した。
中二病という「常にごっこ遊び」をしているような状態のダンサーが最も冷静であった事から、モモピンクたちはパニックブーストへの対処は感情コントロールの手法が効果的なのではと仮定した。
「我々の中で最も感情コントロールに長けているのはプランサーだな。神すらあざむく彼女の意見を聞きたいところだ」
ルドルフたちは知恵のプランサーと呼ばれる赤髪の女性を想像した。元はキャバ嬢で、感情コントロールの技術はその職場で磨かれたものだと言う。彼女は神魔戦争において悪魔王様と敵対する立場にいた。
神と呼ばれる存在は、それはもう神と呼ばれるくらいなので人間なぞ及びもつかない。そのあまりにも高慢で自己中心的なふるまいに我慢ができなくなり、知略を巡らせ神にとって最悪なタイミングで裏切りを実行した英雄の一人だった。
「ドンナーもですね。彼女は今、声優として頑張っているのでしょう?」
ドンナーと呼ばれる女性は、やはり神魔戦争の英雄の一人である。元自衛官の彼女は優秀な狙撃手でもある。特殊な銃弾を用いる事で人を操り人形のように扱う事ができる権能を持っていた事から「人形のドンナー」と呼ばれていた。神魔戦争を経て人生を見直す機会を得、今は一度あきらめた役者業の道を歩んでいる青髪の女傑である。
二人とも政府への反攻作戦に協力してくれている同志だった。
さて、敵について新たな可能性が浮上し、対策について詰めて行こうと会議が盛り上がった所に新たな存在が加わる。
「諸君。少しいいかな?」
その声は悪魔王様のものだった。
悪魔王様は千鳥とマカオを目にとめ言葉をかけた。
「先ほどは挨拶もできなくてすまないね。お客様が居たものだから」
モモピンクたちがこの場所に合流したのも、ついさっきの事だった。
「い、いえ、こちらこそ」
「はじめまして」
「うむ。はじめまして。我はアクマカイザーと呼ばれている。モモピンクと同じ偽名だがな。超能力を使う事もできないただの空手家であるが宜しく頼む。千鳥かなさんと、マイケル青さんだね。二人の事はモモピンクから聞いているよ。大変だったね」
「それでアクマお……アクマカイザー様。何かあったのですか?」
アクマカイザーは一階の中華料理店で店番をしつつ見張りをする役目だった筈なのだ。セーフハウスの偽装には細心の注意をはらっているが、それでも政府の目は侮れない。常に警戒は必要だった。アクマカイザーが自分の役目を放棄したとは考えにくい。
「うむ。剣崎斗真との接触に成功した」
「なんですって!?」
一同に動揺が走る。
「これを見なさい」
アクマカイザーは携帯端末を操作して、店の内外に設置している監視カメラの映像を見せた。そこには剣崎が歩いて店から遠のいていく様子が映っている。
「これは録画だ。今はスーパイ子が彼を尾行している」
「スーパイコ? なんで長崎の酢豚が」
「おお。マイケル青君はスーパイコが分かるのかね。スーパイ子も偽名だよ。偽名は駄洒落で決めたのだが、優秀な……弟子だ。名前はふざけているが能力に問題は無い。安心してくれたまえ」
「マカオで結構よ。これからは仲間ですものね。皆さんも是非そう呼んでちょうだい」
「そうかね。ではマカオ」
アクマカイザーによる動画を交えた説明が続く。
「さて。では剣崎君が店から遠ざかるのと同時刻。別のカメラの映像を見てもらいたい」
「……これは」
「ドローン?」
剣崎を追跡するような動きをする飛行型ドローンが映っていた。
「そうだ。先に前提を訂正しなければならない。剣崎君の能力は剣を異空間から取り出すものではなかった。彼の本当の能力は『幻覚を見せる』事だ」
一同が一斉に千鳥を見た。
アクマカイザーは千鳥をかばった。
「いや。千鳥さんに非は無い。剣崎君自身も能力を誤解していたそうだ。幻覚の能力に気づいたのは隔離施設にいた時だそうだよ」
「……なるほど。するとこのドローンは」
