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8話 どこまでが豪運でどれが欺瞞でしょう

 インバットで唯一、夜が来ることのない場所。エル・モヒンのカジノにて、ギャンブラーたちはただ一つの卓から目を離せないでいた。

 固唾を呑むその先で、トランプの10、J、Q、K、Aが軽やかな音を立てて躍り出る。


「スペードのロイヤルストレートフラッシュ。おめでとうございます、ウォルフ様の勝利です」


 ウォルフと呼ばれた仮面男は、自身に寄せられたチップの塔にちらと目を向けると、微笑むことなく卓を離れた。執事が二箱目に突入したチップケースを手にして後に続く。

 ストレートフラッシュにフォーカード。彼が出した最弱役でさえ、一種類のスートだけで構成されたフラッシュという強さであった。強運どころか神としか言いようがない。それほどまでに奇跡を積み重ねていった男を前に、観衆と化したギャンブラーたちはもはや歓声を上げることすらできないでいた。

 イカサマをしているに違いない。最初こそそう声を荒らげた者もいたが、ディーラーを含む誰もがその証拠を掴むことができなかった。方法さえも浮かばないほど、彼の動きは自然で、奇跡めいていたのだ。

 静けさから離れ、別のゲームに夢中の者たちの中で、誰かを探すように頭を動かした男。その横から、赤いドレスに身を包み、蝶の仮面で顔を隠したヴァネッサが現れた。


「初のポーカーで大勝ち、ですか。まさか殿下が強運の持ち主だったとは思いもしませんでしたわ」

「駆けの楽しみもない、つまらないゲームだった」


 そう真顔で答えた男の正体は、もちろんダリウスである。

 どうせ楽しむつもりはなかったくせに、と思いながら、ヴァネッサはクスリと微笑んだ。

 ふと、ダリウスがヴァネッサへと顔を向ける。ミアが持っているチップケースには、最高額チップが隙間なく詰められていた。


「そういう君こそ、スロットでかなりのチップを稼いだようだな」

「故障しているのではないかと疑いましたわ」

「最終的にはジャックポットまで引き当てていらっしゃいましたよ。不正の有無を確認し終わり、ようやくチップに変換したところです」


 ミアの言葉にヴァネッサは気恥ずかしげに頬をかいた。

 ヴァネッサもギャンブルをしたのは初めて。故に、昨夜は必死になってルールを頭に叩き込んだものだ。しかし、今のところその知識を使いきれていない。


「二人合わせるとかなりの額だが、まだ足りないようだな。何か気になることは?」

「事前情報通り、時折りイカサマが行われていることに気付いたぐらいです。彼の姿はまだ見えません」

「やはり君も気付いていたか」


 ヴァネッサとダリウスは辺りを自然な動きで見渡した。

 イカサマが行われている台はほぼランダムに入れ替わっている。事前にタイミングを決め、ディーラー間で共有しているか。何か合図となるものが会場内に仕込まれているか。

 気になるところではあるが、ここに来た目的はイカサマを見破ることではない。

 これほどまでに稼ぐ理由。それは、とにかく目立ち、支配人であるモヒンを誘い出すことだ。


「とにかく、今はまだゲームを楽しむとしよう。ボルボレッタ」

「そうですわね、ウォルフ様」


 偽名で呼び合い、頷きあい。二人はそれぞれ別のゲームへと向かった。


――それからは、二人の独壇場である。


 バカラにて、ボルボレッタがPLAYERに賭ければPLAYERの勝利。BANKERに賭ければBANKERの勝利。TIE(引き分け)に賭ければ、「9」と「9」で引き分けに終わり、大儲け。誰もがボルボレッタと同じ側に賭けようとし、ゲームは成り立たなくなってしまった。

 ウォルフがルーレットをすれば百発百中。こちらも、バカラ同様ゲームが成立しないようになった。

 二つのサイコロを投げ、出た目の合計を当てるクラップスをすれば、外すことはあれど、最終的には大勝ち。

 会場にはまた糸が張り詰めたような緊迫感が漂い、また、崇めるような眼差しが注がれる。

 あっという間に、二人と真っ向勝負をする者は誰一人としていなくなった。残ったのは、おこぼれを狙って二人に引っ付く者のみ。あとは、興奮した眼差しでゲームを見守る観客だ。


