第十章「環境に適応すると言えば聞こえはいいが、では故郷が地獄に変わったとして、それに適応した者に故郷を取り戻す意思は備わるだろうか? 故郷を取り戻さんとする者は、きっと苦しいに違いない。死ぬ程に」
いよいよ後編が始まります。歴史の改善に失敗するどころか悪化させてしまったモモピンクたち、その最も大きな要因である逃亡者・剣崎はこれからどうなっていくのでしょう。私自身がワクワクしております。
超能力者が起こす被害抑止を目的に緊急事態宣言が発令された。
政府は執拗に「超能力者を根絶しなければ国民の安心は得られない」と繰り返し主張し、超能力者隔離施設での脱獄事件を例に挙げ「このような事態を未然に防ぎ、また迅速に対処する為に、憲法に緊急事態条項の設置をしなければならない」と公言した。
人権尊重派は、より焦るようになり活動が活発化した。
最初は超能力者を恐れていた人からも、超能力者によって起こされたとされる事件の件数を調べると、他の犯罪件数と比べて極めて微小である事に気づき、これを改憲に結び付けて「人権の制限がおきる緊急事態条項の設置」に至るのは不適当だとする声が少数ながら出るようになった。
当然である。緊急事態宣言下において人権が制限される事に賛成するには「政府が正確な情報を国民に伝え、正当な行いをする」事が信頼されていなければならないが、今回の緊急事態宣言発令の理由は「超能力者は極めて恐ろしい存在だと『政府が主張し』『当事者たちの人権を政府が否定し』『メディアはこれに同調して大々的に報道』し、その結果『政府が管理する施設で暴動が起きた』事」なのである。
仮に超能力者は恐ろしい存在なのだとする主張が正しいのだとしても、「政府は超能力者の脅威を正確には把握できておらず充分な対応力を持たない」事になり、その上で「共存する可能性を早期に否定している」のだ。つまり「正確な情報を取得する能力が無いまま、その不確かな情報を正確なものだとする前提で国民に流布し、国民からの意見や新規に取得できた情報を反映させる事もなく独善的で攻撃的な行動を行い、『ついに相手を完全に怒らせた』」事になる。
この正気を疑う蛮行を、メディアは「新しい取り組み」だと報道した。
だから千鳥のようにSNSや街頭デモで、政府が主張する超能力者の危険性は事実とは異なる大げさな物であり、人権は保障されるべきだと人々に伝えようとする活動が活発化した。少しでも国民に、正確な判断や情報を取得する意欲を持たせなければならないと危機感を募らせたからだ。
しかし政府はそれを想定している。
多くの小説、漫画、映画、音楽、その他芸能の分野、スポーツの分野で活躍する著名人を広告塔にして対論を浸透させる作戦を展開した。すなわち、「市井に流れる『超能力者は大した脅威ではないとする言説』は、一部の情報弱者や栄養不足で頭の弱い者たちの妄言であり、国家レベルで収集している情報にこそ信頼をおくべきで、混乱を避けるためにも、国民の皆さんはデマに踊らされる事無く引き続き政府の指示に従うべきである」と、そのような主旨の論が大量に発せられた。
それらは有名人が発する言葉であるから週刊誌やテレビでも取り上げられるし、駅や商店街にもポスターが貼られたし、動画サイトでも繰り返し再生された。
いつかモモピンクが言っていたが、発信できる情報量において一般人は政府に太刀打ち出来ない。
情報量の多さは、その言説は多数派が発しているのだと誤認させる効果を持ち、相対的に人権尊重派は少数派であると印象付ける事に成功した。
情報弱者こそ、それらよく目にし、耳にする情報に影響された。「あの有名人が嘘をつく訳がない。やはり政府の言う事は正しいのだ」と思った。この人たちは麻薬所持で逮捕されたり脱税で逮捕されたりセクハラで逮捕されたり呑んで酔った勢いで暴れて逮捕された「有名人」を知らないのだろうか。それら「元有名人」だって、犯罪をおかすまでは多くの人に支持され愛されていたのだが。
