12話 ピュアな恋バナには弱いのです
「(暗殺阻止)成功を祝して! 乾杯!」
晴天に掲げられたシャンパングラスたちがチンッと軽やかな高音を立てる。どこか不慣れな様子でヴァネッサの動きを真似たダリウスに生温かい笑みをこぼしながら、杯を煽った。パチパチと舌を打つ感覚にうっとりとした余韻を感じながら、空になったグラスを離す。
シャハリヤール王子の暗殺を止めた夜から数日後、ヴァネッサたちは宿でひっそりとした宴のようなものを開いていた。これでライルが殺される危険性がなくなったのだから、喜んで当然だろう。
参加者は直接この計画に参加した者のみ。ちょっとしたご褒美でもある。
暗殺未遂の件は既に町中へ広まりきったようだった。新聞も配られていたし、今でもカフェや酒場、市場など様々なところで耳にする。
これはライルから聞いた話しだが、今回の件を受けて王家は微かながら危機感を感じ始めているらしい。シャハリヤール王子も、今後の政治についてもっと町民のことを考えるべきだと言っているとかなんとか。
とにかく、いい方向に向かいそうなことは確かだろう。
(ザラムが部屋の窓から入ってきた時は肝が冷えたけれどね)
ミアお手製のラズベリーチョコタルトを摘みながら、あの日のことを思い出す。
どうやら、暗殺集団はダリウスが隠れていた大窓側と、寝室側の二手に分かれて侵入したようだった。今は大半が捕まっているそうで、ちょっとした不安は残るものの一安心と言えよう。
(それにしてもこれ、美味しいわね)
気付けば三個目に到達したタルトを頬張る。
滑らかな舌触りのビターチョコレートの下には、ヘーゼルナッツクリームが風味程度にうっすらと塗られており、バター控えめの生地はさっぱりサクサク。上にぎっしりとのせられたラズベリーは甘酸っぱくて、その下に隠れたジャムの甘さが苦味と甘味、酸味のバランスを取り持ってくれている。
もう一つ、もう一つ、と頬を膨らませながら味わっていたその時、例の男性の姿が目に映った。橋の方で椅子に座り、どこか哀愁漂う表情でグラスを見つめている。水位からしてまだ一口も飲んでいなさそうだ。
「もしかして、シャンパンは苦手?」
「いやいや! 初めて飲むから少し緊張しているだけだよ」
男性は人のよさそうな表情をして、ヴァネッサをぱっと見上げた。
「隣に座ってもいいかしら?」
「あっ、どうぞ!」
いそいそと席を詰めた男性がほんの少し面白くて、ヴァネッサはクスリと笑みをこぼした。どこかマスコット的な愛嬌が感じられるのだ。
「貴方、お名前は?」
「えっ? あ、ハッサンです。ただのハッサン」
またまたボーッとシャンパンを眺めていた彼は、緊張をその顔に滲ませながら言った。まるで借りた猫のような姿に、今度はケラケラと笑ってしまう。ハッサンは不思議そうに首を傾げた。
ヴァネッサは最後にふ、と声を漏らし、柔らかく微笑む。
「ごめんなさい。急に改まってどうしたのかと思ってね」
「そりゃあお偉いさんだとは思わなかったので。予想ですけど」
「彼からはどう聞いているの?」
ダリウスをチラと見れば、ハッサンは「んー」と唸った。
「身辺調査のための質問以外はなにも聞かされていません。名前も、地位も。でも、これほどのパーティーが開けるんだから、相当のお金持ちなんでしょ?」
「これほど、ね」
「違うんですか?」
「まぁ、正解ではあるかしら。でも、別に私にそんな態度を取らなくてもいいのよ。無理して話しているのが伝わってくるわ」
ここへは王族という身分を隠してきているわけで、たまには一般人として交流してみたいのだ。ライルはずけずけとし過ぎていると思うが、彼に敬語で話されたらハッサン以上に違和感がすごいのだろうなと思う。不思議なことに嫌ではないのだから、よしとしている。
ハッサンはほんの少し思案した後、気恥ずかしげに頭をかいた。
「……じゃあ。ところで、あなたの名前は?」
「私は……ボルボレッタと呼んでちょうだい」
「わかった」
ハッサンがコクリと頷く。そして、二人の間に静寂が訪れた。
ヴァネッサはほんの数秒空を眺める。そして、少しソワソワした後、彼へと向き直した。
「ねぇねぇ、スレイカ姫とは恋人同士なの?」
「ゴフッ」
「あら、ごめんなさい」
ついにシャンパンを飲んでいたらしい。彼は耳まで真っ赤にさせながら、ワタワタと服にこぼれたシャンパンを手で払った。ヴァネッサもハンカチで拭う手助けをする。
落ち着いて椅子に座り直すと、ハッサンは口元を微かに緩めさせた。
「そうだよ。婚約をしているわけではないけど、恋人だ。僕の大切な愛しい人」
「あら〜」