 仕方がないからと、二人してディーラーとブラックジャックで対戦するも、約九割の確率で「21」が揃う。外れてもせいぜい「19」か「20」。

 カジノウォーに移行すれば、これまた勝率は九割に。負けたのは、ディーラーが最大数のAを引いた時のみだった。

 イカサマでもして勝たなければ、カジノにとって莫大な損失を被ることになる。

 ディーラーがそう悟っているのか、焦っているのかは知らないが、二人はイカサマをさせる隙など与えなかった。運は勝手についてくる。故に、正当なゲームをすることにのみ意識を割くことができたのだ。元より、勝つことが目的ではないのだから尚更だ。

 会場中のチップを巻き上げる勢いで勝ち続けていくウォルフとボルボレッタ。余りの運の強さにディーラーの手が止まりかけたその時、会場の明かりがふっと落とされた。

 代わりに怪しげなランプが灯り、会場奥に建てられた舞台にのみ輝かんばかりの照明が向けられる。


「お待ちかねのショータイムだ!」

「ヒュー、ヒュー!」


 歓声と共に現れたのは、血のように深く、鮮やかな紅色の衣装に身を包んだ踊り子たち。天の川のように煌めく薄い衣装からは、健康的な小麦色や、珠のような乳白色の柔肉が透けている。

 衣装も踊りもギリギリを攻めているのに、下品どころか蠱惑的な楽園を彷彿とさせる高貴な美しさがあった。豊満な体の上では大ぶりの宝石が軽やかに踊り、ショールは風のように滑らかにはためく。危険だからこそ、気になってしまう。甘いと知っているからこそ、もっと欲しくなる。そんな中毒性を持っていた。


「はぁ〜美しいですわね」


 思わず感嘆の声を漏らしたヴァネッサは、隣の卓に座っているダリウスへと振り向いた。

 そして、目を見張る。

 この男、まっっったく舞台に目を向けていないのである。

 バカラに戻ったらしいのだが、真顔のまま「21」をハイスピードで出し続けているのだ。


「どうした?」

「その……殿下が予想とは違った反応……反応? をしていたため、少し驚いてしまって。いえ、嬉しくはあるのですが」


 他の女性に見惚れられるなど、嫌でしかない。ずっと自分を見ていて欲しいのだから、彼の無反応はたいへん喜ばしいものである。

 ダリウスはヴァネッサの言葉に頭を傾けながら、舞台へと顔を向けた。そして、不思議そうなまま戻ってくる。


「ショーがどうかしたか?」

「だって、見惚れてしまうほど美しいんですもの。少しはでん、貴方も惹かれてしまうのではないかと心配しただけですわ」

「俺が惹かれるのは君だけだから、心配する必要はない」

「そっ、そうですか」


 ふわりと微笑んだダリウスによって、ヴァネッサの心は鷲掴みされてしまった。照れ臭さのあまり逃げ出したい気持ちを抑え、激しく頷く。


「なら、ええ、いいのですけれど、はい」

「現に、こうしてやきもちを焼いてくれた君がかわいくて仕方がない。もちろん、君はいつでも愛らしいが」

「はっはぅあ!?」


 形容し難い愛おしさに溢れたダリウスの表情と声色、自分はやきもちを焼いていたのだという衝撃、「いつでも愛らしい」という言葉。その全てによってヴァネッサの体温は急上昇してしまった。


(耳が! 砂糖で耳がつまりそう!)