地位や名誉や名声がある事は、正しい事をしている事の根拠にはならない。
この影響による打撃を最も受けたのは商業である。
当然だが経営者とは、利益の出る選択をしなければならない。
従業員に給料を払う為にも、人々の生活に必需となるサービスや品を絶え間なく供給する為にも、営業を継続しなければならないのだから利益を得なければならない。
利益をあげられないという事は営業を継続できないという事だからだ。
したがって多くの商店が政府の主張、多数派の主張におもねり、超能力者を排斥する為の取り組みに協力する選択をする事になる。
何より、煽動された情報弱者から寄せられる「超能力者から弱者を守るつもりがないのか」といった「そもそもそんな義務は最初からねえよ」といったクレーム対応に忙殺される事態が起きていた。そして超能力者が少数である事は事実だった。だから日本中の商店では「超能力者を相手には商取引をせず、来店そのものをさせません」という対応がなされた。
これは「実質的な検査の強要」であった。
超能力者ではないとする事を証明できなければ、人々は買い物をする事ができず、タクシーにも乗車拒否され、映画館にも入れないし、旅館にも泊まれない。やがて学校にも通えないし、市役所や警察署にも入れなくなった。つまり免許を更新する事もできないし、婚姻届けを出す事もできない。起業する事もできないし、検査を拒否するような「反社会的な行動」を取った事が周囲にばれたら「家族や親類にまで嫌がらせをされる」事も頻発した。
緊急事態宣言が発令されたのだから、つまり緊急事態であり、この「緊急事態に対応する事が目的」なのだと言えば、これら一連の事柄は全て「正義」となる社会となった。
確率的には日本中で数万人に間違った結果を伝える「俗称・超能力検査」をしなければ生活が成り立たなくなり、人権を失う可能性を恐れていた一部の良識派も検査を受けなければならなくなった。
そして予定通り数万人が人権を失い、更に強固となった施設の中で生きる事になる。
中には検査陽性が知らされたその日に、自ら命を絶った者もいた。
自分には危険な存在だとする自覚が無いのに、危険な存在だと認定され、更に危険な存在が集まっている場所に行けと言われて拒否する権利がないのだから、その人たちの行動を安易に否定もできない。
これは第二次世界大戦中の様子と、とても良く似ていた。
一部の奇襲などが成功した戦場は例外として、日本は常に劣勢状態だったが、それが国民に知らされる事は無く「日本は善戦している」と信じ込まされた。
いわゆる「大本営報道」である。
国が間違った事を言う訳がない、国が発する情報以外は全て偽情報だと主張され、厳しい言論統制がしかれて反対する者は制裁が加えられた。
もちろん良識的な人間は少なからずいたが、憲兵が味方してくれる事に気を良くした一部の狂信的な人々が、精力的に「国に反対姿勢を示す者」を見つけては吊るし上げる行動に邁進し、良識的な行動を阻害した。
戦争に反対する者は非国民と言われたし、反社会的だと言われ、銭湯が利用できないとか物を売ってもらえないような「思想に基づく差別」が横行し、家族を守る為に多数派に従う者も多かった。
アメリカに負ければ男も女も辱めを受けると言われた。だから捕まりそうになったら自殺しろとまで言われた。
その社会では間違いなく「戦争の賛美は正義」であり「兵士となって死ぬ事は名誉」であった。「国を信じる人にとってそれは真実」であった。
そしてその「真実」が晩年どのように評価され、どのような結果に繋がるかは諸君の知っている通りである。
護国の為に死ぬ覚悟を持って戦う事は確かに美しい精神かもしれないが、それを人が強制するようになると地獄が生まれる。
当時の日本の人口は約7100万人。
戦没者と、戦いに巻き込まれた民間人の死者は310万人ほどだとされている。
それは人口の約4%。およそ25人に1人が犠牲となった。