「政府も剣崎君の能力には勘付いたらしいな。いや、対応の早さからして元々あたりをつけていたのかもしれない。彼の能力は光学的な作用で幻を発生させるものではなく、脳が処理する情報を誤認させるものらしい。よって機械には彼の幻覚は通用しない。ドローンで追跡し、あわよくば超能力者たちの拠点をあばいて一網打尽にしようという目論見なのだろう」
「政府は、剣崎と我々のような反政府組織が繋がっている可能性を視野に入れているという事ですね。……いやちょっと待って下さい。アクマカイザー様。剣崎の情報をどうやって入手されたのです?」
展開が急すぎて誰も言えなかった疑問をモモピンクがたずねた。
「うむ。たまたま来店した彼と少し話をして仲良くなった。スーパイコを気に入ってくれたようで我も嬉しい。少し思い込みの強いたちのようだが、なかなか素直な青年だったよ」
「……」
「……」
「……さすがはアクマカイザー様。パないですね」
未来においても「半端ではない」を意味する「パない」と言う表現がある事がモモピンクによって知らされた。
一同は絶句している。国内最大級テロリストとしてマークされている人物の警戒心を解いて仲良くなるって、いかなる話術によって可能となるのか。もしやスーパイコに秘密があるのか? どれだけ考えても分かる者はいなかった。
「どうするねモモピンク。もし剣崎君を引き込むつもりなら、スーパイ子を通じていつでも連絡を取れる。しかし先ほど言ったように、彼は既に政府に動向を監視されている。接触は危険が伴うぞ」
回りくどいように思えるが、悪魔王ことアクマカイザーは独断で行動せず、重要な事柄はリーダーであるモモピンクの判断を待つために資料を用意して相談している。さすがは悪魔の王である。どのような働きをする部下が最も望ましいか、よく理解していた。
そしてモモピンクもまた、リーダーとして素早い判断を下した。
「剣崎を陣営に引き入れます。国に恨みを持つ者の数は多いほど良い」
「宜しい。スーパイ子に位置を知らせるように伝えよう」
「しかし剣崎との接触は私一人で行います。大人数で動くと目立つ。最悪の場合、このセーフハウスが敵に知られる危険もありますからね」
「千鳥さんはどうする。剣崎君の説得をするなら適材だと思うが」
「私ですか……」
「……そうですね。千鳥さん。お願いできますか?」
「分かりました」
かくして。モモピンクと千鳥による剣崎斗真の勧誘作戦が始まるかと思えたその時。
一階の中華料理店のドアが開き、呼び鈴が鳴った。
「むう。休業中の札は下げていたはずだが……仕方ない。我が出るしかないな。作戦は諸君で詰めてくれ」
そう言ってアクマカイザーは部屋を出る。
しばらくアクマカイザー抜きで会議を進めていたが、やがて彼の美しい声が階下から響き、モモピンクたちに警告を伝えた。
「汝らはそれでも『神の戦士』か!」
暗号になれていない千鳥やマカオは遅れて、それ以外の全員は一瞬で臨戦態勢となる。
よほどクレイジーな者でなければ来客に対してこのような言葉は選ばない。
政府の手先。恐らく警察が来たのだ。アクマカイザーが警告を発すべきと判断したのだから、この拠点が敵に知られてしまったと想定すべきだろう。
モモピンクは即座にハンドサインで指示を出す。
声を出さないのは、拠点が特定された場合を前提として連想し、盗聴まで警戒しての事である。最近は窓や壁の微細な振動を読み取って、音として再生する装置もあるそうだ。
モモピンクの指示とは以下のような内容だった。
「総員、仮面を装着。こうなれば致し方ありません。まず私が出ます。上手くすれば敵を引き付ける事が出来るかもしれません。ドローンなどが飛んでいた場合は落とします。そのまま逃走し、可能なら単独で剣崎と接触します。皆さんは部屋の入口を塞ぎ、戦闘態勢で一時待機。敵の接近があるようならこの場を放棄して逃走。千鳥さんは自衛手段がほぼ無いので、誰かしらが護衛について下さい」
そして最後の言葉だけは声に出して言った。