人生初の恋バナである。恋人かどうか確認しただけなのに、ヴァネッサは楽しくて仕方がなかった。微笑ましい気持ちから、口角がゆるゆると上がり出してしまう。
「馴れ初めは?」
「町でぶつかって、彼女が誰かに追われているみたいだったから家に匿ったことから。何度か会って、彼女がこの国のお姫様だと知って驚いたよ。あんなに勇気があって、強くて、かわいいのに……だ、大丈夫?」
物語ですか、と突っ込みたくなるほどロマンティックで王道なラブストーリーに胸のときめきが止まらないヴァネッサ。言いようのない高揚感によるニヤつきを抑えるため、顔を両手で覆って震えていたところ、心配されてしまったようだ。
「大丈夫よ。で、恋心を自覚したのは?」
「いつだろう……気付いたら、って感じだったから。あ、でも、僕がつくったランプを見た時の笑顔は今でも鮮明に思い出せるよ。太陽よりも、月よりも、星よりもキラキラして、綺麗で、愛おしくて……胸の奥がギュッと締め付けられたんだ」
「はぁ〜素敵だわ」
聞いているヴァネッサの胸が締め付けられそうである。幸せそうに頬を綻ばせながら話すハッサンを見て、ヴァネッサも幸福感に包まれていく。
ふと、彼は寂しげな色を瞳に映した。
「でも、僕は薄汚い平民で、彼女は気高いお姫様だから……この恋はいつか諦めないといけない」
「えっ」
ヴァネッサのグラスが手から零れ落ちる。間一髪、それを拾い上げたヴァネッサは、鬼気迫る勢いでハッサンの両肩を掴んだ。彼がビクリと震える。
「私に協力させて。こんな話を聞いといて、応援しないなんて出来ないわ」
「ど、どうやるの」
「どうしまょうかね……」
「何の話だ?」
「あ、ダリ、ウォルフ様!――って、怒っていらっしゃいます?」
ダリウスの声に見上げると、無表情どころか氷のように冷たい表情をした彼が、両腕を組んで立っていた。逆光と高身長のせいで威圧感が半端ではない。
故に尋ねたのだが、彼は「別に」と言って小さく肩を落とすだけで。
ヴァネッサはハッサンの肩から手を離し、ダリウスの手を取った。とても近いので、まともに顔を見ようとすると首が折れそうである。
それでもジッと見つめれば、彼の眉がピクリと動いた。
「夫婦関係に大切なのは、我慢ではなく?」
「……コミュニケーションとすり合わせ」
観念したように言う彼を見て、満足気に微笑む。
「さぁ、どうして怒っているのか教えてください!」
「だから、怒ってはいない」
ため息混じりの彼の言葉に、ヴァネッサは頬を膨らませる。その時、ハッサンが椅子から立ち上がった。
「あの、彼女とは何もないので。ただ恋愛相談に乗ってもらっていただけです」
「どこに肩を掴む必要が?」
「思わず『恋を応援したい!』という気持ちが溢れ出てしまったからですわ」
「応援だと?」
「はい! 帰るまであと数日ありますし、いいでしょう?」
期待するような眼差しでダリウスを見つめるヴァネッサ。眉間に皺が寄らせながらその顔をしばらく見つめたのち、彼は小さなため息をついた。
「君の好きにするといい。だが、危ないことはしないでくれ」
「わかりました!」
「ところで、身辺調査が済んだからもう帰っていいぞ。ここへはそのことを話しに来た」
ダリウスの言う通り、ハッサンはあの夜からずっと宿の一室に隔離されていた。迂闊に離してトラブルが起こってはいけないため、その危険性がないか調べていたのである。無事に終わって何よりだ。
安堵したのはヴァネッサだけではないようで、ハッサンから少し緊張が抜けたような気がする。
ふと、彼の前にスチュワートが宝石箱を差し出した。中に入っているのは、凝視しなければ分からないほど小さなサファイア(もしくはアクアマリン)がついたブレスレット、ネックレス、髪飾り、アンクレット。
口をポカンと開けて箱を見ていたハッサンは、戸惑いを露わにしながらも顔を上げた。
「これはなんですか?」
「護身のために用意させたから、一つ選んで肌身離さず着けておけ。詳細は聞くな」
「じゃあ、これを。盗まれにくそうだし」
治安が悪い理由に、彼の今までの苦労が透けて見える。アンクレットを取りだした彼は、慣れない手つきで足へと装着した。
急いで出口へと向かっていく彼に手を振り、見送る。
「ちなみに、各宝石店にはこれらを売るものが来ても買い取らないように言ってある。よほどのことでもない限り手放さないことだな。だが、一ヶ月経ったら売っていい」
「りょ、了解です!」
ビクーッと盛大に肩を上げたハッサンは、苦笑いを残して帰っていった。
「力を入れたんですね」
「念のためにな」
「殿下はやっぱり優しい人です」
「いや、今でも俺は優しくない」
そう言ってヴァネッサの手を引く彼の手は、やはり温かくて、優しかった。




