5. 迷惑と愛着の狭間で
住んでいる場所を訊ねられて「ひがし茶屋街の近くです」と答えると、皆口を揃えて「いいですね!」と羨んでくれる。でも、実際住んでいる身からすれば、全然嬉しくない。最近では不便さや迷惑さが先に来る。
ひがし茶屋街のある東山1丁目は、近年少子高齢化が顕著になっている。金沢市内でもある程度の広さがある古い邸宅を取り壊した後に若い世帯向けの住宅を新築する例が幾つか見られるが、小さな家々が密集する東山1丁目ではそうした動きは見られない。また、いざ空き家が出ても商売をする為に購入する例が多く、若い人が移り住む事自体が難しくなっている。
少子高齢化が進むという事は、それだけ生活する需要が低下する事を意味する。地域の人々の生活を支えてきた個人経営のスーパーや商店は売上が見込めない事や経営者の高齢化で次々と畳んでいき、食料品や日用品を扱う店は殆ど無くなってしまった。スーパーやドラッグストアは歩いて10~15分くらいにはあるが、車を持たない高齢者には買い出し一つだけでかなりの負担になっている。
ひがし茶屋街と聞くと“街並みが綺麗”だとか“落ち着いた雰囲気”というイメージを持たれるが、そこに住んでいる人からしてみればメリットに感じない。寧ろ、不特定多数が訪れる事の弊害を被っている方が強い。観光客は“お金を落としてくれる、だから大歓迎”というのは商売をやっている人だけ、地元の人からすれば観光客は“ゴミとストレスを落としていく迷惑な人”に過ぎない。老若男女を問わず、最近の観光客のモラルは目に余るものがある。最近では京都や鎌倉などで“観光公害”という問題が叫ばれているが、ここ金沢でももっと問題提起されてもいいとさえ考えている。貴子が住んでいる木町二番丁ではまだそこまでではないが、一部では住環境の悪化や不便さに引っ越す人も出てきている。
それでも、私はこの町が好きだ。
春になれば浅野川沿いの桜並木は見ていて美しいと思うし、大晦日にはあちらこちらから聞こえてくる鐘の音が年末を感じさせてくれるし、何より住んでいる人の心が温かい。観光客が道に迷っているようなら声を掛けて案内するし、写真を求めたら快く応じてあげる。そういう優しさに、溢れている。
色々とマイナスな部分もあるけれど、それを上回るくらいに愛着がある。何より、今の貴子には智美ちゃんと晴ちゃんが居るあのお店がある。それだけで、この町に暮らす理由には十分だ。
娘からは「一緒に暮らさない?」とお誘いはある。でも、もう少しだけ、お父さんと暮らしたこの町に居たいと思う。心が沈んだり澱んだら、また少しの元気を貰いにあの店に行けばいい。あの店のご飯を食べるのが、何よりの楽しみであり生きがいだ。
風に乗って聞こえてくる三味線の音に耳を傾けながら、ゆっくりとした足取りで家路につく貴子。ひがし茶屋街は目で見るだけではない、五感で楽しめるのだ。それがちょっとした誇りでもある。