学校の1クラスあたり、1人か2人が戦争で死んだのだ。
男衆は徴兵され労働力は低減、つまり生産力も運搬能力も低減し、更に物資は軍へ優先的に流れるので物価は高騰した。塩鮭ですら高級品だった。
当時の徴兵拒否は重罪であり、懲役刑や罰金刑に処された。
やがて貧困による飢餓や病気で更に死者が急増し、それは戦後も続いた。
そのような惨状を目の当たりにしても、戦争すなわち「徹底的な殺し合い」の継続を望む者、喜ぶ者は絶えず、政府は嘘をついて国民を戦争に駆り立てた。
広島と長崎には原子爆弾が投下され、国際法で禁じられていた民間人の大量虐殺が実行された。その年末までに確認された原爆による死者は約24万人。被曝による後遺症に起因する死者は50万を超える。国は原爆手帳を発行し生存した被爆者には充分な支援を行っていると主張したが、放射能汚染された俗にいう「黒い雨」等の二次被爆者はこれに含まれておらず、この当事者を被爆者と認めるか否かの裁判は70年以上たってようやく「被爆者だ」と判決が出た。しかし国はこれに控訴している。
これは「歴史的事実」である。
では戦争が終わり、国民や政治家は反省しただろうか。これは各人の心の中にしか回答のない問題であるから確かな事は言えない。しかし断言できる事が一つある。
それは「当時の政治家も、戦争や差別を体験した人も、今ではほぼ全員が亡くなっている」事である。
もしかしたら当時の政治家たちは本当に反省していたのかもしれないが、今この国を動かしているのはその政治家たちではない。
戦争という悲劇を体験し反省した日本人は、これから完全にいなくなる。今後は戦争を知らない世代が社会を作っていく。
だから歴史を学ぶ事はとても重要だ。
戦争を体験した人たちの著作物が禁書にでも指定されれば、諸君は先人たちの残した教訓を学ぶ機会をほぼ半永久的に失う事になる。
戦争行為を反省しようにも、そもそもそんな経験をしていない人間だらけの社会が今の日本なのだ。
故に数万人や、あるいは数十万人の犠牲者が出ようとも超能力者を排斥する思想が正義だと報道される限り、この国の混乱は続くと思われた。
民主政治とは「国民が政治を監視し、不当な行いを許さない」事が前提となっているが、超能力者を理由にした混乱の中、その機能は働いていなかった。
なお、利益をあげる為に超能力者の排斥に協力する姿勢を取った商業の全てが、予定通りに利益をあげられた訳ではない。検査キットの設置や検査を実施する人員、証明を提示できない客の利用を断る場合に発生するクレーム等への対応にかかる労力と利益の帳尻を合わせられなくなれば、必然的に値上げもしくは提供できる商品やサービスの質を低下させるなどしなければならなかった。
大手のデパートなどでは全ての出入り口にスタッフが配備され、来店客がチェックを受けるようになった。
また超能力者の来店頻度を軽減する、つまり検査からもれた超能力者が一般人と接触する機会を確率的に減少させる目的で営業時間を短縮する取り組みがなされた。
この取り組みには国から助成金が出るので利益に繋がると喧伝され、超能力差別社会の新しい常識となった。新しい常識なので、取り組みに参加しない施設は非常識なのだとレッテルを貼られる事になる。同様の取り組みは個人商店でも見られるようになった。
だが実際に受け取ってみればせいぜい一日数万円の助成金で、損失した利益の回収はできず、なにより時給で雇われているスタッフは生活苦に陥り、賃上げの要求が殺到した。これに応じられなかった商店はスタッフが次々と辞めていき大手に人手を取られる事になる。そして大手も無限に人を雇い入れられる訳ではない。新しい働き口を見つけられない者は薄給で働くより他なく、貧困は加速した。
個人商店などは支払える金銭的、人的リソースで大企業に勝てない。まずは資本の少ない商店から潰れていき、その利用客が流れる事で大企業は利益を回収するようになった。
