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9話 使用人ライフがはやくもピンチです

「――で、厨房が丸焦げになりかけた、と」

「はい……申し訳ございませんでした」


 ぶすぶすと煙が立つ調理台の前で、ダリウスはため息をついた。しょんぼりと頭を下げるヴァネッサの横で、料理長が冷や汗と共に困り笑いを浮かべている。


 実際に料理をしてみてわかったのだが、ヴァネッサは料理の腕が壊滅的らしい。火をつかえばすべてを焦がし、焦った結果、炎の力が出てしまい、より炎の威力を増強させたのだ。

 また、包丁さばきも最悪だった。まな板は真っ二つに切れるし、指も真っ二つになりかけるし、手が滑って足指の隙間に刺さり、包丁を抜けばどこかに飛んでいきかけた。

 クルミを割れば、破片が秘孔を突き、料理人たちが倒れ、気付けばオーブンから黒煙が発生することとなった。


「もうしません」

「それがいいだろう。怪我をしてまですることではない。指は大丈夫だな?」


 ダリウスがヴァネッサの手を取った。真剣な表情で観察し、離す。


「いい塗り薬があるから、あとでスチュワートに届けさせよう。……どうした?」

「えっ?」


 ヴァネッサは自身の指先についた、小さな赤い線を見つめていただけだ。どうしたのかと顔を上げる。


「不思議そうな表情をしている」


 表情に出てしまっていたらしい。ヴァネッサは一瞬迷って、ダリウスから視線をそらしたまま口を開いた。


「その、てっきりお怒りになられていると思っていたので、まさか傷を心配してくださるとは思わなかったのです」

「初めてのことを叱るつもりはない。それより、俺が心配しただと?」

「はい」


 今度はダリウスが不思議そうな顔をした。ふむ、と頷き、口元に手をやっている。


「俺は心配していたのか」

「お、恐らく?」


 問題を起こした自分が言うのもなんだが。ダリウスは興味深そうに、また頷いた。そこから全く動かなくなる。

 何かを考えているのだろうが、やはり怒っているのではないかと、落ち着かない気持ちになってしまう。


(ど、どうしましょう? 焦げた料理の後片付けでもしていようかしら?)


 ヴァネッサは調理台に目をやった。その時、あるものが視界に映った。


「ダリウス殿下」

「なんだ?」


 名前を呼ばれ、ダリウスは顔を上げた。そして、ヴァネッサが手に持っている物に目を移し、再び固まる。


「これは?」

「アップルパイです。その、このような失敗の後に渡すのもなんですけれど。唯一成功したので、是非とも殿下に食べていただきたくて」

「これは、本当に君がつくったのか?」


 ダリウスは目を丸くして、焦げた暗黒料理と、リンゴが艶めくアップルパイとを交互に見比べた。


「信じられないかもしれませんけれど、正真正銘、私がつくったアップルパイですわ」

「私もその様子は見ていました。手際よく作られていましたよ」


 料理長の証言が効いたのか、ダリウスは不思議そうにしつつも「そうか」と言った。


「ありがとう。部屋でいただこう」


 呟くように出た彼の言葉を聞き、ヴァネッサはほっと胸を撫でおろした。


「では、私は後片付けをしますわ!」

「皿を割ることにならないよう、祈っているよ」

「今、いじわるを言いましたか?」

「さぁ。君が思うのなら、そうなのだろう」


 アップルパイののったお皿とフォークを手にし、ダリウスは厨房から出て行く。去り際見せたのは、意地悪そうな笑み。そんな表情もできたのかと、ヴァネッサは暗黒料理を両手に思ったのだった。


「ああ、そうだ」


 ダリウスがもう一度、厨房へと顔を出した。


「後片付けが済んだら、顔を洗って着替えるといい。湯あみをしてもかまわない。服はメイドに用意させよう」


 では、と言い、ダリウスは行ってしまった。窓の先で彼が歩いていく姿が見える。


「顔? 湯あみ?」


 ヴァネッサは、壁に立てかけてある鏡の前に移動した。全身すすだらけだ。湯あみをするよう勧められるはずだ。


「ヴァネッサ様。ここは私どもが片づけますので、バスルームへ向かっていただいて大丈夫ですよ」


 料理を処理し終えた料理長が、食器を洗っていた。ヴァネッサは彼の隣に駆け寄った。


「私が使ったんですもの。自分で洗うわ」

「しかし、綺麗なお手が荒れてしまいますよ」

「お仕事を手伝いたいの。いいかしら?」

「……わかりました。気を付けてくださいね」

「(料理のことがあったから、心配しているのね)頑張るわ。ありがとう」


 食器を料理長から受け取る。

 料理人になる選択肢は消えてしまったが、この調子でできること、できないことをハッキリさせていこう。


「(それにしても、水圧がつ――)ぶっ!!」

「ヴァネッサ様!」


 とつぜん勢いが増した水が出てき、お皿に反射して、顔に直撃した。水がポタポタと頬を伝い、顎先から床に落ちる。

 髪も、エプロンも、ドレスも、すべて、びしょ濡れだ。


「だ、大丈夫ですか? 普段はこのようなこと、めったに起こらないのですが」

「ええ、大丈夫よ」


 料理長からタオルを受け取り、顔をぬぐう。


(ここでの生活は始まったばかり。めげずに頑張るんだから!)



