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11話 ザラムはまさしく神出鬼没です

「僕をだま――モゴモゴッ」


 水の滴る音が響く地下道に、苦しげな男性の声が響く。


「お前が勝手に早とちりしたのだろう。俺が言った『それ』は『暗殺』のことであって、『スレイカ姫の暗殺』ではない」


 ダリウスは真っ直ぐ前を見ながらも男性の頬をがっしりと掴み、彼を引きずり歩いている。

 男性が教えてくれた抜け道には、彼以外の真新しい足跡は見られなかった。あったのは、遠い昔に溶け落ちたであろう蝋燭の残りと、どこからか入り込んだ腐りかけの落ち葉。男性は嘘をついていなかったようだ。


「騙したのは悪かったわ。でも、貴方のおかげでより安全に暗殺を防げそうなの。ありがとう」


 ヴァネッサに謝られ、もともと抵抗していなかった男性はニコリと笑った。ダリウスは警戒しながらその手を離す。


「事情はわかったよ。あなたたちの正体はわからずじまいだけど、まぁ、悪い人ではなさそうだし。もうそこを曲がれば着くけど、僕はどうしたらいい?」

「そうだな……俺たちが部屋に入ってから数を数えろ。そして、三十になったところで『シャハリヤール殿下が襲われている』と叫ぶんだ。そうしたら抜け道の中で隠れていろ。いいな?」


 より声を小さくしたダリウスに、男性はキョトンとした様子で頭を傾げた。


「わかったけど、どうして家に逃げ帰っちゃいけないんだ?」

「出た時に暗殺者に見つかって殺されてもいいなら帰ればいい」

「ハハ……忠犬のように大人しく待っているよ」

「懸命な判断だ」


 男性は引き攣った顔で乾いた笑いを溢した。それでもどこかジョークを効かせてくるということは、彼は陽気な人物なのかもしれない。嘘をつかれていてもすぐに飲み込んだことからも察することができる。

 ふっと笑ったダリウスにどこか人間らしい成長を感じながら、ヴァネッサは足についた泥を落とした。侵入経路を知られてはいけない。


 男性を残した全員が拭き終わると、ダリウスは壁に手をついた。目を閉じるその姿からは、呼吸のタイミングさえわからないほどの集中力がひしひしと伝わってくる。彼は今、空気中の水分をいくつか凍らせ、そこから内部の音、体温を感じ取っているはずだ。邪魔しないよう、何か言いたげな男性に目配せをしながら終わりを待つ。


「数を変更する」


 体感で三秒もたたないうちに、彼は手を離した。

 先程と比べて言葉のスピードがやや速くなったような気がして、ヴァネッサは小さく息を呑む。


「二十だ」


 そう告げた途端、ダリウスは扉を開けた。風の如き静けさと速さで中へと入り込む。

 配置は既に確認済み。スチュワートは先程出てきた扉に最も近い通気口の中、ミアは少し先の書斎の扉裏、ダリウスはシャハリヤールの扉前に垂れた幕の裏。彼が待機するすぐ隣には大きな抜き抜け窓があり、昨夜の情報によれば、暗殺者たちはここから侵入するつもりらしい。

 ヴァネッサは、シャハリヤールのベッド下へ。万一のための保険である。

 中へ入る直前、ヴァネッサは背後に視線を感じて振り向いた。ダリウスが心配そうな表情でこちらを見つめている。

 「大丈夫、無理はしない」そう口を動かすだけにして伝え、背中を向けた。


(お、お邪魔します……)


 物音を立てないよう、忍足で中へと入っていく。その最中、ずっと頭を下げてしまうのは、恥ずかしさと罪悪感のせいだ。暗殺から守るためとはいえ、不法侵入した挙句、入った部屋の主が男性というのは、罪悪感がありすぎるのだ。

 ため息を吐きたい気持ちを抑え、顔を上げる。


(わっ、すごい数のランプ……!)


 流石は王族。

 緑に赤、青に黄色、色とりどりのガラスでつくられたランプがびっしりと宙吊りになっている。あと少し前で顔を上げれば、その内の一つと顔面衝突していたくらいだ。机を見れば、大量の香水瓶が。その数は、ザッと数えて百は超えている。一生をかけても一人では使えきれなさそうだ。どれも芸術性がピカイチで、思わず見惚れそうになってしまう。

 しかし、悠長に眺めている暇はない。ヴァネッサは諦めて目を半開きにして、ベッドの下へと潜り込んだ。あとは、男性の声がした後にこっそりと帰るだけである。よく耳を澄ましていなければ聞こえないほど離れているため、シャハリヤールが起きることはないだろう。

 作戦が成功するように祈りながら、じっと待つ。

 その時、トンッと小さな足音が聞こえたような気がした。


「誰だ!」


 少年の震えた叫び声が響いたと同時に、キンッと鋭い羽音がほぼ頭上で鳴った。視線のすぐ先、床に刺さったのは、小さな護身用ナイフ。

――急な予定変更。

 そう悟るとほぼ同時に、ヴァネッサはベッド下から転がり出た。手で床を強く吐き、勢いのまま光目掛けて蹴り上げる。


「グッ」


 今度は、ぬらりと光る剣が壁へと突き刺さった。目の前でよろける暗殺者を前に、放心状態で見上げてくるシャハリヤールの手を引く。


「だ、だれ」


 そうシャハリヤールが呟いた途端、無数のナイフが彼目掛けて飛ばされた。ヴァネッサはベッドを起こしてすべてを受け止め、静かに彼を見据える。


「民を蔑ろにするから、このようなことを計画されるのですよ。ただでさえ狙われやすい立場なのに、討たれる理由を与えてどうするのです」


 ヴァネッサの言葉に、シャハリヤールはどこかはっとしたように目を見開いた。――と、同時に上から暗殺者が襲いかかってくる。

 ナイフに剣に、毒霧に。中には見たことのない武器まで。ほんの二、三度防いだだけ、それなのに、ヴァネッサは一瞬にしてあることを悟った。

 彼等の強さは、自分を遥かに凌駕している。

 とっくに男性のカウントは二十に達しているのだろうが、退散する隙などありやしない。かといって、炎の力を使ってもいいのかわからない。しかし、このままでは確実に殺される。

 久しぶりに湧いてきた死の感覚に、全身が粟立った。

 毒霧は避けた、だけれども、シャハリヤールと両方を目掛けて畳みかけられる。もう加減はできない。炎を宿らせたその時、扉の奥から衛兵たちの声と足音が聞こえてきた。暗殺者の一人が無言で手を挙げる。そして、窓の外へと消えていった。


「よかった……」


 安堵のため息をつくヴァネッサ。その眼前に、何本もの矢が迫った。

 それらすべてを薙ぎ払ったのは、剣を構え、こちらを見下ろすダリウス。


「逃げるぞ。あの道には戻れない」

「きゃっ!」


 彼はヴァネッサを抱き上げ、窓から飛び降りた。微かに息が上がっている彼の額には、汗が滲んでいて。抜け道から戻ってきたのだとわかるまで、時間はかからなかった。

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