剣崎斗真は、そうして商戦に敗北し人気の少なくなった商店街を歩いていた。「いつもモールとか使ってるから気にしなかったけど、商店街ってこんな寂しい感じなんだな」と他人事のような感想を抱くが、改変されたこの歴史において彼は重要な原因の一つである。
剣崎は最大限警戒すべきテロリストとして指名手配されているのに素顔のまま出歩いているのだが、それは彼が人に幻覚を見せる超能力を持っているからだ。その効果によって誰も剣崎を剣崎だと認識できなくする事が出来た。
能力を常時あつかう事は非常に疲れる行為だったが、やがて剣崎は警察などに見つかった場合に能力を発動すれば、それで事足りると学んだ。
脱獄以降も剣崎は自身の能力を研究し続けた。そうしていくつかの事が分かった。どうやら蜃気楼やホログラフィックのような、光学的作用をおこすものではないらしい。だから監視カメラにはきちんと剣崎の姿が映っているのだろう。しかしカメラに映っても現場の警察官が剣崎を認識できないのでは逮捕も出来ない。
恐らく剣崎の能力は脳に作用する物なのだろうと予想された。だから例えば剣の幻を見せたとしたら、その場の人間全てがそれぞれのイメージする違う剣の幻を見ている可能性がある。
以前に公園で逮捕された経験から、それなりに離れた相手にもこの作用は働くらしいと推測できる。パトカーの窓が開いていたかどうかは分からないが、窓が閉まっていても幻が見えたのだとしたら、この脳への作用は、電波のように物質を通過する性質を持っているのかもしれない。
もしかしたらこの能力は無敵なのかもしれないと思った。
剣崎は少しずつ自分の能力について理解が深まっていく時、それを楽しいと感じていた。いつまで続くか分からない逃亡生活の退屈を多少なりとも紛らわしてくれる大切な研究だった。
小腹が空いた剣崎は小さな中華料理店を見つけたのでそこに入った。
今や殆どの場所で検査の証明が必要になってしまったが剣崎には関係ない。今の剣崎は検査の証明なぞいくらでも偽る事が出来る。
毎日呆れかえっていた。世間から排斥すべき敵として扱われる超能力者の剣崎は、誰からも敵だと認識されないままコンビニだろうとファミレスだろうと利用できた。剣崎から見れば、いわゆる一般人の皆様は「目の前の人物が敵か味方か分からないから味方の証明となる手形をお見せ下さい」と言っている訳だが、そもそも「自分の目に見えている物が嘘か本当かも見分けられないのに見せてもらってどうすんだ」と思っていた。煩わしく、息苦しい世の中になったものだと思った。
だが今日入ったこの店は、珍しく検査の証明を要求してこなかった。
カウンター席から厨房が見えるスタイルの店で、緑色の髪をポニーテールにした美人の店員が皿を洗う手を止めて「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」と言うので、その店員の正面の席に座った。最初は女かと思ったが声は野太い男性のものだった。しっかりとした発声で音の一つ一つが粒だっている、古参の声優のような雰囲気だった。
「ご注文がお決まりになりましたらお声かけ下さい」と、美人店員は水の入ったコップを置いて仕事に戻っていった。テーブルを拭いたり、紙ナプキンや調味料を補充したり、調理器具の手入れや、配送業者への応対から検品、食材の管理など、剣崎は飲食店の仕事をじっくり観察するような機会があまりなかったのだが、意外とやる事が多いのだなと思った。
美人店員は容姿が美しいだけでなく、それら作業の動き一つとっても気品が感じられた。まるで反乱が起きて逃げ出し落ちぶれた元王族のようだと、漫画のような想像をした。
結局メニューを決めきれなかった剣崎は「本日の日替わり定食」を注文する。
「かしこまりました。少々お待ちください」
そう言って美人店員が調理を始める。もしや彼一人で店を回しているのだろうか。
