13話 豪運だからこそできる荒稼ぎです
昼夜問わず砂埃が立ち込め、死臭が鼻をくすぐる路地裏を抜けた先の古びた一軒家――の最上階。日差しも金網もない窓に手をかけて、ヴァネッサは勢いよく身を乗り出した。
「昨日ぶりねハッサン!」
「うわっ!?」
すぐ下で少し遅めの昼寝をしていたハッサンは、盛大な声をあげて飛び起きた。
「ど、どうしてここに」
「扉を叩いても返事がない上に鍵もなかったから、ここから声をかけようと思ったのよ。入ってもいい?」
「どうぞ」
そう言われた途端ヴァネッサはミアと共に中へと入り込んだ。ドスドスと音を立ててバッグがいくつも落ちていく。
寝癖を直しながら不思議そうに眺めるハッサンの前で、さっそく鍵が開けられた。
中から出てきたのは、最高級より一つランクを落とした質のいい革靴と、スーツ一式、シャツに時計。
「愛があればお金がなくても生きていける、なんて言わないわ。お金がなかったら生活ができないし、貧しさは争いの種を生むから。逆に言えば、お金があることで避けられる争いや苦しみもあるのよね。だから……」
ヴァネッサは砂に汚れた鏡を拭き、次いでハッサンへと振り返った。
「まずはお金を作りましょう。駆け落ちした後の宿代とか家賃とか、農作で生計を立てるとしても道具が必要よね。実までの食費も必要でしょう?」
ポカンと口を開けて「お金……」と呟いたハッサンの元に、ミアがスーツを抱えて近づいて行く。
ヴァネッサも念の為に持ってきた布を窓へと貼り、ランプに火を灯した。もちろんここは、マッチを使って。
「教養がない僕にどうしろっていうんだよ」
「貴方、お祭りの日に駆け落ちするつもりでしょう?」
「ど、どうしてわかったんだ」
ギシリ、とヴァネッサの背後で木が軋んだ。
昨日の夕方のことである。ヴァネッサはカレンが泊まっている民宿に向かい、彼女から続々作『Magic to Love』の話を聞くためだ。彼女がプレイした範囲までのことは全て教えてもらえた。ゲームにて、「第一・第二王子には妹がいたが、祭りの日に姿を消してしまう」という程度にしか出てこないようだ。さっきは鎌をかけただけなのだが、当たっているらしい。
ちなみに、お茶菓子も用意して行ったのだが、「そんなものいらない」と怒られてしまった。しかし話しながらパクパクと食べ出したので、嫌ではないらしい。いやはや、ツンデレ心は難しいものである。
ヴァネッサはランプに次々と火を灯していく。
「そう思っただけよ」
ヴァネッサの答えがしっくりこないのか、ハッサンはまだ不思議そうな様子。
しかし、ミアに着替えをせかされ、慌てて服を脱ぎ出した。彼に背中を向けて話を続ける。
「祭りまで時間が少ないんだから、労働ではなく別の方法でお金を得てもらうわよ。もちろん、最低限の知識はこの後身につけて貰うけどね。……さて、着替えられたかしら?」
「う、うん。なんだか落ち着かないな」
振り返れば、……服に着られているハッサンが鏡の前で挙動不審になっていた。髪はパサパサ、背中は少し前のめり、手は荒れていて、顔の肌質も良くない。
だが、これは予想の範囲内である。
ヴァネッサはパチンと指を鳴らした。いや、実際に鳴っていないのだが、鳴ったことにしておく。実際、聞こえずともミアは察したようで、唯一放置されていたバッグを開いた。
ブラシにおしろいに、香水、香油。あと、清潔な水と布をすべて持ち、ハッサンの元へと戻るミア。ヴァネッサも隣に立ち、ニコリと微笑んだ。
「別人にして差し上げますね」
「ちょっ、なにを」
狼狽えるハッサンの肩をミアががしりと掴んだ。
「ボルボレッタ様、無性髭も剃りますか?」
「そうね、中途半端に生やすくらいなら剃ってしまいましょう」
「かしこまりました」
お辞儀をしたミアの手の中で剃刀がギラリと光る。
震え出したハッサンの声は、カーテンの先には届かないほど小さかった。
★★★
モヒンとは別の人物が経営するカジノの前で、色とりどりの照明が眩しいのかハッサンが目をパチクリとさせる。
馬車から出てきたヴァネッサは彼の背中とお腹に手を添え、勢いよく押した。
「ほら、シャキッとしなさい!」
「はい!」
背筋が伸びた彼の髪はワックスをつけてフォーマルに、けれど、気取りすぎないように毛先は少し遊ばせて。油分とお湯、水とおしろいによって、パッと身は肌が艶やかに。一時的なものだが、明日になるまでは保つだろう。