★★★



 湯あみと新しい服を用意するよう、メイドに言った後、ダリウスは執務室に戻っていた。


「お帰りなさいませ、殿下。ヴァネッサ様のご様子はいかがでしたか?――おや」


 中で待っていたスチュワートが振り向いた。その視線は自身が持つアップルパイに注がれている。


「なんだ」

「そのアップルパイはもしや、ヴァネッサ様がおつくりになったのですか?」


 ダリウスは一つ、瞬きをした。


「よくわかったな」

「城の料理人が作ったにしては、ほんの少し、形が不均等ですから。今からお食べになるのですか?」

「ああ」

「では、紅茶をお入れいたしますね」


 ダリウスはアップルパイを机の上に置いた。シナモンの香りが空腹を刺激する。


「どうぞ」

「ありがとう」


 紅茶を先にのみ、アップルパイをフォークで切った。


「いかがですか?」

「……」


 ゆっくり咀嚼した後、もう一口食べてみる。


(確かに、中のリンゴは不揃いだし、煮込み具合もあまい)


 しかし、今まで食べたどのアップルパイよりも、優しい甘さで、温かみがあって、おいしかった。素朴な味が、心を癒す。


――また食べたい


 気付けばそう、こぼしていた。

 ダリウスはハッとして、フォークを置いた。クスリと笑ったスチュワートを睨む。


「どうして、わざわざ執務室まで持って帰ってきたのですか? その場で召し上がればよかったではありませんか」

「おいしいと言えなかったら、彼女が悲しむだろう」

「その心配は、必要ありませんでしたね」


 お皿の上には、落ちたパイ生地のかすだけが残っていた。


「仕事に戻る」

「その前に、城の凍結具合を確認して頂いてもよろしいでしょうか?」

「ああ。昨夜は冷えたからな。今行こう」


 ダリウスは立ち上がり、執務室の壁に触れた。すると、扉のようにパカリと一部が開き、水道管が露わになった。

 管に触れ、目を閉じた。水の流れ、エネルギーが、腕を通して伝わってくる。

 ふと、シナモンの残り香が、鼻をくすぐった。アップルパイを差し出してきた際の、ヴァネッサの顔が思い起こされる。


(俺は今、水道管の様子を見たいんだ)


 意識を再び集中させる。途中で意識が他のものに向くなど、今まではなかったのに。

 ダリウスはため息をついた。


「凍結はしていない」

「よかったです」


 腕を離そうとしたその時、スチュワートがさらりと鋭い一言を放つ。


「点検中、ヴァネッサ様のことを思い浮かべましたね?」

「なっ!? そのようなこと決して――あ」

「おや」


 ダリウスが手をつけている部分、水道管の内部から、ジュッと増水する音がした。


「殿下。やはりヴァネッサ様のことをお考えに――」

「断じて違う。俺が誰かに、何らかの好意を寄せるはずがないだろう?」

「殿下。私は『好意を寄せている』とまでは言っていません」


 スチュワートの指摘に身を固まらせる。


(だって、ありえないだろう。俺は、他者を愛することなど――)


 誰かが扉をノックした。スチュワートが確認し、扉を開く。中に入ってきたのは、ヴァネッサにつかせたメイドだった。昨夜も似たような状況を経験した気がする。


「何があった?」


 もはや「どうした」とは聞くまい。


「ヴァネッサ様が、体を洗うついでだと、浴槽のお掃除に向かわれたのですが……」

「早く言ってしまいなさい」


 メイドは気まずそうに眼を伏せた。この短時間で、何をやらかせるというのだ。


「足を滑らせて、頭を――」

「なんだと!?」

「殿下」


 思わず立ち上がってしまった。スチュワートになだめられ、後になって羞恥心が出てくる。


「すぐに医者を向かわせなければ」

「いいえ、殿下。御心配には及びません。すでに呼びましたので」

「そうか。医者はなんと?」


 もう二度と目覚めないと言われるかもしれない。もしくは、頭蓋骨が割れたとか。マイナスの考えばかりが浮かぶ。


「たんこぶすら、出来ていないようです。脳震盪も起こしていないと」

「そうか。ならいい」

「念のため、今日は安静にされた方がよいでしょうな」

「そうだな。彼女はどこにいる?」


 メイドは何故かまた、目をそらした。


「その、次は洗濯を手伝ってくると、外へ出られました」

「彼女の頭に『安静にする』という言葉はないのか?」


 ダリウスは立ち上がり、ジャケットを羽織った


「会いに行かれるのですか?」

「俺から今日は休むよう、伝えてくる。でないとまた、何かを起こしかねないからな」


 そう言った直後、洗濯場の方角から水しぶきが上がった。

 温泉が沸き上がった時のように、水がほぼ真上に噴き出している。ここは二階のはずなのに。


「ベッドカバーが破れた――!!!!」


 のんきな叫び声まで聞こえてきた。


「殿下の読みが当たりましたな」


 スチュワートの声に、ため息でダリウスは答えたのだった。

 不思議なことに、今感じている感情は、決して嫌なものではなかった。

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