9話 王族・貴族あるあるです
砂漠にしては珍しい、小雨が降った日の夜のこと。
ヴァネッサは息を切らしながら、ぬかるむ地面を必死に蹴り飛ばしていた。程なくして、前を走っていたダリウスが数十センチ先で止まる。
「どうしましたか、また手遅れ――」
「静かに」
よく冷えたダリウスの手がヴァネッサの口を覆う。ごくりと喉を上下させて、彼の視線を追えば、視線の先で、フードを被った人物が廃屋の中へと入るところが見えた。その様子を見送り、ヴァネッサはほっと胸を撫で下ろす。
とはいえ、油断はできない。
カジノから帰ったその日、ヴァネッサはモヒンを数メートル先から尾行していた。彼の居場所を知る手がかりとなったのは、あのカフスボタン。
さらなる力を得たダリウスは、氷の力を宝石に込めることができるようになったらしい。宝石のサイズと費やした時間によって持続時間は異なるが、今回の場合は一日もった。
ヴァネッサの揺さぶりが効いたのだろうか。モヒンは帰宅からわずか数分で家から路地裏へと向かった。跡をつけて着いたのは、いかにもな雰囲気が漂うボロボロの家。その扉を叩くと、貧相な男性が眠そうな目を擦りながら出てきた。モヒンは辺りを見回し、彼へと麻袋を渡した。そのパンパン具合は、金貨が垣間見えるほど。
何かを依頼したことは明瞭で、ヴァネッサたちは金貨を受け取った男性を見張ることにした。モヒンの動向はライルが探っている。
男性はその日の夜に家を出た。そして、どこかへと向かい……殺された。寝ている彼にこっそり飲ませた、小さな小さな真珠。それだけが、血に塗れた路地に落ちていたのだ。ヴァネッサはただ震えながら、ダリウスの手を握り締めることしかできなかった。あの時の衝撃と感情は今でも忘れられない。
ダリウスは「彼はモヒンを裏切り、大金を手に逃げ出そうとしたところを殺された」と予想している。モヒンが直接手を下したか、部下にやらせたのかはわからない。だが、予想は合っているだろう。
モヒンはその日のうちに新たな男性に袋を渡した。だが裏切られ、裏切られ、裏切られ……。殺害されることを考えてより距離を詰めて尾行することにしたヴァネッサたちは通行人を装って助けていったものの、相手全員すでに重傷もしくは中傷。世間知らずの観光客として彼等を病院へ連れて行き、治療を受けさせてからどうにか国外へ逃そうとするも、すぐ殺されかける。同じ宿に泊めて、王城に連れて帰ることはできない。裏切る可能性がある者を置いておけるほど、王族という地位は慈悲深くないのだ。
とはいえ、無慈悲というわけではない。ヴァネッサたちは「記憶喪失なんてかわいそうー」だの、「声が出せなくなったんだってー」だの、殺さなくても許されそうな言葉を吐きながら病院を出て、後日、安全な手段でこっそりと亡命させることにした。何故かこの国で観光中だったカレンとハリーを見つけ、頼み込んでブレイズ王国の貿易船に乗せてもらうための橋渡しをしてもらったのである。他国の船となればなかなか手出しはできないだろう。……しかも、その船にはマーティンとジルダの息がかかっているのだから。手を出せば確実に大打撃を受けるはずである。
だが、それも今日で終わりだろう。ここに来てようやく、裏切らない者が出たようだから。
「これからどうしますか?」
「その気になれば盗聴もできるはずだから、試してみよう」
「万能ですわね」
「怖くないのか?」
「何がですか?」
ダリウスの言葉にヴァネッサは首を傾げた。彼は何か言いたげな表情で小さく口を動かしたが、すぐに目を逸らしてしまう。
「また落ち着いた時に話す」
そう言って、ダリウスは目を閉じた。集中していることが、緊迫した空気から伝わってくる。
「やはり、この下に隠れているのは暗殺集団だ。……決行は明日の夜、午前二時らしい」
「準備は既に整っていたんですね」
「だが、当初の予定から変更されるようだぞ」
「どのようにですか?」
思案する手を止めて尋ねれば、彼はヴァネッサの手を引いた。来た道へと戻ったところで、廃屋から扉の開閉音が聞こえてくる。
そのまま振り返ることなくヴァネッサたちは走り出した。あくまで、足音は立てずに。
