7話 息を呑むような出会いでした
翌日、ヴァネッサたちはレイリーフ家にてライルによる報告を聞きに来ていた。
どうやら、噂を流したのは第二夫人らしい。
第一夫人は一番年上だが、ザハブからの信頼が厚い。自分の取り柄は第一夫人より若いというだけ。そんな中に、若くて美しく、聡明なサーフィが来ては……と焦りを感じたらしい。
この理由は盗み聞きによって分かったものである。また、彼女はザハブに直接話をしたらしく、離婚を言い渡されたらしい。今は大金を持って家を追い出されたとか。殺人を企てたとはいえ、ザハブもその案に乗ったわけで。なかなかにシビアな対応である。
(あれ?)
呑気に第二夫人に哀れみを感じていたヴァネッサの額に、嫌なものが伝う。
(そそそそういえば、将来は殿下も妾や側室を設けるのよね?)
側室との複雑な人間関係、ひしめく陰謀、蹴落とし合いに、渦巻く嫉妬。まずい。穏便に対応できる気がしない。いや、どうにかして対応しなければならないのだが、再びダークサイドに落ちてしまうような気がしてならないのだ。
ヴァネッサはパチンと両頬を叩き、大きく息を吐き出した。そして、ダリウス、ミア、スチュアートと同様に上を見上げる。
そこには、この国の王宮が建っていた。
「第一王子――シャハリヤール殿下の暗殺か」
小さな声で呟くダリウスに頷きかける。
「聞いただけですし、誰が話していたかもわかりませんが気になったのです。カレン嬢によると攻略対象ですし、ライル様のこともあってスルーはできなくて」
「たまたまかもしれないが、ザハブの家にいたことも引っかかるな」
二人して中を覗き込む。
というのも、王族として堂々と入るのは、外交上避けたいのだ。できればチラッと中を見て知るだけでいい。
「だが、ヴァネッサ。身バレ防止のためにショールを二枚も頭に巻いているのは、いささか怪しいと思うのだが」
「そうですか?」
ミアとスチュワートへと目を向けると、二人とも哀愁漂う微笑みで頷いていた。
ヴァネッサは鏡を取り出し、姿を見てみる。言われてみれば、頭だけ盗賊に見えかねない。
「仕方がありませんわね。布は解いて……えっ?」
しゅるりと一枚解けた布の隙間から、鮮やかな薄緑色が見えた。
王宮の庭に出てきた、トラを付き従えさせながら歩く青年の姿に呼吸さえも忘れてしまう。
長い睫毛が縁取る扇情的な目元に、よく通った鼻筋、ツンとした柔らかそうな薄い唇。すらっとした体躯に、衣から覗く肌は白く、それでいてしなやかな筋肉もついている。長く細い指は骨張っており、艶かしい美しさを感じさせた。
ピーコックグリーンより微かに薄い、青緑の髪と瞳。
よく見れば異なるとわかるが、ライルにそっくりだった。身長も肉付きもほぼ同じだろう。
「シャハリヤール殿下、右大臣がお呼びです」
侍女らしき人物が発した声に、ヴァネッサははっと意識を取り戻した。刹那、振り向いたシャハリヤールの瞳がこちらへと――
「行こう」
向けられる前に、ダリウスがヴァネッサの腕を引いた。
振り返ることなく町中へと戻る。
「似ているな。ゲームでは生きた状態で出てきたのだろう?」
「わからないのですが、きゃっ!」
ダリウスに手を引かれたまま歩き続ける。
その時、誰かの身体がヴァネッサにぶつかった。よろけるヴァネッサの肩を支えたのは、ダリウスではない。
「――っと、大丈夫? 気をつけてね!」
太陽のような明るい声がしたかと思うと、すぐに手が離されてしまった。ムスクにスパイシーさが加わったような、雄々しく重い香水の香りが鼻先をくすぐる。
背伸びをした先で見えたのは、人混みの間をひょいひょいと縫いながら逃げ去る男性の後ろ姿。よくある焦茶色の短髪は、あっという間に飲み込まれてしまった。
そして、息つく間もなく衛兵たちが駆けてくる。
「そこを退け!」
「侵入者を逃すな!」
ドキリとしたヴァネッサたちの横を、荒々しく衛兵たちが駆け抜けていった。街の人々は「なんだなんだ」と迷惑そうな顔をしながら、彼らから大人しく離れていく。