 必死に取り繕ってきたボルボレッタとしてのポーカーフェイスは、一瞬にして崩れてしまった。そんなヴァネッサの前で、ディーラーが咳払いをする。


「ボルボレッタ様……そろそろカードを……」

「あっ! ごめんなさい、今表を向けるわね」


 ヴァネッサは引き続きカジノウォーを楽しんでいた。現れたカードは、クローバーのK。対するディーラーは、ハートの9であった。ヴァネッサの勝ちである。

 もう一試合するかと集まったチップへと手を伸ばしたその時、コツリ、と革靴特有の足音が聞こえてきた。

 鼻腔に入り込んできたのは、野生味を帯びた甘ったるいムスクの香り。

 ダリウスと共に振り向けば、きめ細やかな褐色肌がスパイシーな、黒髪の成人男性が複数のディーラーを従えて微笑んでいた。

 切長の蛇のような目元に、しっかりとした目鼻立ち、骨張ったいかつめの顔からは、昔はかなりの美形だったことが窺える。シワ一つないスーツはハリのある艶やかな生地で、袖から覗く金の時計は宝石がビッシリ。いかにも羽振りが良さそうだ。

 ターゲットの登場である。


「初めまして。支配人のエル・モヒンと申します。ウォルフ様とボルボレッタ様でいらっしゃいますね」

「ええ、そうですわ」

「支配人自ら挨拶をするとは、どういった要件だ?」


 ヴァネッサは貴族的な笑いを浮かべて、ダリウスは真顔のままモヒンへと尋ねた。


「豪運のお話が私の耳にも入ってきたのですが、『駆け引きを楽しみたい』と仰られていたとも聞きましてね。でしたら、運がほとんど関係ないゲームをされてはいかがかと思いまして、提案をしに来たのでございます」

「提案とはなんでしょうか?」


 モヒンは黒曜石のような瞳を怪しげに細めて、「VIPルームにて」とほくそ笑んだ。



★★★



 皮張りのソファに深く腰を下ろしたモヒンが、ランプの光を宿らせながら、ヴァネッサの持つ二枚のトランプカードへと指を伸ばす。

 引き抜かれたのは、ダイヤのA。


「おや、私の勝ちですか」


 眉を下げるモヒンの表情は、なんとも胡散臭い。

 彼はヴァネッサとダリウスに二つのゲームを提案した。ヴァネッサが選んだのは、カジノでは普通行われないであろうババ抜き。

 隣のプールの中では、ダリウスがベテランディーラーと水中ポーカーで勝負をしている。使用しているトランプカードは特性で、完全防水。モヒンは、ヴァネッサたちがイカサマをしているのではないかと疑っているのだろう。水中では両者イカサマなどできないため、このゲームを持ちかけたに違いない。

 賭け金は、ヴァネッサとダリウスがそれぞれで稼いだチップ全額。勝てば八倍、負ければ二割を得ることとなる。

 そして、ヴァネッサは負けた。


(ここへは勝ちにきたわけではないけれど……少し悔しいわね)


 モヒンの元へと移動するチップを見ることなく、ヴァネッサは顎に手をやりプールへと目をやった。彫刻をも超えるダリウスの肉体美が目に入り、すぐさま顔を元に戻す。

 恥ずかしさを誤魔化すように、ワインの揺れを眺めていると、モヒンが上体をゆっくりと前に乗り出した。


「気のせいかもしれませんが、あまり勝負に執着しているようには見えませんでした。ここへは別の目的でいらっしゃったのですか?」


 鋭い彼の問いかけに、ヴァネッサはニコリと微笑んだ。


「モヒン様の目にはどう見えているのでしょうか」

「そうですね……溢れ出る気品と自信からして、王族のお戯れ、でしょうか」

「あら、貴方の予想もひどく自信ありげなものですわね。流石はこの国の右大臣になられた方だわ」


 右大臣。その言葉が発せられた途端、微かに空気がピリついた。ポーカーフェイスのモヒンを前に、今度はヴァネッサが内心ほくそ笑む。

 ミアが得た噂通り。彼は今の地位に満足していないらしい。第一王子を暗殺しようとしているのは、彼が支持している第二王子を王座に着かせるため。第二王子は意思が弱く、自信もなかった。それを解消するのが続々編のヒロインであり、第二王子ルートなのだが、ゲーム前の今、彼はモヒンの操り人形である。