ヴァネッサは満足の出来に内心笑顔を浮かべて、ハッサンを従えるようにして階段を降りていく。今回のカジノは地下にあるようだ。
入り口を過ぎ、ヴァネッサは金貨をチップへと換えた。一箱だけ用意したチップケースをミアが受け取ったところで、ハッサンが服の袖を引いた。
「僕、カジノに使うお金なんてな――」
「はい、これあげる」
彼の言葉を遮り、ヴァネッサはケースを彼へと差し出した。トン、と音を立てて彼のネクタイを叩く。
「えっ」と声を出した彼の唇を扇子で止める。
「大声出さないの。ここでは堂々と振る舞いなさい。行くわよ」
ハッサンよりも質を落としたドレスの裾をはためかせて向かったのは、バカラ。
ゲームの最中らしく、卓から離れた所で立ち止まってゲームの説明をする。頭の回転が速いようで、彼は一発で内容を理解した。質問すらしていない。
ちょうどミアがチップケースを持ってきたと同時に、ゲームが終わった。足を進める前にハッサンへ最後の言葉を伝える。
「私が賭けた方へ貴方も全チップを賭けて。そして、結果がどうなっても喜びも泣きもせず、ミアと一緒に帰って」
「わ、わかりました」
戸惑いながらも彼が頷いたことを確認し、そっとミアへと目配せをする。すると、ミアは予定通りハッサンの使用人らしく振る舞いながら、彼を卓へと連れて行った。
少しして、ヴァネッサも他人のフリをして同じ卓に座る。
「賭けてください」
ディーラーの合図によって、客たちが次々にチップをベッティングエリアへと置いていく。ミアが上手くサポートしているのか、ハッサンから心配するような視線は感じない。
……さて、ここでも運を発揮できればいいのだが。
(いいえ、できるに決まっているわ)
時に、説明できない自信は説明できる自信よりも効果が強いことがある。今日は、いや、今日も勝てる気がするのだ。
判断する上で大切なのは、平常心と無欲。
ヴァネッサはチップたったの十枚をBANKERへと賭けた。本当はTIEも気になったのだが、確率が低い上に彼の運命も握る今、危ない橋を渡る気にはなれない。
「締切です」
ディーラーの合図を皮切りに、場の緊迫感と高揚感が高まっていく。ある者は喉を鳴らし、祈るように手を折り、やじを飛ばし。カードが捲れていくたびに、血がドクドクと流れていく心地がする。
ひどく胸がざわつくのは、勝利への確信か、はたまた――
「引き分けです」
――保身に走り、無視してしまった自分の感か。
外してしまった。いや、判断を誤ってしまった。泣きもせず、と言ったものの、彼がショックを受ける姿は見たくないのに。
ヴァネッサは落胆しながらそっと彼の方を見た。そして、頭を捻る。
ミアが大量のチップをケースに詰めていたからだ。いつの間に用意したのか、何箱も積み上がっている。そして、二人とも席を立ってしまった。
(どうしてTIEに賭けたのかしら?)
そのお陰で彼は勝てたのだからいいのだが、何が起こったのか疑問である。不正を疑われないよう、帰りは時間差をつけようと思っていたのだが、別の方に賭けたヴァネッサが損をしているのだからその必要はなさそうだ。
一緒に帰ろうと席を立つため、身体を横にずらしたヴァネッサ。その前に、新たなディーラーが立った。
「賭けてください」
開始を告げる声を前に、ヴァネッサは正面へと向き直した。……やはり、予定通り遅れて帰ることとしよう。
★★★
「締め切り間際に誰かとぶつかって、手がずれてTIEへチップがズレた……と。なるほど、そうだったのね」
「はい。結果が出るまでずっと手が震えていました」
ハッサンを家まで送り届けたヴァネッサは、馬車に揺られながらミアから説明を受けていた。必死に緊張を隠す彼の姿が浮かんで、思わずクスリと笑みをこぼす。
「あれからまた大勝ちされたようですね」
ミアが視線を注いでいるのは、パンパンに膨れた麻袋。ほんの二、三ゲームしただけなのだが、一袋が二袋に増えた。満足である。
ちなみに、最初に渡したチップの分は返された。
「そうね。ビギナーズラックのおかげで勝てていたんだと思っていたけれど、違ったみたい。温泉に使えそうな家具でも買って帰ろうかしら。あ! 調味料もいいわね」
「帰国前に市場を回りましょうか」
「ええ!」
今から楽しみである。
インバット風の温泉なんて素敵じゃないか。どうせなら食器にも、料理にもこだわりたい。
ヴァネッサがワクワクとした気持ちで外を眺めると、さらにはぽっかりと穴の空いた三日月が浮かんでいた。