ようやく町が騒がしさを取り戻したところで、ダリウスがヴァネッサの肩を抱き寄せた。人混みに揉まれて離れてしまわないようにするためか、きっちりと手を握っている。
ヴァネッサは、衛兵が走り去っていった先からダリウスへと目を向けた。
「侵入者とは、先ほどの男性のことでしょうか。衛兵の身なりが王宮の前に控えていた者たちと同じでしたね」
「恐らくな。それにしても、先程の衛兵たちの態度は、王族に仕えるものとして相応しくないように思えた」
「それほどまでに、この国の王家は……」
ヴァネッサは街の外れへと目を向けた。相変わらずむごたらしい世界が広がっている。
「王家や貴族が、常に国民のために動いているとは限らないからな」
そう言い残し、ダリウスは再びヴァネッサの手を取って歩き出した。
★★★
「へぇ、暗殺計画を立てられているシャハリヤール殿下が俺に似ている……ね。基本的に王族は城から出てこないから、初めて知ったよ」
ライルは金細工が美しいデミタスカップから砂糖を取り出した。温かい紅茶の中で揺れながら溶けていく。
王宮を覗き見したヴァネッサたちは、今日も今日とてレイリーフ家を訪れていた。
「あくまで可能性の話ですが、見間違えでライル様は殺されるのではないでしょうか?」
「かもね。となると、ずっと家にこもっているわけにはいかないし、どうにかして計画の詳細を知りたいところだけど……」
「なので、ミアたちに情報を集めていただく予定ですわ」
「ありがとう。この家にも諜報部隊はあるから、彼らにも声をかけてみるよ」
流石は富豪レイリーフ家。
しかし、他国の底辺貴族以上に富や権力があるのは、この国が良くも悪くも自由だからかもしれない。そう思うと胸が痛んだ。
落ち込んだ気持ちを流すように紅茶を飲むヴァネッサ。その隣で、ダリウスがカップをソーサーへと戻した。
「そういえば、庭で殿下は右大臣に呼び出されていたのだが、どうもその時の顔が暗いように見えた。何か思い当たる節は?」
「右大臣ってことは、第二王子派のエル・モヒンのことだね。彼は何かと顔がきくから、権力者の間では有名だよ。まぁ、主に裏社会でのことだけど」
「ますます怪しいですね」
「耳に挟んだ程度だけどね。顔も見たことない」
よほど黒い噂があるのか、そう言いつつもライルの表現は冷え冷えとしていた。
そういえば、第二王子も攻略対象だった気がする。第一王子と第二王子、どちらのルートにも一絡みありそうな人物だ。
「あ、確か右大臣は観光客向けカジノを経営しているはずだよ。父さんがオープンセレモニーに招待されていたから、覚えてる」
「セレモニーに参加しただけで、通ってはいないんですね」
「お金を巻き上げるために建てているんだから、そうと分かった上で行く人はいないよ」
どこか嫌そうな顔で言うライルに、ヴァネッサは納得しながら頷いた。カジノは一攫千金の場所とはいえ、商業が成り立っているのだから経営者はそれなりに稼ぐことができるのだろう。大勝ちする者より、大損する者のの方が何倍も多い。彼の言い方から察するに、イカサマが行われている可能性もある。それなりのリスクは伴うが、荒稼ぎにはバッチリかもしれない。
ヴァネッサたちは表向きは観光客である。彼と自然な接触を図るにはいい機会かもしれない。
「そのエル・モヒン大臣が経営しているカジノに行ってみませんか?」
「わかった」
止めても行こうとするのだろう、とダリウスは眉を下げて微笑んだ。
★★★
帰り際、ヴァネッサはふと思い出したことがあって、ライルへと話を振っていた。
「そういえば、まさかサーフィ様が涙を流されるとは思いませんでしたわ」
「ああ、それはサソリ毒の効果だと思うよ。サソリに刺されると流涙の症状が出る場合があるんだ。今回は傷口から少量入っただけだし、解毒薬も飲んでいるからあの程度で済んだんだと思う」
「な、なるほど……ザハブ様を助けられたことでホッとして、ということではないんですね」
「うん、姉さんに限ってそれはないね」
ライルの言葉に再度「なるほど……」と呟いた。
ザハブはヴァネッサと同様の解釈をしたようで、結果いい方向に向かったのだから、事実がどうであれよしとしよう。