やがて出てきたのは白米。ワカメの味噌汁。キュウリの漬物。揚げた豚の角切り肉を玉ネギ、人参、ピーマン、キクラゲと炒め、酢、トマトソース、醤油、砂糖をフライパンで熱し水溶き片栗粉で仕上げた餡をかけゴマをふった物だった。
「お待たせしました。スーパイコ定食です」
「スーパイコ?」
剣崎にはなじみのない名前だった。
スーパイコとは、主に長崎県でひろく親しまれている酢豚のような食べ物だ。酢豚のようなというか「完全に酢豚」であり酢豚と見分けがつかない。スーパイコという名前も長崎県以外では基本的に通じない方言で、長崎人かどうかを見分ける指標の一つとして扱われる事もある。元々は酢豚を表す中国語がなまってスーパイコになったのだとされている。だが年配の長崎人の中にはスーパイコと酢豚は違う食べ物だと主張する方も居て、いわく骨付きの肉を使うのがスーパイコだとか、炒めずに野菜も素揚げにしたものを使うのだとか、料理に対する個人的なこだわりポイントのような主張が主であり、厳密にスーパイコと酢豚の違いがどこにあるのかはよく分からない。もしかしたら本当に酢豚とは違う特徴を持ったスーパイコという料理があるのかもしれないが、現状そのレシピは当の長崎人の中にさえ失われてしまったらしい。
美人店員のそのような説明を受けて「長崎人と見分ける」「見分けがつかない」といった言葉に剣崎は「まさにこの超能力差別の当事者に相応しい食べ物だな」と思った。
美人店員は言った。
「もし本当に主張される通りの、酢豚とは違うスーパイコという料理があって、そのレシピが失われたのなら悲しい事ですね。実はこのスーパイコを食べて『これは本当のスーパイコじゃない!』なんて指摘される日がこないかと期待しているのですよ。その人から是非とも本当のスーパイコについて教えていただきたいものです。できれば長崎で出店したかったのですが、ちょっと事情がありましてね。なかなか思うようにはいきません」
なるほど。この店員さんなりのポリシーがあって仕事に取り組んでいるのだなと解釈し、剣崎は久しぶりに他人に関心を持った。誰もかれもが同じような思想に基づいて同じような事をする世の中で久しぶりに触れる「意志ある者の言葉」だと思った。
「そういえばこの店、検査証明を求めないんですね。危なくないですか?」
剣崎は一般人のふりをして美人店員に尋ねた。アングリイに言わせれば彼には役者の才能があるそうだ。
「ああ。そうおっしゃる方もたまに来店されますね。しかし外のそのあたりを人殺しが歩いているかもしれない事が前提になっているのに、店に入る時だけ警戒しても意味があるとは思えませんからね」
凄い。なんて普通の考え方ができる人なのだと剣崎は思った。普通の考えなのにそれを凄いと思える事がもう凄かった。世界から普通の考え方が出来る人間は自分以外死に絶えたのではと錯覚する事もあったが、死に絶えていなくて本当に良かったと、人類の一人として剣崎は感動した。
「へえ。でも今じゃ、ひも付きのパスケースに証明書を入れて首から下げていたり、手首に巻き付けて出歩いたり、ついにはそれに合わせたファッションなんてのが雑誌で紹介される世の中で、証明は国民の義務みたいな感じじゃないですか。クレームとか来ないんですか?」
「クレームは来ますね。お恥ずかしながら。しかし意外に思われるかもしれませんが、クレームが絶対にこない商売なんてないんですよ。どんなやり方をしても誰かしらの反感は買う物です。そういえばこの前、知り合いの店なんですがね、クレジットで支払おうとしたお客様に『申し分けありません。当店は現金のみ受け付けております』と言ったら『今どきクレジットに対応してないとかどんだけ時代遅れなんだ』と言われたそうです。困ったものですよ。クレジット支払いにはクレジット会社への手数料が発生し、それは店舗が負担する訳ですが、店の経営状況によっては恩恵がほぼ無い事もあります。そもそも支払いを何で受け付けるのかなんて店側に決める権利があるのですから、客の要望なんだからクレジットに対応しろなんて強要は道理が通りません。これで文句を言われても店は何もフォロー出来ませんよ。『ではもう来なくて結構』という話にしかなりません」