宿の部屋に戻ったところで、ダリウスが再び口を開く。
「最初はシャハリヤール王子の外出時に襲う予定だったと言っていた。どうやら彼は一週間後の夜にこっそり町を抜け出して、祭りに参加するつもりらしい」
「その隙をついて……もしかして、その時に殺されるのがライル様なのでしょうか?」
「恐らくな。だが、ヴァネッサの揺さぶりが予想通り効いたのだろう。明日の夜、確実に息の根を止めに行くらしい」
「……なるほどね」
そう声を発したのは、ライルだった。扉ではない、窓の方からである。
ヴァネッサが弾かれたように顔を上げると、ライルは窓から軽い足音を鳴らして床へと着地した。
「風の力を使って飛び乗ったのか」
「そういうこと。王子と間違われて殺されるなんて、不本意にも程があるよ」
ライルは正解だとでも言うようにダリウスへと人差し指を向けたあと、首を横に振った。呆れたと言わんばかりのため息が落とされる。
「その暗殺集団の名前は?」
「わからない。だが、夜と発する声のトーンだけ少し高かった気がする」
「となるとザラムの可能性が高いね……面倒だなぁ」
唇に指先を持っていき、珍しく悩んだ素振りを見せるライル。どういうことかとダリウスへと目を向ければ、たいへんわかりやすく物騒な説明が返ってきた。
どうやらザラムは、ただでさえも有名なインバットの暗殺集団の中でも一二を争うほど強力な組織らしい。もう一つはファジル。こちらが少数精鋭であることに対し、ザラムは数が多いとかなんとか。ザラムは暗殺だけでなく、数々の犯罪行為にも手を染めているらしい。強盗、恐喝、詐欺、殺人、人身売買……。具体的な話はダリウスの口が話そうとしなかったため聞けなかったが。
とにかく、なかなかに手強そうなことは確かだ。王族の命を狙うのだから当然と言えば当然なのだが。
「でも、やるんでしょ? 怖気付いているようには見えないし、ほっとけない面倒臭い性格をしているし」
危なっかしい自覚はしてきたのだが、それに面倒くささが加わるのはまずい気がする。面倒臭い性格、という言葉に引っかかりつつも、ヴァネッサは頷いた。
「もちろん暗殺は止めます。でも、どうせならシャハリヤール殿下にはビックリしてもらいましょう。それで、今の政治にいい危機感を持っていただけれたらいいのですけれど」
「ビックリどころではないだろうがな」
「まぁ、最初は軽くトラウマになりますよね」
「……どういうことだ」
地を這うように発せられた低い声に、ヴァネッサの肩がビクリと上がった。自分に向けられていないことは明白のため恐くはないが、普段温厚な彼が見せるこの声には驚いてしまうのである。
「殿下は暗殺者に襲われたことはないのですか?」
「二、三度はあったが、氷の力の話が広まったのか今はない。兄弟がいないから権力争いがほとんどないからな。あと、俺のことは関係ない。過去のこととはいえ、君に剣を向けた不届き者がまだいたということに怒りを感じている」
「まだ?」と聞き返そうとするも、すぐさまケネスやらハリーやらマーティンのことが思い起こされて、止めた。
「安心してくださいませ。私も殿下と同じくすぐに狙われることはなくなりましたし、襲ってきた者は全員捕まりましたから」
安心させるように微笑むも、ダリウスは不満のようで。眉間に皺を寄せた真顔でヴァネッサを見つめている。
どうしてそこまで気にするのかと疑問に思い始めたところで、ライルが椅子へと座った。
「まぁ、大切な人のそういう話って、過去だろうと関係なく不快だからね。自分がいて、助けられていたら……と思うこともあるし」
「今のライル様に対する私の思いと同じですね」
「同じだけどちょっと違う。あと、いい加減に俺を睨まないで」
「えっ?」
ライルの言葉にダリウスへと再度目を向ける。しかし、彼は真顔のままである。眉間の皺も見えない。
ゆっくりと首を横に傾けると、ミアがちょうど紅茶を持ってきた。ライルがその横に甘そうなシナモンの香りがする揚げ菓子を添える。
「とにかく、時間がないんだし明日の計画を練ろうよ。侵入経路とか、仲間の有無とか、色々考えなくちゃいけないことがあるんだしさ」