 殺害方法、及び殺害を依頼した暗殺集団を判明させるために、ヴァネッサたちはここへ来た。


「王族といえば、ある国の王子にそっくりな人物が毒を盛られた話を聞きましたわ。人違いで殺されるなんて、たまったものじゃありませんわよね」

「へぇ、そのような話を聞いたのは初めてです。どこの国でしょうか?」

「ここかもしれないし、他かもしれない。過去かもしれないし、未来かもしれないただの噂話ですわ」


 のらりくらりとしたヴァネッサの返答に、モヒンはわざとらしく首を傾げた。


「そんなことより!」


 噂好きの令嬢のようにほんわかとした表情を一変させ、ヴァネッサはキラキラと目を輝かせながら身を乗り出した。


「もう一度ババ抜きをしませんか? これも初めてしたもので、遊び足りないのです。ウォルフ様もまだみたいですし……」


 モヒンはプールへと目を向け、側に控えていたディーラーへと残り時間を尋ねた。返答を受けた彼は、ニヒルな笑みを浮かべて微笑む。


 ――その表情が微かに揺らいだのは、この二試合目にてヴァネッサが勝利した瞬間だった。

 残り二枚となった時に、モヒンがヴァネッサの手札から引いたのはババ。そして、ヴァネッサが彼の手札からスペードのQを引いたのだ。

 恐らく、モヒンはヴァネッサの心理を読んでいた。心理戦に持ち込めば、場数の差から出し抜かれるに決まっている。

 故に、ヴァネッサは自分を騙し、その上で素直にゲームをすることにした。ジョーカーをただのトランプとして、ただのQをジョーカーとして認識するようにしたのである。

 作戦は成功。ヴァネッサはなくしたチップを取り戻すどころか、より増やすことができた。

 再び高く積み上がったチップがヴァネッサの元へと移動する。その時、プールに続く扉が開かれた。

 水気の残る髪をかき上げるダリウス。その美しさに見惚れながらも駆け寄ると、涼しげなアイスブルーの瞳がヴァネッサへと向けられた。


「待たせたな」

「いいえ、私も先程終わったところですわ」


 微かに火照ったヴァネッサの頬を、ダリウスが余裕のある手つきで撫でる。それは、完全なる勝利を物語っていた。



★★★



 VIPルームから出たヴァネッサたちは、カジノから帰ることにした。新しいスーツに着替えたダリウスへと歩み寄る。


「本当に、半額をカジノに返してもよかったのですか?」

「ああ。持って帰るにも、預けるにもあれは高すぎる。持て余すより、他のものに分けて使った方がましだろう」

「貿易も何もしていませんものね」


 裾を整えたダリウスの手を取り、出口へと歩き出す。すると、階段の先でモヒンがあのベテランディーラーと共に待っていた。見送りに来たのだろう。


「今日はいい夜を過ごせた」

「またのお越しをお待ちしております」

「ええ、ぜひ――きゃっ!」


 足をくねらせたヴァネッサは、モヒンの元へとなだれ込んだ。ダリウスがうまく支えるも、指先がモヒンの裾に触れてしまう。

 謝ったヴァネッサの横から、ダリウスはモヒンの腕へと素早く手を伸ばした。ほんの少し掠った程度らしく、幸い傷はできていない。


「すまなかった」

「いえいえ、お気になさらず。お怪我がないようで何よりです。反射神経がよろしいようですな」


 どこか審議するような眼差しにヴァネッサの背筋がゾワリと震えた。その横で、ふとダリウスが目線を袖へと向ける。


「いいカフスボタンだな、似合っている」


 サファイアだろうか。色濃く耀く青い宝石にほんの少し触れて、ダリウスは袖から手を離した。そのまま別れの言葉を告げて、送別の馬車へと手をかける。


「ああ、そうだ」


 ヴァネッサが中に入ったその時、彼は再びモヒンへと振り返った。


「これはアドバイスなんだが、妖精の声にはよく耳を貸した方がいい。あんな狭い場所に閉じ込めていては、協力する気が失せるだろう」


 フッ、と笑う声がしたかと思うと、馬車の扉が閉められた。

 勝利は目的ではないが、こちらとてイカサマをしないかは別である。

ウォルフは狼、ボルボレッタは不死蝶のことです。

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