「へえ……」
逮捕されて携帯端末を警察に取り上げられるまで、アプリで決済する事が多かった剣崎は、店側にそんな事情があったとは知らなくて少しだけ申し訳ない気持ちになった。
もちろん、クレジット支払いに応じている店舗は、それで利益に繋がると判断して取り組んでいるのだから存分に利用していただければ宜しい。
「まあ客商売なんてしてたらこういう事は日常茶飯事です。であれば、クレームが来たとしても自分に恥じ入る事のない、自信を持った取り組み方で仕事をするしかないではありませんか。当店はいかなるお客様も差別しない事に誇りを持っています」
剣崎はまた感動した。どんなクレームが嫌だなんて話を客に言えば、普通は悪印象を与えるだけだと避けるものだろうに、この美人店員は自分の心の内を正直に話してくれた。
剣崎は自分が対等の人間だと扱われている事に感動したのだ。
剣崎は正体を隠して生活している。指名手配のポスターが貼られた場所や警官のそばを通るような時は、素顔を幻覚で隠して通る。
剣崎はずっと窮屈だった。
知人ともしばらく会っておらず、交わす会話と言えば店員の事務的な定型文でのやりとりばかり。お箸をつけますか、袋にいれますか、なんて言葉ばかりだ。定型文ではなく、その場で考えて言葉を紡ぐ相手とのやりとりは久しぶりのものだった。剣崎という個人をはっきり認識して話をしてくれる事が嬉しかった。
剣崎はずっと寂しかったのだ。
個人ではなく、どこにでもいるその他大勢としか扱われない生活は、知らず知らずのうちに剣崎を苦しめていた。ずっと孤独だった。喜びを得て苦しみに気づくのだから不思議なものである。
しばらく美人店員との雑談を楽しみながら食事をした。特に珍しい材料を使っている訳でもない普通の酢豚、いやスーパイコのはずなのに、特別に美味しく感じた。
また美人店員が興味深い事を教えてくれた。
「美味しい料理を作るコツはですね。まさに美味しい料理をどこかで食べる事なんですよ。不味い物しか食べていないと、それが『普通の食べ物』という認識になってしまって、自分で作る物もそれが基準になってしまいます。だから人は、自分が食べている物や、知らされている事を疑わなければいけません。『普通という感覚こそ』最も警戒しなければならない。いつの間にか、これは美味しい、これは安全だとする『信仰』に染まっているかもしれないからです」
「やっぱり食べ物は安全にも気を付けたほうがいいんですね」
「もちろんです。『体の中に入る物』なのですから。そうそう、この前なんですがね、どんな薬を塗っても治らなかった手湿疹に悩んでいた人に、食べ物を変えてみてはどうかと簡単なお弁当のレシピを教えたら、その後に治ったと喜ばれましてね、いやあ言ってみるものですね。その人は普段コンビニの弁当や外食が多い方で……」
もうスーパイコ定食は食べ終えたのだが美人店員との話はそれから一時間くらい続いた。剣崎にとっては心から楽しいと思える貴重な時間であった。
剣崎はまだ知らない。この美人店員の正体とは、歴史を変える為に未来から来たと言うモモピンクなる自称スーパーヒロインと共闘関係にあり、神魔戦争と呼ばれる謎の戦いの中心的存在である「悪魔王」と呼ばれる方なのだという事を。
この出会いは偶然のものである。この中華料理店はモモピンクが利用するセーフハウスの一つでもあり、歴史的重要人物との接触にモモピンクの陣営は期せずして成功し、悪魔王様は剣崎の信頼を完全に勝ち取った。
この偶然は少しだけモモピンクたちを有利にしたように見える。
しかし安心はできない。慢心はいけない。すでに事態はモモピンクたちの描いた予定とは違う事になっていると改めて気を引き締めなければならないのだ。