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4. ほんの少し、心を上げてくれる

 ひがし茶屋街界隈は、変わりつつある。昔からある地元の人々に愛されたお店は段々と店を閉じる一方、お金を落としてくれる観光客をターゲットにしたお店が雨後うごたけのこのように続々とオープンする。ただ、新しくオープンする飲食店の大半は一品何千円やコース一万円超など、かなり強気な価格設定をしている。ちょっと気軽にふらっと食べたい地元民からしてみれば、一食にそんな大金を出せる筈がない。結果、食事難民となった地元民はちょっと離れたコンビニやスーパーまで足を運ばないといけなくなってしまった。地元の人々はただでさえ急激な観光地化で迷惑やストレスを被っているのに、商売屋さんまで相手にされないとなると、一体誰の為にこの町はあるのかと考えたくもなる。

 そんな状況に一石いっせきを投じたのが、智美さんの開いたお店だった。トラットリアとはイタリア語で“大衆食堂”の意味、内装こそオシャレではあるが“他所よそから来た人も、地元に住む人も、気軽に入れるお店”を謳い文句にしている。ランチの値段も他のお店と比べると安く、日替わりランチは税込み800円・オムライスやパスタなどの一品料理も大体1000円前後。この界隈ではかなりリーズナブルと言っていい。だからか、観光客だけでなく地元の人やこの近辺で働いている人もよく利用していた。

 段々と賑やかになってきた店内を眺めて、少しだけ誇らしい気分になっていた貴子の元に、晴ちゃんがやって来た。

「お待たせしました。今日のランチ・甘エビのエビカツです」

 小盛りにされたご飯、スープ、そしてメインの皿を置いていく晴ちゃん。メインの皿には直径10センチ弱の大きさのエビカツが2つ、ドレッシングのかかった千切りキャベツとミニトマト・ポテトサラダ。それからレモンとタルタルソースが添えられている。

「貴子さん、お箸で良かったでしたか?」

「そうそう。あんやとね」

 このお店では通常ナイフとフォークが出されるが、希望すればお箸に変更出来る。小洒落こじゃれたお店ならナイフとフォークを使ってもいいけれど、肩肘張らず気軽に通えるこのお店では使い慣れているお箸の方がいい。

「……いただきます」

 手を合わせてから、お箸を手に取る貴子。

 まずは、メインとなるエビカツから。こんがりキツネ色に揚がったエビカツに箸を入れると、“サクッ”といい音が。中を割ったら、小ぶりな甘エビが顔を覗かせる。スーパーなどで販売されているエビカツにはハンペンなどがつなぎに使われているが、智美さんお手製のエビカツは甘エビだけしか入ってないみたいだ。

 一口サイズに切り分けてから、箸を運ぶ。……プリッとした食感、そして甘エビの旨味が、口の中いっぱいに広がる。美味しい。ほんのり塩味が利いていて、これだけでご飯が進みそうだ。

 二口目は、添えられているタルタルを付けてみる。まろやかな酸味がエビカツによく合う。揚げ物にタルタルの組み合わせはよく見かけるけど、エビカツでもマッチしている。

 ポテトサラダは、キュウリ・ニンジンにコーン。ジャガイモは滑らかにまとめられ、いいアクセントになっている。ポテトサラダにコーン? と最初は思ったが、コーンの甘さがいい塩梅あんばいになっている。

 エビカツにレモンを絞ると、油分をサッパリとさせてくれる。色々な味の変化があって、楽しめて食事が出来る。自分一人だけの食事はついつい簡単に済ませてしまう事が多いけれど、こうして外食すると気分転換にちょうどいい。

 味もそうだけど――顔馴染(なじ)みの店員さんがキビキビと働いている姿、初めて訪れたと思われる若い女性二人組が楽しそうにメニューを選ぶ姿、仕事着のまま黙々とスプーンを運ぶ男の人、みんな活き活きとしている。こうした賑やかな雰囲気の中で食事をするのも、悪くない。お腹を満たすだけでなく、心も満たしてくれる。

 この店は、貴子にとって“ほんの少し、心を上げる”場所だった。

 生きていたら嫌な事も沢山あるし、凹む事もある、気分が停滞する事だってある。そうしたマイナスな気持ちを一気に上向かせてくれる特別な事を求める時もあるけれど、いつもいつも特別な事をしていたら有難ありがたみが薄れてしまう。それに、毎回下向き矢印を上向きに反転させなくてもいい。ほんのちょっと、ほんの少しで十分なのだ。

 その“心のちょっと欠けた部分”を埋めるのにピッタリなのが、このお店だった。顔馴染みが一生懸命働いている姿を見て、居場所のあるこのお店でご飯を食べて、足りない元気を満たしてくれる。貴子にとって、このお店はそういう存在だった。

「……ご馳走様でした」

 お皿を綺麗に平らげた貴子は、静かに手を合わせた。

 本当に、美味しかった。今日も今日とて気持ちがほんの少し上がりました。……なかなか口に出しては言えないけれど、この想いをいつか伝えられたらいいな。体だけでなく心もほんのり温まった貴子は、そう思った。

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