「では皆さんごきげんよう。私は逃げます。生きていたらまた会いましょう」
モモピンクは窓を開け、逆上がりのような動きで屋根にのぼる。
一同は指示通り、ドア前に椅子などを用いてバリケードを構築し、窓から死角になる場所に移動した。
モモピンクは素早く周囲を観察する。パトカーが二台、店の前にとまっている。警官が二人、道の左右を警戒している。恐らく二名程が店内でアクマカイザーと話しているのだろう。
「ふむ。ちょっとお昼を食べに来た、ような雰囲気ではないですね」
もしそうなら外に二人残る理由が分からないからだ。
ドローンは見えない。盗聴の様子もない。もし盗聴されているなら、モモピンクの逃走を警戒した動きがある筈だ。
モモピンクは、剣崎が利用した店というだけの理由で警官が職務質問でもしてきたのかなと想像した。反政府組織のセーフハウスだと確証がないけれど、疑われる程度には思われているのかもしれない。
モモピンク一人ならば、このまま逃げられると確信できた。
対テロ部隊ならば、そんなお粗末な行動はしない。徹底的に道路を封鎖し、狙撃の用意をして、アクマカイザーと問答する事すらせずに建物に踏み入ってきただろう。手柄が欲しい警官が先走って動いているような印象を受けた。
さてどうしようかとモモピンクは考える。
警察が増援を呼ぶ可能性はあるが、規模からしてこのまま帰る可能性も充分にあった。セーフハウスだと確証を持たれていないのなら、アクマカイザーによる対応の結果を待ち、今は「見」に努めるのが最善に思えた。
その時である。
遠くの方。商店街にとっては敵とも言える大型ショッピングモールのある方で大きな火の手が上がった。
爆発音も無く不自然な程に大きな炎が、竜巻のように吹き上がり、遅れて煙が昇っていく。
モモピンクはこの現象に見覚えがあった。「火炎王」と呼ばれる超能力者による被害が、ちょうどあのような見た目だった。
あれほど大きな炎であれば、急激な気流の乱れが生じる筈だがその様子も見られない。「炎のように見えるし熱も持っているが、酸素を燃やしているようにも見えない物理的に不可解なアレ」を生み出せる能力者が、野火太郎以外にもいるとは思えなかったが、剣崎のような例もある。もしかしたら新たに覚醒した能力者が事件をおこしている可能性もあった。放置する事はできなかった。
「やれやれ。歴史を変えるというのは本当に大変ですね」
何にせよ。警察がどう動くにせよ、あれが野火太郎でないにせよ、あるにせよ、何かしらのアクションを起こす必要はあった。
度重なるストレスから考える事が面倒になり、もう何もかもを放り出して首相だけとっととぶっ殺して後は投げ出してやろうかとも思えたが、モモピンクの強靭な精神は、それをぎりぎり思いとどまらせる程度には機能していた。
モモピンクは強い。だがその強さは、決して彼女を幸福にはしてくれなかった。
なお。警察がモモピンクたちにとって都合の悪いタイミングで店にやってきた理由だが、「殴るなあ!?」というルドルフの叫びを聞いた近隣住民の通報が発端であった。暴力事件の可能性を考慮して警官が到着した訳だが、現場は剣崎が直前に利用した場所という事もあり、警官が反政府組織の存在を疑っていた事はモモピンクの予想の通りである。
アクマカイザーは四人程度の警官であれば数秒で殺せる実力者だが、当然そんな事をする訳には行かない。警官がなんやかやと難癖をつけて店の奥を覗きたがるものだから警告を発したのである。
脱獄囚であるルドルフたちが見つかるのは何としても避けたかった。
まず身軽なモモピンクだけが先行したのは正解だった。
例えば、慌てて全員で階下の警官を制圧する選択をしていたらどうあっても言い訳が難しいものになっただろう。
これを読んでいる諸君も、もし脱獄したり指名手配されたりしている人を家にかくまう事があったなら、不用意に叫んだりしないよう注意するといいだろう。