10話 忘れるはずがありません
翌日、ヴァネッサたちは王宮の内部構造や使用人の名簿と人数、就寝時間を含む各人物の基本的な生活習慣についてライルと共に情報を共有していた。足りない部分はミアたちに探らせ、近くのカフェにて合流。
そして今は、王宮から二番目に近い宿の庭で夜がふけるのを待っていた。ライルは念のために自宅待機である。
解毒薬数種に、睡眠薬、痺れ薬に催涙ガス……彼が用意した様々な小瓶が装着されたベルトに不備がないか、一つ一つ確認していく。武器も問題なし。とはいえ、使うのは最終手段である。基本的には革手袋に覆われた拳や、レザーブーツを履いた脚を使う予定だ。返り討ちに合う可能性は避けたい。もちろん、力も迂闊には使えないだろう。
少し冷えてきたな、とヴァネッサが腕を摩ったその時、ようやく到着した本国の部下たちと何やら話し合いをしていたダリウスがやって来た。
「最終確認だが、一時になれば池に繋がる川へと潜水し、王宮内へ潜入。水分を凍らせ、叩いたのちにシャハリヤール王子が寝ている三階まで氷の階段で登り、上がる。これを五分以内に達成する……いけるか?」
「はい! 準備運動はバッチリですわ」
ヴァネッサは力コブをムキーンと盛り上がらせた。……少し筋肉が落ちたかもしれない。懐かしの鍛錬を再開した方がいいかもしれないと思いながら、言葉を続ける。
「ですが、人目を避けるためとはいえ氷の力を使われるのはやはり不安ではありますわ。万一誰かが見ていたら、殿下が来たとバレれてしまうかもしれませんもの」
潜入出来そうな隠し通路を見つけられるほどの時間はなかった。変に探れば、計画が変わってしまう可能性があるからだ。
もちろん、ダリウスはそのようなヘマはしないだろう。それでも、もっといい方法があるのではないかと考えてしまうのだ。現に、ベルトを装着するまでのヴァネッサは地図と睨めっこをしていた。
「そのためにも少数精鋭で向かう。大丈夫だ、暗殺するわけでも、盗みを働くわけでもなく、シャハリヤール王子が暗殺者の存在に気付いたタイミングに合わせて衛兵を向かわせるだけだから安心していい。それほど危険なことではない」
ダリウスは「そろそろ行こう」と頬を綻ばせながら、ヴァネッサの頬を一撫でした。頷き、ホテルの塀に飛び上がる。ダリウス、ヴァネッサ、ミア、スチュワートの順に地面へと着地し、王宮に続く道を見据える――その時、嗅ぎ覚えのあるムスクの香りがふわりと鼻先を掠めた。
モヒンは今、自宅でことが終わるのを悠々と待っているはず。ライルから移動しているとの知らせもない。
「もしかして」と小道へと振り向けば、見覚えのある背丈の人物が、長いローブを翻しながら遠ざかっていく様が見えた。
「待って!」
走り寄り、その裾を掴む。ダリウスが横についたと同時に、深く被ったフードがはらりと捲れた。
それは、かつて町でヴァネッサを支えた男性だった。
「あなたは……先日の」
「先日……あぁ!」
彼も思い出したらしい。合点がいったように手をポンと叩いた。
ふと、ヴァネッサは違和感を覚える。彼が着ているフードを、つい最近どこかで見たような気がしたのだ。ダリウスも同じなのか、服の下に隠した剣の柄へと手をかけている。膨らみからわかることだ。
「あのあとは大丈夫だった?」
「ええ、おかげさまで。あの時はありがとう」
「ならよかった!」
どこかぎこちない笑みを浮かべる彼に、違和感が募っていく。しかし、もうそろそろ動かねばならない。手練には見えないし、ここは単刀直入に聞いた方が良さそうだ。
「ところで、貴方は王宮に目的が?」
「えっ……いつから見てた?」
そう頭をかく彼の顔は、恋する青年のようで。疑いかかるヴァネッサが拍子抜けするほど、気恥ずかしげで、幸せそうだ。
「えぇと……貴方はモヒンに仕事を頼まれていなかった?」
男性の照れ顔が固まる。次いで、苦しげに歪められた。
「確かに、あの人に指定されたところにお金を届けに行ったよ。でも、それだけ。一枚も盗んでいないから!」
苦しげな顔が、どこか気の抜けた焦り顔に変わる。ワタワタと両手を振る彼の姿に、ヴァネッサは深いため息をついた。
演技をしている可能性はあるが、彼は恐らく嘘をついていない。本当に何も知らないのだろう。
しかし、「見てた」という言葉がどうしても引っかかる。
「確認だけれど、暗殺集団とは何もないのね?」
そう尋ねた途端、またもや男性の顔色がいっぺんした。これでもかというほど目を見開いている。
「暗殺、って、まさかスレイカさんが!?――ムグッ」
「俺たちはそれを阻止するために来た」
ダリウスが男性を壁に押し付け、その口をやや乱暴に塞ぐ。男性は混乱と疑いの眼差しを向けている。
「お前が金を渡した相手はザラムだ」
淡々とした口調で告げるダリウスの言葉に、男性はより大きく目をかっ開いた。
ふと、背後から砂を踏む音が聞こえてくる。
「お二方、そろそろ向かわねば間に合わないかと」
「ああ、今行く」
ミアの言葉を受けてダリウスは男性から手を離した。彼女の言う通り、時間がない。あと三分、といったところだろうか。
ヴァネッサはダリウスの横へとつき、小道から出て行く。その時、男性が「待って」とうわずった声を出した。
「僕に、王宮内に続く抜け道を案内させてくれ。その道はザラムも使用人たちも知らないはずだから、もっと安全に侵入できると思う」
男性は胸元をギュッと握り、強ばった顔つきでヴァネッサたちを見つめている。「スレイカ姫のためか」とダリウスが問えば、唇を一文字にさせて頷いた。
「正直、あなたたちを信頼しているわけじゃない。でも、彼女が殺されるとわかっていながら、協力者なしに突っ込むほどバカでもない」
そうは言っているものの、暗殺される予定なのは第一王子シャハリヤールである。彼が勝手に名前を出したスレイカ姫ではない。ヴァネッサたちがもし彼女を狙う暗殺者だとしたら、かなりの墓穴を掘ったことになるだろう。
(スレイカ姫ね……カレン嬢の話には出てきていないけれど、この国の王族であることに間違いはなさそうね)
だとすれば、彼とはどのような関係なのだろうか。少し気になる。
しかし、今はこの案に乗るのかどうか考えることが先である。その後も忙しくなるだろう。
ダリウスは恐らく、あえて話を合わせている。結果、抜け道という思わぬ有力情報を得ることができた。
ヴァネッサがダリウスへと目を向けていると、彼の瞳がバチリと向けられた。真顔ではあるが、「どうするか決めていい」と言っているような気がして。
「わかりました。案内してください。……でも、もし嘘をついているのなら後悔しますよ」
試しに脅すように冷ややかな目線を向ける。しかし、男性は怯むことなく頷いた。




